傾世の愛


 2027年、二月。イギリス、ロンドン。

 ランベス・ノース駅から徒歩五分ほど、ロンドンの中心部、ジェラルディン・メアリー・ハームスワース・パーク内に、その建物はある。


 入り口には、誰もが目を引く、15インチものサイズを誇る、『R級戦艦』の連装主砲が鎮座している。そう、そこは、『帝国戦争博物館』だった。ここには、『第一次世界大戦』、『第二次世界大戦』、『朝鮮戦争』、『湾岸戦争』などの、英国の軍事史を伝える数多くの資料が展示されている。


 地下一階から地上五階までという大規模な建物をいかんなく用い、巨大な戦闘機や戦車、重火器、蝋人形を用いたジオラマまであり、戦争の悲惨さを等身大に感じることができる。そういった、施設である。


 基本的に入館無料というこの施設だが、どうやら本日は誰もいない。それもそのはず。入り口には『本日閉館CLOSED』の立て札が。しかして、入り口は施錠されていないようだ。それを知っていた僧侶は、瞬間ためらったものの、予定通りに中に入った。


 入ってすぐ、一階は吹き抜けのホールになっており、戦闘機や戦車などの大型の兵器類が並んでいた。それが、入館者の目と足を、いきなりに止めさせる。動いていないから、なんとか大丈夫だ。そうでなければ、戦争の生々しさに、背筋を冷やしただろう。


 そんな物々しい兵器の中だから、その姿は、特段によく浮いた。


 HollandホーランドアンドSherryシェリーによる、最上級の――最上級中の最上級な生地と技術をもって編まれた、純白のスーツ。やや光沢をもつ生地に、アクセントとしての金糸の刺繡。そして、それを纏う彼の名・・・に相応しい、ダイヤモンドがところどころ散りばめられている。僧侶に背を向けている彼の後ろ姿は、凛とたたずみ、後ろ手に組まれた腕先の指には、黄金の指輪が煌めいている。肩まであるブロンドの髪。そして、ただの英国紳士とは一線を画するように、しかして自然と、その腰には、一振りの長剣が携えられていた。


 僧侶はここまできてようやっとと、目深にかぶっていたローブを持ち上げ、美しい頭皮の肌色を輝かせた。


「お待たせして申し訳ありません。公爵閣下」


 粛々と傅き、さりとて無礼千万に、僧侶は頭皮から反射される光を、眼前の貴騎士にぶつけた。


「バクルドさん――」


 貴騎士は、ちらりと僧侶を見遣り――そのわずかな重心のずれで、体をよろめかせた。


「……やめてください。そういう社交辞令を求める気なら、このようなところにお呼び立てしません」


 姿勢が崩れるから、貴騎士は慌てて体勢を整える。それによって、僧侶に向いた視線は即座に、外された。膝をがくがくと震わせ、数秒の時間を要して、貴騎士はようやく、凛とした立ち居姿に回帰する。


「無理しないでください、ベリアドール。……座ってはいかがです?」


 僧侶は焦り、貴騎士に寄り添った。彼の肩に手を添え、すぐそばに乗り捨ててある車椅子に差し向けようとした――。


「いえ、お構いなど不要です。それより――」


 だが、貴騎士は初動から僧侶を制止し、スーツのジャケットを軽く、正した。それから、揃えていた足をわずかに広げ、体勢の安定性を向上させる。


「いまさら――『本の虫シミ』が解散したいまとなって、話がしたいということは、そういうこと・・・・・・なのでしょう?」


 貴騎士の問いに、僧侶は困ったように、自らのスキンヘッドを撫でた。沈黙を、肯定と認識させるまで、じっくり、溜める。


「――今度こそ本当に、逝ってしまった。……そうなのですね?」


「ええ」


 次の問いには、即座に返答する。先には、同情を少し、抱いたつもりだった。しかし、ここでは、純然と理不尽な怒りが、僧侶を蝕んでいた。

 だが、それは飲み込んで、問う。


「……どうして、あんなもの・・・・・を作ったんです? なぜ、彼女・・に渡した。いや、そもそもどうして――」


「愛していたのです。心の底から」


 熱量は、感じられなかった。それでも、いくらかの死地を知っている僧侶には、彼の気迫がわずかに盛ったことに、気が付かないわけもなかった。


 それは、押し殺した、本音だった。


 だから、質問を、変える。


「解っていたんですか。こうなるって」


 その問いに、貴騎士は、ゆっくりと空を見上げた。このような問い方では、伝わりづらかったろう――そのように、僧侶が思い直すほどの時間、彼はそうしていた。そのようにしてじっくりと、思惑していたのだ。


「可能性は、考えていました」


 言葉を選ぶように、貴騎士は言った。


「エルファの――私が愛した女性の魂が、彼女の組み上げた機体に、私の組み上げたプログラムに――『EFエフ』に宿る可能性。だがそれは、望んで、そのように込めたわけではありません。彼女の願い――」




