第16話 褒めるより認める
翌朝、田坂先生の学級通信が置かれていた。昨夜話していた通り、「加藤さんが黒板をきれいに消してくれてうれしかった」という内容が書いてあった。そして、「昨日みんなが黒板をきれいに消してくれてうれしかった」とも書いてあった。なんてことのない内容だった。この学級通信に何の意味があるのだろう。
三時間目の空き時間で、田坂先生と一緒になった。
「ねぇ、やっぱり納得いかないんだけど」
「な、何がですか?」
「あの学級通信のどこが保護者へのラブレターなのよ」
「僕が見つけた子どもたちのいいところをどんどん紹介するだけでいいんだそうです。親は、我が子が載っていれば、学級通信ですらうれしいもんだって」
私はなんだか納得いかなかった。そりゃ、うれしいだろう。だけど、それのどこがラブレターなのだろう。
「うれしいは、うれしいだろうけどさ。それがどうしてラブレターなのよ?」
すると、田坂先生は一瞬しばし逡巡して口を開いた。
「浜島先生はラブレターを書いたこと、ありますか?」
「何を馬鹿なこと言ってるの?いまどきラブレターなんて書くわけないでしょ?メールぐらいならしたことあるけど」
「男性に?」
「あっ…当たり前じゃない!」
私は昼間からイライラした。本当にこの若造ときたら、中堅の私のことを馬鹿にしているのかしら。
「あの…、なんでラブレターを出したんですか?」
「なっ…なに?なんなの?馬鹿にしてるの?」
「いや、馬鹿に何かしてないです。何のために出したのかがわかれば、ラブレターの意味がわかるってハテンコー先生が…」
また、ハテンコー先生だ。あの葉山という先生はロクなことを後輩に教えないらしい。
「そんなの決まってるじゃない…、あれよ…あれ…」
「あれと言いますと?」
田坂先生、いや田坂がしつこく聞いてきた。私は耳まで赤くなるのを感じながら答えた。
「そっ…そんなの、好きだって気持ちを伝えるために決まっているじゃない?」
その答えを聞くと、田坂は目を輝かせて、言葉をつないだ。
「そうなんです。ラブレターって想いを届けるためにあるんですよね。で、ハテンコー先生は言うんです。先生は想いを届けるのが下手だって。年に数回の保護者会や家庭訪問、個人懇談会ぐらいで想いを届けようなんて図々しいって」
「図々しいって言ったって仕方がないでしょ。そういうものじゃない」
「そう!その、そういうものって感覚を壊していくから、破天荒なんですよ、ハテンコー先生は」
いつのまにか、田坂がハテンコー先生に心酔していることが気に入らなかった。
「学級通信を保護者へのラブレターにして、想いを届け続けるんだそうです。子どもたちのいいところをどんどん紹介するのも、その一つなんだそうです。それにこの方法だと、その日あったことを帰りの会で伝えてですね、すぐに文字で起こせばいいから簡単なんですよ」
学級通信のネタに困って、いつも発行が滞ってしまい、終いには廃刊に追い込まれる。それが毎年の私のパターンだった。それで、新しい学校では書くのをやめてしまったのだった。
「ねぇ、学級通信を出して、何か変わった?」
私は興味本意で尋ねてみた。
「いいえ、子どもたちは何も変わりません。ただ、僕の方は変わりましたね」
「どういうふうに?」
「毎日、子どもたちのいいところを探してるじゃないですか?子どもたちのいいところばかり見えてくるんですね。そうすると、今まで叱ってばかりなのに、今度は褒めてばかりになるんです」
叱ってばかりの私と褒めてばかりの田坂のクラス。もしかしたら、今の教室の雰囲気の違いはここから来ているのかもしれないと思った。
「あっ、でも褒めるってのはまだまだなんだそうです」
「どういうことよ、褒めるのはまだまだって」
「ハテンコー先生が言うにはですね、褒めるよりも認めることが大事だぞって言うんですよ。褒めるってなんだか上から目線ですよね」
「何言ってるのよ、私たちは先生よ、当然上から目線に決まってるじゃない」
すると、田坂がニヤリとして笑った。
「決まってるって言いましたね。先生はこうでなければならないって思いましたよね?」
「ええ、思ったわよ。当たり前のことを言わないでよ。先生は子どもたちの上に立たなければならない。それが普通のことよ」
田坂は満足そうにうなづいた。いちいち納得するものだから、余計に腹が立ってくる。
「そういう古いロールモデルに縛られている先生のことを、ガラパゴス諸島のガラパゴス先生と呼ぶんだそうです」
「だれが呼ぶのよ!そんなこと!」と私はヒステリックに怒鳴ってしまった。
「えっ…⁉︎だから、ハテンコー先生が。これからの先生は子どもの上に立つんじゃない。隣に寄り添って、その存在を認めてあげるんだよって。それがこれからの先生の在り方だって」
隣に寄り添う?認めてあげる?どういう意味なんだろう。私がさらに質問を続けようとすると、チャイムがなった。田坂が生意気に口を開いた。
「ハテンコー先生の一番弟子の僕が、浜島先生にハテンコー流を伝授しましょうか?あっ、でも先生は二番ですからね」
この頭の悪い後輩にいろいろ教えられたのは癪ではあったけれど、とても充実した時間であったのは間違いなかった。だが、時間割を見て思わずため息をついた。次の時間は自分が担任する4組の授業だったのだ。
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