フィアンメータの悪だくみ

 透き通った青色の空が気持ちの良い日だった。

 アレットはシレイユたちと連れ立って慈善事業の一環で行われるバザーへやってきていた。毎年の恒例行事だという。


 ダガスランド中心地区の境界に隣接する公園で行われるバザーの収益は孤児院の運営にあてられることになっている。アレットは知らなかったのだが、バザーに出される品物をカイゼル家も寄付していた。これは今朝ベンジャミンによって知らされた。アレットがこちらアルメートにやってくる前のことだったからだ。


 アレットたちの役目はバザーの売り子ではなく、揃いの制服に身を包んだ孤児たちが教会で歌を披露したのち、お菓子を配ること。

 この日のためにシレイユたちがダガスランドの人気店に注文をしたもの。


「でも、いいのかしら。わたしなにも事前準備に参加をしていないのに」

 なんだかいいところ取りな気がする。

「いいって。カイゼル家の、お兄様の妻が出席していることに意味があるんだから」


 普段奔放な振る舞いをするシレイユだが、きちんと自分の役割というものは理解している。結婚をしてすでに数年が経過している彼女はアレットにとってもよい手本だ。


「そうね。ヴァレルのためだものね」


 アレットは奮起した。

 妻の評判は夫の評判に繋がるのだ。アレットは今日もきちんと髪の毛を結い上げ、既婚女性として恥ずかしくない格好で参加をしている。

 アレットが気合を入れると「まあまあ、そこまでまじめくさって考える必要も無いわよ。リラックス、リラックス」とシレイユが背中を撫でてくれた。


 アレットはお菓子の入った籠を受け取り他の夫人と一緒に子供たちにそれらを配った。子供たちは丁寧にお礼を言ってくれて、アレットは微笑ましく思った。可愛らしい子供たちを見ていると心が和む。アレットも一応子供を作る行為をしているのだから、もしかしたらそろそろ愛の女神さまがお腹の中に赤ちゃんを遣わしてくれるかもしれない。

 アレットは無意識に下腹部に触れた。


(その前に、ヴァレルと仲直りできたらいいな……)


 自分の失言が原因で、いささか強引に事に及ばれた日以降、夫の態度はどこかかたくなになった。ヴァレルは自分の出自に対する発言に敏感だ。その原因を作ったのはおそらくは十六歳のアレット。


 いつもアレットが原因でヴァレルを傷つけている。

 今回だってそう。

 自分が考えなしにあんなことを言ってしまったおかげで夫を傷つけた。


(わたしのこと、今回こそは愛想を尽かしてしまったわよね……)


 アレットは唇をかんだ。

 自分が原因とはいえ、これでますますヴァレルの心が離れていってしまうのは辛くて悲しい。本当に馬鹿だと思う。それでも外では仲のいい夫婦を演じなければいけないだなんて。


「ねえ、あなた」

 気が付くとアレットの目の前に夫人が佇んでいた。二十代半ばか、三十手前と思われる黒髪の婦人である。既婚女性らしくきっちりと髪の毛を結わえてる。

「ごきげんよう。ごめんなさい、ぼうっとしていましたわ」

 すでに孤児たちへの贈り物は終えていて、今は会場のそこかしこで参加者たちによる談笑の輪ができている。

 アレットは清楚な笑みを顔に張り付けた。

 色々と考え事をしていて人の輪から外れていた。


「この国に来てまだ慣れないことが多いのでしょう? わたくし、あなたに同情をするわ」

 女性はアレットの方へ一歩距離を縮めた。アレットよりも少しだけ背の高い女がアレットに顔を寄せてきて、アレットは思わず身を引いた。


(だ、誰かしら……)


 物静かな印象の女性だ。黒い髪も、灰色の瞳も取り立てて珍しいものではない。けれどもこの女性の醸し出す空気は何か、独特だった。覇気がないのだ。それなのに、どこか人の目を集める雰囲気を纏っている。


