少女たちは平和へ手を伸ばす
第48話 法皇法話 開幕
そしてついにその日は訪れる。
法話の行われる始まりの広場は、カナン教の開祖セルナス・ホーヴェルレッセン1世が初めて法話を行ったとされることからその名がつけられた広場だ。
法話は正午丁度ということだが、30分ほど前にアーファたちがたどり着いた頃には、四方200メートルほどの広場には数千人規模の法衣をまとった人々が集まっていた。
黄色の法衣とそれ以外の法衣を着る者では受付が違うようで、平民階級の受付は長蛇の列となっていたが、貴族の受付の列は10数人のみが並んでいるのみ。
さらに貴族の受付の先には花々が飾られた演台へ真っ直ぐ伸びるレッドカーペットが敷かれており、貴族たちは前列で法話に参加できるようになっているようだ。
列に並びながら空を見上げると、ほとんど雲もない青空が広がっている。穏やかな日差しと心地よい風は、まるで法皇の初法話を祝福するように感じさせた。
広場の周囲にはローブをまとった皇国魔導団が囲んでおり、有事に備えているようだ。
「次の方どうぞ」
列に並ぶこと数分、クラックス家の順番が訪れる。
貴族たちには招待状が送られているようで、オーベンが招待状を受け付けの女性渡す。
受付の女性も赤の法衣を纏っていることから、政務に携わる男爵家の者なのだろう。気品を感じさせる笑みには好感が持てた。
「クラックス侯爵様ですね、どうぞお進みください」
簡単な持ち物検査が行われ、異常なしということで先に進むよう促されたところで、ゼロがすっとアーファの乗る車いすを受付の女性へ近づけた。
「あの、これを」
昨日ユフィから渡されたペンダントを示すと受付の女性が「かしこまりました」と一礼し、別な者を呼ぶ。
「ファラ・クラックス様ですね。お嬢様からお話しは伺っております。どうぞ、お進みください」
お嬢様、とはユフィのことなのだろうか。ナターシャ家の使用人――であろう――胸元に白バラの徽章をつけた礼服姿の紳士が先導する形でアーファたちはレッドカーペットを進みだす。
車いすに乗る法衣姿の少女が珍しいのか、黄色の法衣をまとった人々の視線が感じられた。
そうしてある程度広場の前方に進むと椅子の用意されたゾーンが見えてくる。貴族たちには椅子が用意されているようで、赤、黒、青、緑と爵位毎に列は分けられているようだった。
演台の最も近くには背もたれのある立派な席が設けられており、誰が座っているかは見えなかったが、おそらく最前列が公爵位を持つ紫色の法衣を着た人々のエリアなのだろう。
だが、アーファたちを案内する男性はクラックス侯爵家の面々を最前列へと案内する。
「どうぞ、こちらの座席をお使いください」
最前列中央、背後にはもう演台しかないという場所で振り向いた男性は、にこやかな表情でアーファたちに席を促した。
侯爵位以下の貴族たちが少しざわつくが、男性のつけた白バラの徽章に気付くと、沈黙が収まっていく。
白バラの徽章はナターシャ家に仕える者を意味し、彼の行動はナターシャ家の意思に基づくものに準ずるのだと、最前列に位置づけたアーファへアーデンがこそっと教えてくれた。
最前列にはどのような者が座っているのだろうかと思っていたゼロだったが、その席には誰もいなかった。
おそらく自分たちがいる側がナターシャ公爵家の席で反対側がコライテッド公爵家の席なのだろうが、両貴族家とも誰も出席していないようである。
――そんなものなのか……?
法皇の初法話に訪れないなど、あるだろうかと疑問に思うゼロ。
法皇に実権はないのではないか、昨日のアーファの予想が当たっているのではないかと、不安が胸をよぎる。
「法話が終わりましたら、お嬢様が東部のお話を聞きたいと申して仰っておりました。どうぞ、法話後もそちらでお待ちくださいませ」
そう言い残し、驚いたアーファにサプライズが成功したと満足した男性は一礼し去っていく。
「まずいな……」
男性が見えなくなると、アーファは小さくそう呟いた。サプライズとしたら大成功だろう。だが、喜びではなく困惑の意味でのサプライズだ。
公爵位の座席と侯爵位の座席の位置は少し距離があり、前を向いた状態であればおそらくアーファたちの会話は誰にも聞こえないだろうが、心配したルーが周囲を窺う。
演台の真下に控える皇国軍の軍服をまとった騎士たちも数メートルの距離があり、後方に集っている平民の信徒たちのざわめきもあり、小さな囁きは届かないだろう。
「東部について、ですか。うーむ、弱りましたな……」
最もカーペット寄りの椅子にオーベン、その右隣にアーデンが座り、アーデンの隣の椅子の前に車いすのアーファが並ぶ。アーファの右にはゼロ、左にはルーが立ち、後方にいる貴族たちの従者に倣っていた。
「最前列で法話を聞けるのは幸いだが、そこまでの“配慮”をされるとはな……」
皇国東部で療養しているなど、全くのでたらめだ。
皇国東部は敵対する地域もなく、もっとも平和だという知識だけであの場は嘘をついたのだが、それがまさか裏目に出るなど予想もしなかったアーファはどうしようもない状況に苦笑いするしかなかった。
