エディンバラ編 終章

科学が生んだ『神』


 少女は、走らなかった。だって、可愛くないんだもの。そう思って。心の中で誰かに突っ込んで。


 で、到着したのが、午前一時きっかり。ブロンドメイドが敗れ、第六、第七、第八世代の首席が揃って歓談している、その場面に、である。


「なにこれ……ああ、いいわ。理解した」


 その微妙な空気を読んだ、というよりは、彼女の扱う『異本』による情報処理能力により、理解した。


「ノ――」


 その姿に、メイドはふと、感極まり、そして――


「ノラ様――!!」


「えい」


 殴った。少女がメイドを殴った。メイドは殴られた。地に伏した。


「まったく、余計な手間をかけさせたわね、メイちゃん」


 そしてそれでおあいこ・・・・だと言わんばかりに、笑顔を向けた。倒れたメイドへ、いまでは自身も、水色を基調にフリルの付いたメイド服を纏って、手を差し伸べる。


 しかし、反応はない。ただのしかばねのようだ。


「……あれ?」


 少女の笑顔は固まった。


 EBNA。第六世代首席。アルゴ・バルトロメイ。


 01:00 服毒に昏倒、それと、疲労やらなんやらが相まって、戦線離脱。


        *


「ノラ様。お会いしとうございました」


 いきなりそばかすメイドが少女へかしずいた。やけに勢いよく。


「えっ、なに? ってか誰?」


 当然の反応である。いや、あらゆる物事を見透かせる少女であるから、そんなそばかすメイドの行動理由にもいくらかの推測はできたけれど。しかし、ガチで誰なのかは知らなかった。


「失礼致しました。わたくしはWBO最高責任者、リュウ・ヨウユェがメイドにして秘書を務めております、フルーア・メーウィンと申します」


「あっそう。じゃあメイちゃん二号、一号と二号……あ、あなたは三号ね、やっぱり。とりあえず、そこの二人をCODEコードに放り込んどいてくれる?」


 と、少女は、そばかすメイドになにかしらの思惑があるであろうことを確信したうえで、彼女を顎で使うことにした。倒れている第六世代のメイド二人、その治療を任せるために。


「はっ……しかし」


「どうせ用があるのはハクにでしょ? あとで紹介してあげるから」


 ん。と、少女は顎で促した。そばかすメイドは諦めて一礼し、その言葉に、指示に従う。


        *


「それで、そっちの執事さんは、……わたしになにか文句でもあるの?」


 睨んでいた。つもりはなかったが、どうにも執事は少女を警戒して、やや目を細めていたらしかった。


 執事としてはただ、これが男の相方――自分にとってのお嬢様のような相手なのかと、そう思って見ていただけであったが。


「いいえ、滅相もございません」


 もはや執事を辞めた執事だが、少女のただならぬ気配につい、かしこまる。この程度はもはや拭うことなどできない、EBNAにおける教育の残滓なのかもしれない。


「いいわ。敵じゃないみたいだし。……わたしはこれからハクを追いかけて、ルシアを探すけれど……ああ、そうだ。あなたたち、ルシアって子を知ってる? いまどこにいるか」


 そう、思い出したように少女は問うが、それに対して二人は首を振った。


「ルシア様の居場所については、彼女をお連れしたガウナと、EBNAお抱えメイドのトップであるダフネ、アナンくらいしか知らないはずでございます。私も、この施設のどこかにいる、としか認識しておりません」


 そばかすメイドは少女の指示通り、メイちゃん一号・二号を担ぎ上げながら、そう言った。


「ありがと三号。じゃあ、とりあえず先に進むけれど――」


 少女は言って、いま一度執事を見た。ともすれば、その道を阻む可能性を考慮して。

 しかし執事は肩を落として、諸手を挙げる。そうやってこの場での、敵意のなさを示した。


「どうぞ、ノラ様。俺は邪魔などしない」


 執事としての自分も、人間としての自分もないまぜに、執事は言った。


        *


 で、合流する。


「……なによこれ」


 少女は、顔をしかめた。


 薄暗い部屋にぼんやりと画面を映し出す、いくつものモニター。散らかり、腐臭が立ち込める。ソファには幼メイド。その身を包むようにかぶせられた、男の茶色いコート。汚れたベッドの上で、眉間から血を流し倒れるは、半裸で肥え太った醜男ぶおとこ。銃を突き付けられ、床に膝をつく深紅の執事。突き付けるは丁年。そして、男。


