第19話 レディオ・ガガ

【前回のあらすじ】

 赤鬼マシューとのいざこざについて問いただされるも、何とか切り抜けたクィントだったが、なし崩し的に海賊船の正式なクルーになってしまった。



 いま洋上にひとつのブイが浮かんでいる。

 直径にして約七十センチ、高さは一メートルというところである。プラスチック製のボディはつや消しの群青で塗装され、よほどの注意力がなければ、まず発見は不可能だと思われる。

 しかしてその正体は、大気中を飛び交う電波を受信するアンテナであった。


 地上全土を津波が襲い、度重なる地殻変動で海中へと多くの都市が沈んだ。それでも鉄塔や電波塔など高さのある建造物は冠水を免れ、近年、海水による腐食や老朽化が問題視されてはいるものの、いまだもっとも有効な通信手段として利用されていた。


 ブイは波間に揺られながらも、その小さなボディでしっかりと電波を受ける。

 受信した情報は、本体から伸びるケーブルによって、海面下一五〇メートル先へと届けられている。そこにあるのは一隻の大型潜水艦。現在は隠密潜航状態にあり、自慢の双軸スクリューも回転を止め、惰性とわずかなポンプジェットによってのみ推力を捻出している。すべての灯火装置は消沈し、かすかな光ももれないように、覗き窓の類には完全な目張りが施されていた。


 いまこの船は海に溶け込んでいる。

 それを知るのはおそらく『ワダツミ』だけだろう。


「コッケコッコ――――ッ!」


「どぅわあああああああっ!」


 クィントはニワトリの鳴き声で目を覚ました。海のなかで。


 わらを敷き詰めたベッドのうえ、口から心臓でも飛び出さんばかりの勢いで起き上がったクィントは、いまだ鳴り止まぬニワトリ達の合唱と、自らの身体に刻まれた小さな切り傷とで、前夜に起きた実に理不尽な体験を思い出していた。


 それは半ば強制的にクィントの正式な乗船が認められ、かつ腹が減っているだろうとシェフから食堂にて夜食をもらったあとのことだった。


 度重なる緊張と疲労のなか、久しぶりに訪れた安息の時間が、クィントの身体に極度の睡魔を招き入れた。「とりあえず今日のところは眠りたまえ」と、シェフが気前よく案内してくれた部屋がここであった。


「いやあ、申し訳ないが、いま空いてる部屋がここしかなくてね。倉庫とかでもいいんだが、いつ何時、戦闘状態になって必要なものが出てくるとも限らないんでね。そんな時、そこにいられると正直邪魔なんだ」


「はあ……?」


「その点、この部屋は半分はニワトリ小屋になっているが、残りは自由に使ってもらえる。ほら、わらのベッドなんて洒落てるだろう? それにここは防音になっているから、いくらでもイビキをかいてもらって結構だ。ほかになにか質問は?」


「まずは、なぜ船内に養鶏所があるのか納得のいく説明を」


「栄養バランスの偏りがちな潜水艦のクルー達に、いつでも新鮮な卵を食べてほしくってね。そう思ったらいてもたってもいられなくなって、気がついたら作っていたよ」


「ああ、そうですか」


「実は、部屋の残り半分に乳牛を飼う計画もあったんだが、こっちはクルー達の満場一致をもって反対されたよ」


「当然の結果です」


「まあなんだ。住めば都というじゃないか。きみも海人なら分かるだろ?」


 分かる訳ねーだろとは、言えずじまいだった。正直、それでも熟睡していたことは、身体に残されたニワトリのついばみ痕からも見て取れる。

 長年の習慣から、なにかを身に着けていては寝苦しいと、パンツ一枚になったのが仇となったらしい。せめてズボンだけでも穿いておけばよかったと後悔する。


「コケーッ」


 目の前で一匹のニワトリがトサカを震わせている。「はいはい。起きましたよ」クィントは適当に相槌を打った。


 ルカから貸してもらったズボンを穿き、洗いざらしのシャツに袖を通す。その時、いつも首から提げている革袋が引っかかり、身支度の手を止めた。クィントはなかから、一対の耳飾りを取り出し、まるで遠い日の思い出のように、彼女のことを考えた。


