第86話 二人ならば戦える

「ひどい……こんな魔法があるなんて……」


 想像を絶する光景に、ユフィは言葉を失った。その目には涙がにじみ始め、彼女は死霊たちの冥福を祈りながら爆風を生み出し彼らを天へと帰していく。

 グリューンリッターの人数には限界があるため、ゼロとユフィは戦端の北限から回り込もうとする死霊たちを相手に戦っていた。

 念のため日が暮れ始めた頃からは後方で体を休めていたため、まだ体力には余裕がある。

 ユフィの魔法の範囲外にいた死霊の足をゼロが切り落としながら、休むことなくユフィの魔法で蹴散らし続ける。


「こんな戦いにくい相手は初めてだ……!」

『死者を弄ぶなんて……許せないわね……!』


 前線で死霊たちを相手に剣を振り続けるゼロにアノンが答える。声だけでも、彼女の怒りが伝わってくるようだった。

 月明りもない夜を照らす、グリューンリッターたちの炎の壁が生み出す明かりを頼りに戦うゼロだが、彼は正確に、的確に死霊たちを無力化していった。


「おそらく奴らにもう思考はないんだろう。攻撃も、行動も単調だ……。くそっ……ほんとに、ただの死人かよ……!」

『この術者、クウェイラートに会ったら相応の報いを与えないと、気が済まないわね……!』


 エンダンシーの性格は、その所有者の影響を大きく受ける。アリオーシュ家でゼロとともに王家の剣となるべく育ったアノンは、騎士道精神に反することを極端に嫌う。

 かつて貴族学校に在学していた時代、ライダー相手に不意打ちで勝利を収めた時など、彼女は3日ほどゼロと言葉を交わさなくなったものだ。


「ブラウ団長交代します!」


 1時間半ほど戦った頃だろうか、ゼロとユフィへ駆け寄る王国騎士たちが訪れ、ゼロとユフィは彼らに北限の戦いを譲り、後退する。

 戦場の北限は本陣からは2時間ほどかかる場所のため、二人は北部部隊の兵站に戻り休むこととした。

 仮面をつけた二人組の戦いは北部部隊の中ですでに話題となっていた。4日目までは絶望の中にいた王国騎士たちも、援軍の到来、システマチックな戦い、そして圧倒的な強さを持つ二人の登場に戦意を再び高揚させていた。


「おつかれさまです!」


 兵站まで戻ったゼロとユフィは仮面をつけたままパンと水を受け取ると、野営用のテントから少し離れた草原地帯まで移動した。ゼロがためらいなく地面に腰を下ろすと、きょとんとした表情を浮かべたユフィも、少しだけ逡巡した後ゼロの隣へ腰を下ろす。


「お疲れ」

「ん、お疲れ様」


 並んで座った二人は、お互い仮面を外し、互いに労をねぎらった。短時間の戦闘ならいざ知らず、いつ終わるともしれない戦いをずっと繰り返し続け、思った以上に体力を消耗しているようだ。

 会話もろくにせず、食事を終えた二人はしばしぼーっとし続ける。

 そのまましばらくぼーっとしていると、突然ぼふっ、と音がした。ユフィが音のしたゼロの方を向くと、どうやら彼が寝そべった音だったようだ。その姿を見たユフィも、合わせて地面へ寝そべってみる。


「私、地べたに座ってご飯食べたのも、寝そべったのも、初めてだよ」

「さすが、お嬢様だなぁ」

「ゼロはあるの?」

「そりゃ、どこぞの国が頻繁に攻めてきてたからね。長期の戦場は初めてじゃないさ」

「……そっか」

「でも、その戦いでユフィと出会えた」

「……うん」


 仰向けになっていたユフィが体をひねり、ゼロの方を向いて横向きに寝転がると、大の字に広げられたゼロの左腕にちょこんと頭を乗せる。そのユフィの動きに、左腕の肘から先をまげて、甘えてきたユフィの頭をぽんぽんとゼロが撫でる。

 それだけの振る舞いでユフィの頬が赤く染まり、彼女の心に安心と幸福が満ちていった。


『なんだか最近二人きりになるとすぐこうなるわね』

『付き合いたてみたいなものだもんねぇ……』


 アノンとユンティも知らなかったが、どうやらエンダンシー同士は近くにあれば所有者に気づかれることなく会話できるらしい。最近はゼロとユフィが近くにいることが多いため、彼女たちも会話する機会が増えていた。


 アノンとユンティはゼロとユフィが対峙していた時も、芸術都市で出会った時も、皇国首都で会った時も、防衛砦を目指した馬車での会話も、全てを見てきた。

 二人の認識だとまだ正式に付き合ったとは思っていなかったのだが、あの日の馬車での会話以降、二人の距離は急速に接近しているように感じているようだ。


『こんなだったらさっさとピアスを受け取ってしまえばよかったのに』

『いいえ、あれはうちのゼロの渡し方がよくなかったわ』


 エンダンシーの彼女たちとて、所有者の二人が幸せなのは望ましいことだ。

 だがお互いがお互いに片想いだと思っている時もそれはそれでやきもきしたものだが、今こうして二人きりになるや何だかんだイチャイチャし出すのも、これはこれで見せつけられているようで何とも言えない思いになる。


