人は死んでも変わらない


 男は、慎重にその、女の背中に近付いた。


「おい、おまえ」


 半信半疑、である。いや、むしろ、男の知る情報からすれば、どちらかというと、人違いを疑う感情の方が強い。

 だって、彼女は――。


「うん?」


 背後からの言葉に、女はぴくりと肩を震わせ、ちらりと男を振り向いた。


 血のような、真っ赤なドレスを纏っている。ラメをあしらった煌びやかなもの――というよりは、やや暗めの、それでいて濃い真紅で染め上げた、シックなデザインのワンピースドレスだ。

 それを纏う女は、うなじまで露出するほどのショートヘア。しかも、ドレス以上に鮮やかな、赤髪である。それは血というよりは、燃え盛る炎のように、生気に満ちた色合いをしていた。


 スロットマシンに向かい、座った姿勢でも、相当に高身長、かつ、抜群のスタイルであることはうかがえた。しかし、振り向いた顔付きは、まるで子どものように幼い。そのアンバランスさに、特段、目が行く。しかも、かつてと違い・・・・・・、だいぶ短い髪形になったからなおさらである。


「うげ」


 男を見るなり、女はその、幼い表情を歪めて、固まった。スロットマシンのレバーを引いて、リールが回りだす。


「おい……おまえっ!」


 男は、同じ言葉を繰り返した。非難するような、ただただ驚嘆するような、困惑の叫びであった。


「し、知らんぞ! わらわはおまえなんぞ、知らんからな!」


 ごまかそうとし、そそくさと離席を始めた女を、スロットマシンの結果が、止めた。

 決して大きな当たりではないが、チップが吐き出され、それを回収するのに、女は手間取った。だから、男に肩を掴まれる。


「なんで生きてんだ!? ホムラ!!」


 死んだはずの義姉の名を、男は叫んだ。


        *


「知らんもん! 解らんもん! なんでもかんでも妾のせいにしおって! 妾、悪くないもん!」


 顔に似合わせたような幼い口調で、女は言った。上半身ごと頭を振って、大きな身振りで不快感を表しながら、立ち去ろうともがく。


「いやそうじゃなくて。俺はおまえが死んだって聞いてたんだよ。なのに生きてるってのは、どういうことだって聞いてんだ」


 そのように想起する。たしか、情報源はメイドだ。しかも、女が持っていた『異本』、『嵐雲らんうん』までも回収して戻ってきた。それこそ、女が後生大事に抱えていたアイテムだっただけに、なおのこと、メイドの言葉に信憑性を感じていたのである。


 だから、現実との乖離に戸惑う。これははたして、メイドが女の死を誤って認識していたのか。あるいは、女の方からその誤認を誘発させたのか……。そう、男は思考を巡らせたのだ。よもやメイドが・・・・誤情報を・・・・あえて報告した・・・・・・・とは、考えもせずに。


「ん……? うん……。……そうじゃ! 妾は死んだのじゃ! 残念ながらなれの言う、灼葉しゃくようほむらという名の、超かわいいお姉ちゃんは死んだのじゃ! 妾は関係ない人なのじゃ!」


 ふふん。と、女は大きな胸を張った。ちらりと片目を開いて、見下すように男を見る。

 どうやら、本気で言っているらしい。そう思い、男は嘆息する。


「語るに落ちてんだよ、この馬鹿! どぅわれが超かわいいお姉ちゃんだ! フルネームも俺は言ってねえし! その情報を知ってる時点で、おまえが無関係じゃないことは確実だ!」


 その言葉を聞き、女はじっくりと、時間をかけて思考した。そして得心いったように頷き、やはり胸を張って男を見下す。


「ふっ、よくぞ見破った。いまのはおまえを試したのじゃ」


「なぜはるかなる高みから!?」


 男は膝をつき天を仰いだ。だが、よくよく考えれば、それは、男の言へ対する肯定だ。男は気を持ち直し、体も持ち直し、義姉へ対面する。


「ともあれ、……生きててよかったよ、ホムラ」


 涙腺が緩むのを感じながらも、男は、それを無理やりに押さえつけて、言った。

 だから、女も姉らしい顔付きで、笑う。


「心配をかけて、悪かったのじゃ。末弟」


 少しだけ目を伏せて、女は答えた。


        *


「それで、なんで生きてるんだって話は、答えられんのか?」


 情報が整わない。そしてそれは、なんらかの――誰かの意図が絡んでいる気がして、男は、おずおずと問うた。


「ふうむ」


 やはり女は、答えをためらうように、腕を組んでしまった。もとより隠し事のつもりだったのだろうし、そう簡単に明かせるものでもないのかもしれない。

 男としても、結果生きてたのだから、さして追及する気も強くはなかったが。


「ハク――?」


 そうして膠着したふたりのもとに、控えめに幼女が近付いた。いちおうは人前である。最近慣れ親しんだ『パパ』呼びは封印して。

 やはり男の影に隠れるように、彼の右手にしがみついた。


「あれ、えっと――」


 幼女は気付く。この女とは、モスクワの一件にて顔を合わせている。結局そのときには特段の絡みもなかったが、たしか、彼女は――。


「お姉さん?」


 そう、言った。それは、父親である男の『お姉さん』、という意味だ。お互いの名前くらいは名乗った気もするが、幼女はしっかりとは覚えていない。それは、モスクワあの場では、さほどの余裕もなかったから、でもある。


「お姉、さん……?」


 これまで思惑していた表情を解いて、女は憑き物が落ちたように、呆ける。男からは目を逸らし、その影に隠れる、幼女に一転集中だ。


「おい、ホムラ――」


 男は気付いた。この流れはまずい、と。

 しかし、正常な思考を失ってしまった女の方が、早い。


「お姉さん! お姉さんっ! きたのじゃ! これはまずいのじゃ! 姉さんではボーイッシュな感じじゃが、『お』がつくだけで清楚な、いいとこのお嬢様感が出る! これはもう、革命なのじゃ! 世のお姉さんがみな死滅する、最終兵器なのじゃっ!!」


「やめろっつうんだこの馬鹿!」


 よだれを垂らしながら迫る女を、男は蹴り飛ばした。幼女に向かってにじり寄る段階で、彼女は上体をかがめていた。だから、いい感じに男の蹴りはクリーンヒットする。女は転がり、あられもない姿で突っ伏した。露出の多いドレス姿があだになっている。


「お姉さん! 大丈夫!?」


 昇天したらしいおばさんへ向かって幼女は、心配そうに駆け寄った。男の義兄である稲雷いならいじんが殺害されたことに大きな憤りを感じていた幼女である。親愛する『パパ』とはいえ、少し、非難の色を浮かべた目で、睨みつけた。

 家族は、大事にするべきだと。そういう思いで。


「おい、ラグナ。危険だ、離れろ」


 男は、銃口を向けられているかのように警戒し、遠巻きに幼女へ言った。

 その雰囲気から、幼女は不思議な認識の齟齬を感じ取り、首をかしげる。


「うへへ、うへへ……」


 幼女の足元から、その影は立ち上がった。気味の悪い笑みを、浮かべながら。


「そおおぉなのじゃ、ラグナなのじゃ。うへへ……。妾の、いも、いも、……妹よおおおおぉぉっ!!」


「きゃあああああぁぁぁぁ!!」


 絶叫と、絶叫が、重なる。


 幼女は女に組み敷かれ、熱烈にキスを浴びせられていた。その顔面の、いたるところへと。



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