それぞれの戦場へ


「やれ」


 妙なイントネーションだと、紳士は妙に他人事のように思った。


 忘れている読者も多いと思うが、本作はあらゆる人種があらゆる国を旅するストーリーを主にしている。彼ら彼女らは各地の言語を用い、でき得る限りに現地に順応し旅を続けるが、やはり世界共通語としての英語は無視できない。ことここに至れば、彼らは英語を主軸に会話している。しかして、このときそばかすメイドが放った一言は、どうにも誰の耳にも、訛って聞こえたのだった。


 そばかすメイドの指示に従い、彼らは動いた。だいたい、半々だ。男たちへ駆け寄り、武器や拳を振りかざす者。あるいは、遠巻きに『本』を構え、あるいは開く者。そのうちの数人は、その『本』から光を放っていた。


「パラちゃん」


 少女が、小さく呟く。名を呼ばれた女傑が「ちっ」と舌打ちした。


「『流繋りゅうけい 〝糸肢しし〟』」


 女傑は言うと、ぐっ、と、両手を広げて、その長い指先を空に這わせた。自身から放出される電力を、緻密にコントロールするように。

 うわあっ! という声が、そこここで上がる。それによって、男たちに向かってきていた先頭集団がもれなく、その動きを鈍らせた。


「言われんでも解っとんねん。指図すんなや」


 女傑は少女へ、悪態をつく。


「先、行けぇ!」


 女傑は続けて、言う。見るに、彼女の顔はしかめられていた。ダメージはないようだが、おそらくその電気のコントロールに、細心の注意が払われているのだろう。


「言われなくても解ってるわ」


 少女は言うと、男と紳士の手を引き、駆け出した。さきほど示されたエレベーターへ向かって。


「おい! ノラ!」


「疑問には答えるわ。とにかく、わたしを信じて、走りなさい」


 男の叫びを一蹴して、少女は言った。男が後ろ髪を引くように、走ることに抵抗してきたから。だが、その抵抗も、やがてなくなり、男は能動的に走り始める。


 少女たちを追い越し、メイドが先頭に出た。彼女は一番にエレベーターへ到達し、メイドらしく、その扉を開ける。エレベーターを待つ必要はなく、その扉は、ボタン操作から即座に、開いた。


「パラちゃん!」


 少女は、その名を呼んだ。その名を持つ女傑以外の全員を、エレベーターに乗せてから。


 言われんでも解っとるわ。女傑は再度、そう言いたげな視線を、少女に返す。だから少女も、視線だけで言葉を向けた。「ここは任せたわ」。


        *


「パラちゃんなら大丈夫よ」


 エレベーターが発進し、少女はすぐに、口を開いた。「だが――」と男が言いかけるのを、


「あの人数でもね。それに、すぐ応援が来る」


 と、少女は一蹴した。


「応援ってのは、なんだ?」


「それより問題は、あの人が攻撃を仕掛けてきたことね」


 男の疑問を無視して、少女は言った。「もちろん、そんなこと、とっくに解っていたことだけれど」、と、続ける。


「攻撃を受けたなら、逃げるべきだった。あなたはそうも考えているわよね? でもあれは、WBOの――リュウ・ヨウユェの指示じゃない。あの、フルーアさんの独断よ。だから、リュウ・ヨウユェとは問題なく、交渉できる」


 それに。と、少女は言外に背後を窺った。


 佳人、麗人、丁年。稲荷日いなりび姉妹弟きょうだいは、他の全員が逃げ出そうと、もう、止めることができなかったろう。向こうから攻撃を仕掛けられたのならなおのことだ。反撃の、もっともな理由ができたのだから。


 エレベーターが、地上10階に到達した。そこで、扉が開く。


「じゃあ、行ってらっしゃい。ハルカ、カナタ、シュウ」


 特段の説明もなく、少女は彼女らの名を指名した。示し合わせていたわけでもないのに、彼女らはその意味を理解し、進み出る。佳人と丁年が即座に、そして、麗人が遅れて、10階に降り立つ。最後に降りた麗人が、心配そうに少女を振り向いた。