 ――わちきがいなくなっても、あの子たちを『思う心』が在るように――




「――ただそれを、組み上げたかった。彼女は、誰よりも身近に、常に『死』を宿していたから。己が消える未来を、いつも肌で感じていたから」


 そこまで言って、貴騎士は上げた顎を、今度は低くに、引き落とした。長いまばたきをして、それから細く、薄く、開き直す。


「……会いに行ってあげなさいよ、ベリアドール」


 失われた者のことを、これ以上話しても、互いに辛いだけだ。そう思って、僧侶から、話題をずらす。


「ソラ。シド。……あなたの子たちでしょう? ふたりはいま、日本の青森にいる。カイラギさんが一緒です。話は通しておきますから。会いに行って、あげなさいよ」


 かちゃり。と、貴騎士の腰元から小さく、音が鳴った。言葉以外の音をほとんど立てない彼にしては、珍しい挙動である。どうやら、ここにきてようやっと、僧侶を振り向いたようだった。


「変な意味にとらないでいただきたい。……バクルドさん。私は――私と貴君らでは、住む世界が、違うのです」


 やはり、熱量のない、言葉だった。諦めているようにも聞こえる、声音。


「そう簡単に動ける体にない。お家柄というしがらみの意味でも、いまとなっては、まさしく身体的にも。まあ、後者はいいでしょう。いくらでも無理はします。だが、まさしく生まれも、育ちも違い過ぎる。それなり以上の良家に生まれ育った者でなければ、そう易々とはお会いできません」


「私とはこうして会っています。私は平民の出ですよ」


「貴君は特別です。私の友人であり、それに、六代目当主の命を救った、恩人ですから」


 そんな貴君でさえ、人目をはばからずにはお会いできない。そう言って、貴騎士は周囲を見渡した。貸し切りにした『帝国戦争博物館』。その、一階ホールを。


「……特に、ネロに敗北して以来、私の、ダイヤモンド家での立場も危うく、脅かされております。現当主の座こそ、引き下ろされる心配はないでしょうが、実質的な立場はもう、老公たちの操り人形に近い。もう、戦える体でもなければ、騎士などというのも時代遅れだ。……そろそろ跡継ぎを残すようにと、強く言い聞かせられています。こんなときに、火遊びのスキャンダルなど表沙汰になっては、ダイヤモンド家は終わりだ」


「そんな……っ!!」


 そんなこと・・・・・くらいで・・・・!! と、頭に血を上らせ、僧侶は思わず、貴騎士のその、上等すぎる胸元に掴みかかっていた。……だが、ぐっとこらえ、ゆっくりと、力を抜く。

 目の前の、もっとも辛い立場の――辛い気持ちの男がこらえているのに、自分が取り乱すわけにはいかない。そう、思い直して。


 これは、彼女の願いでもある。彼女だって解ってて、彼を選んだのだ。どんなに特異な繋がりだろうと、男女の仲のことだ、他人が口を出すことじゃない。


 その娘子を、本当の娘のように思っていようとも。


「ではせめて、エルファの墓にくらい――」


「しっ――。どうした、ガウナ」


 僧侶の言葉を乱暴に遮り、貴騎士は虚空へ向けて問うた。神妙な、顔で。


「ご友人とのご会談中に、申し訳ありません」


 虚空から現れたのは、深紅のタキシードを纏った、執事然とした者だった。だから・・・遅れる・・・


 彼の全身から流れる、タキシードと同じ色の、液体に気付くのに。


「……何者だ?」


 お家柄とは関係なく仕えてくれている、私の大切な、おまえをそうしたのは……。という、文脈である。それは、隠す必要がなかったから、ちゃんと熱を帯びた、問いとなっていた。


「確実なことは……。ですが、あの容姿、おそらく――」


 深紅の執事は、ある者の名を告げ、役目を終えたとばかりに、その場にくずおれた。


 ――――――――


「アイスピック……? なんだ、こんなもので。……脅しのつもりですかね」


 ふう。と、息を吐く。息とともに、えぐられたわき腹から、嘔吐のような血が、こぼれる。

 アイスピック程度で、そんな怪我など負わない。どうやら、傷が開いたか。そう、青年は思い、わずかに、笑った。


 ニタニタと、気味の悪い、笑みで。


「いい、……努力です」


 シャァン! と、黄金の杖を突き立て、見据える。

 いくつもの、同じ顔・・・を。まるで、数多に死を知っているからこそ、本当の死を恐れているかのような、凄絶な、表情たちを。


「旦那様は」「お忙しい」「お引き取り」「いただき」「ま」「しょ」「う」「!!」


 どれもがどれも、深紅のタキシード姿で、どれがどれやら、解らない。


「まあ、区別する必要も、ないですかね」


 突き立てた杖の先、一枚の幕を隔て、動きを止められている彼ら。それらを、一息に、青年は、切った。地面におっ立てたままの鞘のごときものから抜いた、刀のごとき、一刃で。


「どうせこんなものはお遊びだ。身共みどもの求める、『努力』にも及ばない」


 そうだ、これは準備運動程度のもの。求める『努力』は、ここからだ。


 鮮血の先、白と黒の、対照的なふたつの姿が、向かってくる。




 ひとつは、現代最強の騎士。だが、その力は、もはやところどころガタのきた、不良品ジャンクである。


 他方は、現代を生きる吸血鬼ヴァンパイア。『不死』を司りながら、毛根の死んだ、廃れた宗教団体の、残党でしかない。


 とはいえ、どちらも百戦錬磨の達人である。こうまで腑抜けても、得られるものも、あるはずだ。


 青年はそう信じ、切っ先を、突き立てる。




「努力を、続ける」




 他者とのかかわり合いの中でしか得られぬ刺激を、求めて。



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