地に伸びる


 エディンバラ城。その内部から、地下へ降りる。もちろん、一般に開放されているルートではない。どころか、その――夜も更けたようなころには、エディンバラ城の見学時間すら、とうに過ぎていた。


 しかし、それゆえに、その地下施設自体が、公式には認められていないものだとも言える。つまり、おおっぴらにガードマンや、監視システムが存在するわけではないのである。


「だけど逆に言えば、おおっぴらでない部分では埒外に厳重な守りがある、ということよ。まあ、いまさら言うことでもないけれど」


 少女は言った。声量は落としている。そして、声の高さもやや、落ちた言葉だった。


「最初から解りきっていたことだろ。泣きごと言ってんじゃねえよ」


 すでに地下には降りた。まだ無機質な廊下が続くだけで、EBNAの施設らしい場所にまで到達していないが、もはやここは敵地と言って差し支えない。それでも、男は普段以上の足早で、コートをはためかせ歩いて行く。


「泣きごとなんて言ってないわ。むしろこの先、泣くのはあなたの方よ」


 小走りで男を追いかけ、少女は言った。


「だろうな」


 そこで男は立ち止まる。ちょっとした壁のくぼみ、隙間。そこに身を隠す。廊下の薄暗さも相まって、それは先に見える者・・・・・・から身を隠すのに十分だったはずである。


「さっそくか……」


 男は、ごくごく小さい声で、呟いた。


        *


 門番……いや、見張り番? 特別な門があるわけではないので、後者の方が近いのだろう。あるいは、単なる監視役。


 年のころをかんがみれば、その女子二人は、そのような仰々しい者たちではないと判断されるだろう。しかし、このようなアウトローな地下道において、メイド服に身を包んでいるのなら、前述の役職もほぼ完全な精度で正当と言える。


「てかさぁ。なんであたいらまで駆り出されてるわけ? きょーいく? とかも、終わってないってのに」


「仕方ないんでしょ。人手が足りてないらしいですし。……それに、てきたいせーりょく? が、近くにきてるらしいでしょ?」


「そんならなおさら、あたいらみたいな役立たずを使うことないじゃん。あーあ、マジカル・レインボーの時間、過ぎてるよ……」


「いつまであんな古いアニメ見てるのです? そもそも、わたくしたちが生まれる前に終わっているのでしょ?」


 ひそひそとしている、雰囲気だ。しかし声は、年頃の女子たちらしく弾んでいる。やや声量も大きい。それゆえに男も、先んじて彼女たちに気付けたわけであるが、どうにも拍子抜けの女子たちだ。彼女たちの言葉通り、EBNAの教育とやらが完了していないことが理由なのだろうか。


「なんだ、あのガキどもは。つうか、普通に俺たちの存在、バレてねえか?」


「そりゃそうでしょうよ。そもそもメイちゃんがこないだ来たでしょ。それに、EBNAは世界中に糸を――根を張り巡らせて、情報を得ているって、おじいさんが言ってたじゃない」


 あの日、エディンバラに来る前のローマでの会合で、確かに老人がそういうことを言っていた。そのとき、老人が『糸』と『根』という二つの言葉を混在して用いていたので、少女としてもどちらを用いるべきか決めきれず、なんとなく言い直したのだった。


「で、どうする?」


 少女は続けて、男に問うた。少女一人なら、いくらでも手はあっただろう、しかし、結局は男が主導して動いた潜入だ。局面の判断を可能な限り委ねて、どうするのか見てみたい、と、少女は思った。


「正面突破、しかねえだろ。この廊下は一本道だったし、じいさんからもらった図面によると、侵入経路もこの道のみだしな。……ったく、腐ってもEBNAのメイドだな。背後をとる隙もねえ」


「背後をとって、どうするのよ」


「首の後ろを強打する。これでやつらは気を失うはずだ」


 男はやけに自信たっぷりにそう言った。ちなみに、漫画などで見かける攻撃だが、現実的にはその手法で相手を昏倒させるのは困難である。


「ふうん……」


 その言葉に、少女はなにかを考えるように、顎に手を当てた。

 かと思うと、彼女は不意に、消える。


「レインボーはすごいんだぞ! あっ――」


「あんなの子ども騙しでしょ。うがっ――」


 どさり。どさり。わずかな時間を空けて、二人の小さなメイドは倒れた。


「……ほんとだわ」


 右手は手刀の形のまま、少し困惑したように、少女は言う。


 EBNA。第九世代就学未了メイド(暫定席次、第七位) ベリー・アークロスター。

 同。              (暫定席次、第六位) ラクハォ・ソルヴァン。


 23:19 昏倒により戦線離脱。


        *


 確かに、かの女子たちは見張り番だったようだ。男たちが先へ進むと、しっかとした施設らしい施設が現れ始めた。


 施設……いや、ただの部屋か。ともあれ、廊下が終わり、ひとつの扉を開ける。すると、景色としては石の壁に阻まれた、変わり映えのないものだったが、圧迫感が急激に薄れ、端的に言って、『廊下』から『部屋』に出た。


「……誰もいねえな」


 安堵したように、男は言った。


 物置……というにも乱雑だ。しかし、大きな家具などがあるわけでもないので、隠れられるような場所はないはずである。それでも、いくらかの資料や実験道具が散乱し、雰囲気としては日本の学校における理科室のような装いがある。


 広さとしては十メートル四方ほどの正方形。天上の高さは三メートルほどだろうか? という、そんな、簡素な部屋。


「どうも図面の限りにおいては、こんな部屋が基本的に続いているわね。ロイヤルマイルに沿って地下に造られた施設。その全体像も細長く、奥にまっすぐ続いてる」


 とうに頭に叩き込んだはずの図面を広げて、少女は言った。彼女自身は記憶していても、男はその限りではない。それを危惧しての行動だったかもしれないが、男もさすがに、図面くらいは頭に入れていた。


