第2章 砂上の楼閣
人気配信者のライブ視聴者、異世界にて神の石を巡る争いに巻き込まれています
第1話 三者三様
机の上に置かれた時計が午後七時を告げる。ぬいぐるみに囲まれたベッドに背を向け、
膝下や二の腕を露出させたパーティードレスは、オーロラのように美しいグラデーションを放っている。その背後から広がっているのは、淡く赤みがかった大きな翼だ。顔に目を向ければ、そこには
『今日もあなたに恋をお届け……!こんラララー!ララの配信始めるよー!』
その声が流れると同時に、大量のコメントが流れ始める。
相変わらずすごいな、と蘭は思った。自らを天使と名乗る、この人物の
これだけの人生、色々な人がいるだろう。幸せな人もいれば不幸な人もいる。不幸と向き合って乗り越えようとする人も、目を背けることで自分を守ろうとする人も。
そこに至るまでに進んだ道も人それぞれだ。他人の敷いたレールを進むか、自分自身で道を切り開くか。
では自分の人生はどうだろうか?
「あたしほど数奇な人生を送る人はいない」
蘭がそう思うのは、それから数十分後のことであった。
「
教員室で
「あぁ、それ……生徒の中で流行ってますよね、ララなんちゃらって奴。以外ですね、硬派なあなたにしては」
「生徒との距離間が縮まるかと思ってね」
「やっぱりそんなことだろうと思いましたよ。お先に失礼します」
一人、教員室に残った蔵道は、じっくりと彼女の配信に入り込む。コメント欄を埋め尽くすのは、その半数が“かわいい”の四文字だ。
学生時代から異性には目もくれず剣道にのめり込み、教師となった今も顧問として剣道に向き合い続ける蔵道にとって、目の前の動画はさして惹かれるものではなかった。彼の目線は大量に書き込まれたコメントに向けられている。
“かわいい”。それは彼女の容姿、あるいは性格を指して評価する言葉だった。
学生時代は蔵道も同様に“かっこいい”と言われたこともある。しかし竹刀を振るう彼にとっては、そのような言葉は無粋でしかなかった。
それもそのはず、世間が彼を評価する指標は常に結果だった。県を超え、地方を超え、全国を超えるべく、彼は一心不乱に努力を重ねてきた。そうして勝ち取った結果こそが、蔵道を評してきた最大の要素だった。
「分からないな」
画面の向こうで微笑み続ける彼女は何を思うのだろう?蔵道はそう思った。
相手の顔が見えない状況とはいえ、一万人以上の視線の前で言葉を紡ぐことは容易ではないだろう。さらに元を辿れば、ここまでの人気が出るまでに彼女が積み上げてきた努力は、果たしてどれほどの物になるのだろうか。
そして現在、彼女に向けられた評価は“かわいい”が大半である。彼女はその言葉にどれほどの意義を感じているのか。自身のこれまでの生き方を省みた時に、正当な評価を受けていると思えるのだろうか。
あるいは自分が少数派なのか、と蔵道は考える。
教師として生きるうちに、容姿を評価の対象外とする癖がついてしまったか。それとも女心を知らずして年を取った自分の未熟さか。
「いずれにせよ、答えは出ない」
彼女自身に聞いてみたいが無理な話だ。たとえ彼女が
『人生で一番、大切なものって何だろうね?』
パソコンを通じて問いかけたララに、即座にコメント欄が反応する。時間、お金、健康、愛、その他諸々。
その中の一人、
まだ二十代も完遂し終えていない保哲にとって、人生というものは有為転変な空模様のようなものであったが、少なくとも彼は周囲が欲しがるそれらの要素が自分に不足しているとは思わなかった。
彼には時間があった。労働に費やす時間は所持していない。好きな時間に起きて好きな事を楽しみ、そして好きな時間に寝る。それが彼の日常だった。
そんな日常を実現できるほどに、彼には財産があった。正確に言えば財産を所有しているのは彼の両親なのだが、自由に使えるお金がいくらでもあるという事実に変わりはない。
それに加えて彼は健康体であった。運動はおろか外出すら滅多にしない生活を送っている彼だが、体脂肪率は標準的で肥満体とは程遠い体つきである。もちろん病気と診断されたことも無い。それはひとえに両親の
そして愛も同様だ。彼の場合は一方的な愛情ではあったが、情熱を持って打ち込める相手がいた。パソコンの画面に映る彼女にとって見れば、保哲などその他大勢の一人に過ぎないだろう。しかしプラスの感情をぶつけられる相手がいる事実そのものが、彼の人生に多大な充実感を齎していた。即ち彼の人生には退屈というものが無いのだ。
このような恵まれた環境を根拠に彼は運と答えたのである。努力とは、親の抽選に外れた一般人が成功を掴み取るための悪あがきに過ぎない。保哲は常にそう考えていた。
『じゃあ皆、そろそろ行くよ!今までありがとう!』
その儀式を信じる
「異世界か……」
この世には、現実に不満を持つ現代人がいくらでもいるのだ。異世界など今の自分にとっては無用の長物だ。保哲はそう思った。
『いざ異世界へ!……せーのっ!』
ララが叫ぶ。
「……ん?」
画面の映像が停止する。ネットワークの調子が悪いのだろうか。
「……!?」
視線を動かそうとして、保哲は自身の異常に気づいた。体が動かない。
瞬きも呼吸も許されない時間の中で、徐々に視界が灰色に染まっていく。停止したのは映像ではなく彼自身だったのだ。
それが最後だった。保哲が最も重要視する運という要素が、彼の人生から欠落した瞬間だった。
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