40th Memory Vol.13(メキシコ/ユカタン/9/2020)


 チチェン・イッツァ遺跡に戻ってみると、時刻は午後四時半を示していた。なぜだかタイムスリップしている。


 ちょうど日が暮れかけたころだ。ククルカンの神殿では、人だかりができている。『ククルカンの降臨』の真っ最中であった。


「いや、どうでもよいわ! そりゃあ、年に二回、しかも、天気がよくなければお目にかかれないとはいえ、めっちゃどうでもよいわ!」


 汗を拭い、女は叫んだ。その叫びも飲み込まれるほど、その場が盛り上がっていたことが不幸中の幸いか。


「これは、いったいどういうことだ? カナタ?」


 肩で息をして、少年も問う。疑うわけではないが、自分の妹は、なにを勘違いしたのだろう?


「……てへへ?」


 不自然な笑い方で、女児は笑う。乱れた息と髪を整えて、可愛らしく。


「腕時計の時間、ずれてたのです」


 てへっ。と、再度可愛く笑った。その腕時計が巻かれた腕で、自分の頭を小突いて。


「カナタ……」


 ふらふらと、うなだれたまま、女はドスのきいた声で呟く。黒いオーラを放ちつつ。


「ええっと……ほら、仕方がないのです。メキシコに来たときに、時差に合わせて調整したのですが、勘違いでずれてたみたいで……」


 て、てへっ? もはやぶりっ子・・・・は通じないかもしれない。それゆえに疑問形になる、擬音へのイントネーション。


「か、可愛かぅわいいのじゃ。……ちょ、おねえちゃん、……血が止まらんのじゃ」


 本気でぼたぼたと鼻血を垂れ流しながら、女は言う。いつもと違い、騒ぎ立てる余裕もないらしい。


「……姉さん。横になって。上向いて。早く」


 冷静に的確に、少年が言う。


「うん」


 やけにしおらしく、女は従った。


        *


 夕暮れ。もう、視界が悪くなるほど、日は沈んでいた。ククルカンの神殿からもほど近い球戯場で、女児と童女が遊んでいる。


「行け! ヤキトリ! アドバンテージの飛行能力を活かすのです!」


『カアアァァ!』


 それを少年は眺めていた。隣にはまだダウンしたままの女がいる。


「なんの! 負けるな! テス! カウンターをきめて!」


『グルオオォォ!』


 うん。大丈夫かな、あれ。少年は冷や汗をかきながら思う。確かにもう、『ククルカンの降臨』は終わり、人もまばらになっている。とはいえ、あんな聖鳥と猛獣が、モンスターを戦わせて遊ぶみたいにじゃれ合っていては、人目につくのでは?

 いや、それ以前に、ヤキトリとテス。どちらも怪我をしなければいいけれど。


「カナタは、可愛いの」


 急に女がそんなことを言った。もう大丈夫なのか、上体を起こしながら。


「姉さん。まだ寝てた方がいいんじゃない? あと一時間くらいは、時間にも余裕があるし」


「大丈夫じゃ。……じゃなくて、カナタはいい子じゃ。そう、言いたかったのじゃ」


 言い間違えるあたり、まだ精神的には復活していないようだったが、どうやら体は大丈夫なようだ。言い直した言葉は、少年にとっても納得のものだったから。


「……ヤフユ。なれの顔を見て、カナタは咄嗟に、あんな嘘をついたのだろうよ。よく思い返してみれば、あの腕時計はヤフユが調整してたじゃろ。カナタならともかく、ヤフユが調整をあやまつとは思えん」


「……それは買い被りだけど、確かに、わたしは間違いなく時刻を調整した。……わたしは、そんなに怖い顔をしていたのだろうか」


 少し落ち込むように、少年は俯く。女も、そのときの少年の顔は見ていない。だから、真実は解らないが、きっと、少年の言う通りだったのだろう。


「なにかを考えておったか? それはもしや、……炎球・・のことか?」


 その言葉に、少年は顔を上げ、女を見る。また、思い出しかける。だが、それよりも、女がそれについて知っていることが、いまは肝要だ。


「知っているの? 姉さん」


「それはこちらのセリフじゃ。『異本』の中でも、自然現象を操るものはそれだけで強力。その中でも有名なのが、七冊の『災害』シリーズ。……知らんかったのか? わらわの持つ『嵐雲らんうん』も、なにを隠そう、その一冊じゃ」


「じゃあ、つまり、その『災害』シリーズだってことか。……あの、『噴炎ふんえん』も」


 少年は思い出す。あの日の炎を。世界すべてを消し炭にするかのような、あの、恐怖を。


「名まで知っておるとはの。妾は現物を見たことがないが、どうやら、よくない者の手に渡っておるようじゃ」


 女は言うと、少年の肩を抱き寄せた。強がってはいるが、わずかに震える、その肩を。


「あれが、姉さんやジン、ハクさんやノラがいつか対峙しなきゃならない、総合性能A、啓筆けいひつの一冊だなんて」


 少年は呟く。自分の大切な家族が、いつか向き合わねばならぬ問題。それは、あるいは自分自身が、直面する問題でもあるのだ。


「なにを言っておる、ヤフユ。『噴炎』は総合性能Bじゃ。決して、啓筆などではない」


「……え?」


「誰じゃ、そんなデマを流したのは。確かに『災害』シリーズ、最高の一冊は、啓筆序列十六位に位置しとるが、それは『噴炎』ではない」


 ならば、あれ・・は? 少年が見た、『噴炎』の使い手。の言った言葉は?


