第20話 少女は平和へ決意を語る
「よい関係を築けることを期待する」
祖父と孫ほど年の離れた二人だが、アーファは普段通りの堂々とした態度でアーデンに答え、ルーに進めと合図を出す。それを見たゼロが先に民家の中に入り、安全を確認する。
民家の玄関には段差があったため、ゼロがアーファを一端抱き上げ、ルーが車いすを家の中へ運び入れてから再び椅子に座らせた。
いきなり抱き上げられたアーファが困惑したように一瞬頬を赤くしていたが、二人がその様子に気づくことはなかった。
「陛下は足がお悪いのですか?」
アーデンの従者二人を屋外においたまま民家の中に入った4人は、玄関を入ってすぐに置かれていた椅子にそれぞれ腰かけた。
テーブルの高さが車いすとは合わず、アーファは車いすから椅子へ移る。それをゼロがサポートしたためか、まずアーデンから問いかけられたのはアーファの容体についてだった。
「足が、というより元々身体が強くないのでな。立てるし多少なら歩くこともできないわけではないが、私のペースに合わせていてはいつたどり着くか分かったものではない。それゆえこれを使わせてもらっている」
「なるほど。そのようなお身体にも関わらず、その志。敬服致します。さすれば王都につきましたら、我が方でもより良いものを用意させましょう」
「それはありがたい」
アーデンは穏やかな表情を浮かべているが、ゼロとルーの表情はまだ警戒心に満ちていた。
さきほど制圧した黒のローブ1号2号は、見た目で判断したのかゼロとルーに対し油断していた様子があった。だが、今二人が視線から離すまいとする老紳士にはその隙がない。既に体力も衰えているとしか思えないこの老人こそ最も油断ならないと、二人の経験が告げてくる。
そんな二人をよそに、まるで意に介せずアーファは話し続ける。幼い頃は王城内を走り回っていた彼女が実は身体が弱い、など堂々とした嘘をついている辺り彼女も彼を信用しているわけではないのだろうが、そんな様子を見せず堂々と話す様には尊敬の二文字だ。
彼女も、覚悟を決めてこの計画を進めているということだろう。
「それと、リトゥルム王家は代々金髪碧眼とお聞きしておりましたが?」
「あぁ。これはただの変装だ」
そういってウィッグを取って見せるアーファ。黄色の法衣は平民身分を示すものだが、彼女の振る舞いや気品とその法衣は不釣り合いだろうとゼロは思う。
「こいつらが黒髪だからな。それと合わせただけだ」
「なるほど。そうでしたか。ここに至るまで、多分なご苦労をなされたこと、お察し致します」
「よい。それよりもアーデン殿、クラックス家が内応してくれた理由を教えてもらってよいか?」
机に両ひじをつけ、組んだ両手に顎を乗せたアーファが代わって尋ねる。
王国の外務諜報員の調査からクラックス侯爵が現体制への不満と平和志向を持っているということは知っているが、その真意を彼女は求めたようだ。
「ええ。退役して久しいですが、私も、兄もかつては皇国軍の騎士として戦場におりました」
アーファに促されたアーデンは、穏やかな口調で語り出す。
「近年こそ皇国から攻め入るのみとなり、戦いの激しさは落ち着いてきておりますが、私が若い頃、陛下のお父上が国王に即位されて間もない頃などはバハナ平原で血が流れない日などないほど、苛烈な状況だったのをご存じですか?」
リトゥルム王国が世界六大国と評されるようになったのは、アーファの祖父である先々代国王イシュラハブ王の時代であり、今から60年程前のこととなる。アーファの父は3年前、45歳で亡くなった。在位14年での崩御であったため、即位されて間もない頃の記憶は当然アーファにはない。記録だけの知識だ。
頷くでもなく、目で続けろと合図を出すアーファ。
「当時は私も兄もそれなりの地位にもおりましてね。先代皇国軍団長であったユリウス・ナターシャ殿の直属の部隊に所属し、若き日のウォービル殿ら王国の精鋭の方々と剣を合わせたものです」
聞き慣れた名が出てきたことにぴくっとゼロの片眉が動く。先代国王の即位まもない頃といえば、ウォービルがシュヴァルツリッターに転団した頃だろうか。
