第31話 ワカバ憲章

【前回のあらすじ】

 クィントとは対照的に荒れていたマシュー。トイレ掃除のさなか、テオを連れたジュリアとの一悶着。そして彼は、テオのスケッチブックを手に入れて怪しい笑みをこぼすのだった。その頃、ユニオン党内部では――。




 のちに『シリウスの大粛清』と語られる激動の一週間を乗り越えユニオン最高評議会は、かの第七洋区へと再び調査団を派遣することを決定した。


 いわゆる穏健派と呼ばれる議員らの一斉検挙により、議会はかつてないほどの円滑さと冴えを見せ、満場一致をもって艦隊兵力の増強が図られた。即日、調査船『しらなみ』を中心とする大船団が編成され、議会の可決から約五十時間後には、全船がフルーレ海への到着を果たすという異例のスピードで計画は進行している。


 船団は『しらなみ』を含むサルベージ船が二隻と、それを護衛する潜水艦が六隻。そして、前回の調査団を壊滅に陥れた「大衝撃波」に対抗する新兵器が、『しらなみ』に随伴する巡洋艦へと積載されている。


 ただの海洋調査にしては、あまりにも強大な兵力だった。その物々しさに誰もが「戦争」の二文字を思い浮かべながらも、絶対とも言える総統への忠誠は揺るがない。皆、暗黒の深海に人類の未来を阻む「敵」の姿を見ていた。


 そんななか悩める副長ことジャン・トルーニー中佐は、独立護衛艦『ほしかぜ』のブリッジにおいて、生来の苦労性にさらなる拍車を掛けていた。


 艦長の名はアルフォート・ラザル准将。

 トルーニーから見れば、若僧の域を出ない年齢の上官であるが、その有能さは先の調査団壊滅の折、多くの同胞の命を救ったことでも証明されている。後方勤務からの突然の配置換えにはかなり当惑したものの、いまではこの若い准将に尊崇の念を向けることさえやぶさかではない。


 彼らはほかの護衛艦よりもさらに深海にひそみ、『海賊ヴィクトリア』の哨戒という特別任務に就いていた。


『ほしかぜ』は、ほかの『はるかぜ』級の同型艦よりも潜水能力を特化した船であり、マリナー積載数こそ半減したものの、通常のほぼ二倍という可潜限界を獲得しているのだ。その性能はブルーポラリス号と比肩するものであり、今回の任務はこの船を置いてほかにはない。


 また艦長のアルフォートとしては前回の雪辱戦でもあり、その並々ならぬ執念をトルーニーも肌で感じている。それは半壊した『はるかぜ』から乗り継ぐ、すべてのクルーが同じ気持ちを抱いているはずで、士気はなによりも高かった。


 だが、この悩める副長には少なからずの懸念もある。


「失礼します」


 その懸念のひとつが、いまブリッジの静寂を破った。

 狭い空間に響き渡る凛とした声。その聞きなれない声音にトルーニーも、また彼の上官であるアルフォートも一様にそちらを振り向いた。そこには、ひとりの女性士官が起立している。


「申告いたします。カーラ・シュミット、ミレニア・ノヴァクの両名は、これより警戒水域シフトへと移行いたします。ラザル艦長、マリナーへの搭乗許可を」


 カーラ・シュミット特務佐官。総統秘書官としての彼女の辣腕を知らぬ者など、もはや党内にはいないと思われるが、本作戦における彼女の任務は、マリナーの一操縦士であった。


 長年のデスクワークにより彼女の経歴を知るトルーニーにとっては、さほど驚愕に値する人事ではない。が、しかし、総統の秘書官が前線に派遣されてきたとなれば別の話である。

 カーラ・シュミットといえば、シリウスがまだ前線指揮官として才気を振るっていた頃からの腹心と名高い。

 見た目は二十代そこそこだが、実年齢は一回りも違う女狐である。あの野暮ったい眼鏡の奥に一体どんな思惑が隠されているのか。

 トルーニーの政治的危機感知能力は、最大級の警鐘を鳴らしている。


「ご苦労。搭乗を許可する」


「はっ」


 アルフォートの許可を受けて水密服に身を包んだ彼女はカツンとブーツの踵を鳴らし、早々にブリッジから退室しようとする。だが、それを「特佐」とつぶやくようにしてアルフォートが呼び止めた。


