第24話 RE:エボリューション

【前回のあらすじ】

 機関室の主ことタツ爺と出会ったクィントは、期せずしてシェフとヴィクトリアとの因縁をも知ることになった。




 気温摂氏三十度、北北西の風。波弱し。

 三日振りに海面へと浮上したブルーポラリス号の面々は、皆、おもいおもいのことをして、束の間の休息を楽しんでいる。


 特に外部甲板へと集まった若者達は、普段のうさを晴らすようにして海水浴としゃれ込んでいた。クィントもまた数日振りに衣服を脱ぎ、海パン一丁という彼本来の姿に戻っている。プルルにしても、久々に格納庫のサイロから大海へと泳ぎ出て、これまでの鬱憤を吹き飛ばすべく、大いに羽を伸ばしている。


 またシェフなどは晴天なのをいいことに、船外を張り巡らされている『張り線』に引っ掛けて、洗濯物を乾かしている。いわく、乾燥機でもいいのだが、やはりたまには太陽の匂いが恋しくなる、だそうだ。


 ホァンとサクラが、プルルと水遊びに興じている。そこに数名のクルーもくわわり、ビーチボールを使った水球がはじまった。


 ふくよかなサクラの肉体が激しくゆれる。


 ジュリアのようなスレンダーな体型もセクシーではあるが、彼女のようなゆるいスタイルもまた、世の男性にとって受けがいいことを多くの女性達は知らない。クィントもまたそのひとりであり、甲板の縁に腰を下ろし、ポカンとその姿を追っていた。


 なにものぞき趣味で見ているのではない。物思いにふけっているのだ。思考に意識が集中していると、ついつい身体は無意識の嗜好に走るものである。ただそれだけだ……。


「なーに、考えてんの?」


「どぅわあああっ」


 不意に声を掛けられ、死ぬほど驚いたクィントは、あわや頭から海へと落ちるところだった。いくら泳ぎ達者といっても、着水までには船体装甲を転げ落ちねばならない。すでに一度経験済みとはいえ、好きこのんでやりたいことではなかった。


 振り向くと、そこにルカの顔があった。

 口を尖らせ、不思議そうな顔をして、クィントを覗き込んでくる。

 今日は彼女もまた水着姿である。ただでさえ目のやり場に困る見事なバストは、屈んだ拍子に凶悪な谷間と盛り上がりを生み出した。


 世の女性らに告ぐ。すんません、男はこういうのも好きです……。


 ルカはクィントのとなりに座りなおし、あらためて「どうしたの?」と聞いてくる。なんだか妙に距離が近い気がして、クィントはすこし焦った。


「いや……ちょっと、タツ爺に聞いた話を思い出してたんだ」


「タツ爺?」


「うん。船長とシェフの話。どうしてふたりがまだ海賊を続けているのか気になって、聞いてみたんだ。そしたらちょっと自分のこととかも考えちゃってね」


「自分のこと?」


「あ~、そっちは別に気にしなくていいんだ。おれのことだから、自分でなんとかするし。でもふたりの夢っていうか、野望っていうか。すこしだけど分かるところがあって。だからってそれを、おれがどうこう出来る訳じゃないから、また悩んじゃって」


「なによー。全然分かんないよー。それって、ただの愚痴? あたしにちゃんと伝える気あんの?」


「ないかもしんない」


「ひっどーい!」


「わっ! ちょ、やめ! ぐ、ぐるじぃ~!」


 ルカにチョークスリーパーを掛けられ、うれしいやら苦しいやら。後頭部に当たる巨乳の感触と、やがて意識が遠のきそうになる窒息感は癖になりそうだ。そんな仲睦まじいふたりを見て、気をとられたホァンが顔面にビーチボールを食らっているとも知らずに。


 ――それは機関室でタツ爺と話し込んでいる時のことだった。


 海賊を恨んでいたという船長が、いまなお海賊を名乗ってこの海に君臨し続けているという矛盾が、どうしてもクィントの頭を離れなかった。

 いくら考えても答えが出なかったので、彼は素直にタツ爺から聞いてみることにしたのだ。


「おめえさん、抑止力という言葉を知っとるか?」


 タツ爺は唐突にそう切り出した。


「まあ言葉の意味くらいは」


「ふん。かつてこの海では『血染めの王』こそがその抑止力よ。『終末ノヒカリ』以降、無秩序だった海賊達の世界を恐怖によってまとめ上げ、野放図だったチンピラどもを傘下としたり、対立組織と力の均衡を保ったりと、およそただの暴君ではなしえんような計略でもって、平和を築いておったんだ」


