【電子書籍化】初恋の男性に、お飾りの妻として買われました

高岡未来@9/24黒狼王新刊発売

プロローグ

 アレット・ヴァレア・フェザンティーエの人生最大の後悔は、十六歳の夏の休暇にさかのぼる。

 もしも、時間を巻き戻すことができるのなら、アレットはあの時、あの場所に戻りたい。

 アレットの家の所領にある、大きなお屋敷の庭園に。


 毎年夏になるとフェザンティーエ公爵家は領地に構える屋敷に人を招く。

 夏の休暇の時分、親しい人々同士が領地を訪問し合い、庭園で茶会を開いたり、狩りを行ったりと、田舎生活を楽しむのだ。

 客はその時によって顔触れが変わる。

 大抵は領地を隣接し合う家族や、遠い親戚、また父が仕事で知り合った人など。


 その年、アレットは一人の青年と知り合った。

 父の招いた客人の一人で、名前をヴァレル・カイゼル。黒髪にこげ茶の瞳をした、背の高い人物だった。しかしひょろっとしているわけではなく、はやりのフロックコートをさらりと着こなし、身のこなしはスマート。涼しげな顔は、しかし笑うと人好きがして、親しみがわいた。


 彼はアレットの生まれた祖国フラデニア王国の西に位置する西端海せいたんかいを渡った先にあるアルメート大陸から遠路はるばるやってきた実業家だった。

 そのときのアレットはヴァレルの出身を聞いて目をぱちくりとさせた。


「わたし、アルメート共和国の人と会うのは初めてよ」

 アレットはにっこりと笑った。

 そのあとアレットは寄宿学校で習ったアルメート大陸に関する事柄を頭の中に思い浮かべながら興味のあることを聞いていく。


「ねえ、アルメート大陸には巨大なクマが出るって本当? 大きな鹿のおばけが生息しているのも本当?」

「うーん、クマはこっちの大陸と同じくらいだと思うけど。鹿のおばけっていうのは大角アカシカのことかな。確かに普通のシカに比べるとずっと大きいね。あ、でもおばけっていうなら、牛の仲間のバイゾンっていう動物もいるけど」

「なにそれ! すごいわ。どんな姿をしているの?」

「ええと、ちょっと待って」


 青年ヴァレルはアレットのとめどない質問にも嫌がることなく明るく応対してくれた。おかげでアレットの好奇心は大いに満たされ、また気さくなヴァレルにアレットは好意をもった。アレットよりも十も年上なのに彼はアレットに親切に接してくれた。


「ねえ、ヴァレルは普段はどんなことをしているの?」

「俺は、いや僕は典型的なアルメート共和国の男だからね。自分の実力でどれくらい上に行けるか、っていうのを突き詰めているよ」

「あら、わたしの前でも俺って言っていいのよ?」


 アレットはしたり顔で笑った。少し野性味のあるいいかたがかっこよかった。

 だって、他の男性はみんな自分のことを私とか気取っていうんだもの、とは恥ずかしく言えなかった。


「ねえ、ヴァレルは他にはどこの国を訪れたことがあるの?」

「色々とだよ。ロルテームやインデルクにも行ったことがある」

「じゃあ今日はロルテーム王国のお話を聞かせてちょうだい。運河の街ってどういうところなの?」


 アレットはヴァレルを捕まえては広い世界の話をせがんだ。

 彼にも社交があるのだから、とは侍女や母からやんわりとヴァレルとの距離を保つように言われたがおかまいなし。アレットに新しい世界を教えてくれるヴァレルと少しでもずっと一緒にいたかった。


 思えば、あれがアレットの初恋だったのだ。

 自分の話をじっくりと聞いてくれるヴァレル。淑女にするように、手を差し出してくれるヴァレル。低い声が耳に心地よくて、ずっとずっと彼と話していたい。


 十六の夏、アレットは恋を知った。

 自分よりも大人に憧れる淡い恋だった。

 しかし、それは本人も無自覚の可愛らしいものだった。


 フェザンティーエ公爵家にはほかにも年頃の令嬢たちが招かれていて、大半は小さいころからアレットと交流のある娘たちで中には同じ寄宿学校に在籍をしている者もいる。

 ヴァレルと仲良くしているアレットを、彼女たちがからかうのはその年頃の女の子たちにしてみたら息をするように当然のことで。


 アレットもある日、庭園を散策しているついでに盛大に言及された。

 最近ヴァレル・カイゼルとずっと一緒ね。アレットはああいう人が好きなの? 彼のどこがいいの? あなた彼の出自を知っているでしょう、などなど。

 自分でもまだまだ無自覚の初恋で、ヴァレルと二人きりの散歩の風景をばっちり見られて、しかもからかわれるという状況に慣れていなくて。自分の気持ちにも追いつけていないのに、みんなアレットがヴァレルに恋をしているという前提で話を進めていく。


 アレットは顔を真っ赤にした。

 心臓がばくばくして、好き勝手にアレットとヴァレルとの仲を話していく友人たちに、必死になって弁解する。理由もわからない罪悪感があった。


 だって、わたしと彼はそんな風じゃないのに。

 アレットはつい叫んでしまった。


「ち、違うわよ!」

「何が違うの? あんなにも仲よさそうにしているのに」

 言われたアレットは余計に焦った。

「そ、それはわたしがフェザンティーエ公爵家の娘だからだわ。お父様の招いたお客様をおもてなしするのが娘の役割だもの。それに、それに……元は労働者階級の家柄の男性なんてわたしだってお断りよ!」


 大きな声が出た。

 貴族階級の少女たちはヴァレルのことを、所詮は成り上がりじゃない、と馬鹿にしていた。

 ブルジョワ階層が台頭を始めて早数十年。昔ながらの貴族が没落をし、借金苦に当主が自殺、一家離散も珍しくはない時世である。それでも貴族階級にしがみつく人間もまだ多い。


 アレットは友人たちの階級意識を知っていたから、つい叫んでしまった。

 叫んだ後、誰かが「あっ」と声を漏らした。


 アレットが振り返った先には。


 凍り付いたような顔をしたヴァレルの姿があった。


 これがアレットの人生最大の過ちの瞬間だった。

 それ以来、ヴァレルとは会うことは無かった。

 アレットの淡い初恋は最悪な形で幕を閉じた。だって、好きな人を貶めてしまったのだから。

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