第22話 石帯の件、そして久々の女一宮との睦み合い

 一方、髪洗いをしている女一宮だが。

 髪洗いは実に大仕事である。朝早くから日の暮れるまでその作業は続く。

 何せ普段はせっせと梳ることでほこりや何やらを落とすだけのその長い髪を洗うのである。

 湯汁で度々洗い、お側の女房達がその側に並び、その度に洗髪料である「ゆする」を通すのである。女一宮の髪は長く豊かなので、その作業も一苦労である。

 ゆするで洗った後、清水ですすぐと、丈の高い御厨子の上に褥を敷いて、その上に髪を広げて乾かす。厨子は仁寿殿女御の部屋の前に廂に横様に立てられた。

 そして母屋の御簾を上げて風通しを良くした上で、それでも見られてはならないと几帳を立てた。

 髪の大本、宮の居る母屋には火桶を据えて火を起こし、薫物をくべて匂わす。そして濡れた髪の湿り気を女房達が集まって拭いて、火に炙って乾かすのである。


「……こっちに渡って乾かせばいいのに」


 さすがに焦れた仲忠がそう言って寄越すと、女御は娘に苦笑混じりに言う。


「ああ言っていることですし、向こうで乾かしたらどう?」

「別にこっちでいいわ」


 素っ気なく女一宮は答える。

 そこに右近の乳母という女が口を挟む。


「ぜひそうなさいませ。そのままもし殿が宮さまをお連れして御寝所にお入りになられたら御髪が滅茶苦茶になってしまわれます。御産をなさったその日にもご一緒なさった方ですから、せっかくの御髪にお障りにならないとは言えません」

「まあ何って品の無いことを言うの。黙っておいで」


 宮はぴしゃ、と叱りつける。

 そう言っているうちに、直衣を着た仲忠が、中の妻戸を押し開き、女御の前にやって来てひざまづいた。

 ちなみにその場には正頼も居た。

 女一宮は姿が丸見えになってしまう、とばかりに慌てて屏風を取り出させたりする。

 すると仲忠は呆れた様に、


「そのままでもいいのに。早く乾かしてね。……向こうにも御厨子はたくさんあるけどね」


 多少妻に対して嫌味など言い、その後女御の方へと向き直る。まずは挨拶から。


「今朝宮中で、帝の仰言がありましたから、できるだけ早くこちらへ申し上げようとは思ったのですが、ちょっと気分が悪かったので、なかなか出て来れずに……」

「帝は何と仰せでしたか?」


 女御は問いかける。


「『仲忠が女御に犬宮の乳母の真似事をさせているのではないか』とのことでした」


 あら、と女御は首を傾げる。


「そういうものかしら。見ると聞くとは大違いだとよく言われますが、成る程、帝はそんな風に思っていらっしゃるのですか。でも駄目ね。今ではこの犬宮を見ずにはいられないわ」


 心底嬉しそうに話す。


「私も沢山宮達を生んだけれど、皆顔もろくに見ないうちに参内しなくてはならないことが多くて。けど犬宮はもう生まれるその時から見ることができて、今は毎日毎日こうやって世話することができるから、もう可愛くて可愛くて。ええ、あの子を置き去りにして参内なんて、とつい思ってしまうのよ。それに何と言っても、ここは宮中の様に、見栄を張ったりして表向きに気を配る必要もない宮仕えですもの」

「これこれ何をおっしゃる。私の子供の中では、あなたが一番果報者だというのに」


 正頼は慌てて口をはさむ。


「この多くの宮達を全く悪いところも無く育ててくれて、それぞれ将来も頼もしい様子で、元気で走り回り、また兄弟一緒に仲良く遊んでいるところを見ると、私はよくぞ素晴らしい娘を持ったものだ、と有り難く思うよ」