「そ、そうだったんだ……」


「じゃがの、そんな男が突然、船長をやめ、どこの馬の骨とも分からん得体の知れない女を後釜にすえちゃ、誰もついてこんよ。シュテンバイツの海賊団は、一気に散り散りとなった。わずかに残った仲間達は、この船に乗り込みヴィクトリアを支えたが、海はまた以前の無法地帯と化してしまったんじゃ。それをヴィクトリアはえらく気に病んでな」


「……で、そのあと一体どうなったんです?」


「なぁんも変わらんさ。『血染めの王』の威信は地に落ち、海の住人達の無法はいまだに続いておる。じゃがあのふたりは、暗い海の底にかすかな希望を見出した。それさえ叶えば、海に再び平和を取り戻すことが出来ると信じての」


「それは……?」


「『目覚めの宝』じゃ」


 その名を聞いたクィントの心臓は、ドクンと高鳴った。

 シェフに海人の宝について聞かれた時に、もしやとは思っていたのだが、ここでついに確証を得るにいたった。


 海に生きる者であれば、誰もが一度は夢見ることではある。クィントの胸中は複雑だった。

 出来ることなら、それは自分の手で引き揚げたい。

 誰の力も借りることなく、自分の身ひとつで。ましてや金儲けのために発掘やサルベージをする海賊なんかには、宝を語ることさえしてほしくなかった。

 しかし「平和」という言葉が引っかかる。


「平和のために……『目覚めの宝』を?」


「そうだ。それを手にした者はこの世のすべてを統べる――大の大人が、そんな子供だましの迷信に賭けたんだよ。じゃがの、この船に残った奴らは、ひとりもそれを笑わなかった。このわしもじゃよ。なぜかな。あやつを……ヴィクトリアを見とると信じてみたくなるんじゃな。この世にはまだ奇跡があるっちゅうことをよ」


「奇跡……ですか」


「ああ、この船にはそんな奇跡であふれとる。ルカやホァンのような若い才能が乗り合わせることも稀じゃが、ヴィクトリアやわしの孫のサクラのような力は人智を超えとる」


「サクラが? あ、お孫さんでしたか」


「いい女じゃろうが?」


「えっ? えへへへ……まあ」


 あのぽっちゃりとした魅力を思い浮かべ、自然と鼻の下が伸びるクィント。タツ爺もうれしいそうに、ドンと肘でこづいてくる。

 が、


「手ぇ出したら、ぶっ殺す」


「うひぃ」


 今日で一番恐ろしかった。


「まあそれはいいとして、サクラの耳は特別でな。他人には聴こえん海中の音を拾いよる。ソナーの性能に関しては、よその船と大して変わらんはずなんだが、あやつが水測士として乗り込んでからというもの、このブルーポラリス号の索敵能力は最強クラスになった。こうした超感覚はしばしば『ギフト』と呼ばれておるが、シュテンバイツは進化の途上にあるんじゃないかと言っておった」


「進化の途上?」


 それは自分の超人的視力や、プルルの知性にも言えるのではないかと、ほぼ直感的にそう思った。ミレニアには海人だからと答えたが、自分の身体機能には、すこし他人と違うのではないということが多すぎる。


 これまで、それがなにかの不都合になる訳ではないので、あまり考えずにきたが、もしサクラやヴィクトリアがそうしたものであるのなら、非常に興味深い話だ。


「シュテンバイツの昔馴染みで、学者をしておる男がそう言っておったそうだ。『終末ノヒカリ』以降、生き延びようとした地球上のあらゆる生命は、再び進化を開始したのではないかとな。海洋生物達の大型化や凶暴化は、そのせいだとも断言しておる。そうした現象が、人類をはじめとする哺乳類にも起きておるんじゃなかろうかの。確かに、テオ嬢ちゃんを見とると、造化の神のきまぐれとやらを信じざるを得なくはなるがの」


「テオ嬢ちゃん? 誰です、それ?」


「お? まだ会っとらんかったか。まあええて、そのうち会えるに。この船の針路は、ヴィクトリアとシュテンバイツ。それからテオ嬢ちゃんの意思で決まる。それがわしらのやり方だで」


 奇跡――考えもしなかった。

 クィントにはただ、宝を引き上げることだけが夢だった。

 世界平和だとか、人類の進化だとか。

 そんな難しいことは、ほかの誰かが考えればいいと思っていた。

 しかしミレニアにせよヴィクトリアにせよ、立場こそ違うものの、その願いは同じなのかもしれない。みんな自分を犠牲にして誰かの未来のために戦っている。


 親方にしたってそうだった。

 口には出さないが、その意思は人類の未来へと向かっているのではないか。


 そんなことを考えていると、途端に自分の夢が小さなものに思えてきた。なんだかものすごく滑稽だった。自分には「引き上げることサルベージ」しか出来ないのに――。



〈つづく〉

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