 ミレニア――きみはいまどうしているだろうか。

 昨日別れたばかりだというのに、妙に気になった。ばかりか出会って三日も経っていないのに。もはや彼女との記憶が、自分の一部となってしまっていることに気付き顔を紅潮させる。

 また会えるといいな。ただ心からそう思った。


「クィント~。起きたーっ?」


 突然ドアが開き、ルカの声が聞こえる。ニワトリ達は狂喜乱舞し、辺りを飛び跳ねまくる。一方、クィントは大慌てで耳飾りを隠し、何事もなかったかのように平静を装った。


「お、起きてるよっ。おはようっ」


「おはよー、ってなにしてんの?」


「え? なにしてるって?」


「シャツの後ろ前逆だよ?」


「あ……あー! 慣れてないからだよ、間違えちゃった!」


「ふーん……いいけど」


 別になにも後ろめたいことなどないが、なぜか自然と安堵のため息が出た。思春期における少年の身体というのは、実に不思議に出来ている。


「えと……なに? もう仕事?」


 クィントは慌てて着替えなおしてドアの方を向いた。服はいいとしても、この靴だけはどうもまだしっくりこない。かかとを踏み潰して、昨日だけでもサクラに三回注意された。


 ルカは「はい」とクィントの首に、ストラップ付きのカードを掛けた。縦に五マス、横に七マスの線が引かれた紙のカードだった。おそらく勤務表だろうと思い、クィントが身を引き締めていると、ルカが彼の手を引いて、早速食堂へと連れて行かれた。


 そこで彼が目にしたものとは。


「まずは大きく腕を伸ばして背伸びの運動から~」


 食堂のスピーカーから流れるリズミカルな音楽に合わせて、ごつい海賊達がなにやら一斉に奇妙な動きをしている。それは武術の型ともダンスとも形容しがたく、見ようによってはなにかの儀式のようにも思えた。


「こ、これは……?」


「アレ? レディオ・エクササイズ・ナンバーワンよ。知らない?」


 と言って、ルカも集団演舞の輪に混ざっていった。

 集団の前にはひとりの演者が立ち、全体を指揮しているように見えた。またこの場にいるのは、船内の全クルーではないらしく、それほど覇気があるようにも感じられない。


 しかし、そんななかでもサクラは先頭に立ち、一際キレのある動きを披露していた。

 ふくよかな二の腕がプルンと揺れる。


 クィントもルカに促され、輪の中にくわわる。

 見よう見まねで動いてみるが、これでなかなか難しい。


「もう一回聞くけど、コレなんだって?」


「だからー、レディオ・エクササイズ・ナンバーワンだって」


「ナンバーワンってことは、ナンバーツーとかも?」


「ナンバースリーまであるんだけど、この時代には残念だけど伝わってないンだって。どっかのコミュニティから電波に乗っけて、世界中に送ってるらしいよ」


「へえ……。で、なんでこんなことするの?」


「元々はクルーの運動不足解消にやりはじめたンだけどー。いまはみんな違う目的でがんばってるのかなー。さっきあげたカード見て。ここにー、エクササイズが終わったらスタンプ押してもらえてー。一週間、毎朝皆勤すると、シェフから優先的に甘いものがもらえるんだー」


「甘いもの?」


「あ、いま、大人げないって思ったでしょー。でも糖分は大事なんだからね。特にウチみたいに乱暴者が多い船はすぐ喧嘩になるからーって、むかしシェフが決めたの」


「そ、そうなんだ」


「うん。だからほら! サクラ見て! あの子、もう何年もの間、甘味ランキング首位の座を明け渡していないンだよっ!」


 サクラの丸い頬を、瑞々しい汗が伝う。薄手のブラウスにうっすらとブラが透け、ぽかんと眺めるクィントの鼻の下を無防備にさせた。


「イテっ」


 振り上げられたルカの腕が、クィントの鼻先にぶつかる。

 偶然か、はたまた。

 彼女はそのままそ知らぬ顔でエクササイズを続ける。


「……最後に深呼吸~」


 隠密行動の海賊船のばかで軽快なピアノ伴奏が鳴り響く。

 なんというか……。



〈つづく〉

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