思惑の渦


 少女たちの殺し合いと並行して、こちらでも殺伐とした話し合いは始まっていた。


「まず、これを返そう。助かった。ありがとう」


 無機質に、男は一冊の『異本』をテーブルに置き、僧侶の方へ差し出した。モスクワにて、狂人を打倒するために借り受けた一冊、『白鬼夜行びゃっきやこう 雪女之書』を。


「ええ、確かに」


 簡単な検分のみで、僧侶は容易に受け取った。テーブルの脇によけて、その件は落着したと言わんばかりに。


 それで、いったんの沈黙だ。その沈黙の隙に、男側サイドにおける、各人のこの場でのスタンスを簡単に確認しておこう。


 まず、男は、『本の虫シミ』が持つ『異本』を穏便に譲り受けようと画策している。もちろんこの地にあるすべてを手に入れたいし、最終的には手にするつもりだが、とりあえずは一冊でも多く、たとえば、『本の虫シミ』の構成員の誰も扱えず持て余しているようなものだけでも手にいれられればいいと、そう思っている。

 それを切り出すためにタイミングを見計らって黙ったわけではあるが、逆に沈黙が訪れたことでさらに切り出すきっかけを失いつつあった。


 女流に関しては、「いいかげん外に出たいぞ」ということで行動を共にしている。また、今回はメイド等の有能なメンバーをあまり連れて来られなかったので、少女が席を外している間の男や幼女の保護者として同席している節もあった。ぶっちゃけこの場所になにをしに来たのかも、女流本人は、なんとなくしか理解していない。というより、あんまり話を聞いていない。

 この地にも、観光八割くらいの心持ちで着いてきている。だから、こんなむさくるしい地下施設に座らされていても、ただただ退屈しか感じていなかった。つまり、特段に発言をする理由もないのである。


 その点、幼女はいちおう、この地での目的をちゃんと理解していた。まだ教育を終えていなかったとはいえ、元EBNAの優秀なメイドである。基本的な肉体的、頭脳的なスペックは普通に高い。たぶん、男より。

 とはいえ、やはり子どもだ。ここに連れてくることは男に反対されていたが、結局、半ば強引に着いてきた。その点に関しては、少女も幼女の肩を持った、ということも、最終的には大きな要因となっていた。

 ともあれ、聡明な幼女としては、基本的な交渉の流れに自分は関与すべきではないと心得ている。だから、基本的には黙っているしかない。そんな感じだ。


 以上。総合して、彼らは黙ることを、とりあえず目先の行動として選択した。それが、男サイドのメンバーにおける、この沈黙の理由だった。


        *


「では、ハクくん。こちらからひとつ、お話をしてもよいですか?」


 その沈黙を破ったのは、『本の虫シミ』サイド、僧侶、タギー・バクルドだった。

 沈黙が続いてしまったからには、なにかしらの話題で場が温まるまで待とうと思っていた男には、渡りに船ともいえる発言に、「ああ、なんだ?」と、やや明るい口調で男は応答した。


 コホン。と、ひとつの咳払いを挟む、僧侶。


「ご存知のことと思いますが、『本の虫うち』はいま、追い詰められていましてね。少し前にも、WBOからの襲撃があった」


「ああ、なんとなく聞いてるよ」


 いったいどこから聞いたか、ということを、ぼかして男は、軽く目を泳がせた。なぜなら、確かに『本の虫シミ』のメンバー――特にギャル――からも聞いていたりするが大部分は少女の洞察眼による情報だったから。あまり少女が、人知を超越するほどの力を持っているということは、吹聴したくない。


 すると、泳いだ視線が、なんとなくギャルとぶつかった。きっとなにも理解などされていないだろうが、笑顔とウインクを投げられる。そんなことは適当に無視した男だが、もしどこから情報を得たかと問われたら、ギャルから、と、答えよう。そう、適当に心に決めた。少なくともそれは大部分において、真実とも言えなくもないし。


「つまるところが、この場所――最後の砦まで、WBOに場所が割れたということ。それほどに、本当に首の皮一枚まで追い詰められている。はっきりいって『本の虫うち』の現状は、それだけ窮地、と、いっていいでしょうね」


「…………」


 男は黙って、少しだけ眉をしかめた。僧侶が言い出しそうなことを、予見して。


 その先は、さすがに僧侶も、わずかに口籠った。いろいろなものを天秤にかけているのだろう。なにを求め、なにを差し出せるのか。そしてその行動は、仲間たちにとってどういう印象に映るのか。かといってなにもしなければ、どれだけ大切なものを守りきれる? そういった、本当に、いろいろを。


