第23話 キング・クリムゾン
【前回のあらすじ】
総統マクファーレンの党内粛清計画が進むなか、ミレニアは父ロベルトが捕まったのも計画の一部だと聞かされる。しかし真実にふれるまえにミレニアもまた拘束された。何も知らないクィントは、今日も潜水艦のなかだ。
ブルーポラリス号の船体は、ほぼ七割が深度六〇〇メートル付近までの大水圧に耐えられるように高度な耐圧構造からなっている。居住区画のブロック構造をはじめ、船内にはいたるところが補強材で固められており、ワンフロアをぶち抜きで使用している格納庫でさえ、むき出しの鉄柱や筋交いが張り巡らされているのだ。
さながらどこかの工場か溶鉱炉のような情景だが、そんな雰囲気がとりわけ顕著なのが、船体最後尾に位置する機関室である。
中央に配されたカーボン色のドームは、船中の全電力をまかなう水圧感応式ジェネレーターの本体だ。タコ足のように何本ものケーブルが接続され、それらが地を這う様子は、まるでクィントの故郷であるビル礁のなかをも彷彿とさせる。
また両舷には独立した二基の巨大エンジンが搭載されており、甲板から下にメインシャフトがレイアウトされているため、うえから見ると奈落の底にでもつながっているかのような錯覚を起こす。
クィントもまたその光景を目の当たりにして「ほへえ~」と呆気に取られていた。職業柄、親方のところにいる時には、かつて宇宙にまで行っていたというスペースシャトルのロケットエンジンを見たこともあるが、構造も推力の発生のさせ方もまるで違う、この無骨な鉄の塊に、いま同等の衝撃と迫力を感じている。
そもそも機械いじりは嫌いな性質ではない。そのおかげでホァンともすぐ意気投合したのであるが、専門的に勉強をした訳ではないので、なにがどうなっているというのは、初見ではさっぱりだ。ただただ見たままの巨大さに圧倒されていた。
しばらく、あんぐりと口を開けてエンジンを見上げていると、そこに小さな人影が起き上がるのを発見した。顔に年輪を刻んだ白髪の老人で、おでこから頭頂部にかけて丸く禿げ上がっていた。ホァンと同じデザインのツナギに袖を通し、手には自身の身長よりも長いのではないかと思われる、ロングスパナを握っている。
「あ、すいませーん! シェフに言われてお手伝いに来たんですけど、タツ爺さんってあなたですかー?」
隠密潜航状態にあるので、両舷のエンジンはとまっている。いま機関室には上方に設置されているポンプジェットの作動音と、変圧器がゴァンゴァンとうなりを上げている音だけで支配されていた。そんななかに響き渡る、自身の声に違和感を感じつつ、タツ爺と思わしき人物の返答を待っていると、
「たわけーっ!」
と、巨大な二基のエンジンをもってしても敵わないのではないかという大声で、クィントの頭上から理不尽な叱咤が降ってくる。
「え? え?」
「はよ登ってこンかい! トロくさいことやっとったらカンてェ!」
「え? あっ、はいっ!」
まるで怒号である。仕事中の親方にも似たその迫力に、クィントは若干の懐かしさを覚えながらも、気が気ではない。慌ててメンテナンス用の階段を駆け上がった。エンジンの上部は意外にシンプルで、給排気系のパイプのほかは細かいセンサー類のケーブだけであった。
「そこ踏むんじゃねえぞ! ほいで、そっちのバルブ閉めてからこっちゃ来い」
「バルブ? あ、これか」
クィントは顔の横手にあった巨大バルブを力いっぱい閉めこむと、足許に散らばる工具や、ケーブル類を避けつつ、老人のそばまで歩み寄った。間近に見る老人は、実に東洋的な顔立ちで、手は長年工具を振るってきたことが伺えるように、いびつに変形しており、また洗っても落ちないだろう油汚れは、メカニックの勲章であると主張していた。
「おめえさんか、あのクソ生意気な若造をぶっ飛ばしたってぇ奴は?」
「あ、はい。なんと言いますか……」
「でかした!」
「へ?」
老人は苦虫を噛み潰したようだった顔を綻ばせ、くしゃくしゃに笑った。
両の端を大きく持ち上げた口からは、茶渋で黄色くなった歯がこぼれ、年相応の愛らしいお爺さんという印象になる。
なるほど普段は恐いが、人好きしそうな人物だ。
ホァンが慕う気持ちが分からないではない。
「けっけっけ! あの若造は礼儀がなっちゃいねえ。海賊たって目上のモンにゃ気を使うもんさ。そうだろう? あ~、おめえさん、なまえは?」
「クィントです。クィント・セラ。海人です」
「クィント……」
ふと老人は、思案げに腕を組む。時折、薄くなった禿頭を指でかいたりして、うなっていたが急に「そうだ!」と手をたたく。
「おめえさん、エドリック・カルロっちう男を知っとらんか? ほれ、サルベージで有名な船乗りだよ」
「えっと……カルロはおれの親方ですけど……」
「やはりな! たしか数年前に、あやつから海人のガキをせがれにしたと聞かされてな。それから、なかなか会えずじまいでいままで来ちまったが。そうか、おめえさんだったのかい。こいつは奇妙な縁もあったモンだぜ」
「え! お爺さん、親方のこと知ってるんですか?」
老人は目の色を変えて「知ってるもなにも」と口角泡を飛ばす勢いである。
