2. 人外娘と出会うカラシン

(カラシン視点)


仲間とはぐれ、傷ついた足を引き摺りながらひとり森の中を彷徨っていた俺は、遠くに焚火の光らしきものを見つけた。


「助かった!」


と思わず声が出る。魔物の森をひとりで彷徨うなんて危険すぎる。あそこに居るのが誰であろうと一刻も早く合流しよう。もう疲れて動けない上に、足の傷からの出血も止まらない。その上辺りはどんどん暗くなって行く。


 藪を掻き分け、這うようにして焚火に近づいた俺は驚愕の光景を見ることになった。焚火の傍に座っている金髪の娘とそれを囲む10匹ほどの巨大ムカデの群。助けないと! と思った瞬間、娘が立ち上がり、アッと言う間にムカデの群を全滅させた。火魔法を使っていたがなんて威力だ! 巨大なムカデが一瞬で蒸発していた。


 あいつは何なんだ!? あの魔法は尋常じゃない。威力もすごいが、あの威力のファイヤーボールを3回連発して見せた。詠唱なんてしているはずがない。伝説の無詠唱魔法というやつか? 俺の場合、魔法を一発撃つのに精神集中と詠唱に最短10秒は必要だ。この準備動作の長さが魔法使い最大の弱点とされる。その弱点をあの娘はいとも簡単に克服して見せたのだ。


 感心していた俺は、焚火の場所に戻ってくる娘を見て恐怖に固まった。焚火の光に照らされた娘は、口の周りから胸にかけてべっとりと血が付いている。どう考えても娘の血ではない。何かを食い殺したのだと気付く。何か、もしくは誰かかもしれない。思わず草むらに身を隠した。ここは魔物の森。森の深部には魔族と呼ばれる人外の者や精霊が住むという。あれは人間ではない! 俺は一瞬で悟った。


 見つかったら殺されるかもしれない。姿勢を低くして必死に草むらに身を隠す。だが、娘は焚火の傍に戻るなりしゃがみ込み、俺と目を合わせて来た。最初から俺が隠れていることなんかお見通しだったのだ。次の瞬間、娘が「うぎゃぁぁぁぁぁ~~~~~」と吠えた。逃げ出そうとしたが恐怖のあまり腰が抜けていた。必死で手足をバタバタと動かすが立ち上がることが出来ない。そうこうしている内に、一旦見えなくなっていた娘が再び顔を出しこちらを睨んできた。


「お、お、お願いだ。たすけてくれ。俺は不味いぞ!」


と必死に声を出すが、もちろん無視される。相手はゆっくり近づいてくるが、情けないことに俺は動けない。地面に座り込んだまま、ジタバタと後ろに下がるだけだ。目は娘の恐ろしい顔から離すことが出来ない。


「ゲガ?」


と娘が何か言う。だが何と言ったのか分からない。どう反応しようかと悩んでいると娘が離れて行く。逃げるなら今しかない! 何とか立ち上がり精一杯の速さで逃げ出した。後ろから何か叫んでいるのが聞こえたが、今は無視だ。暗闇に紛れれば何とかなるかもしれない。


 だが、俺は再び人外の者の強さを思い知らされることになる。娘が一瞬にして追い着き俺を引き倒したのだ。押さえつけられて身動きが取れない。なんて怪力だ! この細っこい身体のどこにそんな力があるのだ! 食われる!? と思った瞬間、意外にも娘は俺を開放した。


 それからのことは正直よく覚えていない。恐怖の余り心が麻痺してしまった様だ。逃げたら殺される気がして彼女に付いて行き。気が付くと、俺は娘と共に焚火の傍に立っていた。



(ソフィア視点)


 この人は焚火の傍に張った結界を問題なく通り抜けた。と言うことは悪意はないということだ。だから大丈夫と恐怖で固まる自分に言い聞かせる。決心を固めて振り返ると、相手の顔も何だか引きつっている様に見える。それに何だか全身が震えているし、顔色も悪い様な...。


「さむい?」


と聞いてみる。傷は治したが、傷口に薬を振りかける方法では体力までは回復できない。大量に血液を失って貧血状態にあるのかも。相変わらず返事はないが、体力回復にはリクルの実だ。貴重な食糧だが仕方がない。私はリュックからリクルの実をひとつ取り出し、相手に差し出す。相手はそれを受け取ったもののどうすれば良いのか分からない様だ。私は「たべる」と言いながら、リクルの実を齧る様ジェスチャーで示す。