「そうでしょうか? 父上。私はこの大将や犬宮を見ていると、天下の后の位も羨ましいとは思いませんわ」

「そんな、畏れ多い」


 仲忠も小さく口をはさむ。


「でしょう? 女一宮は今までもこれからも、比べる人も無いほど幸せだと思いますのよ? 様々な物思いも知らずに来られているのだから。私などそれに比べれば」


 仲忠はそれを聞くと笑った。


「なかなか耳が痛いですね。女御さまがおっしゃる様なことはこちらには特別には無いのですよ。女一宮ときたら、僕が犬に食われたとしても、そんなことはどうだっていい、という顔をするでしょうから」


 まあ、と女御も正頼も笑う。


「それはそうと、帝から、東宮の御即位の儀が近づいた様な仰言がありました」

「そうか。朱雀院の修理が終わったらしいし…… そろそろ、か」

「今回は東宮も殿上にいらしていて、間近で講義を致しましたので、よくお姿を見ることが出来ました。しばらく見ないうちに、また御立派な方に」

「いや全く、我が国の帝としては勿体無い程のお方だ」


 正頼は大きくうなづく。


「で、今回は宮中でなかなか厄介な事を仰せつかりましたので、あの素晴らしい東宮の御前では、さすがに気後れ致しました」


 そうかな、と正頼は苦笑する。


「その時に五宮もいらしたのですが、あの方は大層派手で、しかもいつも何かしらそこで見つけようというご様子で御覧になるのです。こちらは読むだけと言えば読むだけなのですが、非常にやり憎うございました」

「それは難儀なことだったな」


 ははは、と正頼は笑う。


「しかしまあ、そのおかげで、貴重なお品を帝から賜りました」

「どんなものを?」

「石帯です」

「ちょっと見せてもらえるかな?」


 何か思うところがあるのだろうか、と考えつつ、仲忠は早速その帯を取りに行かせた。

 やがて、大事そうに袋に入った螺鈿の箱が持って来られた。

 正頼はその中から石帯を引き出してみて驚いた。


「これは……」

「どうなさいましたか?」

「これはまた、世に二つと無いものだ。これを帝が差し上げたい、と思うあたり、凄いものだ」

「一体……」

「これは小野宮の大臣――― 貞信公秘蔵の石帯で、大変貴いものだ」

「そうなのですか!」


 仲忠は改めて驚く。


「かつて、この石帯を巡ったいざこざの為にあの真言院の律師は家を出て、山に籠もることとなった。元の持ち主である大臣は、我が子が行方をくらましたことに絶望し、それ以来小野に籠もってしまわれた」

「そんなことが」

「その時に『もうこの帯を譲る者も居ない』ということで嵯峨院に奉られたのがこの石帯なのだ。今の帝が東宮の位に居た時に、院はお渡しになられた。帝はこれを貴い宝としていたものだ。貴重な帯は沢山お持ちだが、これほど大切にしていたものは無いだろう」

「……そんな素晴らしいものを――― ですが、これを賜ったのは、藤壺の御方のお陰です」

「またあの子が何を」


 ふっ、と正頼は笑う。


「実は、東宮さまが藤壺の御方に御文を送り、その御返事を待って大層深くお考え込みになっている、そのご様子が僕は気になって気になって。ついつい変だな、と思っているうちに、書を読み違えてしまったのです」

「それは」


 ぷ、と正頼も吹き出す。


「帝がお笑いになったので、これはまずい、困ったことになった、と思って、震え声で続きを読んだのですが…… それでいて、『この講読の禄には何がよかろう』などと仰せられ、……結果、この帯が」

