ハロージェントル2
坂本治
~ロンドンと二人のジェントル~
まえがき
この話は、梅雨短編で書いた『ハロージェントル』の第二弾です。
舞台は都市部のロンドンに変わり、少年だったエディは学位を得て、働く二十代の大人へと成長しました。
テーマは変わらず人間としての道徳を。きれいで手本となるような人間性を登場人物たちには投影したつもりですが、それらが時に皮肉に、劇に刺激を与えてくれることを祈っています。わかりやすくライトに描くことを意識しましたが、やはり難しいものでした。
『ハロージェントル』を読んでくださった人も、読んでいなくて知らない人もどうぞお付き合い願います。
〈主な登場人物〉
エディ ・パーカー………語り手。内向的だがロンドンで才知を認められた若き研究者
ショーン・ブラウン………多芸多才な元学者。称号のことではなくその生き様から、少年エディがジェントルと呼んだ。
ダニエル・ウイリアムズ…爵号をもつ貴族家系の御曹司。エディの親友
ロバート・ホプキンス……長年解剖医を務めた、風変わりな老人
バートン夫人………………ホプキンス邸の使用人
ミス・クロウ………………ショーンらが話しかけた若い給仕
〈前編〉
㈠
窓の外は曇り空。霞の向こうの時計台は、都市を見守るシンボルで、昔から愛称はビック・ベン。彼の見下ろす煙の町は、汽車が走り、帽子、栗色、焦げ茶色、多くの人々の頭が行き交った。
新聞売りが声を張り、にぎやかな朝の市が動きだす。
ビック・ベンからしばらく行った、幅が狭くて、黒い壁の集合住宅。周りの建物に埋もれるように建つそれは、特別目立つものでもなく平凡で隠れた一住居でしかなかった。
窓から差し込む陽の光で熱くなった瞼を開ける。
こじ開けた隙間から見えたビック・ベンの示す針に覚醒する。
「まずい……!」息を吸い込み、心臓を飛び出しそうになりながらベッドから飛び起きた。
身支度もそこそこに、狭い部屋の中から仕事に必要なものをかき集めて鞄に詰め込むと、壁の杭にひっかけた上着を手に玄関を飛び出した。
古い階段は駆け降りる衝撃に耐えがたく、組木が身をきしませる。
「うるさいぞ! パーカー!」階下の住人のどなり声を背に、ロンドンの町へ走り出た。
窓ガラスの向こうでいくつもの建物の間をよけ、姿を見せる時計台の彼も、慌ただしいその様子をひっそりと見送った。
レンガの街並みを人・物の往来を横目に、風を切って駆け抜ける。同じように急ぐ人々の群れに時折もまれながらも、よけたり回ったりスピードは失わずに脚を進めていく。
肺に送る空気は冷えていて、それとどこか見えない粒子が溶け込んでいるのを感じる。まるで陽の光を遮るベールのようだ。
都会の空気は、空をうすいライトブルーに透かして見せる。
故郷の濃い青空の下を駆けまわっていたおかげで、走るのは得意になっていた。石畳を叩く革靴の音は、まだ聞き慣れない。
研究所の守衛に睨まれながら、建物内に入っていく。まだゴールではなく、持ち場の部署までもう一走り。
扉を開けると若い一同がそろう中、皆がこちらの顔をうかがってくる。すでに準備を整えた職員たちの、怪訝そうな視線からそろりと顔を逸らしながら、室内へと進む。
すると同期の研究者ダニエルが正面からやって来て声をかけてきた。
ダニエル・ウイリアムズとは同じカレッジを卒業し、成績を競い合い、また私生活でも親しくした仲だった。
彼の家系は立派なものであって、その学歴も素晴らしかった。将来は彼も父親のような、堅実な仕事に就くことが約束されていただろうに、努力を惜しむことはなかった。
そうして作られていた自信家という像だったから、粋な都会人の衣をまとっても、それを嫌味に感じさせなかったのだろうと思う。
当時そんな人間は珍しく、おそらく学校内で彼くらいだっただろう。
「モーニン。エディ? 今日も始業ギリギリだ」
優等生というより、どちらかというと気の強そうなものの話し方。
「時間には間に合った……。それに昨晩は……」
「まず挨拶から。それが礼儀だろう?」
冗談とも何とも言えぬ指摘にたじろいでしまう。育ちからは想像しにくい、不良っぽい笑顔にひるみ
「お、おはよう、ダニエル。調子はどう……」
こちらの反応を見て満足した彼は、紙を差し出した。
「保管庫の合言葉がまた変わった。朝一の連絡を聞き逃すと、仕事に差し支えるぞ」
英国有数の大学付属研究機関、主に精神分析を扱うこの施設にて、エディは晴れて新米研究者となった。研究所内の資料を使う権限は限られているが、わずかに立ち入れる保管庫の警備も厳重だ。
その一つが、また警戒を強めたらしい。
受け取ったメモ用紙には、高等教育を受けた者らしい流れるような筆記体で、パスワードとおぼしき文字が綴られていた。伏し目を上げて
「ありが……」
と言い終わらないうちに、
「おはよう。諸君」年配の指揮官らしい貫録を携えた男が、数人の職員を連れて入室してきた。私の声はこの所長にかき消され、周りの新米研究者たちは声の主に向き直った。
すると私は、他の職員の後ろの方に紛れていたにも関わらず、所長と目が合ってしまった。
「エディ・パーカァ……。まだ上着を着て! 早く準備しろ!」
ひえっと尻込みして、他の職員の出す冷ややかな雰囲気に包まれる。
若手研究者随一の優秀さ、と認められ入職したのも束の間、この世界を渡っていくのに苦労の毎日だった。
「最近、調子悪いじゃないか」
昼の休憩時間、研究所内を抜けて敷地外を目指しながら隣を歩くダニエルが話しかけてくる。
「遅刻も多いし、仕事の効率も悪いぞ」
「遅刻はしてないだろ。それに書き物もちゃんと出してる。ちょっと頭の回転は遅い気がするけど……」彼はため息ついてから
「君の研究には舌を巻くよ。さすが俺の好敵手だ。だが、所長も言っていたろう? 俺たちはまだ研修生だ」
「うん」
「変に目立つより、地道に場数を踏むのが得策だぜ」
気まずく目線を外す私をのぞき込んで、彼は忠告してくる。
学生時代もよくこんな風に話した。もっとも気が合ったというより、学内のはみ出し者二人、互いの隣が丁度よい居場所になったという縁だった。
都会育ちのダニエルは、田舎から出てきた私に興味をもってよく構ってくれた。慣れない都会を知るのに、彼の存在は大きかったといえる。
どうして学業を志したか聞かれた時
「少年時代に、都会から来た紳士に影響された」
と答えた。その話をすると彼は、「夢の多い少年だったな」と笑った。
私も生涯を平凡に村で過ごすのだろうと思っていた時代に、偶然出会った変わり者な紳士のことをたまに思い出すけど、その記憶が自分で創り出した妄想なのではないかと不安になる。