「ゼロ、私は長く日の下にいたことで体調を崩すから、ユフィの相手はお前に任せる」
「へ?」
しばし顎に手を当てて思案していたアーファの言い出した言葉にゼロが目を見開き間の抜けた声を出す。その提案にアーデンとルーは面白そうに「名案だ」と頷いていた。
「女性と話すのは得意だろう? お前に任せる。これは“勅命”だ」
「なっ、え、マジすか?」
完全に狼狽えるゼロにアーファは真剣な顔つきを向ける。冗談ではないと理解したゼロはため息をつくしかできなかった。
「ま、頑張れよ」
完全に他人事のルーが向けるいい笑顔に、睨み返すゼロ。
思いつきで命令しただけのアーファだったが、敵陣の真っただ中だというのに、まるで緊張感のない様子になった二人にアーファが口元を緩ませる。
彼らならば、何かあったとしても大丈夫だろう。
そんな安心感があった。
そんな会話を繰り広げていると、広場に高らかに楽団の演奏が鳴り響く。
演奏が終えると、檀上に灰色の豪華な法衣をまとった白髪の老人と、白と黒を基調としたサーコートをまとった桃色の髪の青年が姿を見せる。
二人は演台の右側、コライテッド公爵家側に向き合う形で立ち並ぶ。広場からは二人の登場に歓声があがった。
「あれは?」
「大司教様とその近衛騎士団長であるシックス・ナターシャ様です」
「ほお」
カナン教のナンバー2にあたる大司教は大した脅威を感じなかったが、その隣に立つ整った顔立ちの鋭い目つきをした美丈夫にゼロは背筋が冷える思いを抱いた。手合せをしなくても、本能があの男は強いと告げてくる。
黄色い歓声を受けつつ、金色の鞘に納まった大剣を足元に向けたまま、シックスがちらっとアーファたちを一瞥する。
ゼロと目が合った瞬間、少しだけ眉が顰められたように見えたが、ゼロは自身の焦りを悟られないようにするのに必死だった。
シックスの視線が広場へ戻された後ルーへ視線を送ると、彼も何かを感じたか頬に冷や汗が伝っていた。
アーファは平然と男性を眺めているが、戦闘力がない分アーファは平気なようだ。
二人の緊張感をよそに、続いて演台の上に現れたのは、見知った顔だった。
紫色の法衣を纏ったユフィと赤色の法衣をまとったナナキが現れると、広場から再び歓声が上がる。
ユフィの名を呼ぶ声は先ほどのシックスのときの比ではなく、皇国での彼女の人気が窺えた。
アーファたちの前側に立ったユフィは、アーファに気付くと小さく微笑んでくれた。
やはり見とれるほどに美しいその顔に、ゼロの視線も釘づけになる。
ゼロの視線に気づいたユフィがゼロにも微笑みかけると、シックスの時に感じた焦りとは別な意味で、ゼロの鼓動は高鳴るのだった。
ユフィが広場の人々へ手を振ると、再び歓声が大きくなる。法皇の警護役とは聞いているところだったが、国民のアイドルのような立場でもあるのかもしれない。
ナナキもユフィの二歩ほど後ろに立ち、緊張した面持ちをしていたが、アーファと目が合うと優しく微笑んでくれた。
歓声が収まったころ、次に演台に現れたのは紫紺の法衣を纏った金髪碧眼の中年男性だった。公爵位を示す法衣の男性の登場に、広場に重たい空気が広がり静寂が訪れる。
「あちらがコライテッド公爵でございます」
ナターシャ家は国民たちからも人気が高いのだろうが、どうやらコライテッド家は畏怖の対象のようだ。アーデンもオーベンも、公爵の姿を目にし緊張した面持ちとなっていた。
――私は家臣に恵まれているな。
コライテッド公爵の立ち位置は、リトゥルム王国でいえばリッテンブルグ公爵家だろう。リッテンブルグ公爵は幼いアーファを支える筆頭貴族であり、アーファが信頼する者の一人だ。
笑顔の一つもないコライテッド公爵からの一瞥を受けつつ、自国を任せてきたリッテンブルグ公爵を思い出し、アーファは自国に誇りを感じていた。
「ナターシャ公爵はいらっしゃらないのか?」
セルナス皇国における筆頭貴族はコライテッド家とナターシャ家だ。同格の存在だからこそ、コライテッド公爵が来たのであればナターシャ公爵も来るのではと思っていたアーファだったが、その質問にアーデンも不思議そうな顔を浮かべていた。
「いらっしゃるものだと思っておりましたが、何かあったのですかね……」
皇国軍の軍事を司る者が来ないという事実に、何か嫌な予感がよぎる。
怖いもの見たさではあるが、王国最強の父ですら倒すことができないと聞くナターシャ公爵を一目見れると思っていたゼロは、少しだけ残念そうだった。
そして再び楽団の演奏が鳴り響く。
「法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世様の御成りである!!」
演奏が終わると同時に、コライテッド公爵が一歩前に出て声を張り上げる。
その言葉に人々は息を飲み、演台に現れた純白の法衣を纏った黒髪の少女の登場に、人々から今日一番の大歓声が上がった。
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