『ここだけ、戦場じゃないみたいだね……』

『そうね……。これが何よりの休息なのでしょうけど』


 先ほどまで心を痛めながら戦っていたとは思えないほど、ここが戦場とは思えないほど、幸せに包まれたように見える二人に、エンダンシーたちも呆れ顔、ならぬ呆れ声。

 アノンとユンティはその後も二人の様子を伺っていたが、しばらくゼロが彼女の頭を撫でる状況が続いていたが、10分ほどの沈黙を破ったのは、ユフィだった。


「……この戦い、あと何日続くかな」


 そうゼロに尋ねる肩は、震えていた。

 寒さに震えているのかと思い、ゼロは自分も横向きになり、彼女の身体を抱きしめる。抱きしめられたユフィは一瞬驚いた反応を示したものの、すぐにゼロの胸に顔をうずめる。


「グロス団長が言ってた通り、父さんや、ユフィの父さんが援軍で来たら、一気にカタがつくさ」

「うん……そう、だよね」


 その援軍が何日後に到着するのか、それは正確には分からない。

 早くて4日後か、遅くて1週間後か。皇国軍が王国内を移動することで、どんなリスクがあるか読み切れないのが実情だった。

 なるべく早く来られるように、彼らが移動しやすいようにウォービルがついているのだが、こればかりは王国始まって以来初の出来事であり、読み切れないのだ。


「私……人を殺したの、初めてなんだ」

「……そうか」


 日没までの戦いでは、ゼロが敵小隊の機動力をそぎ落とし、ユフィが爆炎を生じさせて敵を撃破していた。

 ゼロが奪った命もあっただろうが、トドメを刺した、という意味ではユフィの方が圧倒的にこの戦場では敵兵を殺めていることになる。


「戦ってる時はさ、不思議とセレマウのためとか、アーファ様のためとか、ゼロのためとか、色んな言い訳をして、目の前で消えていく命に対して何も考えないでいられたけど……駄目だね。夜になって、さっきみたいな死霊を目の当たりにして、私、戦場も、自分がやってることも、怖くなっちゃった」


 彼女の言葉を、ゼロは大切に受け止める。

 小さく何度も相槌を打ちながら、ゆっくり話す彼女の言葉を聞き逃さぬように、ただゆっくりと、彼女の言葉を聞いていた。


「ゼロは、怖くないの?」


 ゼロの胸にうずめた顔を上げ、至近距離で見つめ合いながら問う彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。ゼロはその瞳に優しく微笑み。


「怖いよ」


 そう一言答える。


「ゼロでも、怖いの?」


 予想外の答えに、ユフィは少し動揺していた。

 迷いなく剣を振るう彼の姿は、戦場を生き場とする強さを感じた。

 ゼロだけではない。懸命に戦う王国騎士たちは皆、恐怖など感じていないように見えたのだ。


「人を何だと思ってるんだよ? 俺だって当たり前に怖い。死ぬのは嫌だし、痛いのも嫌だ。敵に恨まれるのも嫌だし、出来ることなら戦いたくない。当たり前だろ?」

「そう、なんだ」

「ああ。でも、守りたいものがある」


 その言葉には、ゼロの強い思いが込められているように、彼女は感じた。


「アリオーシュ家の名とか、ブラウリッター団長の名とか、そんなものじゃなく、陛下の願いとか、王国の平和とか、みんなの期待とか……ユフィのためとかさ。戦わなきゃ守れないものがあるから、俺は戦うんだ」


 彼の言葉には、迷いがなかった。

 その言葉を聞き、ユフィは心が折れそうになっていた自分を恥じる。自分も、セレマウの願いを叶えたい、そう思ってずっと彼女を守り続け、皇国では同胞と戦ったのだ。


「この戦場に来ている騎士たちみんなに、守りたいものがある。陛下ってさ、大人っぽく見えるけど、時々ふつうの女の子みたいに弱いんだ。それでも陛下は平和のために頑張ろうとしてる。俺たち王国騎士は、それを知ってる。その願いに応えないなんてことは、出来ないだろ?」

「……うん」


――ゼロは、強いなぁ……。


 彼の腕の中で彼の言葉聞く度に、ユフィは自分の弱さを痛感していく。

 たった1歳しか違わないはずの彼は、ずっとずっと大人で、世界を知っていて、自分なんかとは比べ物にならないと思えてくる。


「一人だとできなくても、みんなとなら、ユフィとなら、絶対できるって思うんだ。だから俺は戦うよ。この戦いに勝って、皇国と手を取り合う未来を作る。いつかは大陸全土、世界中で戦いがなくなるその日まで、俺は戦うんだ」


 優しく微笑む彼が、戦場ではあんなに強い存在だなんて、今の彼を見て誰が思うだろうか。


「そんな世界で……ユフィと生きていきたいんだ」

「え?」


 ぼーっとゼロの顔を見つめていたユフィだったが、その言葉に彼女は頬を赤く染める。

 少しずつ冷えていく夜の空気にも負けずに、恥ずかしさに身体が熱くなっていくのが自覚できるほどだった。


「でも、戦えなくなったら無理しなくていい。陛下たちのところで、法皇様を守るのだって、ユフィの戦いなんだからさ」

「……ううん。私も、ゼロと戦うよ。ゼロの背中は、私が守る」

「そっか。ありがと」

「ううん」


 不思議と肩の震えは止まり、彼女の心は満たされていた。恐怖がなくなったわけではないが、それ以上に失いたくないものが、見えてきたのだ。


「もう少し、こうしててくれる?」

「ああ」


 夜の静けさの中で、二人はお互いの温もりを伝えようと抱きしめ合う。


――私の手が汚れても、セレマウが目指す未来を実現する。ゼロと一緒なら、出来る気がする……。


 彼女の中の迷いは消え去った。

 彼女を励ますように、夜空に浮かぶ雲間から、少しだけ月明りが二人を照らしていた。

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