170th Item Vol.7(ニュージーランド/ワンガヌイ/8/2020)
タイミングがよかったのか悪かったのか、女は一瞬、それを考えたが、根拠不明な感情により、大丈夫だと判断した。
少年と少女の手が触れる直前だった。だが、それを青年が阻む直前でもあった。だから、いったんリセットして、全員をまとめて風で吹き上げたのは、きっと悪くない結果を生むだろう。
物事をポジティブに考えるその判断は、楽観的な無責任ではなく、信頼という責任だ。
少年と少女は、きっとうまくやる。だから、自分はそれを前提に、それをサポートしなければ。
暴風が吹き上げたすべてを見る。いまの女には、風に触れるすべてを、見るまでもなく体感することができたが、あえて視覚でもって見る。
少年と少女、その姿を確認。安堵……はできない。なぜなら、二人とも見ているこっちが痛くなるほど傷付いた姿をしていたから。
青年たちも確認。どうやら一人、消えている。ダメージが許容を超えたのだろう。だから、この瞬間だけで言うなら、残りは二人だ。とはいえ、どうせすぐに増えるだろうが。
女は、青年がまだ、本領を発揮していないことを知っている。
少なくとも青年は、『
それに、攻撃をあえて杖で受けている。宝杖、『ブレステルメク』は、世界に線引きをする。その線の内側には、青年が指定した概念が侵入できない。たとえば、刀。もし青年が刀の侵入を否定して杖を突き立てたなら、『
だから、いまのうちに叩く。青年が手を抜いている、この間に。
「空に浮いている、いまがチャンスじゃ。……食い散らかせ、『
女は藍色の装丁を掴んだ手で、狙いを定める。
風の姿は見えない。だがそれでも、その
*
暴風により天地すら曖昧だ。青年は状況判断に際して、動転する気持ちと、冷静であろうとする気持ちを混在させていた。
状況をひとつひとつ確認する。
この風。いつか老人を殺したときと同じだ。あのとき、適応者は金髪の若者だと、青年は思っていた。少なくとも女ではない、と。
なぜなら女は、昔から『異本』への親和性が低かった。特に『嵐雲』との相性は最悪だ。何度『嵐雲』を失わせるところだったか解ったものではない。
だが、状況を見る限り、いま『嵐雲』を発動しているのは女に違いなかった。少年も少女も、まるで風を操ってなどいない。でなければ、自分よりもさらに上空、もはやどう着地しても
とはいえ、仲間である少年少女をそれだけの高さまで吹き飛ばしている事実も、女が風を操っているとするなら首を傾げる事態ではある。が、おそらくそれは、女がうまく『嵐雲』を制御できないのだとすれば納得できる。青年との戦闘において、あえて『嵐雲』を『百貨店』に入れたまま使用していた事実からしても、やはり、まだ適応者として『嵐雲』をコントロールしきれないのだろう。
「なるほど」
青年は状況を把握して、ニタニタとほくそ笑んだ。
『嵐雲』を適応者として完全にコントロールされているなら面倒だが、そうでないならこれは、悪足掻きだ。そのうえ、なにやら画策していたらしい少年少女もみずから殺すという体たらく。そうだ、もう落下するだけで死絶する少年少女に注目する必要もないだろう。餌としての価値が失われるのは残念だが、女がまだ
「なにを企んでいたかは知らないが――」
最後に一瞥、青年は空を見上げた。
だが、太陽光が眩しかったのか、視覚がうまく機能しない。眩しくて、掠れて、そして、巻き上がる枝葉とともに、
たった二人になった青年は、気になった二つの方向をそれぞれ見る。
やや上空にいた青年は地上を見る。自身とよく似た青年が体を紙切れに千切らせながら、その先、地上付近で、藍色の『異本』を構えた女の姿。
やや下方にいた青年は上空を見る。自身とよく似た青年が体を紙切れに千切らせながら、その先、遥か天空で、少年と少女が互いの手を掴んだ。
*
