第3話 そのイラストレーターは俺
「今日から、俺は俺の人生を生きるんだ」
才賀自身、そう決意を固めたまではよかったのだが、想定外の事態が発生した。
これまで愛奈に振り回され続ける毎日を過ごしてきた弊害で、何をすれば自分の人生を生きることになるのか、さっぱりわからなかったのだ。
それは休み時間も同じだった。
何をして過ごせばいいのか、まるでわからないのである。
これまでは愛奈に呼び出されるか、そうでなければイラストの下書きをしていて。
だが、愛奈と絶縁した今、そんなことをする必要はない。
何をやっても許される。
まったくの自由。
だからこそ、わからない。
クラスメイトたちは何をしているのだろうか。
才賀は観察してみることにした。
数人で集まって会話を楽しんでいる者もいれば、スマホを取り出してぽちぽちゲームをしている者もいる。
中には、真面目に次の授業の予習をしている者もいた。
「……なるほど。参考になるな」
「何が参考になるの?」
「何って、休み時間の過ごし方――」
と、そこまで言ってから気づく。自分は誰と会話していた?
声は隣の席から聞こえてきた。
見れば、黒目がちの大きな瞳が才賀を見つめていた。
顎のラインでやわらかく切り揃えられた黒髪のショートボブはふわふわしていて、ちょっと大きめの黒縁眼鏡をかけている。
制服を着崩して自己主張している女子が多い中、彼女はきちっと着こなし、清楚な雰囲気を漂わせていた。
これまで会話らしい会話を交わした記憶もなく、今朝、登校してきた際、才賀がかっこいいと女子たちが騒いでいた時もその輪の中に入ってこなかった。
それに、クラスの中でも物静かで大人しい印象だったから、こうやって萌乃の方から話しかけてくるのが、正直、意外でもあった。
「須囲くんって、面白い人だったんだね」
「そ、そうか?」
「うん、すっごく」
ふふっと笑う者に悪意はなく、純粋にそう思っていることが伝わってくる。
だが、それはそれ。才賀は変なことを聞かれてしまったと、何だかこっ恥ずかしくなってきた。
適当な話で誤魔化そうと、話題を探す。
萌乃が本を手にしていることに気がついた。
ブックカバーが掛かっているため、どんな本かはわからない。
「語部さん、その本って――」
才賀は口を閉ざした。
その本、どんな本――などと聞かなくてもわかった。
当然だ。
萌乃が開いているページに、見覚えのある――いや、見覚えのありすぎるイラストが描かれていたのだ。
それは才賀がイラストを描いた、愛奈のラノベだった。
愛奈の小説が
累計発行部数400万部というのは
『それなりに』とか、『そこそこ』とか。
才賀の認識が何とも曖昧な感じになってしまうのは、愛奈によって詳しく調べることを禁止されていたからだ。
『あんたが余計なことを知る必要はないわ。だからあたしの作品について調べたりするのは絶対禁止! ていうか、そんなことをする暇があるなら、1枚でも多くイラストを描きなさいよ! あんたの描くイラスト、ただでさえ大してうまくないんだから! いい!? わかったわね!』
こうしてクラスメイトである萌乃が読んでいるところを見れば、なるほど『それなりに』『そこそこ』売れているのは確かなのだろう。
愛奈は腹立たしい奴ではあるが、小説の才能があるということか。
まあ、そうでなければ、新人賞を受賞したりはしないか。
才賀がそんなことを考えていれば、
「須囲くん、大丈夫?」
萌乃が心配そうな顔をしていた。
急に黙り込んでしまったせいで、余計な心配をかけてしまったらしい。
「あ、っと。大丈夫、問題ないよ」
「本当? 調子が悪かったら言ってね? わたし、保健委員だから。保健室まで付き添うよ」
「その時はよろしく頼む」
「うん、頼まれます」
萌乃はふふっと笑って、落ちてきた髪をかき上げ、耳にかけた。
「ところで語部さん、その本なんだけど」
これ? と萌乃が持ち上げたので、うなずく。
「好きなのか?」
「そんなに好きじゃない、かな?」
「……そうなのか?」
「不思議そうな顔してる。でも、うん。そうだよね。学校に持ってきて読んでいるくらいだもん、普通は好きだと思うよね」
萌乃が苦笑しながら告げる言葉に、才賀はうなずいた。
「この小説自体はそんなに好きじゃないんだけど」
「けど?」
「この小説のね、イラストが好き……ううん、大好きなの」
耳をくすぐる、囁くような声。
まるで宝物に触れるかのようにイラストに指を添える萌乃の横顔に、才賀は息を呑んだ。
萌乃の横顔に見とれてしまったのも本当だ。
だが何よりも衝撃的だったのは、才賀の描いたイラストを好き――違う、大好きだと言ったことだった。
「あのね、このイラスト、本当にすごいの!」
呆然としている才賀に気づかず、萌乃は一方的に語り始める。
「かわいいのはもちろんなんだけど、キャラの魅力を120%引き出していて……! 腕や足の組み方、立ち姿からキャラの性格が連想できるんだから、本当にすごい! きっと、キャラの性格を深く知っている作者が自分で描いているからこそ、こんなに魅力的なイラストになるんだと思うの!」
うん絶対そう、と力強く語る萌乃の表情は明らかに紅潮していた。
嘘ではないだろう。
というか、嘘でここまで興奮したりしないはずだ。
だって、興奮しすぎて、萌乃の眼鏡は若干だが、曇っている。
才賀はきつく胸を押さえた。
こんなに褒められたのは生まれて初めてだった。
照れくさいなんてものじゃない。
胸の奥が熱くて、何かがこみ上げて、衝動のまま叫び出したい気分だった。
「あ、ごめんね。わたし、なんか熱く語り過ぎちゃったよね」
「い、いや、大丈夫だから。……けど、そんなに好きなんだ?」
「うんっ! 好き! 大好き! 愛してる……!」
「あ、愛してる!?」
まさかそこまでとは。
萌乃と顔を合わせることができなくなる。
「須囲くん、自分の顔を両手で覆って……どうしたの?」
「………………その、ちょっとうれしいことがあって。いや、違うかな。すごくうれしいこと、かな」
「そうなの?」
「俺なんだ」
「?」
萌乃が小さく首を傾げる。
「そのイラスト、描いてるの俺なんだ」
だから、と続ける。
「褒めてくれて、ありがとう。めちゃくちゃうれしい」
「え?」
と告げたまま、萌乃の動きが固まった。
目の前で手を振っても、反応がない。
大丈夫だろうかと心配になってきた頃、萌乃がすごい勢いで立ち上がった。
ガタンッ、と音を立てて椅子が倒れる。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ……!?」
萌乃の絶叫が教室に響き渡った。
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