ゴミの中の天使

紅音こと乃(こうねことの)

第1話真琴と誠

 ちょうど昼食を取ろうと、席を立った時だった。警察からまことに一本の電話が入った。

 血がつながってない姉、高坂たかさか真琴まこと。母の再婚相手の連れ子だった、真琴が死んだとの知らせだった。


          ◇


 九月の空に白い煙が昇っていく。今、真琴の体は煙となって天に昇っていくのだ。後に残るのは、この世に存在していたという証の骨だけ。


 高坂たかさかまことは煙草を深く吸い込むと、空に向かって吐き出した。


 父、浩輔こうすけの娘、真琴まこと。母、弥生やよいの息子、まこと。漢字は違えど同じ " まこと " 。


 思春期の男が四つ違いの姉の前で、名前を呼ばれる具合の悪さ。そんな誠の繊細な気持ちを、誰ひとりわかろうとしなかった。むしろ両親あの人達は、それを面白がっていた節があった。


 何をするにも一緒だった両親ふたりが逝って、血の繋がりがない姉弟が残され、その姉も、もういない。



 じわりと汗が流れた。

 木々に囲まれた日陰に居るといっても、ここ数日続いている残暑は、一切の出来事を忘却の彼方へ連れ去る。夏を惜しみ鳴く一匹の蝉は、時間の感覚も麻痺させるようだ。


 この暑さの中で、真琴は死んだ。閉め切った部屋で、たった一人で、誰からも看取られることなく。


 孤独死だった。


 誠は短くなった煙草を、靴の底で潰した。



          

 ーーー誠。


 不意ふいに名前を呼ばれた気がした。

 日差しの中に人影が見える。一瞬、それが真琴の姿に見えて目を細めた。


 人影は徐々じょじょに近づいて来る。以前より白髪が目立つようになった伯父の兵藤ひょうどう直義ただよしが、火葬場待合室の入り口から汗を拭きながら歩いて来る姿だった。


 直義はゆるい下り坂を下りて来るなり一呼吸つき、ネクタイを緩めながら誠の肩に手を添えた。


「大丈夫か?」


 誠の顔色をうかがう直義の表情が、母、弥生と重なった。


 直義は足元に落ちている煙草の吸殻に気付くと、右手を口元に持っていき煙草を口にくわえる仕草をした。


「吸うのか?」

「ええ、まあ。伯父さんも吸いますか?」


 意外とも感慨深いともとれる表情をした直義が「悪いな」と、差し出された煙草ケースに手を伸ばした。


「いえ、俺の方こそ助けてもらって。本当に、ご迷惑をかけてしまいました」

「いや、そんなことは、どうでもいいんだ」


 直義は灰を地面に落とすと、煙草を口にくわえながら虚空を見つめた。


「こっちこそ悪かったな。もう少し真琴の様子を見に行けてればよかったんだが、なんせ、あんな具合だから。悪く思わんでくれ」


 誠は苦笑し「はい」と応えた。


 直義が口を濁すのは、誠が育った家が二年前から、近所では有名な " ゴミ屋敷 " になっているからだ。


 そして、今回の件。


 真琴の遺体が発見された時など、更に酷い状態だった。


 開け放たれた玄関の扉の向こうには、ダンボールやら新聞、ゴミ捨て場に捨てられたアルミ缶の袋など、明らかに資源ゴミとして投棄されたものが天井までうずたかく積まれ。縁側の廊下のカーテンは日に焼け、元の色がなんだったのかさえ、わからない。雑誌の束でめぐられたカーテンの隙間からは、食べ終わったお菓子の袋や、カビの生えたインスタントラーメンの器の山が顔を覗かせていた。


 離れていても漂ってくる異臭。何かが腐った臭い。汚物の臭い、生ゴミの臭いもある。しかし、それらよりも、もっと強烈な。肉や魚とかの匂いではない、人間の腐った血の臭い。


 窓ガラスには何匹もの大きく太った蝿が、ぴったりと張り付いていた。

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