「あなたのこと、聞いたわ。苦しんでいるのでしょう。わたくし、そういう人の役に立てるの。これ、差し上げるわ」

 女は一方的にアレットに話しかけ、手に小さな瓶を握らせた。

「え、ちょっと。あの」

「わたくしはソイリャ・ヘオンツーク。覚えておいて頂戴」

 女、ソイリャはゆったりとした口調で去っていった。

「あ、あの」


 アレットが声を掛けてもソイリャは振り返ることもなく、悠然と歩くだけだった。手のひらには押し付けられた小瓶。何かの薬のようだ。ラベルが貼ってある。

 アレットは顔の前に持ってきてラベルを読んだが、あいにくと知らない名称だった。


 むむむ、と眉根を寄せているとシレイユのアレットを呼ぶ声が聞こえて、アレットは慌ててそちらへと向かった。


◇◆◇


「ねえ、ちゃんと彼女にお薬を渡してくれた?」

「ええ。もちろん」

「彼女、とても悩んでいるのよ。夫との子供なんて作りたくもないのですって」


 フィアンメータが大げさに言うと目の前の女、ソイリャは眉を憎々し気に歪めた。


「それはそうでしょう。わたくしたちは伝統ある貴族の血を引くのよ。好き好んで成り上がりの男の子を孕みたいだなんて思うわけも無いわ」


 フィアンメータはその言葉にはなにも返さずに無言のまま。

 この女の言葉には聞き飽きた。没落したどこかの国の貴族のお姫様。可哀そうに、お姫様は実家の借金と引き換えに新興国の成り上がりの元に売られてきたのだ。どこにでもある、ありふれた話である。


「大丈夫、わたくしが哀れな公爵令嬢を助けてあげるわ」

 ソイリャは少女のように微笑んでゆったりとした足取りで歩いていった。

 フィアンメータはそれを見送った。


(さて、と。あとの段取りはどうしようかな)


 教会に隣接する公園にはテーブルが出され先ほどまでバザーが開催されていた。お金持ちたちは慈善事業が大好きだ。

 フィアンメータはあまり好きではない。結局は自己満足ではないか。いや、憐れみか。

 どちらにしろ、才能があれば自力でのし上がれるのだ。それがアルメート共和国のよいところだし、実際フィアンメータは自分の美貌と歌で今の地位を勝ち取った。


 男たちにちやほやされるのは気持ちが良い。

 アルメートで成功した男たちがフィアンメータを目当てにカスコーネ座を訪れ、視線ひとつに狂喜する。

 フィアンメータは得意になった。紳士たちがこぞって自分を称賛するのだ。これほどすばらしいことはない。


(それでも、わたしの隣に立つのであればやっぱり相手はとびきりの男じゃないと)


 特にヴァレル・カイゼル。多くの支援者、恋人を持つフィアンメータにとっても彼は特別だった。見目の整った上背もある若き実業家。すらりとした体躯でフロックコートの似合う青年紳士。まさに自分の隣に立つにふさわしい男。


 あれはたしか、二年くらい前の秋ごろだった。西大陸に物見遊山がてら商談を行ってきたというヴァレルがフィアンメータの公演にやってきたのだ。

 その後知人を介して紹介された彼と親しくなった。フィアンメータは有頂天になった。ヴァレル・カイゼルといえば買った山から良質の鉄鉱石を掘り当てた強運の持ち主だ。もともと父の代からの商会で裕福ではあったが鉱山のお陰で一気にダガスランド中の男の夢になった。その彼と知り合い、そして何度目かの食事のあと男女の仲になった。フィアンメータは有頂天になった。とびきりの男が自分の隣にいる。どれだけ素晴らしいことだろう。女たちの嫉妬交じりの眼差しが心地よかった。


 フィアンメータは公園から立ち去ることにした。この会場にはあの女もいるのだから、まったくもって不愉快だ。

 せっかく捕まえた極上の男なのに、彼はディルディーア大陸から花嫁を連れ帰った。

 貴族の血を引いたお姫様。何の苦労も知らずに育った温室育ちの箱入り娘。純真無垢で男に守られることが当然というふうにか弱くて、そして世間知らず。


 フィアンメータにとってこれ以上に面白くないことは無かった。てっきり自分が彼の妻になれると思っていたのに。美しい金髪に白磁の肌。筋の通った鼻に赤く魅力的な唇。自分ほど男心をそそる女もいないとフィアンメータは確信をしている。

 それなのに彼は忙しいからと徐々にフィアンメータから距離を取り始め、ついには妻を娶ったのだ。自分に何の断りもなく!


 フィアンメータのほうこそヴァレルと関係を持っていようとお構いなしに自分の支援者たちとも親しくしていたのだが、それは勘定には入れていない。自分は人気絶頂の歌姫であり、フィアンメータ目当ての男性に優しくしてあげるのは義務だからだ。


 フィアンメータが持っていないものを、あのアレットという娘は持っている。伝統と格式という血筋だ。美しさも体も負けないのに、温室育ちの血統書付きの娘たちが美味しいところを持って行ってしまう。


(ふんっ。せいぜい夫婦仲に亀裂が入ればいいのよ)

 フィアンメータはこれから起こることを想像してほくそ笑んだ。

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