攻防


 その日、帰り道に、『本の虫シミ』のふたりは、男たちと同様にとんでもない電話を受けることとなった。が、まあそれは、まだ数十分後の話。


「う、おいおいおいおいおいおい!! うっわ、マジで! むぅわじで! こんなところでなにやっちゃってる感じ? タギー・バクルド!」


 黒光りする肉体に、赤と青に染めた髪。細く剃った眉と全身に空けたピアス。そんなギャル男が、いきなり僧侶に絡んできた。


「観光ですが……誰?」


 当然の疑問だった。


「あっちゃー……『誰?』、ときたか! オレオレ! 覚えてないかな~! ……つって! 実は初対面でした~! いやっほう!」


「ああ、私は知ってますよ。あの……あれ……えっとね……。ほらたぶん、WBOの――」


「おおおお! そっちの若いの! よく勉強してるじゃぁん! そう! WBO『一級執行官』! いや、上の椅子さえ空けば、すぐにでも『特級』っすかね!? ともあれ、オレは――」


「あ、やっぱ知らない人でした。すみませんハゲさん。人違いです」


 優男はやけに姿勢正しく頭を下げた。


「うっそでしょ! オレだよ、オレ! せめて名乗らせろよ! ……こほん。そう! オレこそが! WBO『特級執行官』にもっとも近い『一級執行官』! コードネーム『パーシヴァル』! ガチで知らなかったなら、ヨロシクゥ~!」


 まあ、もっとも。と、ギャル男は僧侶に顔を近付け、フードを勝手に捲り上げ、凄絶に笑う。


「ここで死ぬなら、ヨロシクしなくていいか……」


 ようやっとウザったい語調をおとなしく静めて、そう言った。


        *


 その、格好よくキメたつもりのギャル男を見て、僧侶と優男は無言に、嘆息した。


「……私がやりましょうか、ハゲさん」


 控えめに片手を挙げ、優男が伺いを立てる。


「ふんす!」


 問われた僧侶はいきなり、仲間であるはずの優男に頭突きをかます。


「ハゲじゃない! スキンヘーッド!」


 地に伏せる優男を見下し、遅ればせに彼は、決めゼリフを放った。


「――ってぇな!! なにすんですかこのハゲ!」


「ハゲじゃない! スキン――」


「ああああああぁぁ!! 解りました解りました! ストップストーップ!!」


 問答無用に条件反射で頭突きを向ける僧侶へ、青ざめた顔で優男は叫んだ。いったいどういうこだわりなのかは知らないが、彼はハゲに対して異様な過剰反応を見せる。よもや本当にハゲを気にしているわけではないと、少なくとも優男はそう、思っているのだが。


「ったく、口で言や解るんですよ。そういうの、パワハラってんですよ? 知ってます?」


「知りませんね。そもそもそれを言うなら、人にハゲって言うのはハゲハラですよ。まったくもっていわれのない言いがかりだ」


「…………」


 なにかを突っ込みたかった優男だったが、怖かったので沈黙を返した。


「まあ、ともあれ、ここは私に任せてもらいましょう。本当、最近は実戦から離れすぎていて、カンを忘れそうでしてね」


 腕を組み、不敵に、僧侶は笑って、敵を見た。


        *


 一――蹴――――。……だった。

 文字通りだ。ひとつの蹴り。それだけ。


「いやあ、よかったよかった。確かに『特級執行官』に比肩しうるとまで自称する者です。ハクくんたちの邪魔になったかもしれませんから、ここで倒せたのは僥倖でした。よもや総合性能Bの『異本』をこれだけ見事に使いこなす相手だとは。侮っていましたかね」


 その称賛は、あまりに軽かった。相手に対する侮蔑というなら、これ以上ない謙遜だが、どうにも彼は本気で、その言葉のひとつひとつを紡いでいる。まあ、そのうちのひとつは確かに本当の事実ではあったが。


(私ひとりでは、おそらく敵わなかった)


 優男はそう思った。


 総合性能Bの、『波動』を操る『異本』、『グレアの裁縫』。適応こそしていないものの、彼、WBO『一級執行官』、コードネーム『パーシヴァル』は、僧侶の言の通り、それを十二分に扱いきっていた。

 ただの数瞬。それだけで僧侶に踏み潰されたものの、その瞬間に、いくつもの技を繰り出し、攻撃した。ただ、そのすべてを歯牙にもかけず、僧侶が一足に踏み抜いた。そういう結果に終わったというだけで、そのギャル男の力は、確かに噂に聞く『特級執行官』に迫るものであったと、優男は理解する。


「思わぬ手土産ができましたね。『グレアの裁縫』。『波動』を意のままに操れるこの『異本』なれば、女神さまのお望みにもやや、沿うかもしれない」


 言いながら、いまだ地に腰を落ち着けている優男へ、僧侶は手を伸ばした。


「お望み……ね。私は女神さまの願望も、その強さも知りませんけれど、本当にあなたでも勝てないと? 謙遜なしで言ってみてくださいよ」


 勝てない、というのは本当かも知れない。少なくとも『本の虫シミ』の総大将、教祖、ブヴォーム・ラージャンを相手取れば、僧侶ですらやはり、力は及ばないかもしれない。それでも、かの教祖相手でも僧侶は善戦くらいできるはずだ。