 相手は私の意図が分かったのか、リクルの実を少しだけ齧った。途端に顔色が変わり、がつがつと食べ始めた。そうでしょう、リクルの実は美味しいよね。


 リクルの実を食べ終わった顔を見て、思わず笑いそうになる。口の周りにリクルの果汁がべっとりと付いて真っ赤になっている。そうよね、あの大きな実に噛り付けばそうなるよね。だけど男はすぐにハンカチを取り出して口の周りを拭いている。行儀の良い人だ。


 男の顔色も良くなった、流石にリクルの実は効果抜群だ。さてどうしよう、会話なんて初めてだ。まずは名前からだろうか。


「わたし、なまえ、ソフィア」


と出来るだけゆっくりと言ってみる。


「カ、カ、カラシンだ。」


おお! お母さん、初会話成功だよ!


「カラシン、にんげん、わたし、おなじ」


私はあなたと同じ人間だよ、と言ったつもりだ。私の姿を見れば同族と分かると思うが、私は自分の姿に自信が無いし、服だって精霊のお母さんが魔法で作ってくれたものだ。人間の女が着る物とは違うかもしれない。通じたかなと不安だったが、カラシンさんはすぐに何度もうなづいてくれた。どうやら私も人間だと分かる姿をしている様だと分かり安心する。それにしてもカラシンさんはまだ体の震えが止まっていない。リクルの実を食べたのに...。




(カラシン視点)


「カラシン、にんげん、わたし、おなじ」


とソフィアと名乗った娘が言う。俺は心の中で呟いた。「嘘つけ。こんな人間がいるわけない」と。あれだけ人間離れしているところを見せつけられたのだ。言葉がたどたどしいのも、慣れない人間の言葉を話しているからに違いない。こいつにだって、俺に人間でないことがバレていると分かっているはずだ。なのに今更こんな事を言うなんて...。そうか! 俺に口裏を合わせろと言っているんだ! きっと、この後俺に人間の住むところまで案内させるつもりなんだろう。先ほどの言葉の意味は、人間の住むところに着いたら彼女は人間だという前提で行動しろと言うことだ。いやだと言ったら殺されるだろう...。俺は反射的に首を縦に何度も振っていた。もちろん殺されるのは嫌だ。だが、こいつは村に着いたら何をするつもりなんだろう。ひょっとして油断させておいて、村中の人間を食い殺すつもりなのか? 気が付くと恐ろしい場面を想像したからか身体中が震えていた。



(ソフィア視点)


 カラシンさんの身体の震えが止まらない。体調が悪いのは間違いない様だ。私はカラシンさんに毛布を渡すと、


「ねる」


と言って地面を指さした。カラシンさんが横になると深眠への誘いの魔法をかけ強制的に眠らせた。リクルの実でも回復できないほど疲れているのかもしれない。この森で魔物から逃げ回っていたとしたら碌に寝てもいないだろう。とりあえず休息を取らせるのが一番だ。


 カラシンさんが寝ると、やることが無いので私も寝ることにする。ひとつしかない毛布をカラシンさんに渡してしまったので、私は毛布なしだが、焚火の傍で寝れば寒さは防げるだろう。体力には自信がある。


 翌朝はいつもより早く目が覚めた。焚火は火魔法で燃焼速度を調整していたので、まだ消えていないが、それでも毛布なしでは夜明け前は寒くて目が覚めた様だ。ちょうど太陽が昇ったところだ。私は起き上がって太陽に向かって伸びをする。それから洗浄の魔法で全身の汚れを取り去った。水浴びが出来ないときには便利な魔法だ。良かった、さっき気付いた胸元のリクルの果汁の染みも綺麗にとれている。お母さんにもらった服だから大切にしたい。


 カラシンさんはまだ目が覚め無い様だ。少し魔法が強すぎたのかもしれない。今の内にカラシンさんにも洗浄の魔法をかける。その方が起きた時気持ちが良いだろうからね。


 さて、これからどうしよう。私はお母さんに言われて人間の住む土地に向かっているが、カラシンさんはまだこの森で用事がある可能性がある。別れることになるのかもしれない。正直そうあって欲しいという気持ちが強い。今は眠っているから良いけれど、やはり、傍に他の人間がいるなんて緊張するよ。


 それから私は探査魔法で水の在りかを探した。水筒の水を補給する必要がある。幸い100メートルほど離れたところに湧き水がある様だ。カラシンさんは寝たままだが、ここには結界があるから大丈夫だろう。私は今のうちにと湧き水に向かって歩き出した。

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