愚者の編む先を望んで


 優男は、開幕一番、速攻――一撃で仕留めるつもりで、炎を放った。元来、直線的な炎しか掃射できない『白鬼夜行びゃっきやこう 不知火しらぬい之書』。そこに『大蝦蟇おおがま之書』による油を加えて、広範囲に放射する。

 かように、『異本』に対する親和性があり、複数の『異本』を扱える優男であれど、あえて、男に対して手心など加えない。どうやらほとんどの『異本』を扱えない男に対して、『異本』の全開性能にて、応じる。


「ちっ――――!!」


 それでも、わずかも気を抜かなかった。中国にて、シャンバラにて、男の戦いを見てきた。モスクワの一件から生き残った事実を目の当たりにしている。だが、それだけが理由ではない。




 ――あれは、運命を担う者だ。


 つい先日、初めて会った女神さまと、後日にまた一度、言葉を交わす機会があった。そのときに、ふと彼女は、男のことを口にしたのである。


 ――あの者はね、この物語世界主人公イレギュラーだ。君では勝てないよ。


 そう言った。その理由も――男と優男との相性の悪さも、滔々と説明してくれた。そのうえで――。


 ――そのうえで挑むというなら、それもいい。抗ってみせなよ。……筋書き運命に。




「コオリモリ――――ハクっ!!」


 その者の名を、叫ぶ。


「うおおおぉぉぉぉ――――!!」


 まるで主人公のように、逃げ場のない炎の中に飛び込んでも、炎の方から彼を避け、それは、縦に割れた。

 そこを花道のように疾走して、男は、思い切り振りかぶる。そのまま順当に、クリティカルヒットを――――。


        *


 喰らった。


「うげえっ!」


 というより、自爆した。

 男の拳は優男の顔面を見事に打ち抜き、そのまま滑って・・・、ずっこけた。その勢いのまま床を転がり、強かに全身を打ち付ける。


「……あなた、馬鹿なんですか?」


 優男が言った。哀れなる者を見下ろすように。……いや、見下ろして。


「お、思い出した。おまえ、油を纏えるんだったな……」


 とはいえ、戦闘中である。男は急いで起き上がろうと、打ち付けた体を持ち上げた。しかし、あまりにも渾身に殴りかかったゆえに、転がったときのダメージもひとしおだ。全身に鈍い痛みが走っている。


「はあ……」


 そんな情けない男を見て、それでも立ち向かおうと努力する男を見て、優男は嘆息した。いろんなことが、馬鹿らしく思えた。馬鹿を見て、そう思った。


「『火蠑螈ホォロンヤン监狱ジアンユ』」


 うずくまる男に合わせるように、優男はどしん、と、乱暴に床に腰を降ろす。


「聞いてますよ。あれ、使ったんですってね」


 どうやら会話パートに入ってしまった。優男は持っていた二冊の『異本』をかたわらにそっと、置く。それを男はちらりと見た。不意を突けば、奪えるかもしれない。そう、瞬間、考えたから。


「そうだな。使った。……素手で触れた、ってだけだがな」


 使ったというより、その恩恵――あるいは呪い、を、利用した。そういう意図で付け足す。男に扱える『異本』が、まずあり得ないということは、自分でよく解っていたから。


「中国で会ったときから――正確には会ったときに、使った。そういうことですね?」


「……そうだな?」


 戦闘を中断してまでする話かと、男は訝しんだ。ともすれば男へ回復するための時間をも与えている。だから意図を読み切れず、疑問形になった。


「それを過信して、突っ込んできたんですか? あなたは、火に燃えることはないから」


「……ああ、いや」


 男は口籠る。期せずしてうまくいってくれた。不自然に炎が避けるから、確かにおかしいとは思っていたのだ、男も。


「炎を躱す気だった。『不知火』は直線的な炎しか出せないはずだったから。そうだよな、『大蝦蟇』の油を使えば、あんなふうに炎を広範囲にも広げられるんだよな……」


 正直、死んだかと思った。男は馬鹿みたいに、そう言った。


「……あなた、馬鹿ですね。そう言われませんか?」


 嘆息して頭に手を当て、優男は言った。頭痛を慮るように目も閉じるから、隙ができる。隙だらけだ。『異本』を手放しておいて、やけに不注意な行動だった。


「失礼な野郎だな。まあ、……よく言われるが」


 自身の――ここ数年を思い返すに、大ダメージだった。そうだ、よく言われていた。少女にも、女流にも。


「……でしょうね」


 しかし優男は、嘲笑うでもなく、むしろ深刻に、考え込んでしまった。まだ頭を押さえたまま、両目を閉じ、俯く。


 これ、普通に『異本』奪えんじゃね? と、男は思った。いやしかし、罠ということもある。罠でなくとも、奪おうとしたところを防がれ、また戦闘に突入するのも厄介だ。男の息は、まだ整っていないのだから。