「まあ、よい。少なくとも、『噴炎』も啓筆に迫るほど強力な『異本』に違いないからの。もし万が一、それに適応した者が扱うなら、啓筆と見紛うてもおかしくはない」


 立ち上がり、女は伸びをする。


「さて、そろそろ行こうぞ。まずは目先の『異本』からじゃ」


 確かに、もう時間だ。考え事は置いておき、まずは姉を送り出そう。そのための『試練』に、自分は全力を注ぐだけだ。少年は気持ちを切り替え、そう、思った。


        *


「ルシア」


 女は童女に近付き、声をかける。


「ひっ……!」


 その眼光に、童女は怯え、一歩後ずさった。


「……そんな怖がらんでもよかろう」


 女は努めて顔を整え、腰を降ろす。童女と目を合わせ、笑顔を向けた。


「妾たちは、そろそろ行かねばならぬ。……どうじゃ? 生活が困窮しておるなら、妾たちと来ぬか? こう見えてお姉ちゃんはお金持ちなのじゃ。それに、汝の――ルシアの、その本のこと、我が愚弟にも聞いてみたいしの」


 もしかしたら、あの愚弟であれば、妾の知らぬことも知っておるやもしれぬ。そう思い、そしてなにより、『箱庭動物園』を手元に置いておきたいという下心から、女は提案した。言葉通り、金ならある。童女にとっても、なに不自由ない生活を保障されるのは、得になるだろう。


「…………」


 童女は無言で、少年の袖を掴み、その後ろに、小さく隠れた。表情は変わらず、強さをたずさえている。それでも、心はまだまだ、小心者の子どもなのだろう。


「……まあ、無理強いはせん。じゃが、妾ではなく、ヤフユにでいい。連絡先くらい教えておいてくれ。生活の援助だけでもしよう。じゃから、またたまに、その本について調べさせてもらっていいかの?」


 女は笑顔を向け、童女に語りかける。そして少年へ目配せした。少年はこくりと頷く。


「……うん」


 小さく小さく、童女は言った。


        *


「じゃあ、行くぞ」


 女は率先して進んだ。その後ろでは、控えめな別れの挨拶が、子どもたちの間で交わされる。


 時刻は、午後七時直前。もはや日はとっぷりと暮れ、人もまばらだ。その中を、まっすぐ進む。


 ククルカンの神殿へ。『鍵本かぎぼん』を取り出し、『試練』への準備を。


 周囲をうかがう。先日、少年に言われたことを思い出す。まさかとは思うが、敵がいないとも限らない。……いや、普通に考えれば、このタイミングに都合よく、敵など現れるはずもない。情報が・・・洩れでも・・・・していない・・・・・限り・・


 ……だが、そんな警戒は杞憂に終わった。周囲に不審な人影はない。女は安堵して、呟く。


「『鍵本』、発動……?」


 あ……。と、つい呟く。目端にそれは映った。


 それは、しかし、敵でもなければ不審者ですらない。


 ただの、小さな、童女だった。


        *


 次の瞬間、立つのは、拓けた荒野だった。時間は昼時といったところか。しかし、ただの荒野ではない。そこかしこに、それぞれ間隔は大きく隔てているが、岩が積み重なった、壁がそそり立っている。高さもまばら――というより、崩壊の度合いによって差異が生まれているように、乱雑だ。


「ルシア! 汝、なにをやっとるか!」


 女は叫ぶ。『鍵本』にて『試練』へ連れて行くパーティーは、発動時の一定距離内の者すべて……を巻き込むわけではない。一定範囲内の、仲間と呼ばれるべき関係性の者たち、のみにしか及ばない。


「し、知らない。……さよならが淋しくて、もうちょっと一緒にって、それだけ、だったんだけど」


 たった半日だ。それでも、共に過ごし、感情をぶつけ合った童女は、すでに、『仲間』として『鍵本』に受け入れられたらしい。


 女は怯える童女に、息を吐いて気を静めた。まあ、来てしまったものは仕方がない。


「ともあれ、危険ということもなかろうが、離れて見とれ。……すぐに終わらせて、もとの世界に帰してやるからの」


 女は、言って、その好青年・・・を見た。


「あはははは! 準備はできたかい? それじゃあ、……『試練』を、始めようか」


 快活に笑って、好青年は言う。

 左手の掌を上へ向けたまま、女たちへ向けた。


 その掌に、ふと、どこからか、なにかが落ちてくる。それはすっぽりと、いかにも自然な様子で、好青年の掌に収まった。



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