 同じ部屋がいくつか続くと、施設の中央に存在する、図面的には長方形の、大部屋に到達する。そこになにがあるのかは解らないが、ひとつだけ大きく造られた部屋だ。なにかあるだろう、と、警戒はすべきだろう。


 その奥には、さらに男たちが現在いる部屋と同じような部屋が続き、最奥に至る。その最奥に、スマイルという、諸悪の根源がいるはずだ。だから、男の目的は、その部屋まで辿り着き、そいつを誅すること。また、彼がこの施設の長であるはずなので――道中見つかればそれがよいのだが――淑女の行方も問い質せば知れるだろう。


「俺はまっすぐ進む。が、おまえはルシアのこともある。脇の部屋も見てく方がいいかもな」


 男は言った。


 確かに、この施設には、おそらくメインであろう中央をまっすぐ連なる部屋の羅列以外にも、その左右にも枝分かれして、いくつか部屋が繋がっているところもある。中央を走る部屋の羅列ほど大きな部屋は少ないが、その中に淑女が囚われている場所もあるかもしれなかった。


「こっちの心配はいいわ。あなたはまっすぐ進みなさい。ルシアのこともそうだけど、……あなたの進む道も、可愛いわたしが切り開いてあげるから」


 少女は言って、二つ目の部屋へ向かう扉に手をかける。

 そうやって、次の部屋へ。だから、男は答えるべき言葉を、噤んだ。


 ――――――――


 カタカタカタカタ。操作音が小気味よく響く。しかし、誰もキーボードを叩いてなどいない。そこにある幾十のモニターは、誰も物理的に操作していないのに、めまぐるしく数々の情報を映し出す。施設の主、スマイル・ヴァン・エメラルド伯爵のために。


「いひっ! いひいひ……。魚が、うけに入ったぞぉ」


 過呼吸のような笑いを響かせて、その醜男ぶおとこは言う。誰に伝えるでもなく、それでいて、その施設の全域に向けて。


「餌に引っかかったというわけですのね。おめでとうございます。スマイル様」


 醜男の肥え太った首元に後ろから抱き付き、その、褐色肌のメイドは囁いた。


「しかし、このような者など、わざわざ施設におびき寄せる必要がありましたの? ダフネやわたくしが出向けば、それまでのことだったのでは?」


「おまえやダフネは私の大切な側近だ。このような雑事に出向かせるほどの暇はやれんよ。……それに、慎重を期するに越したことはない。特にこのアマ――ノラというガキは、おまえやダフネでも容易にはいくまい」


 その言葉に連動して、メイドのそばにあったモニターのひとつが、少女の姿をアップする。その周囲のモニターには彼女の情報が。やはりめまぐるしく、忙しなく表示されては、消えていく。


「へえ……こんなに可愛らしいのに、こんなに強いのですのね」


 不満そうな声質を作り、彼女は言った。本心ではない本心で嫉妬して。口元を寄せる相手の耳に、心地よく響くように。無意識に、意識して。


 目を、少し細める。薄暗い部屋にて、明るいモニターに対して、そうするように。それでも、もしそれを醜男が見たなら、それも不満そうな表情に写っただろう。モニターにはいまだに、少女のこの六年ほどの実績が、映像付きで流れていた。


「惜しいな」


 醜男はぼそりと呟いた。そんなわずかな一声すら、施設全域に伝搬する。特別な伝達手段で。彼の、実験動物たち・・・・・・に。


「この程度の人生でここまで育つなら、うちで教育していれば、過去最高傑作にもなれただろうに」


「……それは、ムウ以上の逸材でしたと?」


 それを問うだけで、褐色のメイドは身震いした。そのわずかな恐怖すら、演出されたものだったが、それでも理性的に思考して、恐ろしいという結論は揺らがない。


「素材としてはムウなど、そもそもうちでは最低ランクだった。おまえやダフネ、あるいはアルゴほどではない。第九世代なら、ラグナもいい素材だ。いひひ。しかし、ムウは極玉きょくぎょくとのシンクロ率が異常だったからな……。そのうえ、あの極玉――」


 彼にしてはその先は言うまでもないことだったから、そのあたりで唐突に、言を止めた。それは、メイドとしても同じこと。素材の話はともかく、ムウという存在がこの施設において、どういうものであるのかは言われるまでもなく理解していた。


「それで、どうされますの?」


 だから褐色のメイドは、話を戻す。


「ご所望でしたら私が、採ってまいりますが」


 突き刺すように指先を、モニター上の少女へ向けて、彼女は言った。裏山で山菜でも摘み取ってくるような気軽さで。

 その言葉に、醜男はわずかに息を吐き、間を空けて思考したが、やがて、口を開く。


「いや、いらん。これほどの年齢となれば教育に時間がかかるからな。第十世代の候補としては悪くないが、今期はラグナの教育に忙しい。一~二世代前なら、無理をしてでも手に入れたが」


 言葉尻をすぼませて、醜男は言った。だからまだ、選択肢としては決めきれていないことを汲み取る。


「でしたら、刈り取っていいのですのよね?」


 その上で褐色のメイドは、今度は庭の雑草を駆除するような、面倒そうな力強さで、確認した。

 即答しない。醜男はまたも一拍の呼吸を挟み、しぶしぶと決意する。


「……ダフネと交代してこい。アナン」


 現在、現場の指揮をしている者との交代を、指示した。



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