第98話 悲しき死

「ゼリレアが、死んだだと?」


 商業都市のオーチャード公爵家の邸宅で二人がクウェイラートと対峙している頃、王国軍と反乱軍の戦いは依然として続いていた。


 既に日が沈んで久しく、空からは月明りが大地を照らす。普段ならば就寝しているであろう時間にも関わらず、王国軍本陣で帰陣したヴァイスリッターの報告を受けたアーファは顔面蒼白となっていた。


「エキュア、こんな時に冗談はよせ」


 普段は冷静で少女らしからぬ落ち着きを見せるアーファだが、信じられない、信じたくない報告に彼女は激しく動揺していた。

 初めて見る彼女の様子に、隣で報告を聞いていたセレマウは何と声をかけていいものか分からず、沈痛な面持ちを浮かべる。


「団長は……父との戦いに専念していたウォービル様をかばって、死霊共に……!」


 初めて見るアーファの様子に、尊敬するゼリレアの最期と父の最期を報告するヴァイスリッター副団長で、コールグレイ家の長姉エキュア・コールグレイは涙声だった。

 アーファの言葉のように、これが冗談ならどれほど幸せだろうか。不謹慎だと処罰されてもいいから、ゼリレアにも、父にも生きていて欲しかった。


 団長亡き今、ヴァイスリッターを統率する立場にある彼女は堪えきれず涙を落とす。


「ゼリレア……!」


 幼くして母を亡くしたアーファにとって、身分は違えど王国騎士団長として顔を合わせる機会が多かった彼女は、アーファにとって母に近い存在だった。その優しさに、何度も甘えてしまったこともあった。


 ゼリレアの笑顔を思い出すアーファの目に、涙が浮かぶ。

 一国の王として、決して家臣たちの前では泣かないと決めていたのに、信じたくない報告を受けアーファ・リトゥルムは涙を堪えられなかった。


「私が……! 私がシュヴァインの相手を任せてしまったからだ……!」


 彼女が直訴した時に、ゼロとともに止めるべきだったのだ。軍事はグロスに任せているとはいえ、全ての決定権はアーファにある。

 彼女がシュヴァインの相手をすると言った時に、彼女の意見を退け、総力を上げてシュヴァインを倒すように言うべきだったのだ。

 そうすればシュヴァインが現れた時に、彼を倒すことができたかもしれない。


 あの時はシュヴァインの死を信じたくなかったからこそ、彼が生きているという希望的観測も含めてゼリレア一人に任せてしまった。

 後悔してもしきれない過ちに、アーファは自責の念に駆られていた。


「ゼリレアを殺したのは、私だ……!」


 涙を流しながら乾いた笑いを浮かべて天を仰ぐアーファへ、傍らで見守るミリエラも声をかけられなかった。


 ただ一人を除いて。


 アーファに忠誠を捧げる誰もが彼女に声をかけられない中、ぱんっ、と乾いた音が王国軍本陣に響く。

 その光景に誰もが目を疑った。


「責任から逃げるな」


 何が起きたか分からなかったアーファに、じわじわと頬に痛みがやってくる。頬を打たれたのだと気づくまでに、アーファは数秒の時を要した。

 打たれた頬を抑えながら、アーファは自分の頬をぶった相手へゆっくりと視線を送る。


「この戦いで死んだ者は彼女だけではない。彼女と貴女の間にどんな思い出が、記憶があるか知らないが、貴女にはこの戦いを最後まで見届ける責務がある。彼女も含めて、死んでいった者たち全てが貴女のために戦ったのだ。その死は貴女のために捧げられたものだ。貴女に剣を捧げた全ての者たちのために、今ここで絶望するなど許されない……!」


 セレマウの目にも、涙が浮かぶ。


「逃げるな……! アーファ・リトゥルム!」


 リトゥルム王国の女王であるアーファに対する暴挙に、我に返ったリラリッターたちが剣を構えだす。だが、アーファがその動きを片手で制す。


「……言ってくれるものだな」


 自分の頬を打った純白の法衣をまとった少女に対し、アーファが浮かべた表情は、いつも通りの冷静な彼女のものだった。


「全てが終わってから、いくらでも後悔し、泣けばいい。だがまだ戦いは終わっていない。力を持たない私たちの代わりに戦う者たちが、安心して戦えるように、私たちは彼らを信じ抜くしかないだろう?」


 王たるものがどうあるべきかを語るセレマウの肩は、震えていた。

 ゼリレアと話した時間は短いが、知った者が死んだ事実にセレマウとて悲しみは大きい。

 だが、一国を預かる者として狼狽えることはできない。自身の不安は、家臣たちの不安となる。自分に尽くしてくれる者たちのために、主たる者は堂々とせねばならないのだ。


 奇しくもコライテッド公爵が教えてくれた帝王学が、今のセレマウを奮い立たせていた。


「勝利した後、この戦場で旅立った全ての者へ弔いを行う。ゼリレアの死を無駄にするな! エキュアよ、父を失い、団長を失った事実は苦しいかもしれぬが、ヴァイスリッターを立て直し、戦線を維持せよ!」


 自分へ報告してくれたエキュアはコールグレイ家の者であり、シュヴァインの娘だったことを思い出す。

 彼女を労わりながらも、覚悟を決めたアーファは力強い声で彼女へ命を下す。


「はっ!!」


 アーファの言葉に応え、エキュアが再び戦場へ向かう。


「……借りができたな」


 その背中を見送ったアーファが、ほとんど聞こえないほどの大きさでぽつりとそう漏らす。


「友達が弱っている時、支えるのは貸し借りじゃないよ」


 そっと背後からアーファを抱きしめるセレマウの温もりを感じつつ、この戦いは絶対に負けられないとアーファは決意を新たにする。


――ゼロ、頼んだぞ……!


 自分が最も信頼する少年を思い、彼が戦いを終わらせてくれることを、彼女は満点の星空を見つめ、祈るのだった。

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