一寸先はキミ

さくらとろん

一話


 学校生活が終わると、磨弥まやの胸はきゅっと狭くなる。周りのクラスメイトたちは、ようやく堅苦しい空間から逃れられたかのように、ほっと息を吐いている。部活に行ったり友人とどこかに寄り道するかおしゃべりしたり騒いでいる。磨弥は、そんな人たちの姿を眺めながら、一人違う世界に取り残されたような気分で立ち尽くしていた。彼らとは生きる場所が違う、浮いた存在だ。


悠崎ゆうざきさん」


 背中から声をかけられて、思わず震えてしまった。慌てて振り返ると、二人のクラスメイトが磨弥を見つめていた。


「よかったら、カラオケパーティーに行かない?」


「カラオケパーティー?」


 予想していなかった言葉に緊張した。うん、と頷き、クラスメイトはさらに話した。


「そう。今日の放課後カラオケパーティーするの。駅前に新しいカラオケボックスできたじゃない」


 全く知らないことで、ぶんぶんと首を横に振った。


「私、カラオケなんてできない。歌なんか下手だし」


「歌わなくても、座ってるだけでも構わないよ。しかも今日は満木みつきの男の子も参加してるんだよ。女子校に通うあたしたちにとっては大チャンスだよ」


 満木高校は、現在磨弥が通っている嘉見よしみ校の近くにある男子校だ。イケメン揃いでエリートな生徒が多いことで有名だ。満木の制服を着ているだけで尊敬され、実際にモデルの仕事もしている生徒もいるらしい。満木校の男子と恋人同士になるには奇跡でも起きない限り無理だとまで言われている。そんな素敵な男子と遊べるなど、普通の女子高生なら迷わず「行く」と答える誘いなのに、磨弥はもう一度首を横に振った。


「ごめん。私は行けない」


「どうして? 用事があるの?」


「用事っていうか……。門限があるの」


「門限かあ……。悠崎さんのお母さんって、けっこう厳しいんだ」


「それほどでもないけど。とにかく、早く帰らなきゃ怒られちゃう」


「そっか。じゃあしょうがないね。次また機会があったら一緒に来てね。悠崎さん、めっちゃ可愛いし頭もいいし、彼氏できるかもよ?」


「そんなわけないよ。こんな真っ黒な眼鏡かけてダサいのに」


 磨弥は生まれつき遠視で、大きな黒縁の眼鏡をかけている。はっきり言って地味な印象だ。女の子らしさはどこにもない。友だちも少ないし、ガリ勉としか思われなさそうだ。


「ダサくないよ。すっごく可愛いし似合ってるよ?」


「……可愛いなんて……ありがとう。嬉しい。誘ってくれたのにごめんね」


 深々と頭を下げると、二人は教室から出て行った。こういう時は断らない方がいいとはわかっている。申し訳ないし二人も残念だろう。男子が嫌いなわけでもないし、歌に興味がないわけでもない。ただ磨弥には一息つけるひとときが必要なのだ。


 ゆっくりと磨弥も昇降口に向かい歩いた。誰にも話しかけられないように注意しながら、よく利用している古本屋に着いた。かなり古く客も店員もいない。本の数も少ない。この古本屋の隅に置いてある椅子に腰かけて、ぴんと張った神経を緩やかにほぐすのだ。独りになるのも大切だ。しばらくぼんやりしていると、五時の鐘が鳴り我に返った。まだ暗くはなっていないが、女子高生が一人でいるのは危ない。鞄を抱き締め、急いで走った。


 磨弥の家は割と新しいマンションで学校からも駅からも遠くない。マンションには磨弥と同い年くらいの学生はいない。ドアの前で深呼吸をし、不安を追い払った。なぜ不安になるのかはすでにわかっている。母である華弥かやに会いたくないからだ。虐待されているのではない。怒られた経験もほとんどない。先ほど門限があると言ったのも、ただの言い訳だ。とても愛されているし可愛がられている。それなのに会いたくないのだ。学校より家で過ごす方が神経を尖らせ疲れる。学校ではたくさんのクラスメイトがいるから隠れてため息を吐く余裕があるが、家では母と二人きりだから緊張しっぱなしなのだ。


 何度も深く息を吐き、ぐっと手に力を込めてドアの取っ手を掴んだ。華弥は何をしているだろう。どんな言葉をかけてくるだろう。ただそれだけで、胸の中が暗くどんよりとした気持ちでいっぱいになる。母親が苦手な子供などいるだろうか。普通は子供は母親が好きなものだ。しかし磨弥と華弥は、どこか寒々とした


溝ができているのだ。






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