 そこから視線を逸らすように、少女はエレベーターの扉を、閉める。


「あの子たちのことは気にしなくていい。あなたがなんと言おうが、もう、止まらない」


 少女は嘆息して、男に説明した。


「おまえ、この事態を知っていたんなら、どうして俺に相談しねえ?」


 男の声には動揺が含まれていた。だが、表にもっとも強く出てくる感情は、やはり、怒りだった。続いて、悲しみ。信頼する少女に裏切られたかのような、悲しみだ。


「相談したら、なにかが変わった? こうなるなら、あなたは今回の交渉を、諦めていたの?」


「少なくとも、俺がいま、裏切られたような気持ちになることはなかったな」


「ごめんなさい」


 やけに素直に、少女は謝った。その場しのぎの、おざなりなものではなく、ちゃんと男へ向き直り、深々と頭を下げた、謝罪だった。


 その態度に、男が戸惑っていた。その合間に、エレベーターは地上20階に到達する。再度、エレベーターの扉が開いた。

 だから少女は頭を上げ、その扉を振り向く。


「十階ごとに、誰かを降ろすつもりね。リュウ・ヨウユェは、あなたとサシで会いたいようよ」


 というギミックも、少女はとうに看破していた。それでも、いま気付いたように、男には説明する。


「わたしが行こうか、ノラ」


 紳士が名乗り出た。だが、少女は首を振る。


「ヤフユには一番ハードなのを用意してるから」


「つうか、そんなもん無視して、階段ででも上に向かえばいいんじゃねえのか」


 言うと、男が外に出ようとした。それを少女が、引き戻す。


「階段で行っても、どうせ会敵するわ。それに、最上階、地上60階には、エレベーターじゃないと行けない」


「面倒くせえな」


 力強く引き戻されて、男はよろめく。


「そもそも頭数足りねえだろ。十階ごとに最低一人降りるなら、20階ここでひとり降りて、残り、俺を含めて三人。30階でひとり降りて、残り――」


「問題ない」


 頭の悪い指折りを開始した男だったので、それを遮って、少女は言った。


「お願いね。お姉ちゃん・・・・・


 エレベーターの外へ向かって、少女は言った。

 すると、ひょこっと、エレベーターの扉の陰から、呼ばれた人物が顔を出す。その顔付きだけを見れば、少女と同じか、それより若い――幼いくらいの、女が。


「もちろんなのじゃ。任せておけ、愛い妹うぃもうとよ!」


 女がウインクするので、少女も同じ動作を返した。エレベーターを操作すると、問題なく扉は閉まるようである。


「おい! ホムラ――!」


 突然の姉の登場に、男は声を張り上げる。だが、その叫びは虚しく、隔絶されたエレベーター内に――その箱の中だけに、響いた。


「あいつまで巻き込んだのか、ノラ! いまのあいつは『嵐雲らんうん』も持ってねえ、ただの人間だぞ!」


 彼女が扱っていた『異本』は、すでに男たちの手の中にある。もとより身体能力が高い女とはいえ、『異本』を巻き込んだ戦闘に、なにも持たない人間がかかわるのは、リスクが高かった。


「わたしじゃない。お姉ちゃんは、自分の意思でここに来てる」


「あいつが、なんでいまさら、WBOに――」


「それはね」


 少女は男を見上げて、彼の目を、直視した。


「お姉ちゃんが、あなたの、お姉ちゃんだからよ」


 言葉の意味を理解しかねて、男は口ごもる。


「お姉ちゃんはお姉ちゃんなりに、あなたたちに引け目を感じていたのよ。『異本』の世界に引き込んだこと。それは、理紫谷りしたに久弧きゅうこ――あなたたちの父親が原因だったのでしょうけれど、それでも、自分が出会わなければ、あなたたちは、あの家に住むこともなかったんじゃないか、って、お姉ちゃんは思っているの」


「そんなこと――」


「ないわ。あり得ない。それでも、お姉ちゃんはそう思っているし、それに――」


 説明が面倒くさくなってきたように、少女は、少し視線を落とした。


「理紫谷久弧が亡くなったとき――一度死んだとき、お姉ちゃんも勘違いしていたとはいえ、あなたの『異本』集めを止めなかった。その道に危険が伴うことは知っていたはずなのに。そのことも、お姉ちゃんの心には、罪過として刻まれているのね」


「だからって、なんでいまさら、あいつが――」


 男が言いかけたところで、エレベーターが止まった。地上30階である。


「人の心の動きは複雑よ。そこに完璧な理屈なんて、このわたしでもつけられないわ。でも、お姉ちゃんは、シャンバラから戻ってから、贖罪の旅のようなものを続けていた。そして、最後に、自らの父親とも再会した。……いろいろ、思うところがあったんでしょう」


 まだ、具体的な話は、してやれないこともなかった。女には、もうひとつ、大きな因縁が残っている。『死』という結果が覆ろうと、なかったことにはできない、因縁が。

 女自身はそのことを知らないが、しかし、その因縁に、どうやら終止符も打つことができるだろう。この、最後の――始まりと、終わりの地では。


「ここはお願い、メイちゃん」


 男が納得したかは未確認に、少女はメイドへ視線を向けた。メイドは、少女には応えずに、男へ目を向ける。男もその視線に気付いて、彼女を見た。


「……頼んでもいいか、……メイ」


 まだ、迷ってはいたようだ。だが、男は、わずかに腹をくくった表情をしていて、そう、メイドに言ったのだった。


「もちろんです。お任せください、ハク様」


 別れ際に、男の頬へ口づけして、照れたようにメイドは、30階に降り立った。メイドの照れ隠しが続いているうちに、少女は扉を閉めてやる。


 エレベーターが再起動し、少女は息を吐いた。


「あとは、50階と60階。言うまでもないけれど、最上階はハク。だから、50階はヤフユにお願いするわ」


 少女が言うと、紳士は首を傾げた。どうやら気負ってはいない。だが、少女の言葉に疑問を覚えたのだ。


「50階と60階って……じゃあ、40階は――」


 あの少女が、まだ次に、40階を残していることを見落としているなどあり得ない。では、そのことなど、とうに決まり切っているかのような、その物言いは――。


 静かに、エレベーターは制止し、扉が開く。表示は、地上40階だった。


 ふう。と、少女は息を吐き、「ヤフユ、『赫淼語かくびょうがたり』を」と、手を出

した。紳士は疑問を向けることなく、少女の希望のものを、『箱庭百貨店』から出した。それを、手渡す。

 少しだけ、少女と紳士の、手と手が、触れた。


「じゃあ、任せたわ。ヤフユ」


 小さく手を振って、紳士に微笑む。それから男を見上げて、そして――目を逸らした。


 なにも言わないまま少女が降りて、扉が閉まる。両側の扉に視界を奪われ、徐々にいなくなっていく、その後ろ姿は、緊張している、ようだった。



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