光を求める者


 同日。

 インド、コルカタ。


 このころにはとうに紳士はこの地を離れているが、淑女は自身の言の通り、『仕事』で留まったままである。


 淑女の仕事――仕事と呼べるものではない、ただのボランティアだが、『本の虫シミ』の拠点、そのいくつかに内在する施設、神域。その、清掃。コルカタにあるのは、『女神さまの踊り場』と呼ばれる、白亜の部屋である。


「といっても、なあんもないんですけどね」


 ときおり件の『女神さま』とやらが現れるらしいが、淑女はいまだにお目にかかったことがない。だから、実際のところそんな人物(?)など存在しないのではないかとも訝しんでいた。


 しかし、彼女の兄とも呼べる紳士が、つい先日出会ったと言っていた。だとしたら、この場所の存在意義もあろうというものだ。


 人間、意味もない仕事に懸命になどなれない。だから、この日の清掃はなんとなく淑女にとって、気分のいいものになっていた。


「うぉーい! ルシアちゅわぁーん!」


 魔女のような竹箒で埃を払っていた淑女に、遠くから声がかかる。見ると、白亜の扉を開け広げ、金髪の悪人顔をした男が、気色悪く満面の笑顔で手を振っていた。


「あっ、リーダー! お疲れさまです!」


 しかし、淑女は文字通り淑やかに、笑顔で手を振り返した。その笑顔とたたずまいから、彼女は掃除ボランティアの男性諸氏に絶大な人気があるのだが、本人は気付いていない。


「お疲れお疲れ! いやあ、一番に来て掃除を始めてる! 相変わらずルシアちゃんは偉いなあ!」


 その、一般的には気色の悪い笑顔や猫なで声にも、嫌悪などまったくなく、柔らかな笑顔を返す。淑女はまさしく天使のような神々しさで、対応した。


        *


 さほどの広さもない。二十畳ほどの簡素な部屋だ。とりたてて家具もないゆえに、掃除もそれほど手間ではない。ゆえにこの日の掃除は二人で行うこととなっていた。


「ひゃっはあ! いくぜ! 必殺! 『真空埃落とし』!!」


 悪人顔は雄叫びをあげ、筋肉質な体を思いのほか身軽に跳ね上げ、竹箒を振り回した。だいぶ頭の悪い、小学生のような技であったが、しかし効果は出たようである。天井付近の埃も見事に落とし、華麗なるポーズを決めた。


「きゃー、リーダーすごいです!」


 控えめな性格である淑女も、こういう場ではノリに乗る。というより、彼女がビクビクと挙動不審になるのは、あまり接点のない相手であったり、あるいは、現在では父代わりとなった紳士に対してくらいだ。


「でへへぇ……そうかな? 格好いい?」


「いえ、格好はよくないです」


 彼女は意外とストレートにものを言う。そんな棘を急所に刺し貫くような言葉に、悪人顔はうなだれた。


「なに遊んでんですか」


 そこへ、運悪く『本部』の人間がやってきた。金髪のおかっぱ頭をさらさらと靡かせた、育ちのよさそうな優男である。


「ゼノ! てめえ、なにしにきやがった!」


 悪人顔の、顔に似つかわしい野蛮な言葉に、優男はひとつ、ため息をつく。


「あのですねえ、あなたの貧弱な脳味噌であれば、足りないボキャブラリーは仕方がないとしても……いちいち突っかかってくるのやめてもらえません?」


 まさしく、悪人顔を近付けてガンを飛ばしてくる彼を躱し、優男は後ろの淑女へ声を上げる。


「清掃のあなた。今日はもういいですから、倉庫の方へ行って、隠れていてください」


 隠れる。という、その不穏な言葉に、淑女は首を傾げた。


「敵襲です」


 だから端的に、優男は付言する。


 ――――――――


 少し舞台を戻して、イギリス、エディンバラ。


「なるほど、ハルカ様が。……ノラ様がそう言うのでしたら、うちの者では手に負えないのでしょうね」


 少女の確信しきった言葉に、メイドは簡単に納得した。しかし、話はまだ半分だ。


「とはいえ、もとよりそちらはオマケのようなもの。そもそも当初より、みなさまに等しく刺客は差し向けております。スマイル様はご存じありませんが、『テスカトリポカの純潔』をお持ちなのは――」


「ふうん?」


 言わんとすることを読み取って、それでも少女は余裕そうに声を上げた。あえてメイドの言葉を遮るように。


「……なにか?」


「気付かないの? いいえ、あなたは気付いているはずよ」


 少女とメイドは見つめ合う。


 メイドは気付いていない。そんなはずはないが、そこから目を逸らしている。そう少女は、見抜いた。


 少女はなにかを確信している。だから、メイドは「このままではいけない」と、余裕のある態度を崩して、構えた。


 ――――――――


 コルカタ。ここは世界屈指のメガシティであり、人口密度は日本の東京と同等か、それ以上である。


 その発達した都市部から南部へ向かうと、コルカタ一有名といって過言ではない宗教施設、カーリー寺院がある。その名の通り、ヒンドゥー教における有名な女神、カーリーを祀る寺院だ。


