第2話 わからず屋のベテラン教師

 部活動の練習も、だんだん熱気を帯びてきた。初夏を迎え、少しずつ陽も長くなってきた。夏、中学校3年生は最後の公式戦を迎える。僕はテニス部の顧問をしている。なにぶん、テニスは素人の僕だけど、子どもたちはよく僕の言葉に耳を傾けてくれていた。この夏は、少しでも結果を残してあげたいところだ。

 指導を終えて職員室に帰ると、教頭が受話器を片手に頭を下げている。受話器の前で頭を下げたって、相手になんて見えやしないのに。ところが、電話の相手が例の鈴木のお母さんだと知って、申し訳ないやら腹立たしいやらと複雑な気持ちになってしまった。

 僕は、電話を代わることになるだろうと思って、自分の席に座って教頭の様子を眺めていたが、ついぞや声をかけられることなく、受話器は置かれた。ホッと安堵したの半分、なんだか蚊帳の外に置きやられた気持ちも半分といったところだ。それで僕は、教頭のもとへ歩み寄った。



「教頭先生、あのお母さん、今日はなんて言ってたんですか?」



教頭は、少しバツの悪そうな表情で、



「う~ん、まぁなんというかな。田坂先生の対応についてね…」



僕は思わず、「対応を何て言ってたんですか?」と強い口調で尋ねた。



「まぁ、いろいろ言ってたから。まぁ、もうちょっとよく自分のところの子を見てほしいってことかな」


「ちょっと待ってください。僕は、しっかり見てますよ」



 僕は無気になって答えた。大人気ないのはわかっていた。けれど、まるで僕に落ち度があるような言い方ではないか。ましてや、そんな話を一方的に教頭にする。言いたいことがあるならば、僕に言えばいいのだ。



「あっ、ハテンコー先生はどう思われます?」



教頭が尋ねた。なぜ、こんな先生に尋ねるのだろう。



「そうですね…。田坂くんさ、今日は鈴木さん、どんな様子だったの?」


「どんなって、いつもと変わらないですよ。僕だってよく見てますよ。でも、いつもと同じですよ」


「う~ん、いつもと同じってのは、どんな感じなわけ?」


「友だちとだって楽しくやってますよ。あのお母さん、過保護なんですよ。家に帰ると、学校がつまんないとか友だちとうまくいってないとか言うんだそうです。でもね、学校じゃそんな姿、まったく見せませんよ」



事実、彼女は学校では実に楽しそうに過ごしていた。孤立しているとか、ましていじめられているような姿はまったく見られなかったのだ。



「そうなんだね。じゃあ、その様子をお母さんに伝えたのかな?」


「伝えましたよ、もちろん」



何を当たり前のことを聞いてくるのだろう。僕を馬鹿にしているのだろうか。



「お母さん、心配しすぎですよ。学校ではちゃんといつも通りにしてますよって、伝えましたよ」


「それで、お母さんは何て?」


「子どものことがわかってないなんて言うんですよ。もう腹が立っちゃって…」



ハテンコー先生は、教頭の方をチラリと目配せした。教頭は困ったような顔をしている。この人は、教頭まで出世したというのに、なんとも頼りない先生だと思う。こういう人が、いずれ校長になるのかと思うと、心配にもなる。



「でもさ、家で鈴木さんはお母さんにそうやって話すんだよね。学校がつまらないとか友だちとうまくいってないって話をするわけだよね?そりゃ、お母さんだって悩むよな」


「ハテンコー先生、何言ってるんですか。どうせ親の気を引こうとして、甘えてるだけですって。学校じゃそんな様子はないんですから」


「取り越し苦労なら、全然いいさ。でも、もしもってこともあるわけだし。もうちょっとじっくり話を聴いてあげてもいいんじゃない?」


 「僕はがんばってますよ!」



ついつい声を荒げてしまった。なんだか責められているように感じたからだ。

 けれど、ハテンコー先生はそれをすっと受け流すように、両方の手のひらで包み込んだマグカップに視線を落とした。

 この先生には、こうやって毎日のように電話がかかってきたことなどないのだろう。だから、電話対応をする僕の気持ちなどわからないのだ。じっくり話を聴いてあげる?もう十分聞いているさ、同じような話ばかり。これ以上、何を聞けばいいというのだ。



「それで、鈴木さんとは話をしたの?」



教頭が尋ねてきた。



「いや、してないですよ。だって変じゃないですか」


「何が変なの?」



ハテンコー先生も続く。



「だって、鈴木はいつもと変わらないんですよ。何の話をしろと言うんです。お母さんが勝手に心配しているだけですから」



僕はいいかげん話をするのが嫌になってきた。そのうえ、次の言葉に僕の堪忍袋の緒は切れてしまった。



「何を話していいのかわからないなら、僕が鈴木さんと話をしようか?」



たいした経験もないくせに、しゃしゃり出てくるハテンコー先生を苦々しく思った。あなたは所詮、副担任だろ?僕は今、学級担任なのだ。



「何言ってるんですか?僕のクラスの生徒ですよ、余計なことはしないでください」



 僕は、そう吐き捨てると、早々に話を切り上げて、廊下に出た。よってたかって僕を悪者にしようとしているのだろうか。

 なんて息苦しい職員室だ。

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