ダニエルは面白がって時々その話を蒸し返すけれど、そんな気持ちがいつも頭をよぎるから詳しく話したことはない。
「そういえば、今度うちの研究所とタッグを組むことになったっていう、えらい学会の先生はどんな専門なんだろうな?」
何にでも好奇心旺盛な友人は、話題を変えて振ってくる。
「そんな話あった?」
「……朝礼でも言ってただろ? 来るのは今日の午後、つまりこの後だぞ」
呆れたような彼を他所に、知らなかったと呟く。「待ってろ」と彼は脇の店に寄り、施設からほど近い小さいパン屋でパンを買ってきた。
シリング銀貨がペニーに崩れると案外かさばり、ジャラジャラとポケットにしまう。戻ってくるとひとつ差し出してくる。
「もらえないよ」
遠慮しながらそう言うと、彼は「出世払いでいい」と片眉をあげて促す。
受け取ったものの、しばらく見つめていたが、歩き出した彼は大口でかじりつく。
「硬いパンだ」と彼が言うまでもなく、その見た目から想像できた。持った手触りで、顎がよく鍛えられそうだと感じる。生地の隙間に焼かれすぎてひねくれたベーコンが見える。
彼の後を追いながらかじるとほのかな塩気がした。ダニエルは振り返り
「味は悪くないな。食っとけよ。どうせ朝も食べてないだろ」
「ああ、実は昨日の夜から」
と私が笑うと、
「だから、深夜の副業はやめろって言ったろ」
言うことを聞かぬ子供に、半ば諦めて言うように友人は返答をよこした。
研究所の給与は下宿代に消え、生活費が賄えないので、私は夜中二つ目の仕事に向かっているのだ。
このところの寝不足はそれが原因だ。
「ところで一体何の仕事をしている?」勘繰るように言うダニエルに、その辺りはさほど重要でないのでいつもはぐらかしている。
敷地の外周を歩いて頃合いもよいところで、研究所へ戻れる階段に行き着いた。少し肌寒い風が周りの黄色い木の葉を巻き上げる。
風に吹かれ冷えた二の腕のあたりを抱え込み、身震いする。
なおも「教えろって」と茶化すように小突いてくる彼を「あまり聞かないで」などと笑ってやり過ごしながら、扉をくぐる。
㈡
「諸君、我が研究所の研究はきわめて主導的だと評価されている。そして、さらに多くの分野に乗り出すため、この度ロンドン市警、及び法科学の専門家と連携することとなった」
先ほどから説明を続ける所長の後ろにはたくさんの学者たち、の姿はなく
老人が一人とその連れか、市警の人間らしき者が数名。
「おい、スコットランドヤードと組めるってわけじゃ、なさそうだな」
警察の活動に関われることを期待したダニエルは、見込みが外れてがっかりした様子でぼやいた。
彼が察したように、警察や法科学会と大胆に提携するようではなさそうだ。基をたどれば医学が礎のこの研究機関が、解剖学への情報も欲していることはわかるし、精神系のデータを犯罪ファイルからとっているケースも承知している。
研究を進めるにはよい提携だが、上層部がどれほど本腰を入れているかはわからない。今日来ているあの老人が、法科学ないし法医学を享受してくれるのだろうか。
長い前置きが終わり、ようやく
「こちらが、長年犯罪捜査に携わり、第一人者として解剖医を執刀してきた
ロバート・ホプキンス医師だ」
拍手が起こり、所長がかしこまったように彼を前へ促す。紹介に応じ
「ええ、研究員諸君。私は聞いた通り法医学を武器に生業を行ってきた。
なかなか好かれない仕事だが、死者の声を聴く、とは非常に浪漫があると思わんかね」
部屋の後ろの方で表情を固めたベテラン研究員を見ると老人は「おっと、不謹慎か」とわざとらしい咳払いで誤魔化しながら続ける。
「是非とも私の経験を、君らの研究に活かしてほしい」
白衣の下に覗くカラフルな秋色スカーフに、飴色のグラスをかけた見た目から、彼が死の現場に立つ姿を脳内に描くのは難しい。
どうにもひょうきんな性質をしていそうな医師だったが、その言葉には熱いものが感じられた。
とはいえ研究の方針や、彼らの仕事が何も知らされていないこの段階では、集められた職員もいまいち賛同しきれなかった。
私もそうであったが、ふと先日提出した書き物のことを思い出していた。
丁度その時、ホプキンス医師が私の脳裏を読んだように言い出した。
「少し前に頼んでおいた書き物だが、非常に興味深かった。任意依頼だったからか、あまり数が集まらなかったみたいだが、受け取った分はきちんと読ませてもらったよ」
自分の書いたものも含まれていると思うと、気持ちがそわそわした。精神分析の研究を用いて研究したいことを何でも挙げろ、という自由度の高い課題に些か不安があった。
同じく提出しているダニエルも隣でじっと顎を引き、医師の言葉の続きを待っている。しかしホプキンス医師がそれ以上評価をすることはなかった。所長が割って入り、他の上位職員らとともに医師を連れて、別の部屋へ移ってしまったからだ。
結局紹介を終えた後、私たち新米は指示もなければいつもの作業に没頭するのみである。
日も傾き出した頃、道具を片付けようと廊下を進んでいた時だ。
会議室近くで所長とベテラン職員が立ち話をしていた。向こうからは見えていなかったはずなので、咄嗟に歩みを止めて、石柱の後ろに身を隠す。
どうやら私はあまり所長に気に入られていないようなので、なるべく無駄な接触はしないよう心掛けているのだ。
身を潜めつつ様子を窺っていると、聞き耳を立てなくても所長の特徴的な声が「まったく……」と聞こえてくる。
「変人と有名なホプキンス医師がね。はあ……。面倒な人を押し付けられたものだよ。引退してなお、引き下がらないとは」
そんなに業界では知られているのか、熱心な女性研究員も傍らで渋面をつくり、うなづいている。
変わり者だよ。というセリフが響く。
その世界に貢献し偉業を遂げてきた人物も、引き際を見誤ってはこうも言われるのか、と理屈ではわかり得るとも実践は難儀な問題だと分析する。
それを食べていくためだけでなく、あの年齢まで務めたということは、よほど彼にとって突き詰めたい、やらねばならぬと責務を感じたものであったのだろう。
自分が求める無意識の情動。
手放したくないそれを見つけた、栄光高き彼をうらやましくも思った。
研究室も片付いたころ、所長と医師が今後の連絡をしにやって来た。
その際、課題の研究案を出した者がいるか聞かれたので名乗り出た。ダニエルは違う研究室であったため、ここでは私だけだった。
「名はなんだ?」近くで見ると、案外背の高い老人が尋ねてくる。
「パーカーです」
ホプキンス医師は小さくなった目を輝かせた。
「ほほう、ユーがあの! 随分ロマンチックな案を出したな?