「……いまさら――いまさら君に、頼める義理もないのかもしれない。君にはやることがあるし、こんなことに関わるだけの利益を、私たちは提示できないかもしれない。だが、なにもせず失わせるわけにはいかない。『異本』など、すべて差し出しましょう。WBOにでも、君にでも。しかし、せめてこの場所は、仲間たちは、守りたい」


「ああ」


 僧侶の――いつも明るくおちゃらけている僧侶の、見たこともないほどの真剣な物言いに、男も感化される。

 続く言葉は、解っている。助けたい気持ちは大いにある。『異本』を天秤にかけてくれるならなおさらだ。しかし――。


「ハクくん。あわよくば、我々に力を貸していただけませんか? WBOを……追い返す。交渉の席を設けて、和解を申し入れる。『異本』を明け渡してでも、ここを守る。そのための方策を共に考えてほしい。……はっきり言って、その間にまた襲撃を受けるかもしれない。そういう、現実的に身体的な危機も訪れ得る。その上で、……頼みます」


 まったくふざけもせず、僧侶はその、もはや美しいとすら評せるようなスキンヘッドを、男へ向けた。


「俺は――」


 それでも男は、断るつもりだった。僧侶へ、恩も、義理もある。力を貸したい気持ちもある。しかし、よく考えれば本当に、彼らの手前勝手な要請だった。


 まず、『異本』はWBOとの交渉材料に使われる。そのすべてをWBOに差し出すこととなるかは解らないが、仮に余ったものを報酬として男が得られるとしても、その数はだいぶ少ないだろう。


 そしてなにより、やはり身体的な危険が強い。少なくともWBOと男とは、EBNAでの一件で、最高責任者の秘書だというそばかすメイドとの交流がある分、どちらかといえば友好的に関係を結べている。やたらと『異本』を集めている男を――あるいはその『家族』を、WBOは快く思ってはいないのだろうが、それでも、現状黙認されている。であるのに、ここで『本の虫シミ』に手を貸し、WBOとの間に入ろうものなら、それこそ敵対行動と捉えられ、今後の『異本』集めに支障をきたすことにもなり得るのだ。


 最終的にはWBOにも敵対しなければならない。しかし、いまここで、というのは、まだ気が引ける。そもそも相手は、さほど大規模とまでは言わないまでも、まがりなりにも『組織』だ。男たち一派が仮に一致団結できようが、手数は足りない。であるなら、敵対するときは、完全な勝利のルートを確立してから、というのが本来である。そうでなければ大切な『家族』を、無為に危険に晒すことにしかならないのだから。


 本当に。本当に本当に、男は心苦しかったが、そういう理由で、その依頼は断るしかない。そう、思って、口を開いた。


 だが、それはすぐ、遮られる。


「悪いですけどね、ハゲさん。少なくとも私は、『異本』を手放す気はありませんよ」


 声に視線を向けると、即、目が合った。ヅラのように完璧に毛先が整えられた金髪のおかっぱ頭を揺らす、優男と。


        *


 優男は懐から独特な黒い装丁、『白鬼夜行』を二冊取り出し、テーブルに叩き付けた。そのままその腕で、肉体を持ち上げ、立ち上がる。


「『異本これ』は私のアイデンティティだ。なにもない私に残された、唯一の生きる道だ。これを失うのは、私が死ぬときだけ。……それに、舐められたまま降服ってのは、性に合わないのでね」


 男に向かって言い、その後、優男は僧侶へ視線を移した。抗議を上げるように。


「主教、それがしも、小僧に賛成だ」


 端の席でその、丸太のような両腕を組んでいた大男も、追随した。


「某は、『異本』などはどうでもいい。しかし、夢も希望も唐突に絶たれ、未来を失った者のためにも、せめて仇を取るまでは止まれはせん。あの――」


「カイラギさん。その件は決着したはずです」


「しているものか!」


 大男は空間を震わせ、叫びを上げた。その声に、幼女が怯えたように、身を震わす。


「…………」


 それに気付き、ばつが悪くなって、大男は黙り込む。

 話し合いは殺伐としてきた。だから男は、少しだけ――決して少なからず気にしていた――別のことを、聞いてみることにした。


「なあ、ちゃんと聞いてなかったな。……エルファのお嬢ちゃんは、いったいなにがあって、やられたんだ?」


 タギー・バクルドを筆頭に、アリス・L・シャルウィッチ、カイラギ・オールドレーン、氷守こおりもりはく。『本の虫シミ』が『本の虫シミ』と呼ばれる以前の、初期メンバー、五人。その、最後のひとり。


 エルファ・メロディアのことを。



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