フィアンメータの告げ口
友人に酒の席に呼ばれてクラブへとやってきたヴァレルはひとしきり新婚生活を冷やかされた。ヴァレルがフラデニアから薔薇のような公爵令嬢を娶ったことはダガスランド中に知られている。
ヴァレルとしては隠しておきたいのだが、自分の立場ではそれが難しいことも熟知している。妻を持ったからには招待状には夫婦共に、と記載されるし行事ごとにはパートナー同伴で、というのが文化なのである。またヴァレルの結婚はカイゼル家の箔付けのためと外野は憶測をしている。確かにそのように見られるようヴァレル自身振舞っていた。
「おい、ヴァレルこんなところで油を売っていてもいいのか」
「あんなにもきれいな妻を娶ったんだから今が一番楽しいだろう」
クラブでも話題はヴァレルの妻、アレットのことばかり。無理もない。ヴァレルは西大陸から帰国をした後アレットを友人らに紹介したし議長夫妻の主催する舞踏会でデビューも果たした。
アレットは初々しい、まさに咲きかけの薔薇だ。
十八歳という若さと美貌をもっている。彼女はあの舞踏会で多くの男からダンスに誘われていて正直アレットと踊った全員の男の腕をへし折ってやりたがったが、舞踏会なのだから仕方が無いと自分に言い聞かせていた。余裕のある男というものを演出していたのだが、最後はしつこく妻に食い下がるどこぞの馬鹿男にむかっ腹が立って邪魔をしたのだが。
「俺の妻は男の付き合いというものをきちんと理解しているから平気だよ」
ヴァレルは笑みを作った。
というか彼女はきっとヴァレルが屋敷にいない方が気が休まって楽だとすら考えていそうだ。
ヴァレルの返事に友人たちは酒を煽りながら「惚気やがって」などとヤジを飛ばす。友人たちに付き合って酒のグラスを重ねていく。友人たちの気安い集まりは会員制クラブならではのもの。ヴァレルは夏が終わるころ所有する鉱山へ向かうことになっている。普段は代理人に任せきりになっているが、年に数度は現地へ足を運んでいる。その前に友人たちの集まりに顔を出しておくのも大切だ。
「あら、楽しそうね。男同士が集まるといくつになってもやんちゃな子供のようにはしゃぐのね」
男同士の集まりの中に艶やかな花のような声が響き渡る。
会員制のクラブだが女性が全く厳禁かといえばそういうことでもなく、招待があれば入ることはできる。おそらくは誰かの同伴なのだろう、フィアンメータが薔薇のように華やかな笑みを顔に張り付けて佇んでいた。
彼女はヴァレルを見つけ手をひらひらと振った。
誰かが「おい、ヴァレルも隅に置けないなあ。新婚だぞ」と口にした。完全にからかっている口調だった。酒が入っているのだから仕方がない。
ヴァレルは周囲を見渡した。彼女を連れて来たのだからきちんと首輪をつけておけと文句を言いたい。ヴァレルはフィアンメータに用はないのである。
フィアンメータはこちらの不機嫌などまるで目にも入らないとのごとく、当たり前のようにヴァレルと同じ囲みの椅子に座ってきた。だらしなく頬を緩めた友人の一人が席を譲ったのだ。
ヴァレルは内心ため息をついて、立ち上がる。
余計な波風をこれ以上立てたくはない。フィアンメータは自分の名声のためなら簡単に男を利用する。それはゴシップ記事も同様で、彼女はしょっちゅう新聞をにぎわせている。ついこのあいだその餌食になったヴァレルとしては二度目は勘弁願いたい。
「あら、釣れないわね」
フィアンメータがヴァレルのことを追いかけてきた。
「フィアンメータ、俺はもう既婚だ。結婚前とは違ってふらふらと遊んだりはしないよ」
「いまこんなところに来ているのに?」
ヴァレルはカウンターで酒を頼んだ。
グラスに入った琥珀色の液体が前に差しだされる。西大陸産の蒸留酒である。最近はアルメートにもよい蒸留所が出来てきたのだが、まだまだ知名度が低いのが難点だ。
「クラブは男同士の友情を深める場所だよ。商売や投資の有益な情報を得ることもできる」
「男ってそういうお堅い話ばかりでつまらないわ。ねえ、あっちで一緒に飲みましょうよ」
「男を誘いたいなのら他をあたってほしいね」
「初めて会ったときはあなたのほうからわたしに話しかけてきたのに」
フィアンメータは頬をぷうっと膨らませた。そうして拗ねて見せることで男の方から謝らせようとする彼女の術だ。
「昔は昔だろう?」
「今は奥様の方が大切ってこと?」
「よくわかっているじゃないか」
「でも、その奥様はあなたのことどう思っているのかしら」
フィアンメータはなおもヴァレルに絡んでくる。一応きれいさっぱり分かれたはずなのだが、彼女はやけにヴァレルに執心する。彼女にとって男というのは勲章のようなもので、とっかえひっかえする宝石のようなもの。今日はこっちのルビーがいい、明日はエメラルドをつけようかしら、などという着せ替えと同じ感覚で連れ歩く男を変える。ヴァレルとしてはそういう女性の方が気楽に付き合えると思っていたのだが、どうやら自分は彼女にとってそこそこに価値のある着替えであったようだ。
「きみに妻の何が分かるのかな?」
いまアレットの話題を出されるとヴァレルから余裕がはがれていく。実際彼女との憶測記事が新聞に載ってアレットとの仲に亀裂が入った。夫がゴシップ紙の記事になったのだ。いい気はしないに決まっている。現に彼女はヴァレルを罵り、こんなところに連れてこられて、とまで言った。
確かにアレットをアルメートに連れて来たのはヴァレルだ。何もかも承知で妻を金で買ったのに彼女の言動一つでヴァレルは簡単に心をかき乱してしまう。
「そうねえ……。生粋のお貴族様はアルメート共和国の成金を心の底では蔑んでいるのでしょう。没落した貴族は昨今西大陸では珍しくないと聞くわ。ダガスランドにも多くいるもの。元は貴族のご令嬢だったご夫人が」
「俺の結婚も同じだと言いたいのか? 指摘されるまでもなく、俺はカイゼル家の箔付けのためにアレットを娶ったんだ。恋愛結婚なんて小説と舞台の中だけの話だよ。実際西大陸もアルメートも政略結婚だらけだ」
「政略結婚に絶望をした奥様達の間で流行っているものがあるってご存じ?」
フィアンメータが赤い唇を持ち上げた。
意味ありげに言葉を区切り、視線を投げかける。
「さあ。ご婦人たちの流行にはあいにくと疎くてね」
「まあ、そうなの。だったら教えて差し上げるわ」
フィアンメータは聞いてもいないのに、耳元に顔を近づけてきた。ヴァレルは顔をしかめたが、お構いなしに言いたいことだけを言って去っていった。
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