着眼点はいいが……空想の多い研究になるな。しかし、それを論理でねじ込んでくるあたり……ふははは」バシバシと肩を叩く力は中々強かった。
褒められているとも思えなかったが、愉快そうな医師を見て照れ臭くなった。それより、背後で控えめに笑う同年代の研究員たちや、所長のご機嫌が気になって俯いた顔をなかなか上げられなかった。
「ようし、こやつだ! 所長、彼を私がここに出入りする時の助手にしてもいいかな?」
所長はというと「はっ? ええ、まあ構いませんが、パーカーは入職したばかりです。慣れた者をご用意しますが……」
私も「まだ研修生です」と主張する。
「いいんだよ! この若者の感性、実にいい。反抗的な目もしておらんし、私の話をよく聞きそうだしな!」
にやりと笑う老人に他意はないのだろうけど、所長は陰口を言っていた後ろめたさからか、気まずそうにきゅっと唇を結んだ。
「早速だが荷物を運んでくれたまえユー! 私はもうお暇するけど、いいね所長?」ユーとは私のことだろう。
すっかり自分のペースの医師に、押され気味の所長。ホプキンス越しに私も所長の方を確認すると、疲れたような表情で「行け、行け」と手を振っていた。
出ていく医師が背中を向けたことで、深いため息をつく姿も確認できた。
ホプキンスのトランクと鞄を両手に抱え、彼の隣を歩いていく。
夕方には助手が迎えに来ると話しており、今も敷地の正門へ向かっているわけだが、この先生ずっと喋っている。
私としては今後のことや、課題の意見を聞きたいのだが、そんな隙を与えないのだ。
「失礼ですがドクター」
「あ? ドクター、私か? よせよせ」一人賑やかくする彼に挑戦し、
「ホプキンス先生、少し伺いたいのですが……」
「なんだ? 言ってみろ」
やっと喋らせてもらえたこの隙に「課題の難点はどこでしょうか」と、年齢の割に健脚の先生に並走しながら尋ねる。
「立証方法がないところかな」
意外にも即答され、次の言葉が喉元でくぐもる。
「だが仕方ない。論文らしく簡潔させろと指定してないし、研究は星の数ほどあって然り。何を調べて、何が役に立つのか、君らではまだわからんだろう。現場に出て、事件と遺体、遺族を見てきた私でも知見は十分とはいえないからの」
先生はぼんやり前方を見やって話す。
「いやな仕事だよ。人が死んで依頼が入り、人を切って金をもらう。批判も多い。ただ私らには、それを記録として残す使命があるんだ」
なかったことにしてはいけないよ。そう言う彼の荷物に、今まで背負ってきた思いを感じ、ぐっと力がこもる。
先生の信念に心が激震したことを伝えたかったが、彼の方が先に口を開いた。調子を戻して明るくのんきに
「ユーはロマンチストだから! 論理と感情とをどっちも取り入れたいようだな。まあ、左脳が使えるロジカルな者が、学会では受け入れられやすいのだろうがねえ。苦労するだろうな!」先生のトークは快調だ。
そして言われた中でよぎることがあった。
かつて自分に学者という夢を切り開いてくれた人物が、非常にロジカルなものの見方をしていたこと、それでいて情に厚く、その両刀で人の心を探っていたこと。それが私の基になっているのだ。
「ユーの考え方、私もそれだね」
私の顔を見て、人生の分だけ皺を刻んだ顔が微笑んだ。
目の前の知識人と、遠い記憶の中の我が師に認めてもらえたような心地を、錯覚とは思いたくなかった。
実際に己の道を達成しようと決意したのだ。
㈢
もうすぐ外に出るという所まで来て、お気楽なホプキンスは
「ああ、私、小便行ってくるわ」
手刀を額の辺りに掲げると、その手を振って近くの手洗いを探しに行ってしまった。手ぶらで秋風に歯向かいながら、長い脚でガニガニと進む彼に、先ほどまで感じていた威厳さが嘘のようだ。
仕方なく言いつけられた場所へ先に向かうことにする。
正門の守衛室横に、何台か馬車が止まる。先生の助手とはどの人なのか、聞かされていないため、ここで用を済ませた彼を待つしかないようだ。
両手の荷物がそろそろ辛くなってくる。
並ぶ馬車を端から眺めていくと、中間あたりに珍しく屋根のない四輪車が駐車されている。
運転手は近くの歩道に降りており、主の帰還にそなえているようだ。こちらからは背中しか見えない。
すると、壁のない車内に紅葉が舞い込んだ。運転手は革張りの座席からそっとつかみ、再び宙に離した。葉の色が年季の入った、しかし大切にされているであろう黒い光沢の車体に映える。
それはそうと、あの型は自動車文化の走りであった原初ベンツではないか。ヴィクトリアと名付けられた始まりの種だが、思っていたよりコンパクトなサイズだ。この車がまだ走っているとは驚きだった。
車への熱い視線が傍らの彼の背にも届いたようで、紅茶にミルクを溶かしたような髪色が特徴的なその人物は振り返る。
視線が交錯し互いに瞬きを繰り返すも、こちらの狼狽ようが痛々しい。
相手の顔を目にして、動き出すこともできず、私は蝋人形のごとく佇む。
「やあ、どうも。風が強いですね」
見かねて向こうの彼が笑いかけた。なおも、ドギマギする私に「僕に何か?」と、戸惑いつつも不思議そうに聞いてくる。
相手に気味悪く思わせては不味いと、泡を食って
「……すみません。知人に似ていて」と答える。
「ああ、そうでしたか」
彼は気を悪くした風でもなく、朗らかにそう答えてくれた。よく見ると、所々髪の色素が白くなり始めている、そんな年頃の紳士であった。
実際、顔をじっと見るわけにもいかず目のやり場に困ってしまった。
「あれ、それホプキンス先生の荷物ですか?」
ハッとして、自分に話しかけていると気づく。
「ええ、はい。私はここの研究員で、荷物運びを頼まれまして」
「それはどうも。預かりますよ、重かったでしょう」
荷物を渡し、後部座席へ慣れた手つきで積み込んだ。それが済むと
「いっつも、要らないものまで持っていきたがるんです。ご自分では支度なさらないのに、直前になっていろいろと」
馬鹿にするでもなく、やさしい声色で主人の様子を語る。その話口調がどこか新鮮でいて懐かしい。そう、私はこの彼を知っている。
「おい、ショーン! 待たせたな!」
「ああ、お疲れ様です。先生」
水滴のついた手をひらひらさせて軽快に寄ってくるホプキンスに、「先生、ハンカチは」と笑いかけるその紳士。
「うん、この鞄の中だったね」と私の運んだ鞄を指す。それから私に気づき
「あ! こやつ、この研究所での私の助手にした。なんだったか、名前、
ピーター?」
先生が私に問いかけ、助手の彼もこちらに注目している。
この時が訪れるのを密かに期待していたのだ。そして少しの不安とともに
この先生の助手だという紳士に向けて、自身の名を告げた。
少年時代に憧れた。ショーン・ブラウンという名の、そのジェントルが、変わらぬあの目で私を見ていた。
そして彼は言う。信じられないというように。
「……エディ?」
ホプキンスの助手兼運転手の職に就いていたショーンと、私が知り合いであることを伝えると、ホプキンスは偶然の再会に感動して、自身の家に招待してくれた。彼の自宅は研究所からほど近く、ショーンの運転する自動車でものの数分だった。
私の現住所からも遠くはなく、ビック・ベンを中心にした徒歩圏内の三点に各々は位置していた。