「ノラ……! ノラああぁぁ!」
少年は風に煽られながらも少女を探す。もうどれだけ吹き飛んだか解らない。それでも、その風には優しさがあった。覚えているはずもないが、母親の胎内とはきっと、こういう場所だ。そう思うくらいに安心できた。
だから、なにも怖くなかった。どれだけ高く吹き上げられようと、地面に叩きつけられるような怖れなど、微塵もなかった。
「ヤフユ……。こっち――!」
少女は先んじて少年を見つけた。だから、声を上げ、手を伸ばす。
少女も同じ感情を抱いていた。いくら風を操れる女であっても、これだけの暴風まで起こせるとは夢にも思っていない。それでも、その風の中は心地いい。誰が起こしたものなのか、自然現象なのか、なにも知らないのに、それは、少女を安心させた。
「ノラ……」
少年も少女を視認し、手を伸ばす。まだ、少し遠い。しかもいまは空中だ。うまく動けるはずもない。『
だが、二人は徐々に近付けた。風が互いを引き寄せるように荒れたのだ。まるで誰かの意思が介入したかのように。
「いま言うことじゃないのだけれど」
少女は少年の腕を掴んで、言った。残った隻腕を、赤い装丁の『異本』を持つその腕を握って、わずかに痛々しげに顔を歪める。だが、それは一瞬。どれだけ傷付いても、痛めつけられても、いまこの瞬間だけは、安らぎの中にいる。
「ノラって呼んでくれて、うれしいの」
「……少し、集中するから」
満面に笑う少女に、少年は、照れたように目を逸らし、言った。
「『マール・ジーン』。一分」
背の高い木々を越え、満天に陽光を浴びる。
それはまるで、祝福のように、二人を包んだ。
*
青年は冷や汗を拭った。
三人目が千切れた時点で、新たな三人目を作り始めてよかった。どうせ
風は、止んだ。
再生成した三人目はあの暴風を逃れていた。だから、木陰に隠れ、中空で消された二人の代わりに、新たに一人目と二人目をも再生成。万全の態勢を整え、女の隙をうかがう。
女は空を見つめ、訝しい表情をしていた。見逃すはずもない。吹き上げた青年の両人ともが、紙片となり千切れたことを。ならば、この場のすべての青年が式神でしかないことに気付いたのかもしれない。
だとしたら、急がなければならない。
本体がここにいないことを確信したら、戦闘は無益だと悟るだろう。そうなればすぐ、撤退の道を選ぶことは必定。青年はそう判断し、散開した。少年と少女はもういない。改めて数の暴力で女を追いつめるのみだ。
だが、そのとき、女の表情が柔らかく歪んだ。安堵? 諦観? それとも――
ボフウゥ――。と、次の瞬間には、女は土煙に隠れた。風を起こした? いいや、違う。
青年は確かに見た。その土煙は、
「わたしたちまで吹き飛ばして、危ないじゃない、お姉ちゃん」
誰だ? 聞いたことない、だが、知っているような声だ。
「すまん。加減がきかんのじゃ」
これは知っている。女の声だ。
「あの、もうわたしを降ろして欲しいのですが……」
これは……あの少年か? まさか生きているとは――。
「どういう……ことだ……?」
青年は目を凝らす。
土煙が晴れていく。そこに降り立った何者かは、あの少女のようで
「「ところでノラ」」
女と少年がシンクロする。
その姿は――?
「久しぶりで、わたしも加減がきかなかったの」
言うと、その
果てしなく美しい銀髪。不健康さを感じさせないギリギリまで彩度を落とした白い肌。限り無く白に近いピンク色で、ロング丈の――いや、
「
その腕に、まるで運命のようにぴたりと、抜身の刀が降ってくる。
「ここを生き残る程度なら、これで十分かしらね」
その女性は、切っ先を、青年の一人に向けた。
見つからないように、確かに隠れていたはずの、青年に向かって。
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