第20話 ホァン
【前回のあらすじ】
潜水艦のなかでニワトリと共に朝を迎えるという貴重な体験をしたクィント。ラジオから流れる穏やかな調べが聞こえ、海賊たちとの一日が始まる。
クィントの仕事は食堂の掃除にはじまり、倉庫の片付け、船内通路のゴミ拾いはもちろんのことトイレにシャワールームのモップがけ。
ようするに居住区のある上層甲板をくまなく掃除させられた訳であるが、身体を動かすこと自体は嫌いではないので、それほど苦ではなかった。作業は正午を越え、なおも続いたが、ブルーポラリス号のクルー達とコミュニケーションをとるのには都合がよかった。
彼らのクィントに対する評判は上々である。元々、海の男同士であるという気安さもあったが、なによりも問答無用でマシューを殴りつけた豪胆さを買われたのだ。率先して自分から動く姿勢も大層、気に入られた。次第に彼のゆくところには、活気が生まれるようになっていた。
ただひとりを除いては。
「よお雑用係」
クィントがせっせとトイレの床にモップをかけている時だった。
出入口の柱に背を預け、マシューが鋭いまなざしを投げつけてくる。
相棒のハトは別行動なのか、いなかった。
手には半分ほどかじられたリンゴが握られており、それをポイっとトイレのなかに投げ込んで彼はせせら笑う。
リンゴはクィントの目の前まで転がってきた。
「拾えよ。ゴミだぜ?」
クィントは一度、気の抜けたような目で彼を見ると、腰を折り床に転がる食べかけのリンゴを拾おうとした。
刹那、彼の眼前を革靴のつま先が襲う。
危険な光沢で輝くそれは、容赦なくクィントの顔を蹴り上げてきた。
「つおぉぉっ!」
咄嗟に身体をひねり上げたクィント。勢いあまって、後ろにある大便器用の個室のドアにまで転がっていった。ドアに背中をしたたか打ちつけよろめいていると、狂ったように高笑いするマシューの声が聞こえてくる。
「ざまぁねえな小僧! シェフに気に入られたからって調子に乗ンじゃねえぞ? その気になりゃ、テメぇなんぞいつでも
それだけ言い捨てると、マシューはその場を去って行った。その時、クィントの胸中に去来したのは怒りでも復讐心でもなく「だから言ったろ?」と豪快に笑う親方の声だった。
やったらやり返される――この単純な論理は一見幼稚なように見えて、どこまでも世のなかの真理をついているなと思った。
気を取り直したクィントは一度、食堂へと戻った。厨房で夕飯の仕込みをしていたシェフに、ほかにやることはないかと聞きに行ったのだが、するとシェフは大量の食材を出してきて、それらを一緒にむくようにとナイフを渡された。
ジャガイモ、タマネギ、ニンジン。
いずれも保存の利く食材の代表格だった。
足の速い果物などは、瓶詰めにして長持ちさせるという方法もあるが、集団食中毒を恐れるならば、なるべく早目に消費したい。
缶詰の製法がサルベージされてからは、比較的、海でも生鮮食料品が食べられるようにはなったが、栄養のバランスを考えるとやはり野菜は自然のまま摂りたいものだ。
そもそも陸で収穫される食料は、肉にせよ野菜にせよ希少であるため手に入りにくい。
朝昼晩と魚を食べるクィントにとって、目にすることさえ珍しかった。
ただでさえそうした貴重品が、いま彼の目の前には大量にある。
ジャガイモだけでも樽に山盛りという状況だ。
圧倒されない訳がない。
「そんな嫌な顔をするなよ少年。ジャガイモの皮むきは船乗りの第一歩だ。これで喧嘩でもして営巣入りすれば一人前だが、そうはならないことを期待するよ」
と、シェフが一緒に皮をむきながら船乗りならではジョークを言う。
「きみは海人だが、船での集団生活は知らないだろう? これからすこしずつだが、覚えてもらう。なあに、おれに任せておけば一週間で立派な海賊にしてやるさ」
「そのことなんですけど。おれ、海賊になる気なんてありませんよ?」
「ひとはなりたいものになるのではない。なってしまったものにどれだけ納得して生きられるかによって、その者の価値が決まる。きみは最善を尽くした。あとはそれをどう受け入れるかじゃないのか少年」
「哲学ですか?」
「いやぁ、そんな上等なモンじゃないさ。むかし旅をしていた頃に出会った、ひとりの老水夫の言葉でね。なにげなく聞いていたんだが、妙に納得してしまったよ。それからはおれの道しるべみたいになってるんだが、そういえば彼も海人だと言っていたな。もしかするときみの生き方にも、共通する部分はあるんじゃないのか?」