 状況は、彼らが深紅の執事の降服を受け入れ、これより淑女のもとへ動き出そうとした、まさにその場面である。


 が、少女が顔をしかめた理由は、その状況の、どれでもない・・・・・・


 圧倒的な――という言葉ですら、生ぬるい。絶対に勝てない。どころの問題でもない。その痕跡の一部ですら、地球などという規模をゆうに凌駕している。


 このあたりに、なにか・・・いる。少女はそう、理解した。そしてそれは、少なくとも自分には手に負えない、そう言えるくらいの怖ろしさを感じさせる、なにかだった。


 ガガ――ガガガガ――――。


 おそらく一級品が揃えられているだろうEBNAのモニターが、瞬間の砂嵐を境に、なにかを映し出す。


『どうやら、スマイルの企みも終焉を迎えたようだ。……そこな者。氷守こおりもりはく。ノラ・ヴィートエントゥーセン。隣の部屋へ、来ていただけるか』


 疑問形ではない。どこか強制的な威圧感があった。というか、威圧感に溢れていた。


 声は合成音声。とすれば当然、本人の声ではないだろう。モニターに写っているのは、真っ黒いシルエット。それだけでは容貌もほとんど掴めない上に、おそらくそれも、本人ではないのだろう。それなのに、そのわずかな『彼』の存在感は、男にとっても、少女にとっても、これまで見てきた誰よりも『神』に近い存在に感じられた。


 もしくは、『神』そのもの、かとすら。


 モニターは、消える。音声ももう続かない。そうなって初めて、男も少女も、自身が息をしていないことに気付いた。


「……いッスよ。こっちは俺が見とくんで」


 こちらも変わらず息を止めていたのであろう丁年が、先んじて口を開いた。名指しをされていない分だけやや、余裕があったのだろうか? それから男は、彼が銃口を向け続ける、深紅の執事へ視線を移す。


 その二人を見て、男は、すぐに思い出した。丁年が言っていた言葉。『もうひとり』の存在。それが、EBNAの最終兵器とでも言うべき存在であろうとは想像がついた。だが、いくらなんでもこれほどとは、男も思わなかったのである。


 せいぜいが、男が対峙した、褐色メイドやブロンドメイド、それと同等か、やや強いくらいかと。しかし、思い過ごしかもしれないが、『彼』の放った威圧感は、あまりに次元が違う。戦闘力としてはまったくあてにならない男ですら、そのように感じてしまった。


「おい、おまえ――ガウナっつったか? いったい……この隣には、なにがいる?」


 聞くのも怖ろしい。そんな声で、心で、男は慎重に深紅の執事へ問うた。


 その声に、深紅の執事は我に返る。男や少女、丁年と同じく恐怖に支配されていたのであろう。その『本人』を知っているだけに、深紅の執事は、他の誰よりも息を吹き返すのに時間を要した。


「……む、ムウ、……です」


 それだけを、ようやく吐き出す。それだけではまったく解らない。しかし、おそらく面と向かったことがあるであろう深紅の執事ですら、それだけしか解っていないのだろう。そう、男は理解する。理解したつもりになる。


「仕方ないわね、ご指名だもの。……行きましょう、ハク」


 少女は男の袖を掴んで、そう言った。


 その手が震えていたから、男も腹を括る。ボルサリーノを押さえて、深くかぶり直し、少しだけ、目を瞑る。

 目を開く。その目には、怯えの感情はもう、消えていた。


「本当、いままでになく明らかに、どっからどう見ても完全に、ぞっとしねえな」


 強がりだけを引っさげて、最後の一人へ、立ち向かう。



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