「機械をいじくる人間で、『ミラクル・エド』を知らない奴ァモグリだぜ。あやつの仕事の成果で、いまの時代どれだけの人間がその恩恵を受けてるかなんざ、計り知れねえ。ユニオンやら人類救済やらは知らねえが、ああいう奴こそ、ひと様の役に立ってんじゃねえのかい?」
「それ聞いたら喜びますよ、ウチの親方」
そういうクィントが本当は一番うれしかった。
彼の親方は、自身の手柄を自ら吹聴するようなタイプではなかった。そのため、クィントは自分が人類の復興に関わる仕事に携わっていることを、かなりの年齢になるまで知らなかったのである。
親方の元を離れてから数ヶ月。
あらためて彼の偉大さに触れる機会が増えた。
それはこうして他人を通じて教えられることが多い。
「オウ、あらためてったらナンだが、タツってもんだ。エドの野郎にゃ、この船造った時に借りがある。楽にしな」
「ありがとうございます」
「ホっ! ありがとうときやがったか。あの熊やろうの弟子にしちゃ、えらくまっとうに育ったな。気に入った。わしが潜水艦のイロハってモンを教えたる」
「シェフにも似たようなこと言われましたよ」
「イカンイカン! あやつもなかなかの男じゃが、ここ数年は覇気がない。あんなだから女の尻になんぞ敷かれとるんだ。わしゃ、ニッポン人だで、いわば大和魂の塊よ! どこの誰だろうと自分を曲げるつもりはねえ」
実際、ヴィクトリアもこのタツ爺にだけは頭が上がらないらしいことを、のちにクィントはホァンの口伝てに聞いた。なんでも怒らせると汚い訛り言葉でまくし立てられるらしく、それが相当堪えるのだそうだ。
「そういえば最初、シェフが船長だと思ってましたよ。そしたらあとであんな美人が出てきてびっくりしました」
「ふん。そうか、おめえさん『赤毛の獣』の話を知らんか。あの女はただもんじゃねえぞ。ああ見えて船の一隻や二隻、素手でたたき壊しやがるでな」
「す、素手でぇ?」
「おうよ。分厚い鉄板をものともせんで、まるでウエハースみてえにして破っちまうんだて。あれにゃあ、さすがのわしも肝冷やしたわ」
「な、何者なんですか、あのひと……」
「さあな。ただあやつははじめ、海賊をひどく恨んどった。十数年前まで、このフルーレ海で暴れとった海賊船が『赤毛の獣』と呼ばれるバケモノに、次々と沈められるという事件が起きとったんじゃが、そのほとんどがヴィクトリアの仕業よ」
「え……」
「その名は当時の海賊達を震え上がらせておったもんじゃが、その手がついにこのブルーポラリスにまで迫った時だて、あやつは海面に浮上しとったこの船に泳いで近づき、自らの拳で装甲をぶち破って船内に進入してきよった。そもそも無敵なんじゃが、その時のクルー達の混乱に乗じて、一気に当時の船長の首を狙ってきおってな」
「なんちゅうひとだ……」
「しかし、当時の船長もこの界隈では『血染めの王』と字されとったツワモノよ。そう簡単にはヤラれはせんかった。その男、キャプテン・シュテンバイツは、素手のヴィクトリアに対してサーベルを舞わせ、斬っては突き、払っては薙ぐの大立ち回り!」
興奮してきたのか、スパナを握るタツ爺の手にも力がこもる。
身の危険を感じたクィントは、スススと安全地帯にまで移動した。
「ところがじゃ! さしものシュテンバイツも体力には限界がある。一方、ヴィクトリアの強さはおそらく地上最強。勝負の行く末は目に見えとったよ」
「そうだったんですか……。え? でも、海賊嫌いだったんですよね? じゃあなんでこの船の船長なんかに?」
「そこじゃよ、わしの気に入らんのは」
「へ?」
「こともあろうにシュテンバイツの奴、自分を半殺しにしよったヴィクトリアに惚れてまいよってな。あの馬鹿、ヴィクトリアに無法はもうやめるからと約束して、無理やり船長にしてしまいよったんじゃ」
「どこの馬鹿ですか、そいつ」
「どこのって顔合わせとるじゃろう」
「は? ……まさか!」
「フランツ・フォン・シュテンバイツ。いまじゃ食堂で飯炊きをやっとる、あの大馬鹿者じゃ。まったく、あやつの覇業のために最強の船を造ったというのによ」
「ということは、シェフの目と脚って?」
「その時のヴィクトリアに潰されたんじゃ。まあ、あの状態で求婚されたモンじゃから、さすがのヴィクトリアもドン引きじゃったがの」
「うわぁ……」
思いも寄らぬ武勇伝だったが、シェフは、やはり一角の人物であった。クィントは、はじめて彼と対峙した時に感じた強烈な存在感を思い出し、自分の勘に間違いがなかったことをあらためて確信した。
ふとここでクィントの脳裏に疑問が生じる。
ヴィクトリアがもし仮に、いまでも海賊行為を恨んでいるのだとしたら、船長の座を譲り受けたあとも海賊としての体裁を保つ必要性があるのだろうかと。
ユニオンとの戦闘は、この海に生きる以上、もはや避けられないものなのかも知れない。しかし彼らの本分は『宝探し』にあるはずだ。ならば無理をして海賊という
この素直な疑問を、クィントはタツ爺にぶつけてみた。すると返ってきたのは、意外なる彼女の一面と『血染めの王』が背負っていた大いなる孤独の物語だった。
〈つづく〉
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