都心部に構えた立派な邸宅を見て、改めてホプキンスの地位や権威、潤沢な資産を想像する。到着すると運転手の彼は私たちを降ろした後、地下に潜った車庫へヴィクトリアを運び入れた。
先生の荷物を持ち、案内されるまま玄関をくぐる。女性のお手伝いが出迎えて、私の両手の荷物を受け取った。
ホプキンスから「バートン夫人だ」と紹介され、互いに会釈する。
後から来たショーンも加え、客間で彼女の淹れてくれたお茶をいただく。
「落ち着く香りですねえ。今日はダージリン?」
とショーンがカップを傾け話し出す。ホプキンスも紳士らしく茶を啜り満足そうにしている。私は緊張気味に中身を飲み込んだ。
「違いますよ。カモミールティーです」
食器を運んできたバートン夫人に訂正され、「あら」と言うショーン。
「ショーンさんは相変わらず味音痴で」と私の右後ろからナプキンと華奢なケーキフォークを並べる夫人がにこやかに耳打ちする。
それらを見て「あ、お構いなく……。すぐにお暇しますので」と言うと
「出されたものは断らん方がいいぞ。その方が紳士的だろう」
家の主に引き留められると何も言えず、少々居心地悪そうに、高級仕立てのチェアに居直る。
「バターケーキは?」尋ねてくる夫人の表情に少しだけ気持ちが和らいだ。
「君の文章は、希望を目一杯蓄えていた!」
紅茶と夫人の心づくしの菓子を囲んで、学者三人は討論を熱くした。
研究者の私と、解剖医のホプキンス、かつて学者であったショーンは異色の組み合わせながらも、研究分野をこえて互いの思想を分かち合った。
「この若者のレポートを読んだ時、随分人間に期待しているなと思った。
人生経験のない純粋な小僧が、きれいな世界を夢見ていると思ったよ」
ホプキンスの評価に私はこそばゆい思いになりながら、耳を傾けた。ショーンも、先生の話に相槌を打つようにして聞いている。
この二人が日常をどのような関係で、どんな話をして過ごしているかは想像つかなかったが、どうにも気が合う様子だと受け取った。
「いやあ、私の話をうるさがらない弟子が二人もできたぞ」
いつの間にかホプキンスは私たちを弟子と呼び、嬉しそうに豪語した。
私も憧れのショーンの弟弟子になれた喜びを明かすと、先生は二人の出会いの思い出について聞いてきた。
そこで私は、十年以上前に休暇で一ヶ月ほど、ショーンが自分の故郷の村に滞在した出来事を話した。そして当時まだ知らぬ、都会の様子に限らず、心の在り方や守り方にも助言をくれたことを説明した。
「彼は勿論『こうしろ』なんて言いませんでしたが、私が勝手にその生き方を真似したいと思ったんです」
ショーンは始終困り笑顔でかぶりを振っていたが、ホプキンスは「さすが私の弟子だ。騎士道精神は大事よな」と言った。
私は会話に混ざりながら、この二人の心はどこか似ていると考えた。
自分の心にも、植物を育てるように毎日声をかけ水をやる。内なる声に耳を澄ませていると、じきに気づいてもらうのを待っている微かな声に辿り着くのであろう。これは自分も他人も同じ、正直な心の育て方だ。
しかし私がこれを習得するのはまだまだ先の話である。
日も落ちて、そろそろ席を立とうとした時、電話が鳴った。ホプキンスのアイコンタクトでショーンが受話器をとる。
彼が応対している間、ホプキンスは私に「ユーもショーンみたく優秀な助手になってくれよ。な、ピーター」と声かけてくる。
わざとかどうかわからないが、パーカーです、直しながら帰宅を切り出す。彼は惜しがってくれ、明日が土曜で研究所の仕事がないことを嘆いた。
「先生、ロンドン市警からですよ」
とショーンが替わるようにと呼びかけた。警察という言葉に私は慣れず、ふと彼らに好奇心が沸いた。「ヨハンソン主任から。先の検死のことです」
受話器を手渡しながらそっと情報を織り交ぜる。
「ん」と、のんびり了承の言葉を発すると、親しそうに電話口へ喋りだす。
それから思い出したように「あ、ショーン。ピーターを送ってやれ!」と離れたそちらから大きな声で指示を飛ばす。
「ピーター?」とショーンは少し考えてから、すぐに合点がいったように私の方を向いて可笑しそうに笑う。
遠慮する私を彼は半ば強引に連れ出して、ホプキンス邸をあとにした。
再会の挨拶も、ホプキンスがいたことでしっかりと交わしていなかった。二人の時間ができた今も、互いにまだこの偶然を飲み込めない状況だった。
少しは成長した姿を見せたいと見栄を張った私は、話題を選ぶ内にろくに言葉を発せずにいた。年上の彼はというと先ほどから「驚いたな」「懐かしいな」を繰り返している。
「随分経ちます。ショーンさん、お変わりないですね」
私が思った印象として正直に伝えると、彼はくすぐったそうに
「ははっ、ショーンさん? 君にそう呼ばれる日が来るとは……!」その様子を、正面から受ける風に目を細めながら見る。
確かにいまだに信じられない。
「エディだと、わからなかったよ。背が伸びたな? あと前髪ができた」
隣に座るこちらを指さしていう彼に「前見て」と注意しながらも、その軽快な雰囲気に懐かしさが溢れてくる。
「これは……」と自分のブロンドの前髪を指先でつまみ
「情けない話、切りに行く時間もお金もなかったんですよ」と話す。
「似合っているよ。僕はもう面倒だから、毎朝ポマードをつけてなじますだけ。フランス製のいいやつ」
『いいやつ』の所だけキザっぽく言うけれど、そんな話し方、温厚な顔に合っていなかった。愉快な彼に付き合い
「フランス製がお気に入り?」と尋ねる。彼は「いやあ、全然違いはわからない。先生が飽きたって言って次々新しいのを開けるから、要らなくなってくれたのを僕が消費している」
ホプキンスの自由な姿が目に浮かぶ。
「それのせいかな? ショーンさん、ずっと果物みたいな匂いを振りまいていますよ」実は昼間から気になっていたことを指摘してみる。
すると彼は、説明がつくと言わんばかりに
「それはこいつのせいだな。これも先生からもらったパヒュームだけど、中々なくならないから、朝昼晩と五プッシュずつ吹いてるんだ」と胸ポケットを叩く。冗談か本気かわからないが、口が半分開いて塞がらない。
「つけすぎ……」
ホプキンスといい彼といい、実にユニークな人たちだ。
〈後編〉
㈣
秋晴れの土曜の昼、私は見慣れないロンドン住宅街の一角にいた。
研究所の仕事は休みだというのに、思いがけない遠出をしている。平日の疲れが溜まってか欠伸がどうにもとまらない。
「お疲れのようだね」隣に並ぶショーンに言われ
「はっ、すみません。あんまり寝てないもので」と、精いっぱいシャンとした風を装って話す。しかし格好はつかなかった。
昨晩ショーンに送られた後も、決まった時刻にアルバイトに出かけた。
そのおかげですっかり疲れきっていたのだが、ばかに大きい声で呼びかけるホプキンスの声で目覚めた。驚いて窓から見下ろすと、ヴィクトリアの側に立つ見覚えのある二人。
「ピーターくーーん!」
と元気なホプキンスと、周囲を見回して申し訳なさそうに苦笑するショーンがいた。ぎょっとして階下まで降りていくと、またしても扉を開けこちらをジトっと睨む住人から、無言の圧を向けられた。
彼らの「連れていきたい所があるのだが」という申し出は、とても貴重なものだったのですぐに支度を整えた。