 カーラは眼鏡のフレームを軽く持ち上げ、自身の上官へと振り返る。一挙手一投足に無駄がない、実に流麗な身のこなしである。


「特佐。ミ……いや、ノヴァク少尉の様子はどうか」


 アルフォートの表情が、軍人のそれから婚約者を想う男のそれに変わる。戦場においてあるまじき行為だったのかもしれない。しかし、状況が状況だけに、それも無理からんことではないかとトルーニーは思うのだ。


「投薬の効果もあり、安定しております。艦長、お気持ちはお察しいたしますが、任務に集中なさってください。少尉にはわたくしが付いておりますので、どうぞご安心くださいますように」


「あ、ああ……了解した。呼び止めてすまない」


「では」


 あらためて敬礼を返したカーラは、彼らのまえから颯爽と消えてゆく。残されたアルフォートの沈痛な面持ちは、トルーニーをはじめとするブリッジクルー達をなんとも陰鬱な気持ちにさせるのだった――。


 それは「シリウスの大粛清」もようやく終息するかに思われた時だった。とある一報がメガフロート内にかつてない衝撃と、混乱を招き入れた。


 ――ロベルト・ノヴァク書記長、獄中にて自決。


 此度、謀反の首謀者として、穏健派の代表である彼が拘置所に幽閉されていたことは、党員の広く知るところである。

 その彼が自らの死をもって身の潔白を証明するという旨の遺書を残し、自害したというのだ。おりしも実行犯、もしくは教唆の罪で拘束されていた党幹部達が次々と処刑されていった直後のことであり、名門家の看板に泥を塗るまえに自ら命を絶ったのではないかとも憶測されている。


 また父親の無実を訴え、ミレニア・ノヴァクが拘置所において暴動を起こした件についても、一部党内の醜聞をにぎわせた。ロベルト死去の際、彼女もまた獄中で囚われの身となっており、ショックのあまり精神を病んだと報告されている。


 それでも彼女は、ノヴァク家を守るため父の汚名をそそがねばならなかった。

 自らの武勲をもって、父への嫌疑を払拭せねばならなかった。しかし、心に深い傷を負った彼女がまともに任務をまっとうできるとも思えない。

 そこで一計を案じたシリウスが、自らの腹心を彼女の補佐官として『ほしかぜ』に送り込んできたというのだ。


 道理は通っている。

 だが、ことトルーニー達の世代には、この一連の事件がどうにも臭うのだ。与えられた情報を、ただ素直に承服することを拒んでしまう。それはかつて、彼らがシリウス・マクファーレンという人間の、本質を垣間見ているからにほかならない。


 トルーニーには、そんな彼の本性が、この若き准将にまで及ぶのではないかと思え、ただただ不安で仕方ないのである。


「艦長……僭越ですが、シュミット特佐にはその……ご注意を」


 言ってすぐに口に手で覆う。我ながら、らしくないことをと思った。しかし、若き准将は、あの短い言葉のなかに多くの意図を承知したらしく、暗い顔を一層険しくしてささやくようにこう続けた「きみの意見を聞きたい」と。

 ふたりは、ブリッジのほかのクルーには聞かれないよう、艦長室へと所在を移した。


「艦長、いまからする話はこの場にとどめておいてほしいのですが……」


「承知している。お互い、本営に唾など吐けぬ身だ。部下の目があれば、おいそれとため息もつけん。ここでは軍紀を忘れてくれ」


「は、では……。まずはあなたの叔父上の件ですが、彼は自らの行いを恥じて、自刃するような男ではありません。それに此度の騒動は、すべて総統府の捏造ではないかと愚考しております」


