魔物の森のソフィア

広野香盃

1. 森から追い出されるソフィア

(ソフィア視点)


「酷いよ、お母さん...」


私は途方に暮れていた。周りは昼でも薄暗い魔物の森。凶悪な魔物が跋扈する危険な所だ。それはいい、それはいいんだ。私はこの森で育った、土地勘はあるし、魔物に対処する方法もある。問題はこれから私が行かなければならない所。人間の住む世界だ! 森に住む精霊達から色々と人間の恐ろしい噂を聞いている。人間は腹が減ったら仲間を殺してその肉を食うとか、集団で他の集団としょっちゅう殺し合いをしているとか、貴族と呼ばれる一握りの人間が贅沢に暮らし、他の者は奴隷と呼ばれ家畜の様に働かされているとか、精霊を見つけたら捕まえようと、魔物の森であろうとも執念深く追いかけて来るとか、ひとりを傷付けると100人で仕返しに来るとか、畑とかいう物を作るために森の木をどんどん切り倒しているとか、色々だ。


 小さい時に遊んでくれたトムスがよく言っていた、「人間には近づいちゃだめだ、食べられてしまうぞ。」って。それなのに、何で! なんでお母さんは私を森から追い出すの? 人間の世界に行きなさいなんて、私に死ねと言うようなものじゃない。涙で視界が霞む。私は何日も泣きながら歩いている。森の出口に向かって。


 樹上から突然、全長数メートルはあるヘビの魔物が飛び掛かって来た。魔物に襲われるのはこれで何度目だろうか? 魔物が発する気配を感知した私は左にステップしてヘビの攻撃を避けるのと同時に、右手に持っていた短剣でヘビの頭を切り落とした。単独で襲ってくる魔物なんて脅威ではない。



(精霊王視点)


 ソフィアは相変わらず、ぐすぐずと泣きながら頼りない足取りで森の外へ通じる獣道を歩いている。「まったく! 少しはしっかりしなさい!」 と言いたいが、隠れて見守っている身としては口を出せないのが歯がゆいばかりだ。今私はフクロウの姿をしている。ソフィアに見つからずに付いて行くにはこの方が都合が良いからだ。ソフィアは途中で何度か低級魔物に襲われていたが、あの程度でどうこうなる様な育て方はしていない。身の守り方は真っ先に教え込んだ。この森で生きて行くのに必須の技術だからだ。


 ソフィアがこの森に来た時のことを思い出す。もう15年も前の話だ。森に迷い込んできた人間の女が連れて来たのだ。なぜその女がこの魔物の森に、しかも赤ん坊を連れてやって来たのかは分からない。私が見つけた時には女は魔物に襲われて既に死んでいたのだから。赤ん坊だったソフィアも私が来なければ女と同じ運命を辿るところだった。


 ソフィアを助けたのはほんの気まぐれだ。昔、どこかの国の王子と精霊契約をしたことがあって、人間について少しは知っていたのと、人間の赤ん坊という未知の物に対する興味があったからかもしれない。もっとも赤ん坊を抱き上げてから途方に暮れた。人間の、それも生まれたばかりの赤ん坊の育て方など、精霊である私が知るはずがない。人間は人間の女から生まれて来るらしいから、恐らく目の前に横たわっている女が母親と言う物なのだろう。


 赤ん坊には母親が乳を与えるのは知っていた。と言うことは、母親が死んでしまった今、この森には赤ん坊が口に出来るものはない。食い物がなければ死んでしまうだろう。しばらく考えた末、私は自分の身体を母親そっくりに変化させることにした。幸い見本となる母親は目の前に横たわっている。魔法を使って母親の体内組織を探り、出来る限り同じになる様に自分の身体を変化させる。もちろん全く同じと言うわけにはいかない。新しい身体から乳が出ることは確認したが、この乳を飲んで赤ん坊が無事に育つのかどうかは正直言って確信が無かった。私の体内から出たものだ、おそらく大量の魔力が含まれている。多すぎる魔力は毒になることもある。


 まあ、私の心配を余所にすくすくと育ったソフィアが目の前にいるのだが。身体は立派に育った、知識についても普通の人間以上の物を与えてやれたと思う。なにせ、私は人間なんかに比べれば遥かに長く生きているのだ、人間共の知らないことも多く知っている。だが精神面は分からない。人間は集団生活をする生き物だ、それなのにソフィアは他の人間というものを知らずに育った。特に人間どうしのコミュニケーションの手段である言葉と言う物については問題がある。一応私から教えはしたものの、まだまだ練習しないとうまく話せないはずだ。だが、森にいる限り言葉の練習の機会はない。私達精霊とのやり取りは念話で十分だからだ。