 だから、男との会話で言ったように『まったく及ばない』などということがありえるのだろうか? そう、優男は訝しむ。それほどまでに戦闘において力量があるのなら、現状の戦況が、こうまでWBOに劣勢なのも不可思議だし。


「はっはっは」


 優男の問いに、僧侶は乾いた笑いを返す。腕に力を込めて、優男を引き揚げながら。


「ハクくんの手前、ああ言いましたけれどね」


 そこまではまだ、明るい表情だった。


「200パーセント勝てませんよ。あのお方の指先のひとつで、容易に私なんぞ、死に至ります」


 だから、あまり侮らない方がいい。と、そういった感情を込めた、真剣な面持ちで、僧侶は言った。


 そして、不穏な電話が、鳴り響く。


 ――――――――


 インド、コルカタ。

 現存する最後の、『本の虫シミ』の、施設。


「くっ……なぜ、この地が知れた!?」


 筋骨隆々な大男が、その身を大きく広げ、道を塞ぐように立ちはだかった。


「あぁん!? そんなん決まってんでしょぅ!? あんたらの親玉ですよぉ!」


 わずかに劣るものの、大男に迫るほどに肥大化した筋肉に、合成写真のように整った顔面を乗っけたゴリマッチョが、三叉戟を振るい、敵との距離を保っている。


「主教が……? そんなはずあるまい!」


 大男は怒りに任せ、拳を振るう。『異本』を用いぬただの筋力。それで、先刻までゴリマッチョがいた地面を、いともたやすく抉り割った。


「もちろん。タギー・バクルド氏ではありませんよぉ!? もいっこ、上だ」


 ゴリマッチョはパンスネ鼻眼鏡を親指で持ち上げ、その手の人差し指で天を指し、笑う。


「…………! あの、疫病神めがっ!!」


 その者ならば、そういうこともあるだろう。そう理解し、大男はさらなる怒りを増した。


「ここは通さぬぞ! 我が名と! いまは亡き我が友! ラオロンの魂にかけて!」


 そう叫び、大男は威嚇に咆哮を上げた。


「ああ、るっせぇな。そもそも、カイラギ・オールドレーン。……残念ですがねぇ! もうとっくにふたり! ここを通ってるんですよねぇ!」


 きらりと白い歯を剥き出し、ゴリマッチョは語る。


「ちゃぁんと守れるといいですねぇ! これまたいまは亡き(笑)! エルファ・メロディアのふたりのお子さんをねぇ!!」


        *


 黒や紺の暗い服装で全身を覆ったパリピが、その奥まった部屋にて、少しふてくされていた。


「シド。誰か来たんだよー?」


「ほんとだ、ソラ! 誰だろう……? おねーちゃん。カイラギのおじちゃんの、おともだちー?」


「……ggrks」


 いや、ググっても出てこないやー。と、パリピは思う。そして、うち、くじ運なさすぎな希ガス。とか。


「いやいや、こんなん、ただのいじめやし。えぐいって」


 とはいっても、直近で上司から釘を刺されたところだ。相手が子どもとはいえ、手は抜けない。そう思い、テンサゲながら速攻、パリピは『異本』を――


『エマージェンシー エマージェンシー 敵性個体ヲ 確認 排除シマス』


「――――へ?」


 用いようとした。それを遮り、彼女の首を掻き切るように、死角の真上から、幾多の刃が、パリピを襲う。


        *


「――って感じでぇ、いま絶賛、攻め込まれちゃってるよぉ、ぴかりん」


 ギャルは明るくそう、スマートフォンへ告げ、返事も待たず、通話終了ボタンをタップした。


「ほんっっっと、あのクソジジイ、やってくれるにゃあ」


 ギャルは苦笑い、じりじりと、地面を踏みにじった。ただの道化のくせに。そう、忌々しく呟く。


「降伏しなさい、アリス・L・シャルウィッチ。ワタクシたちは容赦をしない。……いいえ、今回に限っては容赦ができない。……『特級執行官』が三人、揃い踏み。それに対してあなたたちは、タギー・バクルドを欠いた戦力不足。抵抗するだけ無駄だよ!」


 そのロリババアは、自身の背丈と同等か、それ以上の巨大さを誇る斧を持ち上げ、ギャルへ勧告した。


「あたしはそうしたいんだけどねぇ。でも、そうもいかないよにゃあ……」


 だから、ギャルは『異本』を輝かせる。


 いま、女神さまは大変に上機嫌だ。それを損ねるようなことがあればどうなるか……。いくら怖いものなしのギャルと言えど、それだけはあまり、想像もしたくもなかった。



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