クィントはジャガイモの皮をむく手を休めて、しばし恣意にふけった。確かに最善を尽くした結果ならば、どんな状況に陥っても納得出来る自信はある。それは『ワダツミ』に運命をゆだねるという海人ならではの価値観であるが、ミレニアがそうであったように海人にあらざる者がそれを会得するのは容易ではない。
もしかすると海に生きるという点で、海賊と海人には非常によく似た側面があるのかもしれない。まあ、それにしたってクィントが海賊にならなくてはいけないということではないのだが。
なにやら煙に巻かれたような気がしないでもないが、もはやこの件を論じるのは徒労に終わりそうだと悟ったクィントは、素直にジャガイモの皮むきに専念することにした。
すると「そういえば」とシェフ。
「相棒のベルーガ君の様子はどうだい? イワシは昨日持ってった分で足りたかな?」
「あ、はい! ありがとうございました! アイツも大分、腹空かしてたんで助かりましたよ」
前夜のことである。シェフにニワトリ小屋をあてがわれるすこしまえ。
おいしい夜食に舌鼓を打っていたところ、このゴタゴタでなにか大切なことを忘れているような気がしたのである。
「あ、プルル」
それを思い出したクィントは、シェフにバケツいっぱいのイワシをもらって下層甲板にある格納庫へと走った。そこで彼を待っていたのは、半壊したクィントのマリナーのそばから片時も離れなかったという一匹のベルーガと、それに近づこうとすると威嚇されてしまいホトホト困った様子のホァンだった。
「あ、クィント、どうにかしてくれよ。きみのマリナーを直したいんだけど、このイルカが……」
ホァンは開口一番、クィントに泣きついた。
「ごめん、ごめん。なんか色々ありすぎて忘れてた」
クィントの言葉に反応して、「キュィ~!」とプルルが抗議する。腹を立てているのはすぐ分かったが、人語に変換されていないのでなんと言っているのかまでは理解出来ない。
「そうか、マリナーのバッテリーが切れちゃったから、翻訳機も作動しないんだな? ホァン悪いけど、とりあえずこの翻訳機だけでも使えるようにしてくれないかな。そうすればプルルも、自分の意思をみんなに伝えることが出来るから」
「え? このイルカしゃべるのかい?」
「うん。プルルって言うんだ。おれの兄弟みたいなモンかな。イルカとかクジラは超音波を出してコミュニケーションが取れるんだけど、この機械は彼らの出す超音波を受信して、電子音声に変換することが出来るんだ。もちろん、イルカ同士が使う言語とは違うから訓練が必要なんだけどね」
「へえ~。そういう技術があるってことは聞いてたけど、見るのははじめてだ。ねえ、もっと詳しく見せてもらってもいいかな?」
「いいけど、壊さないでね。それひとつしかないから」
「分かってるよ。安心してくれ、これでもこの船一番のメカニックなんだぜ――」
同年代の少年ということで、クィントにとって、もっとも話しやすいのがこのホァンだった。しかしながら、クィントはジャガイモの皮をむく手をとめて、シェフにささやかな抗議をしてみせる。
「でも、ホァンの奴には参りましたよ。まさか、おれの船のエンジン勝手にバラして、自作のマリナーに組み込んでるとは思いませんでした」
そうなのだ。ミレニアとマシューの戦闘に巻き込まれて、そのまま紛失してしまったものだと思っていた彼の船は、実はブルーポラリス号に回収されていたのだ。
海には立場に関わらず、広く共通したルールがある。それは水の確保と、救難信号を出している者への救助、それから資源を無駄にしないということである。
物を生み出すということが大変困難であるこのご時世、ただでさえ消耗品の塊である戦闘用マリナーの修理部品というのは確保が難しい。そこで人工的な漂流物や、海中に沈んでいる船の残骸などは、目に付いたら片っ端から拾得するのが船乗りの常識であった。
それを知らぬクィントではないので、あまり強くも言えないが、やはり目の前で自分の所有物だった物が、他人に使われているというのは気分のいいものではない。
この件に関してホァンとの間では、ちょっとした口論になったのだが、彼が作っているというマリナーのコクピットに、プルルの翻訳機を組み込んでくれるというので手を打った。それは暗にそのマリナーを、クィントに預けてくれるということ意味しており、彼らはお互いの想いをぶちまけたことによって、いつの間にか新たな友情を獲得していたのである。