その用事とは昨日の電話、警察が調査している殺人事件に関することであったのだ。殺人事件と聞き気が引けたが、目的地へ向かう途中の車内で説明を受けた。
ホプキンスはもう執刀医はしていないが、警察の上部に知り合いがいるということで、たまに頼られることがあるそうだ。
そして今回も遺体の具合を見るために、メスは持たずに立ち会うことだけしたようだ。それを聞いて彼が死の現場に立っていることを実感した。
「せっかくの機会だ。ユーの研究所と警察も仲良くした方がいいんだし、私が知っている警部に顔を覚えてもらうといい」
そんな彼の計らいでここまでやって来たのだが、ホプキンスは警察陣の中に消え数十分、部外者の二人はヴィクトリアとともに待機するしかなかった。ショーンもいくらばかりか退屈そうだと、ちらと盗み見る。
「どういう事件ですか?」とショーンに聞くと、概要を教えてくれた。
「被害者は富裕層の男性。年齢は五十代後半で妻帯者、子供はいない」
相槌を打ちながら続きを聞く。
「自宅近くの道路にて刺殺体となって発見。第一人者はガス灯の点灯夫、早朝の種火消灯中に発見、死後六時間以上経っていた」
「路上で……物取りの犯行でしょうか?」
「いい着眼点だな。しかし持ち物の貴重品でなくなったものはなかった。厚手のコートも着て、帽子も抱えていた」と更に知っている情報を開示する。
「自宅にいた人間の素性やアリバイは?」
「被害者の妻、女性の給仕、力仕事役の男性使用人、そして被害者の家主」
「警察は彼らの事情聴取をしたんですよね。どんな見解なんです?」
ショーンがどれほど事件の内容を知っているとも思えないけれど、念のため聞いておく。
「警察は女性二人を犯人だと睨んでいる。犯行時刻頃、男の使用人は地元の飲み会に出ていた。三十代で若い男だから、帰宅したのは随分遅くだったようだ。その場にいた仲間が証言している」彼がここまで詳しい様子に、きっとホプキンスが情報を与えたのだろうと踏む。
「使用人が夜中まで。そのお宅は自由な働き方だったのですね」私は若い使用人の、あまり慎ましくない素行に違和感を覚える。
イギリスの上流層の人間で、位を得た者などは自宅に使用人を雇うのが世の風潮だった。ホプキンス邸のバートン夫人は通いで家事を行うが、ショーンは住み込みである。彼の場合ホプキンス自身が、高齢であることを理由にして、寝食をともにしつつの身の回りの手助けを求めている。
被害者邸は使用人二人とも住み込みであるようで、それならば鍵をかける時刻も配慮し門限を定めるべきだろう。それとも男性使用人は、家の合鍵を預かるほど信頼されていたのだろうか。
「他に聞きたいことは?」とこちらを向くショーン。
「その家の三人以外が犯人である可能性は全くないのでしょうか」彼は少しためらってから、「断定はしないけど、ほぼ彼らの誰かで間違いない」
「エディの専門分野はなんだ?」話を切りかえ、そう尋ねられたので
「精神分析です。生じた感情と環境が、どういう行動につながるかデータを集めています……」と答えると、納得したように小さくうなづく。
「ならば分析の傾向にないか? 人間が、実際接触した人間に起こす感情の多様さは、道ですれ違っただけの人間に対しての何倍でもあると」
確かにそうではある。
「特に殺意のように大きなものは、思いをかけた人間にほど起こりやすい」
ショーンは同意を求めるわけでもなく、独り言のように呟いた。
彼の言うことの真意を推測するため鈍る頭を回す。つまるところ彼は
愛情が殺意に変わったと、予測しているのだろう。
「奥さんが犯人だと思ってますか?」
「うーん……君はどう?」はぐらかされたがどうしようもない。
「被害者が資産家であったなら、妻が遺産目的に夫を殺害することは第一に考えられます。しかしリスクが高過ぎる。女性一人で犯行に及ぶことは、体力的に考えて極めて困難です。それから被害者の死をもって得をする人間をあげた時、間違いなく疑われます」
典型的な事項を述べた後、自分の意見を言うべきか少々悩んだ。
「それに……。被害者の結婚相手です。家族を失って残された遺族ですから、証拠もなく疑いはかけたくない……」
ショーンの目がつやっと、不思議な光を映した。
「逆に証拠さえあれば、彼女たちは立派な犯人になる」彼らしくない棘のある言い方に、私はわずかに動揺した。そして悟る。
「彼女の愛が冷めたということですか? 妻が夫を愛していないから殺せたと言うのですか?」
「僕はそれを一番に考えてしまった。ただそれは本当に推測にすぎないよね、何の証拠もない。」俯きがちに話す彼の様子に、妙な雰囲気を感じたのはこの時だった。
「仮に給仕の女性の犯行だとしたらどうです? 動機なんか、警察から聞いていますか?」私の声に彼も答える。
「主人と何かあったということはないらしい。近隣からの聞き込みでも、被害者がそれほど暴君だったとは聞かない。まあ、愛想はなかったみたいで、堅物という印象だったようだよ」
「となると、彼女は被害者の死で何か利益を得ることもない、わけですか」
やはり妻が最も怪しいのだろうか。
「一つ確認したいのですが。犯行は、女性の力で可能なものですか? 家の中の者が殺したとなると、遺体は後から運ばれたのかもしれない。」
私は疑問をあげる。
ショーンは食いついてきたその様子に少し高揚したようだ。
「ああ。解剖医や鑑識の報告から、女性の腕力でも可能だと推測されている」理由を聞きたいかと、尋ねられ、勿論だと身を乗り出す。
「刺し痕の位置だ。刺されたのは背後から、背中の左上の方。しかも凶器の刃物、これは調理用包丁だと推測されていて、今この家にある包丁と照合しているところだ。ああ、それでその刃物の入射角から、犯人は逆手で凶器を握っていたことがわかった。」
「逆手?」
「投げ技であるだろう。順手と逆手。刃が小指側に出る向きになるから、犯人は上から振り上げて被害者を指したことになる」
「なるほど……」
「これなら体重をかけられるから、女性でも致命傷を与える傷が作れる」
さすがは専門家たちだと、分析に圧倒される。
「それから、これは鑑識班から。遺体の着ていた上着、これは後から着せられたものだ。出血の染み込み量が通常より少ないらしい。
あと、いくら振りかぶったとしても、厚手のコートを貫いて致命傷というのは為し得難い。鑑識もそう考えてコートの破れ、刺し傷の部分の穴のことだけど、ここを調べたら微妙に位置がずれていると判明した。これも後から付けられたものだったようだ」
ショーンの報告を聞き、頭の中を整頓する。
そして慣れない場面設定での分析を、一度落ち着ける。
「……すごい。捜査の最前線は精鋭揃いですね」息をつきながら言う私に彼は目じりを下げた。
「君も晴れて研究者じゃないか。よく、頑張ったな」
先ほどまでの、矢継ぎ早な会話とは打って変わって穏やかに褒められた。
今までの努力を噛みしめる。
「まだ研修生ですよ」と控えめに謙遜する。
「ホプキンス先生は私を気に入ってくださったけど、所詮私は変わり者です。他の職員に馴染むのも一苦労で」と不安を漏らす。
それを励まして
「先生は自身の仕事で得たことを、次の世代につなげたいんだ。あの人の行いは確かに立派なものなのに、中々彼を取り巻く環境は彼を受け入れたがらない」
