第47話 絶望と覚悟
塔の自室に戻り2時間程が経過しただろうか。
セレマウからの一切の連絡が来ないことに不安を覚えたユフィは、ナナキを連れだってセレマウの部屋へ向かっていた。
本来であれば呼ばれぬ限り訪れることが許されない法皇の自室に自ら行くということは、ユフィにとっても初めての経験だった。
だが、何だか言いようのない不安がユフィの胸中に押し寄せていたのだ。
「セレマウ? 入るわよ?」
「……うん」
ノックをし、声をかけると中からか細い声が聞こえた。
ナナキと顔を見合わせ、頷きあったユフィは扉を開け中に入る。いつもなら強く漂う甘い香りが、今日はしなかった。
ユフィはあまり好みではないが、セレマウが好むはちみつのような甘い香りのお香が焚かれていない状態は、二人にとって初めてだ。
「セレマウ様……」
セレマウは天蓋付きのベッドでうつ伏せになっていた。枕に顔を押し当て、二人に対し顔を上げることもない。
彼女がこのような状態になった元凶は十中八九コライテッド公爵だろう。彼は皇国のためと称し、事実上セルナス皇国の実権を握る存在だ。
セレマウに対しても彼女に法皇としての教養を叩きこんだ人物であり、セレマウが逆らえない存在となった現状、影の支配者と言っても過言ではない。
まだ15歳のセレマウでは、30年近く皇国の政治に携わってきた公爵に意見することもできず、彼女が公爵を苦手としていることは二人とも十二分に知っていた。
自分一人で会いに行くと言った彼女を信用したのだが、無理を言ってでも自分もついていけばよかったと、ユフィとナナキの胸中に苦しい思いが募る。
「これは……」
セレマウの部屋はベッド以外ほとんど目立つ物もない殺風景な部分が多い部屋だが、見渡してみたところ机の上に置かれた紙にユフィが気付いたようだ。
幾度か折りたたまれた様子から法話の原稿だろうと予測したユフィが手に取り、目を通す。
「……何よこれ」
青ざめた表情で呟くユフィへ、ベッドの側でセレマウの様子を伺っていたナナキが振り返る。
元気を失ったセレマウ、青ざめたユフィ、二人の様子から紙に書かれた内容がろくでもないものではないことは簡単に予想がついた。
「大戦争への宣戦布告じゃない……!」
「大戦争? 宣戦布告? どういうことですか?」
セルナス皇国は現在進行形で隣国リトゥルム王国との戦端が開かれている。ここ数年は小競り合い程度だが、国境を守る防衛都市ではいついかなる時でも対応できるような準備が行われているのだ。
宣戦布告という言葉の意味が理解できず、また大戦争という言葉もイメージできず、ナナキは目を細めてユフィへ聞き返すのだった。
「読んでみて」
口にすることを嫌がったユフィは、原稿をナナキへ差し出す。彼女の声は僅かに震えていた。それを受け取ったナナキもまた、青ざめた表情で言葉を失う。
コライテッド公爵からセレマウに渡された原稿の内容は、端的に言えばリトゥルム王国征服を初めとする大陸全土征服戦争の開始を告げるものだった。
歴代の法皇の初法話で語られてきたのは、法皇として目指す国の在り方や、信徒の在り方についてが大半だ。戦争を激化させた法皇の治世もなかったわけではないが、そういった宣言が法皇の初法話で語られた前例などない。
もし明日セレマウがこれを読み、初法話とすれば、彼女は89代目にして皇国史上初となる初法話で覇道の決意を国民たちへ伝える法皇となるだろう。
熱烈な信徒たちは自分たちの勝利を疑わず、その命を法皇のために使うことに喜びを覚えることまでも、容易に想像がつく。
そうなれば、この先訪れる皇国の未来は修羅の道だ。
リトゥルム王国を征服し、南部中立都市同盟を傘下に収めることができれば、カナン大陸西方の雄、大グレンデン帝国と激突することになる。
それは史上類を見ない程の規模の戦争となり、どれほどの期間の戦いなのか、どれほどの被害が出るのか、想像すらできなかった。
なぜこのタイミングかも原稿には書いてあったが、それを信徒たちが楽しみにしている初法話で伝えるなど、歴代法話と比べてあまりにも過激な内容だ。
「ボクは無力だ……」
ユフィの震えた声と、ナナキの沈黙から何かを察したか、セレマウのか弱い声が二人の耳へ届いた。
「コライテッド公爵に会う前、公爵の部屋からエドガーが出てきた。もうボクには、何も止められないよ……」
自分はセルナス皇国を治める法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世だというのに、配下である公爵一人止められない自分に嫌気が差したのか、セレマウの声は震えていた。
「戦争なんか、したくないのに……!」
突然告げられた父の名前からユフィは何かを察したのか唇を噛みしめる。皇国の軍事を司る父がコライテッド公爵と会っていた事実から戦いが起きることは明らかだ。「戦争なんかしたくない」、そう告げる友の胸の痛みが伝わってくる。
自分の力を試したいと彼女に頼み、小規模な威力偵察を繰り返し命じさせてもらっていた自分すらも今は恥ずかしい。
セレマウとしてはユフィが戦場に行くからということで大規模侵攻作戦を先延ばしにできていたのだが、ついにそれも叶わぬ状況となってしまったのだ。
「どうしたらいいかなぁ……」
目に涙を浮かべたセレマウが顔を上げ、ユフィとナナキへ助けを求める。
セレマウは心優しい少女に過ぎないが、人の痛みを知る為政者だ。
成り行きで望まぬまま法皇に据えられたが、彼女の優しさは世界を救うのではないか、今朝まで続いていた旅でユフィはその思いを強めていた。
だが、現実は残酷。
地位の保身に走る貴族は少なくなく、本当の意味で民想いの貴族がどれほどいるだろうか。
特に政治的野心の強い貴族は自身が戦場へ赴くこともないため、実際に戦場で命を懸ける兵のことを何とも思わぬ者も少なくない。
それなのに、セレマウは自らが傷つくことを恐れていない。地位は人を変えるというが、3年前に出会ったあの日からセレマウはセレマウのままだった。
――私に、できることは……。
彼女が彼女のままであるならば、セレマウと出会ったあの日から、自分も自分でなくてはならない。
「セレマウ、よく聞いて」
迷いを断ち切った眼差しで、ユフィはセレマウへ自身の思いを伝えることを決意した。
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