【1】戻ってきた日常
いつもより、少しだけ早めに起床し
大好きなコーヒーを淹れて飲む。
やはり自分の好きな豆を挽いて入れるコーヒーは違うな。今まで当たり前にしていたことが幸せに思えるのも入院をしたお陰だ。
テレビを見ながらトーストを食べていると
階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
『翼、おはよ~!今日は俺よりも早いなんて…入院して体内時計が直されましたな。
ちゃんと熟睡できた?』
「匠君、おはようございます!いつも遅くて悪かったわね。やっぱり自分の枕は大事ですね。病院でも寝れなかったことはなかったけどさ目覚め方が違うような気がします。
…匠君、朝ご飯はどうします?病院と違って
勝手に出てこないわよ~?」
『いや~、実は…昨日のハンバーグが
お腹の中にいるのか…まだ胃の具合が微妙
でさコーヒーだけで大丈夫だね~。』
「まだ駄目なの?信じられない…。入院して健康的な食事の毎日だったから、久しぶりのこってりにお腹がびっくりしてるのかもね。胃薬なら薬箱にあるから様子見て飲んでよね!」
彼の分のコーヒーを淹れて、新聞を渡す。
『サンキュー翼様!健康的な朝食もいいけどさ、翼の淹れた美味しいコーヒーを飲みながら新聞を読む日常…やはりこれですな。』
「私も思いました!ご飯作らなくていいのは楽だったけどさ、やっぱり好きなものを自分のタイミングで頂ける幸せね。匠君?私、
先に行ってるので近くのケーキ屋さん、もうすぐ開店するし、適当にケーキ調達して出勤してくれる?幸栄様達の為に。」
『かしこまり~!翼、行ってらっしゃい!
また後でね~。あ、愛してますよ?』
「うん、知ってる~。では後ほど!」
パートナーに対して毎日欠かさずに
"愛してるよ"と伝えているカップルが
この国にどのくらい、いるだろうか?
子どもこそいないが、私は匠君と
一緒にいれて本当に幸せだと思う。
いつものように、左足から靴を履くと歩いて一分の出勤タイム。音楽を聞く暇もない。
今日は早く家を出たし、幸栄達はまだ
きていないようだ。
私達の職場、【輪廻會舘】は広告などは
一切出しておらず、営業活動もしていない。
基本紹介制の家族葬専門の小さな葬儀屋だ。
親戚や地域の人々との繋がりが重んじられる田舎ではあるのだが、近年ではこじんまりとした家族葬を望む故人も多く、彼の両親から引き継いで以降、赤字を出したことはない。
場内での接客対応や電話対応を幸栄がしており、幸栄不在時の電話対応や病院などとの連絡、棺を運ぶなどの力仕事を旦那さんである寿郎君が引き受けてくれている。私と匠君は事務や経理の他、遺族が食事を希望される場合の手配を行ったりの雑務をこなし、火葬場までの霊柩車の運転をしている次第だ。
机の上に溜まっていた書類を片付けていると
聞きなれた車のエンジン音が聴こえてきた。
幸栄たちが到着したようだ。
玄関に行って出迎えるとしよう。
「幸栄様、寿郎様、この度は大変なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
最敬礼をし二人を出迎える。
『あ、おはよー!翼、体はもういいの?
本当さー最初警察から電話かかってきた時
"何言ってるんですか?"って聞き返したよね。葬儀屋経営者が霊柩車に跳ねられるとか、何の冗談かと思ったよ!ね?寿郎?』
『まぁ、二人とも無事だったんならよかったんじゃない?…あれ?匠は?』
「あ、匠君に用事頼んでて…それ終わったら
すぐに来ると思う。とりあえずコーヒー淹れるから飲みましょう!」
『そうなんだ、了解ー。あーやっと翼の淹れた美味しいコーヒーが飲めるわ。自分で淹れてたんだけどさ、何か違うんだよね。』
「私の有り難みがわかったでしょ?」
顔を見合わせて、首を傾げている二人。
こんなくだらない友人との会話にも幸せを
感じる。当たり前の生活を過ごせることに
もっと感謝して生きていかなければ。
各自の座席に座り、コーヒーを飲んでいると
玄関のほうから物音がした、匠君が到着したようだ。
『おはよー!あ…幸栄さん、寿郎。この度はお二人に多大なるご迷惑をおかけしました。本当情けない限りでございます。お詫びといっては何ですがとりあえずこれ、受け取ってくれる?』
「ん?何をですか?」
首を傾げて返事をする幸栄。
ケーキの箱を後ろに隠し何か企んでいる
様子の匠君に、戸惑いを隠せない山田夫婦。
『受け取るのは…この俺のとびきりの笑顔でございます!長い間会えなくて二人には寂しい思いをさせてただろうなー?と思いまして。…ん?何?その冷めた視線は…?』
「さて寿郎、昨日の続き始めましょうか。」
「…うん、そうだな。」
『もー!ゴメンゴメン!冗談はさておき、
寿郎と幸栄さんには、本当にご苦労をおかけしたので、俺が有名パティシエに頼み込んで二人の為に作らせたスペシャルスイーツを
プレゼントしたいと思います!ケーキには
もれなく俺の笑顔を、トッピング!まさに、
匠の技!』
『『………。』』
『…ねぇ翼?二人の視線が冷たいのは気のせいかな?俺、もしかしてまだ治ってない?』
「幸栄、寿郎君…本当ゴメンね?近所のケーキ屋のだけどさ、遠慮なく食べて?今要らないならオヤツの時間でもいいし。とにかくね二人には何かお礼がしたいの!匠君の久しぶりのギャグ?も全然面白くなかったしさ、匠君のお小遣いで焼肉でも食べに行きましょうよ!」
『私は食べちゃう~♪寿郎はどうする?』
『俺はケーキより焼肉とビールだな。
幸栄、俺の分置いておくから後で食べな?
翼ちゃん気使わせてゴメンな?匠は…どうでもいいや。』
少し、しょんぼりとしながら私達三人を
眺めている匠君。でも内心喜んでいることを
私達は知っている。これもいつもの日常だ。
幸栄がケーキを食べようと口を開けた瞬間、固定電話の呼び出し音がなった。
電話は幸栄の目の前で"早く取って!"
と呼んでいるようにみえる。
泣きそうな顔をしながらケーキを載せた
フォークを皿に丁寧に置く彼女。
『ケーキさん少し待っててね!電話が終わったらゆっくり味わって食べてあげるから!』
友達ながら、幸栄も中々の
変わり者だと思う。
『誰も食べないから、早く電話にでなよ!
じゃなきゃ、匠特製、笑顔トッピングが消えてしまいますよ~?』
まだ言うのか匠。
『お電話ありがとうございます。輪廻會舘でございます。……、はい、家族葬の依頼ですね。……、あ、田中様。その節はお世話になりました。………』
電話を切り、急に真面目な
表情を浮かべた幸栄。
『ほら、前おじいさんの時に使ってくださった田中さん、おばあさんが今日亡くなった
みたいでまたお願いしたいそうよ。』
『田中さんか、結構高齢のご夫婦だったもんな。よし、久しぶりの仕事だ!心を込めてしっかりと送り出してあげよう!』
私たちに語りかける匠君。
仕事が絡むと人が変わったかのように切り
替えのできる彼を密かに尊敬している。
少人数の家族葬とはいえ、故人をここから
キチンと送り出すまでは一切気が抜けない。
久しぶりの戦いが今、始まる。
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