けれど、と言って続ける。
「わかるよ。何かを成すのは大変だもの。皆、家庭のため、生きるため、仕事をしているわけであって、本当に探究心でというのはほんの一握りだ」
躊躇いながら、それでも思うことがあり同意する。
私も連日の働き詰めで、何を目的として生きるか虚ろになることが増えていた。働いて、食べ、働いて、眠る。ただそれを繰り返すだけ。
思い返すと、むなしく考え込んでしまう。
次のショーンの言葉を聞くまでは。
「僕は先生についていく。君も何かの縁だ。あの先生の意思を継いでいく気があるならば、協力して然るべきだと僕は思うよ」
ショーンがそう言うから、私もなぜだかあの先生を信じてよい気がしてくる。けれど、これはこの紳士に流されたわけじゃない。
しっかりと向き直って、彼に宣言する。
「私は、私の意思で先生についていきます。けどあなたも先生の背を追うならば、私が追いかけるのはまずあなたですよ」らしくない熱い言葉。
びっくりしたように彼はしばらく呆然としていた。
それから「若さに敗れた」といった笑みをこぼして
「変わり者の弟子二人、変わり者の先生についていくか?」
冗談めかして言い笑い合う。
少年だった頃からずっと描き足してきた地図に、また一人、ホプキンスという名が載った。この奇妙な関係が生まれることは、誰も予想していなかったが、もしかしたら出会うべくして出会ったのかもしれない。
「先生って、やはりすごい人なんですよね?」
「ああ、逆手の痕跡は他でもない先生が気づいたんだ」
事件のあった家の前で待たされながら、中に設置された捜査本部の様子を想像しては、我らが師の功績を思う。
茶レンガと灰レンガの住宅街。道路脇に停まるヴィクトリアにもたれる。
「今日みたいな捜査協力は頻繁に?」私が尋ねると
「最近はめっきり減ったけどね。呼ばれたらどこへでも、何泊でも、僕は脚となって、仕事の合間には話し相手となる。いい仕事だよね」
彼はヴィクトリの冷たい肌を、手の甲で撫でる。
「しかし、主人につきっきりの仕事とは、気が休まる時もないんじゃないですか?」
「まあ、あまりに自由人だと困っちゃうよね。
バートン夫人もよく、手を焼いている。こないだなんか、ここの被害者の検死をした日、被害者からエビの香りがしたらしくて『エビ料理が食べたくなった』なんて言って夫人に注文していたな。お茶目な人だけど……。
やるせなさそうに調理する彼女がかわいそうだったよ」
三人のチームワークで、凸凹を補いながら日々を送る風景を思い浮かべると、自分がそこに入っていっていいのか躊躇してしまう。
そっとヴィクトリアに触れ、この車も仲間なのだと思う。
「君がたまに顔を見せに来てくれたら、僕も息抜きになるんだけどなあ」
彼の優しい申し出に表情が緩むが、今は喜びを心の底にしまっておく。
この事件が解決し、またあの家に招いてもらえたならば、一員になる資格を時間をかけて集めていきたいと思う。
㈤
何か捜査の手助けができないか、と邸宅の石壁を穴が開くほど見つめるが先生が戻って来る気配も警察官の出入りもない。
「先生は捜査の中心におられるんでしょうか? 中で長い間、話をされているようですが」ショーンもそちらを見やって、けれどすぐにかぶりを振る。
「いや、厄介者扱いされているんじゃないかなあ。
責任者がスタインベック警部という人で、先生とは馬が合わないんだ。
昨日電話してきたヨハンソン主任警部は、先生と齢も近くて、現役時代ずっと協力し合ってきたらしいけど。その人はこの世界で知り合った唯一無二の友だとおっしゃっていたよ」
それを聞き、話を聞き入れてもらえないか、情報を教えてもらえないかで立ち往生しているのだなと理解する。
ショーンの様子から、きっと常にこんな状況で、すっかり待たされることに慣れてしまったという風なものを感じた。
今日の目的は警部に挨拶すること。立ち疲れてはいたがその役目を果たすまでは、と深呼吸して姿勢を正す。
その時、重厚な玄関扉が開き、中から使用人らしい女性が出てきた。
ショーンの方に確認すると、被害者の使用人だと耳打ちしてきた。
彼女がこちらに気づき不思議そうに見るので、ばっちり目が合ってしまった。何もしないのも失礼かと、会釈をする。
すると隣のショーンもお辞儀をするかと思いきや、女性の側まで歩み寄り声をかけた。
「ハロウ? 驚かせてすみません。お宅にお邪魔している医師の助手です。
ええと、ミス?」女性は突然の呼びかけに、目を瞬かせながら、
「あ、ええ、クロウです。ここのご夫妻の給仕を……」
後半になるにつれ、勢いがなくなり小さくなる声に
「ミス・クロウ。この度はお悔やみ申し上げます。
私は刑事でありませんから、事件のことは聞きません。中でひょうきんな老紳士が、賑やかくしてはいませんでしたか?」
そんな問いかけにクロウは警戒を緩め、「ああ!」と思いあたった様子で
「はい、確かに長身のおじいさまが、警部さんと何やら戯れを……」
ショーンはこちらを向いて「まだかかりそうだな」という目をした。
クロウは気を遣って
「あなた方は中には入らないのですか、ミスター……」
「ショーン・ブラウンです。
こちらはその老紳士のお気に入り、エディ・パーカー」
彼が済ませた挨拶に、私も二度目のお辞儀をする。
「まあ。パーカーさんも、お医者の卵?」若い私に彼女は驚いてみせる。
「いいえ、彼は研究者。心のしくみを解く研究に、彼のハートをかけてる」
と、ショーンが代わりに答えいたずらそうに笑う。
微笑む彼女に水を差すのをためらって、私は肩をすくめやり過ごした。
「そうだ、もし思い出したことがあったらこの番号に……」
ショーンが懐に入れた手を引いた時、ゆくりなく小振りのガラス瓶が転がり出た。それは彼女の足元に転がっていき、そっと拾いあげられる。
透き通るエメラルド色の液体が入ったガラス瓶を手渡しながら
「ブラウンさん、香水をお使いなの? 素敵な色ですね」とクロウ。
彼女の細い指先がショーンの右手の平に近づく様子を、アンニュイになった私は退屈そうに傍観する。そして彼が彼女から目線を外し、若干体が緊張気味なのに気づく。「おや」と思うと
「……よければ使ってみませんか? お勧めですよ」
とショーンは再び彼女にそれを差し出す。
クロウは謙虚に「申し訳ないわ」と断るが、彼の掌は彼女の指をとり
小瓶を包ませた。彼女はゆっくりショーンを見上げ、承知した様子だ。
ぎこちない二人に私も、どうしていいやらといった態度で近づき、彼女が数回、軽くミストを吹き終わったのを見計らって咳払いする。
「こほ。彼も毎日つけています。朝昼晩と、それは念入りに」ショーンとクロウの顔をそれぞれ交互に見やって暴露する。
私のセリフに彼女は笑いを堪えきれなくなり、それは三人に伝染した。
私は、自身が茶化されやすい性質なことをここで晴らそうと、調子を上げ
「ショーンさん、彼女と同じ香りをさせて、なんて言い訳します?」
わかる人にはわかるジョークを彼に投げかける。あくまで紳士的な文言を選んで。ショーンは困ったように笑いながら、
「その時は、ええと、こう言って誤魔化すんだよ。香りが……。この香水、何の香り?g……グリーンアップルか?