「私も兄も、それぞれの倅も騎士として順調に成長し、長らく皇国のために戦ってきたのですがね。もう8年程前になりますか……」
ふと、アーデンの表情に影が落ちる。その瞬間は彼が年相応の老人に見えた。
「戦場は人が死ぬところです。分かっていたはずでした。ですが、長く生き残り続けると、愚かにも自分は大丈夫なのだろうと勘違いしてしまうものですな」
顔を上げた彼の表情には寂しそうな、悲しそうな笑みが浮かんでいた。
聞き入る3人も話の流れの想像がつき、目を細める。
「私も兄も幸か不幸かまだ生きておりますが、倅たちは戦場で帰らぬ者となりました。従者の方々は記憶にはおありですか? 皇国軍が大攻勢を仕掛けた、王国の砦攻略戦の時でした」
8年前の皇国の砦攻略戦、王国にとっての砦防衛戦は子どもながらにゼロもルーも記憶にあるものだ。
それは皇国軍2万人規模の大軍勢が王国に攻め入り、砦を攻略しようとした戦い。
リトゥルム王国も国王自ら出陣したため近衛騎士団であるリラリッター含めた全騎士団が出陣し、激戦の末防衛に成功した戦いだ。
だが王国側も当時のシュヴァルツリッター団長を含めた三千人規模の犠牲を払った戦いでもある。
そしてまた、ウォービルが獅子奮迅の活躍を見せ、戦後シュヴァルツリッター団長に任命されるに至った戦いだ。
「跡継ぎを失い、クラックス家にはもう先がありません。今となっては何のために戦ってきたのか分からなくなってしまいました。当然養子を取り、家名を保つことはできますが、私も兄も今の世界が正しいとは思えません。それよりも、これ以上不幸が生まれないために、戦わなくていい世を作りたい、そう思うようになりました。残り僅かな生の使い道として、これ以上のことがありましょうか?」
彼の言葉を聞き、自然とゼロとルーは警戒心を解いていた。
戦友の死は経験したことはあるが、家族を失ったことはない。その喪失感たるや、想像を絶するだろう。
しばしの沈黙の中、室内を照らす蝋燭の灯りのみがゆらゆらと揺れていた。
「アーデン殿の思いはわかった。それで、どのような未来を思い描く?」
感傷的になっていたゼロとルーを他所に、アーファは変わらぬ眼差しでアーデンに向き合っていた。齢60に届きそうな老紳士はそこで初めて少し動揺を見せる。
「これはこれは……陛下は本当に強い覚悟を持たれておりますな」
少しだけ困ったような笑みを浮かべるアーデン。
「帝国の動きは想像もできませぬが、王国と皇国、そしていずれは南部同盟も含め、互いに非戦の盟約を交わし、国家共存の道を歩めればと思っております」
「同盟、か」
その言葉にアーファが顎に手を立て思案する。敵対関係が当たり前だと思っていたゼロとルーにとって、その言葉は現実味を持たない言葉だ。
長く続いた戦いは相互に憎しみの連鎖を生んでいる。家族、友人、愛する者を奪われた者が奪った者と手を組めるだろうか。
だが、目の前にいる老紳士は子を奪った敵国の王を憎むのではなく、世界そのものに疑問を抱き、敵国の王に協力を申し出ているのだ。未来を創るべきゼロたちが、アーファの願いを叶えるべきルーたちが、諦め、投げ出していいことではない。
「戦わなくていい世界、作りたいっすね」
ゼロがこの場において初めて口を開く。ルーも同じ気持ちか、頷いていた。
「統一国家は無理なのだろうか?」
突然のワードに、3人が目を丸くする。
「と、統一国家ですか?」
すぐに平静を取り戻したアーデンがその言葉を飲み込もうと確認する。
「皇国は、カナン教の信徒以外を国民とすることはできないのか?」
「な、何を仰るのですか!?」
アーファの言葉に慌てたのはルーだ。彼女の言葉が意味するのは、リトゥルム王国がセルナス皇国の軍門に下り、支配下に入るということ。両国家が対等に併存する同盟とはわけが違う。
「そう慌てるな。そもそも、古今東西同盟というものが恒久に続いた試しなどあると思うか? 同盟には条件が必要だ。その条件が満たされないのならば破棄される。そうなったら結局今と変わらない時代が訪れる」