「な……確かに、叔父上の名誉を思えばありがたい言葉ではあるが、なにを根拠にそんな大それた発想を……」


「艦長は、二十年前にアカデミーの学生と、評議会との間で話し合われた下級党員の地位向上に関する法案についてご存知ですか?」


「ワカバ憲章というヤツだな……わたしはまだその頃、赤ん坊だったが」


「その時の学生側筆頭というのが、ノヴァク書記長と、マクファーレン総統閣下でした。彼らは我々の世代の象徴です。実に頼もしい先輩達でしたよ」


 トルーニーの双眸は、自身の上官を見ているようでいて、在りし日の記憶の彼岸へと向けられていた。そう、輝かしい青春時代というヤツに。


「熱血漢のロベルトに、沈着冷静なシリウス。まるで炎と氷のように対照的なおふたりでしたが、共に手をとり、当時の福利厚生委員達を退陣にまで追い込んだのです」


「よくそんなことが、一介の学生に出来たものだな」


「はい。これには訳がございまして、失脚した委員達による物資の使い込みや、人事の私物化などが発覚したからなのですが、いずれも嫌疑の段階で処刑が決まるという、当時としても異例の処分が下りました。我々は自らの闘争が勝ち取った当然の結果であるとして、歓喜に沸いたものですが……思えばその頃からでした。おふたりが袂を分かったのは」


「一体……ふたりの間になにが……?」


「分かりません。ただわたしには当時の委員達の退陣劇と、今回の事件の顛末がとてもよく似ているように思うのです。それに……」


「それに?」


「当時もこんな噂がまことしやかにささやかれました。――すべてはシリウス・マクファーレンによって捏造された冤罪だったのではないかと」


「なに? つまりそれは……」


「ええ。書記長は無実の罪を着せられ、謀殺されたのではないでしょうか。処刑を回避し、あえて自殺に見せかけたのも、ノヴァク家との対立を避けるためだとすれば納得もいきます。そして『あの男』ならそれをやりかねません」


「……閣下のことだな」


「はい」


 艦長室を沈黙が支配する。アルフォートはいまだ信じられないといった表情だった。

 無理もない。

 あの学生闘争以降、ユニオンの風紀はより厳格なものとなり、総統府に対する不敬の念は許されざる風潮になっていた。そうした反骨精神を欠いた世代の量産が、今日の形骸化したユニオニズムを生む土壌となっているのではないだろうか。


 そんなことを思うたび、トルーニーはたまらなくなる。だからこそ、すべてを忘れたふりをして、デスクワークに勤しんでこれたのではなかったか。


「わたしには……もう閣下のお考えが分からん。なにをそうまでして革新を急がれるのか。ましてや、かつての盟友を貶めてまで……」


 アルフォートの悲痛な想いがひしひしと伝わる。それを受け、トルーニーはあくまでも憶測の域を越えないとして、こんなことを話した。


「ユニオンにおいて穏健派とは、コンサバティブと同義ではありません。むしろノヴァク書記長をはじめ、皆、時代の転換を望んでおられました。いつかユニオンも非党員も関係ない、平和な人類社会を築くことを夢見て。その観点から言えば、マクファーレン総統こそが、本物の保守主義者なのです。行き過ぎた人類至上主義を盾に、いままさに暴走せんとしている」


 トルーニーは一度言葉を切り、額に吹き出る脂汗を拭った。


「艦長はご存知でしょうか? いま党内の各部署でスタッフの若返りが図られていることを。最初は政権交代による、党内の勢力図が塗り変わったことに起因しているのだと思っていました。しかし、わたしを含め、多くの同期達が同じ憂き目にあっていることを考えますと、これはシリウス・マクファーレンが自分にとって都合の悪い人材を、意図的に重責から解任させているのではないかと思えてくるのです」


「……つまり閣下の政略構想から外れた危険分子を摘み取っていると?」


「ええ。そして、その極め付けがこの大船団です。閣下は、自身の構想にとって重要なものをこの第七洋区に見出したのかもしれません。でなければ、これほど危険な海域に、こんな短期間で第二陣を派遣するとは考えられません。通常なら自殺行為です」


「確かに……きみの言うことももっともだ……。だが、わたしにはまだ……」


「それでいいのです、艦長」


「副長……」


「いまはただ、ご注意くださればそれでいい。こんなところで犬死にをしてはいけない。あなたはまだ、これからのひとだ。あなたこそが今後のユニオンを背負ってゆかねばならない。ロベルト・ノヴァクの遺志を受け継ぐ者として、あなたはここで止まってはいけない」


 本当に、らしくない。

 照れ隠しにトルーニーは咳払いをした。


 アルフォートもまた、それを不思議なものでも見るかのように唖然としている。だが、しばらくしてお互い落ち着きを取り戻すと、自然と口の端に笑みがこぼれた。


 そんな時である。

 調査団の本隊が、海賊船ブルーポラリス号と接触したという報告を受けたのは。



〈つづく〉

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