「それはそれは」

「そんなことでもこんな重い禄を頂戴できるものなのですね」


 そう言いつつ仲忠は苦笑した。



 やがて女御が自身や宮達の前に膳部を供えさせる様にする。仲忠はまだ食事前だったので、正頼が酒を奨める。

 そうこうしているうちに、急に邸内が賑やかになった。


「どうしたのだ」


 正頼が問いかけると、女房の一人が焦り気味に答えた。


「源中納言さまの北の方が、ご出産とのことですが、大層お苦しみでいらっしゃるということで」


 それを聞いて北の方――― 今宮の父である正頼は女房に命ずる。


「典侍をやりなさい。こういう時には、良く心得た者で無いといけないだろう」

「は、はい。既に典侍どのは昼頃お召しがありましたので、参上しております」

「よし、それではわしも行こう。立って見守るしかできないのが辛いが……」


 そう言って正頼は涼と今宮の住む側へと向かった。

 仲忠も友人とその妻のために出向きたいと思った。だがさすがに疲れた身体に酒が入っていたので、身体が重く、動く気になれない。

 やがて生まれた、との知らせが入った。仲忠は心底ほっとした。

 女御はそんな仲忠の様子を見て、考えるところがあったのか、奥へと入る。


「宮、髪は乾きましたか? 早く中の御殿へいらっしゃい」


 それを聞いて仲忠は屏風を押し開けて中を見る。

 女一宮は濃い紫の袿に、黄が勝った鮮やかな赤の細長を重ねていた。髪が湿っているからとその上に白い衣をまとっている。

 その白い衣の上に、つやつやと黒い四尺程の長い髪が波打ち、輝いている。

 近くには小さな台が持ち出され、その上に湯漬けや菓物などが置かれている。

 様々なことが重なった疲れもあろう。仲忠は妻ののんびりとした様子にやや苛立ったのか、その様子を見て言う。


「何そんな意地はってるの。中の大殿で乾かそうよ。あっちでもできるでしょ。僕はもう、一人で待ってるのなんて嫌だからね」

「ちょ、ちょっと」


 女一宮はつかつかと近づいてくる仲忠にやや躊躇する。


「さあ行こうね」


 そう言うと、仲忠は女一宮を一気に抱き上げ、そのまま中の大殿まで連れていった。そのまますぐに寝所の中へと入り、そこでようやく宮を下ろす。


「……ずいぶんと乱暴ね」

「だって宮があんまり薄情だから。文を出しても向こうでもこっちでも返って来ないし、僕はただもうあなたの返しや帰宅できることをひたすら待ってたって言うのに」


 仲忠はそう言うとさあ寝ようとばかりに宮の手を引く。抱き寄せる。髪の匂いを嗅ぐ。


「ああもう、やっと会えた。本物の宮だ。何でずっと知らない顔してたの。こっちは向こうで色々あって疲れたんだから」


 はいはい、とばかりに女一宮は甘える仲忠の背を撫でる。


「別に格別あなたを嫌がっていた訳じゃないわよ。ただ折角洗ったんだから、ちゃんと干さないと、後でくしゃくしゃになるじゃない。今宮のことも気になっていたし」

「けどねえ」

「はいはい。それで向こうでは何があったの? そんなお疲れと言うのなら、きっと色々面白い話題があったんじゃなくて?」


 受け流して彼女は話題を変えようとする。


「意地悪だなあ。まあいいや。……そうそう、確か宮はた君は知っている?」

「ええ。祐純おじさまの子でしょう? なかなか頭がいい子と聞くわ」

「頭の回転は早いし、可愛らしいけれど、あの子はちょっと軽々しいよ」

「そうね。あの子は殿上であちこちふらついていて、こっちでもそれと同じ気でいるのかもしれないわ」

「それであなたや妹君のことも見たのかな」