『彼女と同じ店でグリーンアップルを食べただけだ』ってね」
彼は小瓶のラベルを読み取るのに、心なしか目から遠ざけて持ち、表記を確認して言った。クロウも怒ることなく付き合ってくれている。
話がウケたところで邸宅から、ぞろぞろと捜査員が出てきた。様々な指示で賑やかくなる通りに被害者の妻も出てきて、しかめ面で警官の持つ書類に書きつけている。笑っていたクロウもハッと顔を引き締めて
「それでは買い物に行かなくては。ごきげんよう」と立ち去った。
人を避けながら道を急ぐ彼女を見送って、
「どういうことです? ああいうお人に惹かれますか?」と問いかけると、意外にも「……女性は苦手だよ」とだけ呟く。
そんな彼に対し疑問はあったが、背後からギャンギャンと言い争う二つの声が聞こえてきたので、ここではお預けされた。
㈥
帰路の車内でショーンとホプキンスは、犯人について考察した。
彼らは特異な存在として捜査へ繰り出し、独自の頭で捜査官の見落とした点を収集していた。彼らの情報交換を、追いかけるのに私は必死だ。
「警察は、妻と給仕の二人を疑っていますか?」確認するショーン。
「ああ。だが、どちらも証拠はない。本人たちにも刑事がついて、何度も事情聴取をしているが、新しいことを喋るわけでもなし」
風を切る音が騒がしいため大声で報告しているホプキンスは、帰り際までスタインベック警部にあしらわれてご機嫌斜めだ。呼びつけた先生の友人であるヨハンソン主任に言いつけてやると、ぶつくさ言っている。
辺りが薄暗くなり、葦が茂る道を行く。報告会はまだ続く。
「容疑者は二人です。犯行はどちらがやったにせよ、遺体の運搬や偽装工作には、両者とも関わっていると思われます」
ショーンが見解を述べ、吹きさらしの車上で、三人はそれぞれ表情を硬くした。「続けて」と促すホプキンス。
アクセルに一定に力を込めながら、
「僕の見た情報です。あくまで一場面を見ただけで確証はありません」と
前置きしてから
「被害者の妻と使用人の男は、おそらく愛し合っています」
私とホプキンスは、目を見張る。
「不倫」と声を漏らす。想像ではすぐにでも思いつくケースだが、事実の究明は難儀なものだ。本人たちは隠れて行うし、聞いても正直に答える筈がないだろう。
「現場を見たか?」と先生が詳細を尋ねる。
「はい。今日のように先生を現場までお連れした時のことです。
あの日は事件発生から日が浅く、警察車両が溢れていたので、例の邸宅から大分離れた所に駐車しました。そこで待つ僕に気づかず、建物の陰で二人は逢瀬をしていました。
周囲は薄暗くなっていましたから、気づかなかったのでしょう」
その話に先生は頷きつつも、渋い顔をする。
「本当に、そんな関係だと思えるほどの場面だったのか?」顔見知りであるから、話をしていただけという可能性もある。ショーンが一緒にいたのを見ただけで、早とちりしたとも思えないが。
親しい様子がどんなものだったのか説明を求められて、運転手は前方の景色に目を泳がす。
「結構、密着して……その」言葉運びがたどたどしい彼に
「ベタベタしていたのか」ホプキンスが助け舟を出してやった。摘みたてのオレンジの酸味にやられたみたい口を窄めて「はい、しっかりベロベロと」と今度ははっきり宣言した。
ホプキンスがゆらり、「ほおう……」と顎を撫でる。
「ここからが最も重要です」気を取り直し、
「奥さんが言っていました。『あの子が警察に行かないよう貴男も見張っていてよ』と。あの子とはミス・クロウのことでしょう。
私は咄嗟に奥さんが犯人だったのだと思いました。しかし、その後の言葉でこの事件の真相に気づいたんです」
淡々と話す彼の表情に食い入る。私は思考を巡らすが解答が見えない。
一体どちらが犯人なのか。
「愛人の男は彼女に、『刺したのはクロウなのだから、自首させればいいじゃないか』と投げかけました。その彼女は平然と言葉を続けました。
『あの子が勝手にやったことなの。もしあの子が逮捕されたら、私達の関係もバレちゃうのよ』それを聞くと、男も思いあぐねたように黙りました」
二人の会話が本当ならば、犯人はクロウということになる。
昼間のクロウのその様子や人当りを思い出し、意外さに当惑した。
「彼女はどうして?」私が問うと、
「僕の想像では、この事件とても悲しい出来事だ。
それに愚かだよ。どのような結末を迎えるのが正しいのか……」と言い淀む彼は
「これだけ先に言わせてくれ。妻は自分たちの不埒を隠蔽するために、ミス・クロウに誰よりも重い罪を隠させている。助けてもらった身で。
それも殺人という大罪を、背負わせた」
霧が晴れ始めた事件の真実に、私は言葉を失う。
釈然としない私を察してホプキンスが口を開き、事実を並べていく。
「実犯行はミス・クロウ。現場は邸宅内。事件当時、現場にはおそらく被害者とその妻、ミス・クロウの三人。愛人の使用人は出かけていた。
そして事件に至った原因は、夫人の不倫だと仮定する」講義を聞くように先生の列挙する事柄を冷静に耳で追う。
「夫婦の話し合い、または喧嘩の行く末をミス・クロウが見守る中、起こったと考えられるケースは、逆上した被害者により妻の身が危険にさらされた、というもの。妻の方を助けようと気が動転して、思わず凶器を振り下ろした、という辺りか」
あくまで推測だということに先生も気が晴れない。
「ミス・クロウの正義感が災いした、という線はおかしくはありません。
けれど血の気が多いとも思えぬ、年若い普通の女性でした。救出のためとはいえ刃物を持ち出すでしょうか」
彼女を犯人としたくない思いも確かにあったが、純粋に疑問な点が多かったのだ。声を張る私を横目に先生は補足する。
「ミス・クロウは給仕だろう。その日も調理場で作業していた可能性が高く、夫人が夫に追われ彼女の元に逃げてきたと考えて、妥当じゃないか」
そう言われたらおかしくはない。キッチンならば、包丁が手元にあったというのも納得できる。
「ん、そうか」と重ねて何かに気づいたようなホプキンスの方を見る。
「事件当日の夕食はきっとエビのスープだったんだ。検死の時嗅いだあの匂いは、調理場で騒ぎになった際に鍋でもかぶったんだろう」
合点がいったという風な彼にショーンは釘を刺す。
「先生、まだ証拠のないことばかりです。
けれどもし、我々の仮定が的を射ているならば、ミス・クロウを一刻も早くその罪から解放してあげたい。しっかり話を聞けば正当防衛になるかもしれないのに、そうできない状況はあまりに酷です」唇を噛み、悔しそうにハンドルを握る手に力をこめている。
「長引けば、罪を告白しないことが罪になります。
妻がなんと言って彼女を引き留めているともわかりませんが、もうこちらから決定的な証拠を突き出し……逮捕にかかるしかありません」
ショーンは解明の次段階、事件収束へ乗り出す。
私の理解していない範囲まで、この人物は状況を把握し話しているようなので、ついていきたくても先がわからない。
それより明るんだ全貌に私は心が痛んだ。彼にどんな策があるのか、今はただすがるような思いである。
彼は最後の決着をつける意気込みを、瞳にたたえた。
「先生、頼んでおいた遺体の損傷部の確認、できましたか?」
ホプキンスが予期せずタイミングの質問にもたつき
「ああ、あのお、刺し傷のだな? もう実物はなかったが、写真で何とか確認できた。その判断は、信用してくれていい」
真剣な眼差しで彼は、彼の一番弟子を見つめる。私もはっきりとは言い表せないが、これが事件を終わらす決め手だと悟った。
