軋んだ来訪


 そのころ、ニュージーランド、ワンガヌイ。


「ちょ――シロちゃん! ……うわあ! とうふ! とうふ投げんの禁止! ていうかなんでとうふ!? いったいどこから!?」


 麗人は苦戦していた。安請け合いだったとは思わない。以前にも何度か、子守を任されたことがある。少女と紳士はよく二人で『異本』を蒐集しに出掛けていたから。そして――淑女はともかく――女傑よりは麗人の方が、仕事の都合がつきやすかったから。


「あーい! あはは! カニャタまっしろ~」


 しかし、子どもの成長は早い。それはもう驚くほどに。つい先日まで這い這いでしか動けなかった気がする女の子も、いつの間にか走り回るまでになっている。いや、それどころか、豆腐を投げまくるのだ。末恐ろしい。


「もうっ! リビングがぐちゃぐちゃじゃないの! パパ帰ってきたら怒られるんだからね!」


 秘技。父親チクリ。手に負えないやんちゃ娘には父親の影をちらつかせることで改心させる。麗人とっておきの最終手段である。

 そしてそれは、女の子へクリティカルヒットする。


「ぱぁ、おこる……?」


 じんわりと、瞳が潤み始める。ぐしゃぐしゃに相好を崩し、いまにも決壊しそうだった。

 だから、それに麗人はぎくりとし、背筋を冷やす。女の子が遊び豆腐を投げながらも抱え持つ一冊の『異本』。その性能を思い起こし、もしものときを想定して。


「だ、大丈夫よ、シロ。パパはまだ帰ってこないし、それまでにお掃除しましょう? ね?」


「やぁだ……とうふなげゆの……」


「なんでそこまでかたくなに!?」


 つっこみを入れつつも、女の子の表情は徐々に崩れていく。それに恐怖を感じ、あたふたと、ただただ麗人はうろたえた。


「シロ。豆腐は投げちゃだめ。食べ物だから」


 助け舟を出すのは、もう一人の子ども。女の子とは対照的に、黒い肌と、坊主に刈った短い黒髪。だが表情は聡明に、女の子と同い年――六歳とは思えないほどに澄ましており、言葉遣いも完璧だ。唯一、声変わりには程遠い高い声が、男の子の幼さを示しているくらいである。


 男の子は腰を降ろし、女の子の頭に手を置いた。無表情なのに、優しい所作で、言い聞かせる。


「でも……とうふなげひゃい……」


「シロ。その豆腐は、夜ご飯で使うやつ。シロの好きなハンバーグになるんだよ? 投げたら、ハンバーグ作れないだろ」


「ばんばぐー!」


 瞳を大きく開いて、女の子は反応した。涙など一瞬でどこかへすっ飛ばして、テンションを上げる。


「ばんばぐー? ねえ、カニャタ、今日はばんばぐー!?」


「ん? そうね。今日はばんばぐーにしようか」


「ばんばぐぅ!」


 語尾を上げて喜ぶ。それを見て安心し、麗人は男の子に耳打ちした。


「ありがとね、クロ」


「……これで、部屋汚れないと思うけど」


 逡巡したのち、男の子は言った。


「いたっ!」


 麗人が小さく叫びをあげる。


 女の子は積み木をもう一つ・・・・掴み上げて、麗人へ投げた。


        *


 そのばんばぐぅを食べ終えたころ、控えめなチャイムが鳴った。少女を筆頭に、この家族はご近所さんと仲がいい。いつもいるはずではない麗人や、女傑や淑女ですら、ご近所さんとは顔見知りだ。

 ゆえに、麗人もなんの気なしにそれに応答した。


「初めまして。……稲荷日いなりび夏名多かなたさん、ですか」


「……どちらさま、でしょう?」


 燕尾服。ウイングカラーのシャツに、蝶ネクタイ。まさしく執事のようなダンディなおじさんだ。といっても、年のころは男や若者くらい――30前後だろう。しかし、顎から鼻の下にまでつながる立派な髭。それが彼の年齢を押し上げて見せた。


 そんな、この町では見慣れない姿にも、麗人はあまり警戒しなかった。少女や紳士は人脈も広かった。『異本』集めに関しては家族以外に極秘を貫き通した都合上、さほど深い友好関係を結んでいたとは言えないが、それでも、人脈は広げたのだ。


 ワンガヌイだけでなく、世界中から稀に、いろんな格好の、いろんな人種が訪ねてくる。だからそれも、この家での日常だった。


 しかし、彼女はこの場合に限っては、せめて少しは警戒すべきだった。この程度のことには違和感を持つべきだったろう。どうして自分の知らない相手が、自分の名前を知っているのか、ということくらいには。


わたくしはギャハルド・パールミントンと申す者です。――さて、ご存知でしたら疾くご用意いただきたいのですが――」


 手刀。その構え――に見えなくもない形に片腕を持ち上げ、ゆっくりと麗人の首元へ打ち付ける。それは、絹の手袋が触れる直前で、止まった。


 ぞわわ……! それでも、彼女は理解した。それが、殺意の表現だということに。


「『テスカトリポカの純潔』。なければないで構いませんが、その場合――」


 麗人は構える。背中に隠していた卵色の『異本』、それに触れ、臨戦に。


「殺してこいと命じられております」


「クロ! お願いね!」


 男の子へ叫んで、彼女は外へ、飛び出した。


        *


 麗人の判断は、間違っていた。咄嗟のことだ、それも仕方のないことだろう。


 彼女の『異本』、『不死鳥フェニックスの卵』は、フェニックス――ヤキトリを呼び出すまでに時間がかかる。その時間を稼ぐための逃亡。それはもちろん、家を攻撃されないようにとの意図や、家族を巻き込まないようにとの考えがあったわけであるが、そもそも――。


