踏切の向こう側

すでおに

踏切の向こう側

 夏の暑い午後だった。


 ワイシャツの半袖から覗く二の腕を太陽がじりじりと焦がしている。


 歩いているだけで汗が噴き出し、ハンカチで額を拭う。


 ビジネスバッグは汗を吸った様に重かった。


-駅前の店でアイスコーヒーでも飲もうか-


 だけどもう彼女はいない。


 彼女の笑顔に癒されたくて通った店だった。


―美味しいコーヒーですね―


―ありがとうございます―


―サンドウィッチ、美味しかったです―


―ありがとうございます―


―髪を切ったんですね。お似合いですよ―


―いつもありがとうございます―


 少しずつ言葉を交わすようになって、勇気を出して誘ってみようと思っていたのに、躊躇っているうちに彼女は店を辞めてしまった。


 切ない記憶を遮るように踏切が鳴った。


 普段なら急いで渡るけれど、こんなに暑い日は走ったらめまいがしそうで立ち止まる。


 遮断機が下り、赤い矢印が右左に点灯した。


 ふと目を向けた踏切の向こうに、彼女がいた。


 アスファルトから昇る熱で、陽炎のように揺れていた。


 店では結んでいた髪を下していたし、店でしていた焦げ茶色のエプロンもしていなかったけれど確かに彼女だった。


 白いブラウスが眩しかった。


 彼女も僕に気づいた。そして微笑んでくれた。


 黄色い電車に遮られ、彼女が見えなくなった。


 右から左へ走る電車に交差するように、反対からも走り抜けて行った。


 電車が通り過ぎたあとに、彼女の姿はなかった。


 風のように消えていた。


 幻だったのだろうか。


 遮断機が開いて踏切を渡り、彼女が立っていた場所を踏みしめた。


 夏の暑い午後だった。



 季節が秋に変わった。


 青く澄んだ空に飛行機雲が浮かんでいた。


 踏切が鳴って、また僕は立ち止まった。


 そうしたらまた、踏切の向こうに彼女がいる気がして。


 本当に彼女がいた。


 白いブラウスは長袖に変わっていたけれど、幻でも陽炎でもなく間違いなく彼女だった。


 彼女は僕に気づいた。


 二人の重なった視線を遮るように特急列車が通過した。


 銀色の車体があっという間に走り去る。


 踏切の向こうに、髪を振り乱して逃げて行く彼女の背中が見えた。

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踏切の向こう側 すでおに @sudeoni

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