「……私はね」


 そんな男の葛藤を叩き割るように、どん! と、優男は拳を叩き付けた。かたわらに置いた二冊の『異本』の、その上に。


「自分が特別だと思っていましたよ。いくつもの『異本』を扱うことができる。そのうえ、『大蝦蟇』には適応した。若くして、『本の虫シミ』の幹部に抜擢された。……ここが、この世界が、私の生きる場所だと、そう思っていましたよ」


 また、息を吐く。まるで、緊張をほぐすような、嘆息だった。


「間違っては、ないんじゃねえか? おまえは特別だ。すげえやつだよ」


 優男の牽制を受けて、『異本』から目を離した。だから、男は、優男を直視する。


「そうですね。私は特別だ」


 肯定した。それから『異本』に打ち付けた拳を開いて、その表紙を、撫でる。


「あなただって、誰だって、特別なんです。『異本こんなもの』などなくたって、肩書なんてなくっても、私は私で――それだけで、特別だったんだ」


 意を決したように、優男は『異本』を持ち上げ、そして――男へ、差し出した。


「こんなものに固執するから、私は私に限界を感じるんです。この『異本』でできるところまでしか、私は到達できない。これは、そういう枷だった。……あなたを見て、そう思いましたよ」


 だから――。と、続ける。


「これはあなたに差し上げます。一度受け取って、それから、少しの間貸して・・・もらえますか・・・・・・? ハゲさんたちの、加勢に行かなければいけないので」


 そのまっすぐな目付きを見て、男は、やはりこいつはいいやつだな、と、苦笑した。二冊の『異本』を受け取り、そのまま、渡し返す。それだけで優男は、憑き物が落ちたような顔になっていた。


「……前言を撤回します」


 その言葉に、男は少し、背筋を冷やした。よもや『異本』を差し出したことを、なかったことにするつもりかと。もしくはあの一連のやり取りすら、自分を油断させるための演技だったのかと、そう、訝しんだのだ。




「もう少し、あなたとの因果は、続きそうだ」


 そう言って、笑う。だから男も、間を空けてから笑い、


「そりゃ、ぞっとしねえな」


 そう、返した。




 ――――――――




 その女傑は、女流の、その高い鼻に突き付けた拳を、寸前で止めた。


 どちらも、反応できなかった。女流も、幼女も。だから、『異本』を発動するにも、『極玉きょくぎょく』を利用するにも、まったく及ばなかった。が、だからこそ、遅ればせながら、幼女は意を決して、腕を――


「――――!!」


 伸ばそうとしたところを、睨まれた。竦まされた。セミロングの赤茶色の髪――しかし前髪は顔を覆うほど長く、それで右目を隠している。その女傑は、顕わになった左の隻眼で、聡く幼女の動きを睨み、竦ませて止めた。それは、時間を操るよりも容易で、速く、力強い一撃だった。


「……いきなり拳を向けてくるとは、無礼であろう」


 遅れて、女流が声を向ける。突き付けられたままの力に抗うには、後出しの力では間に合わない。それゆえの、言葉。


「……せやな」


 女傑は言って、拳を引く。腕を下ろし、攻撃のために前傾していた姿勢を正す。そうしてみるに、一般的な成人女性より、よほど高身長だった。平均よりもやや高いはずの女流より、まだ一回り以上、大きい。


 その女傑は、大きすぎてしまいきれない胸部を開け広げたライダースジャケットにて無理矢理包み、そのポケットに、片手を突っ込む。長い前髪は右側に寄っている。それが重たいかのように、やや右に顔を傾けて、左目を突き出すように、女流を見た。


「状況としては、ちょっといろいろわけ解らへんけど……もしかして、クレオパトラちゃう?」


「余を知っておる……かつての試練への挑戦者、か。とすれば――」


 瞬間で女流は思考を巡らせる。そして、かつての挑戦者だとして、この時代・・・・に生きている者となれば――。


「ずいぶんと大きくなったものだのう……あのときの子ども――」


 面影は……ほとんどないが、髪の色や、飛び出したアホ毛が、かろうじて記憶の中のものと符合する。しかし、さすがに名前までは――。


「パララや。パララ・ナパラライト」


 女傑の方から、やや複雑そうな表情でそう名乗り、彼女はもうひとつ、名乗りを続けた。


「いまは、WBO『特別特級執行官』。コードネーム『パロミデス』」


 そして、一度は解いた拳を握り、突き付けはしないものの、声にも力を込めて、言う。


「知らん仲やないし、ちゃんと聞いとくわ。……あんたら、『本の虫シミ』の一員か?」


 女流と幼女は顔を見合わせ、女傑へ向き直り、揃って首を振った。すると女傑の拳は力を抜き、解け、表情もワンテンポ遅れて、そうなった。


「ならええわ」


 砕けた表情に気付いたように、少しだけ引き締める。


「うちは『本の虫シミ』を、ぶっ潰しにきてん」


 いまだ施設に降り切る前の階段の途中。そこから施設を見下ろすように。――しかして、どこか寂しそうに、女傑は言った。



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