ルーを制して流暢にアーファが語り出す。彼女の目は真剣そのものだった。
「知っているか? 南部同盟内でも西部都市が帝国との貿易で繁栄していくばかりで、その力関係がいびつになっているというぞ。アーデン殿は南部同盟とも同盟を、というが、そもそもあの同盟が長く続くとは、正直私には思えない」
南部同盟、正式名称“南部中立都市同盟”はカナン大陸南部にある大都市国家の同盟であり、大陸南部に一大経済圏を築くことで高い武装兵力と経済力を兼ね備えさせた、世界六大国に数えられる存在である。
中立を掲げ、侵略行為は一切行わないと言われているが、その内部でも格差が生まれてきたとあれば、その状態が永遠に続くとは言い切れないだろう。
自身に戦う力を持たぬ彼女は兎にも角にも情報を重視していた。古来より知は力なりと言うが、彼女はまさにその実践を体現するかのような存在だ。
「私は国家元首などという立場を守ることに興味はない。国は人あってのものだ。王国の民の安全が保証されるならば、己の地位など惜しくもない」
彼女の眼差しに、嘘はない。
「同じ国の人間ってなったら、そりゃ憎しみがあっても、簡単に手出しはできなくなるっすね」
以前から彼女の理想を聞いていたゼロは、驚くルーを無視して援護射撃をする。
「皇国はカナン神への信仰の名の下に拡大してきた歴史を持ちますからな……」
「征服された者へ、改宗か死を迫ってきたということか?」
カナン教の経典を読み終え、皇国史についても学んだアーファの皮肉にアーデンは沈黙をする。
「アーデン殿。常識に囚われては改革はできないぞ」
本当に14歳かと疑いたくなる金髪の美少女は眼鏡を外し真っ直ぐにアーデンを見つめた。
未来を見据える覚悟をもったその瞳は、本当に理想を実現するのではないかと錯覚を起こす。この少女こそ、世界を変えるのではないかと思わせた。
「新しい時代は今の時代にとって異端だ。だが、今に拘る者に新たな世界を築けない」
無意識下にアーデンは椅子から立ち上がり、床に片膝をつけ跪いていた。自身の主ではないというのに、この少女に心からの敬意が湧き上がる。
「私は遥かなる未来に、必ずや統一された世界を実現する。今はそれを夢想家と笑う者もいよう。愚王と蔑む者もいよう。だがそれが何だ。私一人が抱えて済むのなら安いものだ」
彼女の目指す世界が伝わり、ルーは先ほどまでの自分を恥じた。宗教や習慣、文化は不変のものではない。世界に合わせて変わるものだ。
ゼロは自分が忠誠を誓う少女を心から誇らしく思えた。
彼女の決意を、無駄にしてはいけない。彼女の覚悟を、守らねばならない。
ゼロとルーも、自然と立ち上がりアーファの両隣に立ち敬礼する。
「私の望みは法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世と手を取り合うことだ。それに足る人物か、此度の法話で確認したいと思っている。手を取り合う段取りに行き付くまで何年かかるか分からないが、アーデン殿、その命簡単に終わらせるな。その日、その時まで長らえさせ、私に協力せよ」
「こんな老いぼれでよければ、身命を賭して、陛下のお力になりたく存じます……!」
法皇86世の時代に生まれ、皇国貴族として長く生きてきたが、彼女のような主君はいなかった。
アーデンに2つの感情が生まれる。未来を賭けるに足る者に出会えた喜びと、息子が生きていた頃に彼女に出会えなかった悔しさ。
涙を流しながらアーデンが答える。
昼間の雨など嘘のように晴れた夜空には満点の星空。
王国と皇国の間に広がるバハナ平原の辺境にて、一国の王がいるとは思えぬような小さな民家で、世界は新たな可能性を生まれさせた。
皇国での協力貴族が信頼に足る人物だと確信できたことにより、その日は夜遅くまで今後の方針について話し合われるのだった。
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