「見たかもしれないわね。子供だから油断して」

「犬宮も?」

「かもしれないわ」

「……それは困る。困るなあ。ああもっと犬宮の護りは固く固くしなくちゃ」


 少々一宮は呆れる。


「あの子はなかなか顔も頭もいいと思っていたけど、その目端が効きすぎるあたりはちょっと憎らしいな。……ああそれで、祐純さんはこっちには来た?」

「おじさま? まさか。私の所になど訪ねては来ないわよ」

「しっ」


 唇に指を立てる。


「静かに静かに。あなたのおじさん達は、皆薄情なひとばかりだよ。……一人は亡くなってしまったし……」


 ふと仲純のことを思い出したのか、仲忠の目が遠いものとなる。


「……全く誰だろうな。叶わぬ恋に身を焦がす様なひとは。誰か大層物思いに沈んでいる様なことはない? 噂にも聞かない?」

「変なことを言うのね。そういうことを言うなら、あなただって」

「だって今居る女宮達の中では、……帝の御妹君達ではないだろうし、かといって他の方は、皆あなたより小さいもの。だったらあなたしかいないでしょ」

「そういう嫌な冗談を言うなら、私ここから一人でも向こうに戻るわよ」


 ぶん、と女一宮は怒る。その顔が大層可愛らしかったので、仲忠は思わずしっかりと抱きしめ直した。


「ああもうごめんよ。それというのも長い間離れていて辛かったからなんだ。もう言わないから僕を許して」


 その後も周囲の人々がどうしていいか判らなくなる様な言葉が呆れる程続いたが、ここでは記さない。



 さて、仲忠が勝手にさっさと女一宮を連れて行ってしまったことで、乳母の右近は頭を抱えた。


「ああもう仲忠さまときたら! だから申し上げたではございませんか。せっかく御髪をお洗い申し上げたのに、また滅茶苦茶になってしまうではないですか。ああもう、また明日もお洗い致しませんと」


 すると女御は苦笑しながら諭す。


「静かになさい右近。まあそう言うものでは無い。仲忠どのも夜も昼も御前にいらしたのだから、随分お疲れだろうに。宮と一緒でようやくゆっくりできるというなら、そうなさったほうが良いではないか。何も御髪のことなど、また洗えばいいだけのこと」

「その御髪洗いの手間が……」


 繰り言を口の中でぐずぐず言っているので。


「何もそなたが気にすることではない」


 女御はそう言った。さすがに右近もそれ以上こぼすことはできなかった。



 仲忠は結局それからずっと寝所の中に籠もりきりで、翌日の昼になるまで出てこなかった。

 御膳部を持ってきて食台などの音をさせても全く聞きつけた様子も見せない。

 女房達は困ってしまい、とうとう中務の君が「お食事でございます」と直接仲忠に呼びかけた。

 すると仲忠はこう答えた。


「僕今、凄く眠いからね、小さい盤に少しだけ分けてくれないか?」


 仕方ない、とばかりに女房達は中の盤に分けて、また別に少し分けた菜などを出すことにする。

 仲忠はそれをまず宮に食べさせて、自分はその残りを少しだけ食べて、またごろりと横になってしまった。



 その翌日もまた彼等は寝所を出ようとしない。周囲の女房達も、さすがに呆れるというものだった。

 しかし。


「それでもこれでは出ない訳にはいかないでしょうね」


 彼女達はそう顔を見合わせる。


「仲忠さま、尚侍さまからの御消息でございます」

「母上から?」


「どうしてまるでおたよりをくれないのですか。以前からあなたが言っていたことを、こういう時に、と考えておいたのではないですか。今日はそれにとてもいい日だと思うので、こちらにいらっしゃい」