(ソフィア視点)


 そろそろ暗くなってきた。夜に森をうろつくのは危険だし、1日中歩いたのでいい加減疲れた。おなかも空いて来たし、夜を明かす場所を探そう。横になるのに都合が良い平らな場所を探し出し、ポケットから結界石を取り出して発動させる。お母さんが持たせてくれたものだ。石の周りに半径3メートルくらいの透明な結界を張り巡らし、悪意のあるものが通過するのを妨げる。夜露までは防いでくれないのが難点だけど。


 野宿をする場所を確保したら、周りから適当な木を拾ってきて火を起す。少々湿っている木でも着火は火魔法を使えば一瞬だ。この程度の魔法なら私にも出来る。火が確保できたら次は腹ごしらえ。私は背負っていたリュックからリクルの実をひとつ取り出した。瓜に似た形の実で、直径は12~15センチメートル。長さは20センチメートルくらいの細長い形をしている。表面は緑色で、中は血の様に真っ赤だ。リクルの実はこの森で私が主食としていた物だ。お母さんが言うにはリクルはこの森以外では存在しない植物らしい。豊富な魔力を含んでいて、人間達は病気の治療に薬として使うそうだ。この森では私の食糧となる物は限られている。もっとも料理という加熱処理をすれば食べられるものは沢山あるらしいが、物を食べる必要のないお母さんはその方法を知らないらしい。だからリクルの実は私の貴重な食べ物だった。リクルの実は栄養豊富なだけでなく、甘くてとっても美味しい。私はほとんどこの実だけで育ったといっても良いと思う。


 食事の時いつも思うのだが、リクルの実を切り分けるのに調理用のナイフを持って来なかったのは大失敗だった。住み慣れた家から出て行く様に言われて気が動転していたのだろう。短剣はあるが、私は今日もこの短剣で沢山の魔物を切り刻んできた。ついさっきもヘビの魔物の首を切り落とした。あのヘビは有毒だったはずだ。毒が付着している可能性のあるこの短剣で食べ物を切るのは抵抗がある。


 水場があれば短剣を洗うことも出来るのだが、水場を探そうにも辺りはすでに暗くなり始めていて動き回るのは危険だ。普通の物なら洗浄の魔法を掛ければ綺麗になるが、この短剣には切れ味と強度を増す付与魔法がかかっているので洗浄の魔法の重ね掛けは効果がない。仕方がない、いつもの様に、ここには私しかいないんだから格好をつける必要もないよねと自分に言い訳して、リクルの実に大きな口を開けて噛り付いた。薄い皮を咬み破ると甘い果汁が口いっぱいに広がる。お腹が減っていた私は夢中になってリクルの実を食べた。

 

 半分ほど食べ終わった時、またもや魔物が現れた。巨大なムカデの魔物だ。10匹くらいの群れで、私は既に囲まれている様だ。私を今日の夕食にするつもりなのだろう。いや、前言撤回。体長は3メートルくらいある、夕食じゃなくて前菜だ。私程度じゃ彼らの夕食としては足りないだろう。もっともおとなしく食べられるつもりはないけれど。


 ムカデの魔物はかなりの速度で私に迫って来たが、先ほど張った結界に阻まれそれ以上近づくことが出来ない。放って置いても良いのだが、さすがにすぐ目の前で沢山の巨大ムカデにうろうろされたら落ち着けないし、このムカデの魔物はそれほど強くないと知っている。


 私は急いで残りのリクルの実を口の中に押し込むと、短剣を手にもって結界の中から飛び出した。目の前にいた一匹の頭を短剣で切り落とし、そのまま走って包囲を突破する。当然巨大ムカデの群れは私を追って来るから、そのまま少し走って先ほどいた場所から引き離す。ここなら魔法を使っても、後に置いて来た荷物に被害が及ばないと思える場所まで来ると、私は振り向きざまにファイヤーボールを放った。ファイヤーボールは一番近くまで迫っていたムカデに当たり、頭部を一瞬で吹き飛ばす。残りは8匹だ。そのまま巨大ムカデが密集している場所を目掛けて2発目、3発目のファイヤーボールを打ち込むと、1発で2匹、計4匹を倒すことが出来た。残りは後4匹。残りのムカデは私を強敵と見たのか慌てて逃げ出した。


 やれやれ、逃がしてしまった。お母さんならあんなの一瞬でやっつけていただろう。まあ、私ではどう足掻いてもお母さんには届かないのは分かっている。お母さん...私を追い出すのは、いくら教えてもお母さんの満足できる結果が出せないから? でも私頑張ったよ、お母さんに追いつこうと必死に頑張ったのに...。


 今更どうしようも無いことを考えながら荷物を置いた場所に戻る。もう今日は寝よう。横になろうと焚火の傍に屈みこんだ私は、草むらからこちらをのぞき込む誰かと目が遭った。人間!!!