「普段はおとなしい奴なんだが、マリナーのことになると目の色を変えるからな。まあ、アイツもこの船以外のことはあんまり知らないから、勘弁してやってくれ」
そう言うとシェフも手を休めて、ラム酒を一杯あおった。水圧感応式ジェネレーターが発電する膨大なエネルギーで、海水からの電気分解により真水の貯蔵は容易らしいのだが、やはり海賊にはラム酒はつきものなのだとのちにシェフは語る。
「ホァンは幼い頃に乗っていた商船を海賊に襲われてな。その船は父親の会社のもので、もちろん両親も一緒だった。残念だったことに船を襲った海賊というのが、血も涙もないような輩で、商船の乗組員はホァンを残して全滅だった。海賊の気まぐれだったのか、ひとり生き延びたホァンは、その後一ヶ月近く、船で漂流し続けた。当時、まだ五歳くらいだったと思うが、よく耐え抜いたと思うよ。そして、それをおれ達の船が偶然見つけて、救出したって訳さ」
「そうだったんだ……」
この時代。家族が平和に生涯を共に出来ることは稀だ。
クィントやルカがそうであるように、党軍との対立を避けられなかった者。またホァンのように弱肉強食である海の洗礼を受けた者。
いずれにせよ、弱き者が命を未来へとつなぐことは非常に難しい。
こんな世界だからこそ、ユニオニズムという思想が台頭したのだが、それもミレニアが言うようにすでに形骸化しているのかもしれない。
力による正義は、いつの時代でも正当化される。
「アイツがこの船にきた頃は、気味の悪いくらい従順な子だったよ。子供ながらに、集団で生きる術を心得ていたんだろうな。とにかく自分の出来ることを見つけては、一生懸命に仕事した。まだ五歳のガキがだぜ? おれもヴィクトリアもすこしは気を抜くように言ったんだが、アイツはこう言うんだ。『なんにも出来ない子は捨てられる』って。親の教育だったのか、それとも船を襲った海賊達になにか吹き込まれたのか知らないが、とにかくひどいおびえようだったよ。仕方なしにそのまま様子を見ることにしたんだが、ある日、ホァンがうれしそうに船内を飛び跳ねていたんだ。なにがあったと思う?」
「なにがあったんですか?」
「自分の未来を見つけたんだよ」
「自分の……未来……?」
「ああ。マリナーさ。アイツはマリナーに出会ったんだ。まだルカの両親が生きてた頃の話になるが、格納庫の掃除をしていたホァンに、タツ爺が彼らのマリナーを整備するから手伝えと声を掛けた。はじめはそんな難しいことが自分に出来るかと不安だったらしいが、工具を手に取り、ボルトを一本ゆるめた時だ。『でかした!』と、タツ爺に大層ほめられたらしいんだな。それがよほどうれしかったのか、その日以来、ほかの仕事はそっちのけで格納庫に入り浸りさ。ま、そのほうがおれ達としても気が楽だったがね」
「へえ~」
「そういう訳だ。ルカやサクラもいるけどな、やっぱり男の友情ってヤツには代えられん。これもなにかの縁だ。仲良くしてやってくれよ」
「はい。もちろん」
「いい返事だ」
お互いに微笑を浮かべ、またジャガイモの皮むきに精を出す一方、クィントにはひとつさっきの会話で気になることがあった。
「それでタツ爺って誰なんですか?」
ホァンにマリナーを整備する喜びを与え、シェフや船長にすら、どうにもならなかった彼を魂を救った人物である。「爺」と言うからには老人なのだろうが、兎にも角にもクィントの興味をそそった。
「タツ爺はウチの機関長さ。それからこの船を作った本人でもある。この船に関して、あのひとが知らないことはないよ。今度、機関室に行ってみるといい。普段はあそこから、まず出てこないからね。あ、そういえば人手がほしいようなことも言ってたっけ?」
シェフは天井を仰ぎ見て、首をひねる。黙っていれば強面で身体も大きいが、こういうところがチャーミングである。風貌だけを見れば、殺伐とした人生を歩んできたことは明白であるのに、不思議とクィントはこの人物にひかれるのだ。
このシェフのもとでなにかを得られるのであれば、しばらくは海賊稼業も悪くない。
ふとそんなことが頭をよぎる、クィントなのであった。
〈つづく〉
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