 カーリー寺院に向かう参道には、お供え物などを販売している店が並んでいるのだが、その一角から裏道へ入り、ある建物から地下へ降りると、この『本の虫シミ』のメンバーが隠れ集う、いまだ健在な施設へと辿り着く。


 そんなことを当然のように知っていたその刺客は、初めて訪れるその複雑な経路を、メモなどを見ることもなく、滑らかな足取りで進んだ。進んで、到達した。


「失礼。お初にお目にかかります。EBNA。第八世代第三位、ガウナ・ラーニャスルクです」


 だいぶ若く見える。気障ったらしい深紅のタキシードに身を包んだ、短い赤髪の執事だった。十代にしか見えない幼い顔つきだが、気負った感じはしない。少数とはいえ、戦闘部隊が多く所属しているコルカタの施設へ、それと解って訪れているはずなのに、である。


「唐突に現れて、何用なのだ? わっぱよ」


 腰を降ろしていてもなお山のような巨躯の大男が立ち上がり、低い声を放つ。


「カイラギ・オールドレーンさんですか。あはは、これは人間離れしています。『異本』を持たぬままでも、倒すのは困難でしょうね」


 快活に笑い、刺客は言った。やはり気負った様子など感じさせずに。


「まずはあなたがお相手をしてくれるのでしょうか? 楽しみです」


「随分と安く見積もられたものだ」


 安易な挑発に乗る大男。しかし、優男がそれを制止した。


「カイラギさんはご自身のやるべきことをやってください。……ハゲさんとアリスが出払った手薄なところを狙われているんです。なにかしら策はあるのでしょう」


「あはは、深読みは不要ですよ、ゼノ・クリスラッドさん。わたくしはただ、こちらに探し物をしにきただけです。もちろん、いくらでも争う気はありますが、手を出さない相手をやたらめったら蹂躙する気はありません。つまり、敵意はないのです。わざわざ策なんて弄しませんよ」


 張り付けた笑顔を浮かべ、気障なポーズで言い放つ。


「でも、タギーさんもアリスさんもいないのですか。それは、つまらない」


 少しだけ困ったような苦笑いで、大袈裟に消沈を示す。だから、もとより気の長い方ではない優男は、眉間に皺を寄せた。それでも冷静に、まずは大男と、そばにいた子どもたちを下がらせる。


        *


 六年ぶりに地上――地球に還ってきた優男であったが、戻ってみると『本の虫シミ』の情勢は最悪というほどまでに落ち切っていた。が、しかし、それでもコルカタのチームには新人も加わり、そこそこの活気が残っていた。とはいえ、その間ずっとその場にいなかった優男である。当然、新人からはあまりよくない目で見られていた。しかし、それはすぐ、ハ――スキンヘッドの僧侶や、古参の大男からの口利きもあり、解消された。


 具体的には、彼はすぐ、新人たちと打ち解けた。それだけでなく、いちおうは先輩として信頼され始める。その理由には、彼自身の戦闘能力の高さも含まれていたのだろう。


「あの新人たちも意外と使い物になりそうです。あなたと違って、素直ないい子たちですよ」


 淑女を倉庫へ逃がした後、優男は悪人顔へそう言った。言葉とは裏腹に、どこか不満そうな口調で。


「そんなことより、てめえはさっさと戻らなくていいのか? ルシアちゃんを逃がしても、ここまで攻め入られたら元も子もねえだろうが」


 その言葉に、優男は心底驚いたように、大袈裟に眉を上げた。


「……なんだよ?」


「いえ、『元も子もない』などという慣用句を、あなたが知っているとは……少々面食らったもので」


「俺を馬鹿にし過ぎだろうが!」


「これでも過大に評価していたつもりだったんですけどね」


「馬鹿にし過ぎだな!」


「まあ、それはともかく」


 悪人顔の叫びを無視して、優男は話題を戻す。


「あなたとは比べようもない優秀な新人ばかりです。そう簡単に突破されたりは――」


「ああ、やっと見つけましたよ、ゼノさん」


 タイミングよく、その声は一糸の乱れも持たぬまま、優男へと投げかけられた。


「かの有象無象たちでは私を満足させるに至りませんでした。つきましては、次はあなたにお相手いただきたく」


 無邪気な十代の笑みを浮かべ、その刺客は言った。その両手に、複数のアイスピックを握り締めて。



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