「あ、そっか」


 そういうことがあったな、と仲忠はようやく思い出したらしい。


「ああもうこんな時に」


 そう言ってとりあえず「これから行くから何も申し上げない」という意味の返事だけ持たせ、出掛ける準備を始めた。


「ずいぶん急ぐのね」


 女一宮はそんな仲忠の様子を見ながら、やや呆れた様に言う。


「だって母上の言葉には動いた、という噂が広がれば、また他に行くところがすぐにできたら困るじゃないか。お呼びがかかった、ってことが噂にならないうちに急がなくちゃ」

「ふーん。そういうもの?」

「そういうものなんだよ」


 そう言いつつばたばたと仲忠は支度をし、実家の方へと出向いた。

 しかし女一宮は首を傾げる。どっちにしたって動いたのは母の言葉くらいなものだ、という事実は変わらないのから急ぐ必要など無いと思うのだけど、と。



 三条の屋敷では、犬宮の産衣の品々が調えてあった。女一宮への贈り物も同じく、その様子は正頼方へ持っていっても引けを取らない程だった。

 たとえば洲浜。湧き水の側に鶴が立っているものなのだが、その鶴の足元に、金の毛彫りで葦手書きにした次の歌があった。


「―――今夜から鶴の子/犬宮が絶えず流れる水に幾代住むのを、老いた私達/祖父母は見ることができるだろう」


 その様な贈り物の数々を尚侍は仲忠に見せる。


「これはまた、凄いですね」

「全くだ」


 兼雅もそれを見て感心する。


「それにしても仲忠、ずいぶんと閉じこもっていた様だが?」

「えー」


 こほん、と一つ咳払いをしてから仲忠は改めて挨拶をする。


「ここしばらくずっと参内して、夜も昼も文を読んでおりました。一昨日ようやく退出でき、そのままこちらへ伺いたいと思っていたのですが、どうも気分が悪くなりましたので、その日は一日、中の大殿に居ました。まあその名残でしょうか、昨日も今日もなかなか起き出すことができなくて。それでも母上からの御文がありましたので」

「それはそれは」


 兼雅はにやりと笑う。


「伺おうとは思っていたのですよ。お見せしたいものもあったし、父上に申し上げたいこともありましたし」

「見せたいもの?」

「これです」


 そう言って仲忠は帝から貰った例の石帯を兼雅に見せた。お、と父の表情が変わった。これは一体、とばかりに目を見開く。


「例の蔵から、お祖父様の文書が出てきました。そのことを帝に申し上げたら、見たい見たいと仰るので」

「成る程それで、か」


 納得した様に兼雅はうなづく。


「そしてこの帯は、その講読に対し賜ったものです」


 そうか、と兼雅は苦笑する。


「祐純が言っていたよ。『帝は世の中の貴いものは全て仲忠にやってしまう。皇女の中で最も可愛がっていた女一宮も、いつまでも手元に置きたいと願うような宝物も』ってね。これを見れば、確かにその言葉も間違いじゃあないことが判るな」


 そう言って石帯を取り上げてまじまじと眺める。


「亡くなった前の右大臣どのの帯だと聞きました」

「らしいな」

「で、これは僕が持っているより、父上の方がいいのではないかと思って」

「私にか?」

「だって最近何かぱっとしないですよ、父上」

「……それはあんまりじゃないのかい?」

「僕はいいんですよ。お祖父様の蔵の中には、唐渡りの品の中に、良い感じの石もありましたから、それを帯に付けて細工させようと思います。その貞信公の石にも劣らない様なものがありますから」


 そう言って仲忠はにっと笑う。


「全く、何を言うのだろうなこの息子は。せっかく帝が勿体ないお心でもって下さったものを。節会などに付ければいいではないか。何も私の所へ持って来なくとも。ここには他にもいろいろあるし」


 しかし仲忠はそんな父の言葉などさらりと受け流し。


「だったら、僕のところの石や、そうそう、角もあるんですよ。拵えて父上に贈りましょう。何かと宝物を持っていると危ないことが起こるところでした」

「そういうことは軽々しく口にするものじゃないよ。それで。他に言うことがあるんじゃなかったのかい?」


 石帯のことをきりにしたいと思ったのか、兼雅は次の話をうながす。


「ええ。何と言うか、実に珍しいことが起きましたので」

「何かあったのか? 宮中で」

「ご報告が遅くなって非常に申し訳ないと思っているのですが」

「じらすな。何があったんだい」

「梨壺の君ですが」

「ああ、ずいぶん顔も見ていない」


 そんなことか、とばかりに緊張気味だった兼雅の表情が緩む。


「薄情な父上ですね」

「お前はまあ、そういうことを言いに来たのかい」

「まあ近いですが」

「全くお前は本当に私のことを父親と思っているのかい?」

「時々疑いますが」

「おいおいあまり私を虐めないでくれ。ともかく話を戻そう。梨壺に何かあったのかい?」

「退出する時に、せっかくだから異母妹の顔を見ていこう、と梨壺へと出向きました。御前でおめでたいことを聞きましたので」

「おめでたいこと」


 兼雅はすぐには判らない様だった。だがやがて。


「そ、それはまさか」


 兼雅は身体を乗り出す。


「ええ、梨壺の君はご懐妊されております」

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