第一章
ビートルズと雨の日
青いバラ1本目 イワンの話 1
ブルーローズ。
それは自然に咲くことはありえない、幻の、青いバラ。だから「不可能」という花言葉がつけられたんだ。
科学の力って偉大だよな。バイオテクノロジーが進化して、日本の研究者たちが遺伝子を組み換え、青いバラを世界で初めて誕生させた。彼らの日夜の努力が、ついに夢みたいな話を可能にしたんだ。
このドラマチックな出来事から転じて、ブルーローズの花言葉も「夢かなう」に変わった。
幼かった俺は、大きくなって、もし何かに名前をつけることになったら「ブルーローズ」にしようと決めた。
工業都市マンチェスターの郊外で俺、イワンは生まれた。
親父のジョージは靴の職人で、母親ステファニーはアパレル企業のコールセンターで働くOLの、ごく平凡な労働者階級出身の夫婦だった。俺は二人の最初の子供として産声を上げ、大切に育ててもらったと思ってる。この街なら石を投げれば当たるくらい、ありふれた話さ。別に珍しいことじゃない。親父の口癖は「工場でだけは働くな」だった。物心がつく子供の頃からずっとそう聞かされて俺は育ったんだ。
赤ん坊の頃からくりくりとした大きな瞳と愛嬌あるスマイルを合わせ持っていた俺は、それはそれは可愛いと周囲から評判だったそうだ。ある時、レストランで俺の両親が食事をしていたら、よちよち歩きする俺のあまりの可愛さにギャラリーが集まっちゃって、周辺が軽くパニックになったって武勇伝もあるくらいなんだ。そりゃあもう大騒ぎさ。定年退職して、年金で生活しているようなおじいさんが俺たちに近づいてきて、ひとこと「遠くから見ても、この子の愛くるしさは伝わってきたよ。将来はショービジネスの大物になるかもしれないな」なんて、冗談か本気か分からないことを俺の顔見ながらしみじみと言うんだ。まぁ、俺は全然、覚えてないけどな、そんなガキの頃の話なんて。実際、親父が馬鹿みたいに撮りまくってたアルバムの写真を見ると、確かに自分でも驚くほど愛くるしい天使がたくさん写っていたよ。
この純真無垢な天使が、将来、破天荒なロックスターになるなんて、この時は誰も予想すらしてなかっただろうな。俺だって、正直言って、いまだに信じられないよ。笑うしかないね。
ルックスの話はこれくらいにしておこうか。
さて、この赤ん坊こと俺は、愛くるしい天使の見た目とは裏腹に、実にわんぱくに育った。これは俺自身も、うっすらと覚えている。近所の公園で遊んでいても、同い年くらいの奴らが持ってるおもちゃをよく強奪しては泣かしていたんだ。今の俺からはよもや考えられない振る舞いだよな。え? イメージ通りだって? うるせえな。警備員さん、こいつを摘み出してくれ。冗談だよ。ちょっとからかっただけだって、ははは。
どちらかと言うと大人しかった俺がこんなに暴れん坊になったのには理由があるんだ。俺の親父が勤務する工場が移転するのに伴って、俺たち家族は郊外からマンチェスターの中心部に引っ越すことになったんだ。俺は五歳になったばかりだったけど、それはもう泣いたよ。大泣きさ。昼夜問わず、ぎゃんぎゃん声を上げて泣いた。ずっと一緒に暮らしていた祖父母と別れたくなかったんだから。暴れるのは寂しさの裏返しってヤツさ。
じいちゃんは典型的なマンキュニアン(マンチェスター市民)で、コニャックが好きで、古いレコードを愛してた。フラットにある彼の狭くて埃っぽい部屋の棚にはぎっしりとレコードが詰まってたんだ。いつもは無愛想な彼も、カウチに身を任せて、お気に入りのコレクションに耳をそばだてる時は、とても穏やかな老人になった。奪い取ったおもちゃに飽きた時、俺は決まって彼の部屋に行くんだ。そして、ブルースやロックンロールの海に溢れた部屋で、二人して泳ぎまくった。これが俺の音楽人生の始まりだと言っても過言ではないな。
俺は片っ端からレコードを手に取っては彼に訊いた。
「じいちゃん、これは誰?」
「リトル・リチャードさ。声が渋くてカッコいいだろ」
「こっちは? 四人いるけど」
「それはビートルズさ。俺たちの国を代表するロックバンドだよ。ブリティッシュ・インヴェイジョンと言ってな。俺たちの国の音楽に、世界中の人々が熱狂した時代があったんだ。あの頃はいい時代だった」
彼は遠い目をしながら、若さゆえの無謀さでむせ返りそうな日々に想いを馳せる。
じいちゃんとばぁちゃんが出会ったきっかけも、ビートルズのコンサートだったらしい。
と言うのは表向きの理由で、じいちゃんは近所のレコードショップでたまに見かける可憐なポニーテールの少女にずっと恋をしていた。ある日、彼女がビートルズの新譜レコードを手に取り、レジへと持って行った。ビートルズが爆発的にブレイクするよりずっと前の話だ。想い人がモッズスーツに身を包んだ四人組ロックバンドのファンだと知ったじいちゃんは、公衆電話に置いてある電話帳をひったくり、テレビ局やラジオ局、音楽雑誌社の番号に片っ端から電話して、ビートルズのコンサートスケジュールを聞きまくった。マンチェスターにやってくる直近のスケジュールをなんとか聞き出すことに成功したじいちゃんは、今度は会場のホワイトプール・ボールルームに電話をかけ、残っていたチケットを入手した。あとは当日、会場周辺で彼女の姿を探してうろうろするだけさ。
幼心にも、じいちゃんがちょっと情熱的すぎると思ったし、ストーカーみたいな作戦で引いた。だけど、携帯電話もない昔の人はこうでもしないと、男女の出会いなんてそうは簡単に転がってない。年齢と経験を重ねた今の俺には分かる。
案の定、彼女はやってきた。あいにくの雨の日だった。彼女は入場前に、ひねくれた雨風にチケットを飛ばされてしまい、あちこちを探し回っていた。
「大丈夫かい? 僕が君の力になるよ」
じいちゃんは、さしていた傘も放り投げて、彼女のためにずぶ濡れになりながら道路の上をあちこち手でまさぐり始めた。突然現れた茶色の髪の毛の男の子に戸惑いながらも、ばぁちゃんは「ありがとう」と言ってチケット探しの作業に戻った。
「結局、チケットは見つかったの?」
俺は膝小僧を抱えながら質問した。
「あった。いや、正確には、あったはあったけど雨でぐちゃぐちゃになってて判別不可能になってたんだ」
ボロ切れみたいになったチケットを握り締めて、雨の中で若い二人は笑った。
「もうコンサートなんかどうでも良くなって、空いていた近くのカフェに入ったんだ。冷え切った身体が温まった頃には、また今度、ビートルズがマンチェスターに来たら一緒に行こうと約束してね。それが馴れ初めの真相さ」
その一件をきっかけに彼らは仲良くなって、俺が今、この世にいるわけだ。全く、ビートルズと、彼らの偉大なロックンロールには感謝しないとな。
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