「うぎゃぁぁぁぁぁ~~~~~」


 驚きと恐怖の余り、力の限り叫んでいた。人間の住む場所はまだ先のはずだ。なぜこんなところに人間が! 早すぎる! まだ心の準備が出来てない。私は腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。大丈夫! ここは結界の中だ! 悪意あるものはここには入って来れない! 落ち着けソフィア! そうだよ、私はお母さんから人間の世界に行くように言われているんだ。いずれは出会う必要があるんだ。


 勇気を出して相手を見ると、動かずにその場に留まっている様だ。しばらく見つめ合っていると、相手が声を発した。


「#$%%&&#${}[]\ たすけて ##$$%%{}\^=#%」


何? なんと言ったのだろう? だめだ聞き取れない。人間の言葉はお母さんに教わったけれど、こんなの必要ないと思って、まじめに勉強しなかったからな。「たすけて」という部分だけ聞き取れたけど、ひょっとしたらあの人もムカデに襲われていたのかな? 私がムカデをやっつけたから「たすけてくれてありがとう」とお礼を言われたのだろうか?


 恐々おそるおそる立ち上がり、相手に近づいて行く。恐怖に身体が震える。緊張は最高レベルだ。なにせ相手は人間なのだ! 個々は魔物より弱いらしいが何かあると集団で襲って来る狂暴な奴らだとトムスが言っていた。この人間は囮で、私を襲おうと仲間が近くに潜んでいる可能性もある。


 慎重に草を掻き分け相手に近づく。これが人間というものか? なんだ、お母さんの姿と変わらないじゃないか。もちろん細部は違うけれど。この人は茶色の短髪で、目はグリーン、顔は日に焼けて浅黒い。胸が膨れていないから、これが話に聞いた男という物かもしれない。背は座り込んでいるからはっきり分からないが、私と同じか少し高いくらいだろうか。私が近づくと、その人は驚いたように大きく口を開け、地面に座り込んだまま手と足を使って後ずさる。太もも辺りの服が裂けて大量の血が付いている。


「けが?」


と話しかけてみるが反応がない。私の発音が悪いからかもしれない。それに咄嗟に文章を組み立てるのは無理で単語しか出てこない。でも出血の具合から言って放って置くとまずいだろう。自分の荷物を置いた場所に戻り、リュックから回復薬の小瓶を取り出した。森に生えている幾つかの薬草から私が作った薬だ。薬の作成だけはお母さんの期待に添えたと思う。


 薬の小瓶を手に持って戻ると、その人間は立ち上がって、足を引きずりながら逃げ出そうとしていた。


「まつ。くすり。」


と呼びかけるが無視される。でもあの傷を放って置いたら死んでしまうかも! 私は夢中でその人間に走り寄って首根っこをつかんで引きずり倒した。その上で片手と片足で相手を動けない様に押さえつけたうえで、薬の小瓶の中身を傷口に振りかける。途端に白い煙が上がる。これで大丈夫なはずだ。ほっとした途端我に返った。ギャーッ、私、人間に触ってしまった!


 慌てて飛び退いた。心臓がバクバクしている。私なんて大胆なことを! 絶対怒っているだろうな。なにせ、いきなり引き摺り倒した上に拘束したんだ。ちゃんとした言葉で話せば分かってくれたかもしれないのに...。


 その人はさっきから唖然とした表情をして動かない。ど、どうしよう?。これ以上の接触は精神が持ちそうにない。この人の怪我はもう大丈夫だろう、向こうに行く様に言いたいが言葉が出て来ない。さっきは逃げ出そうとしていたのだから、放って置けばどこかへ行ってくれるだろうか。


 私は何も言わず、焚火の場所に引き返した。後ろを振り返るのが怖い! まさか付いて来てないよね...。だが、そんな私の希望は無残に打ち砕かれた。背後の茂みがガサッっと音を立てる。振り返るまでもなくさっきの人が後を追って来ている。


 どうしよう!? 私はパニックになって焚火の場所まで全速で駆けた。この焚火の周りには悪意のある者が入れない結界が張ってある。だからあの人間は近づけないはず。だが、そんな私の期待も空しく、足音はどんどん近づいてきて、とうとう私のすぐ後ろまで来た。明らかに結界の内側だ! 何? 結界をすり抜ける魔法を使っているのか? いや、そんなことが出来るのはお母さんくらいだ。悪意は無いのだろうか?

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