そして彼女の不遇な現実に、終止符を打つことだとも。
「刺殺痕の向きから、犯人は左利きであると思われる」解剖医の観察から導かれた犯人像に、私の脳裏はぼんやりとした映像を呼び起こす。
それはやがて輪郭をつくり、色までも取り戻していく。細く、家事仕事に励む女性の手、その中の澄んだ緑色の小瓶。
ショーンが王手をかけた。
「彼女は左利きです」
㈦
休日の昼下がり、私はホプキンス邸のガレージにいた。
犯人逮捕を経てまた迎える土曜日、大手を上げて喜べない胸中ながら、わずかに精神は平穏を取り戻しつつあった。
事件解決によって訪れた、心のさざめきを感じているのは私だけのはずもなく、目の前で主人の愛車を手入れするこの人も、彼なりに事を受け止めているようだ。私は段差に腰掛けショーンの作業を見守りながら、時折工具を渡す手伝いをして逮捕後の事情を知り得た。
「犯行動機はやはり、被害者が妻を殺さんばかりにしていたのを止めることだったらしいよ。妻への暴行に慌てて、我を失ったようだ」
姿は見えない彼が、車体の下から声を出す。
「罪状はどうなりますか? それから他の二人は?」
「クロウについてはまだ検討中。妻と使用人にも逮捕状が出た。
ロンドン市警も最近は誤認逮捕なんかで評判を落としていたから、渋ったみたいだけど、スタインベック警部がクロウの話から脅迫に当たると検挙した。頭が固いかと思いきや、物事の分析と人情の使い分けが達者な人だよ」
ホプキンスの天敵も仕事に関しては熱血漢であったようだ。
今頃二人の仲は、少しは取り持たれたのだろうか。
「妻は遺体の工作を指示し、一緒に行っているし、男の方も帰宅後事情を話され外まで被害者を運び出した。みんなして黙ってやり過ごそうとした、っていうとても残忍な結末が判明してしまった」
金具をカタカタ言わせナッドを締める。次の部位に取り掛かる目前の人物が、背を地面に擦る衣音が響く。
「皮肉なもんだよ。彼女を助ける方法が、彼女を逮捕することなんて。
人間、見逃してやりたくなってしまわないか?」
顔を見せないからか、隠さなければならない本心みたいなものも述べる。
「最善だったと思いますよ」声色穏やかに、当たり障りなく返答する。
すると車体の下に潜ったままであったショーンがラッコのような体勢で顔を出す。何かと思えば随分としかめ面をしていたので、まずいことを言っただろうかと、自身の発言を顧みる。
「エディは少年の頃から、落ち着いて見えた。
でも感情が見えにくいだけで本当は誰より感受性が強いのだと僕は知っているよ。それは今も変わらない」
仰向けで天井を見つめたまま穏やかに語る。
「自分の感情と、それを生じさせた物事とを同じラインに置いている。君の研究に相応しい、抑止能力だね」
彼はそう言うけど、私にはそんな実感なかった。要領は悪いし、会話も苦手で、感情が優先したくなる時も多々ある。
「買いかぶりだ」と訴えると
「感情的な行動で、できることとできないことを見失うのは、よいことではない。たとえそれが非情と言われても、世間が悲劇を好んでも」
今回の事件で彼はミス・クロウを救いたいと願い、逮捕への道筋を切り開いた。彼女への情けがけを、偏りの善意だけでなく、将来性や精神をも守ろうと試みた結果である。
ショーンは手元用の灯りを引き出すと、自分も体を引き抜きにかかる。
この人物が先ほど述べた見解をわかりやすくいえば、感情と行動は別でなければいけないということだ。
たとえば濁流に人が流されたとき、周囲の人になんと言われても無謀に飛び込んではいけないだろう。結果に「彼は立派だった」なんて勲章を与えられても、彼の背を押したのは本人の助けたい意思だけでなく、見えない観衆の視線かもしれない。
少々拡大解釈である。まだまだ研究テーマは増えそうだと認知する。
「ショーンさんだって論理を重んじるけど、心の表情も豊かでしょう?
それゆえに一人で葛藤することも多いでしょうけど、何より誰の心に近づくのにたけていますよ」
邸宅前で話し込んだあの時の、妙な縮こまり具合を思い出す。あの時は、ミス・クロウの心中に同情してのことだったのだろう。
今思えば、彼が彼女の手を取った時も不自然なものがあった。
しかしそれは策士としての不慣れさだったのか、純情の悪あがきか。
「ミス・クロウと距離を詰めた時はどきりとしました。こんな日中から口説いているのかと」軽く笑みをたたえ首をかしげる私に
「それは心外だよ。僕はとても奥手なんだ」と決め込む。
実際目の当たりにして思うのだが、あの不器用さが実は演習だと思えるほど一連の動作が手馴れていたことに、私は今一つ信用できない。
私の静かなる疑念に当てられているとも思わぬ彼は、釈明するわけでもなく、革手袋を外してヴィクトリアのクロスかけに移る。
彼は不用意に人の心に近づくより、鉄の心臓をもった彼女との方がお似合いかもしれない。勿論嫌味でないことを、念押しておく。
車体に身を寄せる彼に
「仕事合間の時間を投げうって、こうしてヴィクトリアには手をかけているんですから、きっと彼女はショーンさんに寄り添ってくれますよ」彼は私をちらと見ると、物申すというようにニッとして
「この子がヴィクトリアだって? ははあ、エディ、レディの名を間違えてはいけないじゃないか。君の言うベンツ・ヴィクトリアではないぞ」
その情報に私は面食らう。
「ヴィクトリアはもっと大きい。確かにヴィクトリアの次世代ベンツ・ヴェロが元の姿だが、ヴェロでもない。
これは先生が友人から譲られた、世界に一台の特別な試作品だ」
思いがけない正体に唖然としてしまう。
まだまだ知らないことは多いし、ホプキンスへのイメージもまた渋滞を起こしている。
私は下手な芝居になるだろうと予見するも、精一杯恭しく、
「それは失礼しました。ミス?」とショーンの言葉を真似て言う。
ショーンはもの柔らかく私を見上げ、彼女をかばうようにすると
「僕の恋人です。何か御用でも?」なんて、彼女の装飾麗しい電灯にそっと肩を寄せる。
自分で始めた茶番というのに、その様子があまりにおかしく何だか呆れてきてしまう。
この再会が私にとって何よりやさしいインセンティブで、胸の奥が温められたことを、ガレージに吹き込む冷たい風が気づかせた。
〈終わり〉
あとがき
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今作のテーマは行動を起こす際の動機となるもの、そこにスポットを当てることでした。場面を多くした分、切り変わり・台詞がわかりにくいと思います。前後半、章番号が参考になればよいです。
前半では、大人になったエディの近況や環境を中心に、意志決定を自分でする確かさとは何かを描きたかったです。後半は、決行する時の判断材料としてどんなものをそろえるか、どんな手段で使うのかを、表現したいと考えていました。
そんな挑戦はさておいても、場面設定やキャラクターの特徴に幅を持たせ、退屈でない展開を目指しました。話の盛り上がりになればと後半に入れた「ミステリーもどき」は、まだまだ勉強不足ですので今後精度を高めていきたいと思います。
あらためて、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
ハロージェントル2 坂本治 @skmt1215
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