 そもそも、その刺客が麗人を追ってくる保障などなかったのである。むしろ、彼女に口を割らせるなら、その家にいるもっと小さい、非力な子どもたちを人質にとる方が容易い。


 外見通り、紳士的な執事であれば、そのような非人道的な方法は取らないかとも考えられた。が、しかしそれは、希望的観測が過ぎるだろう。


「ふむ……判断が悪い」


 刺客は顎髭をジョリジョリ鳴らして、麗人の背を見送った。そうして、開けっ放しの家屋内へ目を向ける。小さな二人の子どもたち。情報通りだ。


「シロ・ヴィートエントゥーセンと、白雷はくらいクロ、ですか」


「EBNA。第七世代第三位。ギャハルド・パールミントン」


 高い声を可能な限りに下げて、男の子が言う。それでもまだ高いが、しかし、その内容も相まって、刺客は直観的に、警戒した。


 だから、動けなかった。男の子の影に隠れていた――正確には男の子が隠していた、女の子が、階段を登り逃げて行くのを、動けずに見送る。


 しかし、問題はない。人質は一人いれば足りるし、女の子が逃げたのも二階だ。よもやあんな小さい子が二階から飛び降りてまで逃げて行くとは考えにくい。また、仮に人質が取れずとも、家屋内を散策できれば『異本』は見つかるだろう。もし、ここに『テスカトリポカの純潔』があるとすれば、だが。


 そもそも『テスカトリポカの純潔』は、その形状ゆえ・・・・・・に簡単に隠せるようなものじゃない。とはいえ、『異本』収納系の『異本』というものも存在する。問題があるとすればそれである。そこに件の『異本』が隠されていては発見にはやや骨が折れるだろう。


 もちろん、この場の制圧さえできればすべて、時間の問題でしかないのだが。


「ぼうや、おとなしくしていれば、危害は加えません。もちろん、あなたのご家族にも」


「それはおれのセリフだ。おとなしく帰れよ、おじさん。……そうすれば、たぶん一か月くらいで済む」


「一か月? それは、なんの期間でしょうか?」


 その問いに、男の子は薄ら笑う。ただそれだけで、なにも答えなかった。


 その代わりに――。


 ――――――――


 メイドの言葉に、少女は頭痛のように、頭を押さえた。


「いまからでもお帰りになられた方がよろしいでしょう。おそらく間に合いはしないでしょうけれど、おとなしくお帰りになるなら、わたくしからスマイル様にお願いしても――」


「馬鹿なことをしてくれたわね。……はあ。まあ、いいわ」


 少女は呆れたような口調で遮る。ため息を吐き、諦めた。


「……よろしい、のですか? ノラ様。あなた様の大切なご家族が、危険にさらされているというのに?」


「勘違いしないでよ、メイちゃん」


 頭から手を離し、もう一度、嘆息する。そして、少女はメイドを見上げて、言った。


「うちの警備員は超一流よ。……大切な家族は誰ひとり、傷付いたりしないわ」


 ――――――――


 刺客の言葉に、答えたのは別の声。


「入院期間だよ。でも、おあいにくさま。もう一か月じゃ済まないね」


 ふああ……。というあくびと、気だるげな表情で、寝癖を盛大にぶら下げたパジャマ姿の女性が、二階から降りてくる。言葉は強いが、どうにも説得力がない。しかし、ブラフを張っているようには見えなかった。


「あなたは……どちら様ですか? 私の持つ情報に該当する人物がいないのですが」


「人んちに来て、どちら様は失礼だろ。まあ、情報がないのも仕方がないんだろうけど。……とりあえずそこ閉めてくれるかな」


 本気で嫌そうに、視界を遮るように頭を抱えて、彼女は刺客の後ろを指さした。外へと通ずる、その扉を。

 だから、刺客は釈然としないままに、その扉を閉める。


「あたしは居候の引きこもりだからね。もう五年以上、外には出てないんだ。知らなくても無理はない」


「なるほど。では察するに、稲荷日三姉弟の長女、春火はるかさんですか。だとすれば、警戒するほどのこともなかったですな」


 その、見下すような言葉に、彼女は少しむっとした。


「……シロが驚いて泣いてた。あんたのせいだな?」


「かもしれませんね。この髭が怖かったのでしょうか?」


 刺客はおどけてみせる。自らの髭を撫でながら。相手の感情が揺さぶられているからこそ、さらに逆撫でるように。


「まさか、シロちゃんを泣かせた私を許せないと? 引きこもりという割には、ずいぶんと情に厚いのですね」


 その言葉に、どうやら彼女はキレた・・・。バキッ。と、足元の床がひび割れる。彼女の右足、足元を中心に、放射状に。


「ぴーすかぴーすか、うっぜえんだよ、あのガキ」


 そこで一瞥、男の子の方を見て、続ける。


「あたしの眠りを妨げる者は何人たりとも許さんっ!」


 彼女の右腕が、急速に渦を巻き、いびつな槍のように尖った。



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