Without a stopwatch

樹坂あか

Without a stopwatch

「ラスト三分でどんでん返しとか、全てが引っくり返るとかさ──」


 甘ったるいカフェオレで文を区切り、私は続ける。


「どこからの三分カウントなんだろうね」


 またいきなりどうしたの、と彼が笑う。ぱらぱらと読み返していた文庫本を閉じ、私のそれよりかなり砂糖が少ないカフェオレに口をつける。

 彼の手にあるのは、私のお気に入りの推理小説。そして私の膝にあるのは彼のお薦めの推理小説。


「いや、今日のお題がミステリーだからさ。推理モノって映画化とかするともう何番煎じだってレベルでこの手の煽り文句見かけるじゃない」

「まあそれだけ客を引き付けやすいんだろうね。どんな風に予想を裏切ってくれるのかって」

「それはわかるんだけど、ふと考えてみたら気になっちゃって」


 十中八九統計も規定もないのだろうが、別に答えを求めているわけではない。

 私が割と思い付きで物事を口にすることは彼もよく知っている。


「エンドロール含めての三分なのか、エンドロール抜きでの三分なのか、そもそもエンドロールってどこからなのかって、考えれば考えるほど謎が深まるばかりなんだよね。ほら、エンドロール流しながらバックで物語進行してることだってあるし」

「エンドロールの後に後日譚みたいなのが入ってるのもあるし?」

「そうそう。映画じゃなくて本だったら、『ラスト三ページ』って言われたらまず本編の後ろから三ページでしょ? 動くものになると途端にその辺曖昧だよね」


 彼推薦の小説にも同様の煽り文句はあったが、数えてみたらちゃんと本編の指定ページで衝撃が描かれていた。おお、とちょっと感動したのは数分前の話だ。これも映画化したらきっとラスト三分だか五分だかの表記が付くのだろう。


「ストップウォッチとか持って見ないといけないのかな」

「映画の内容入ってこないと思うけど。どんでん返しはいねぇかーって気ぃ張って」

「わかってるよ。実際にはやらないもん」


 からかうような口調に唇を尖らせる。私はなまはげか何かか。

 彼は喉の奥でくつくつ笑うと、カフェオレのマグカップをテーブルに置いた。


「そんな厳密に気にする人もなかなかいないとは思うけど、多分実際に映画見てたら煽り文句なんか忘れるんだろうね。作った側もどこからにしろ正確に三分計ったかっていうとそうじゃないだろうし。俺らだっていちいち本の帯のコメント気にしながら読まないでしょ」

「まあ……そうだけどさ。それ聞くと確認がとれない分うまいこと誤魔化されてうやむやになってる感がすごい」

「世の中とはそういう曖昧なものだよ」

「真理。……でも、曖昧とうやむやは違くない?」

「違うの?」

「……違う気がする」


 なんとなく。


「曖昧は状態だけどさ。うやむやは人為的に誤魔化してる感じがするから、なんか、嫌だ」

「哲学だねぇ」

「……だめだなんか論点ずれた上にすごいスケールでっかくなってる。絶対収集つかないこの話」


 いつのまにか畳めない風呂敷を敷いてしまうのは、私の思い付きにはいつものことだけれど。

 ……話ならこうして気づいた瞬間速攻で裁ち切れるのにな。

 もうやめよ、と言いつつ苦笑して、私は残りのカフェオレを呷った。


「もう一杯飲む?」

「ううん、大丈夫。ありがと」


 横目で壁掛けの時計を確認すると、針は六時半を少し過ぎたところ。お互い読み終わったことだし、頃合いだろう。


「私、そろそろお暇しようかな」

「……夕飯、どっかで食べてく? 近所に新しくパスタの店できたけど」

「んー、私はいいかな。また今度教えてよ、行ってみたいから」

「行きたいなら今日行けばいいのに」

「いやまあ、せっかくのお休みをこれ以上侵食するのもさ。読書会の目的は達成された訳だし」


 隔週の土曜日の午後。私達の小さな読書会は、私の思い付きから始まった。

 行きつけの個人経営の古書店の常連同士、行くとほぼほぼいるなぁというのが互いの認識だった。その時点で読書傾向が被っていたのだろう、必然的にある日とうとう欲しい本が被ったのが、きっかけ。

 譲り合いの精神というのは過ぎれば結論に着地しなくなるもので、そっちがどうぞいやいやそっちがのやり取りを若干喉が乾くまで続けたところで私が折れた。というか、妥協点を思い付いた。


 ──じゃあこの本はありがたく私が買わせていただきます。

 ──で、読んだらあなたにお貸しします。


 彼は少し驚いた表情をして、それから私の申し出に頷いた。読ませてもらうのだからと会計の時に彼もいくらか支払おうとしたがそれは固辞し、結局私の所有になるのだからと押しきった。レジ前でわいわいしている常連二人に店主のおじいさんが不思議そうにしていたのも、今となってはいい思い出である。

 お互いまず間違いなくここにいるよね、という理由で、彼への貸し出しは翌々週の土曜の午後となった。今の今まで引き継がれている、約束の時間帯だ。


 その約束を交わしたときには、まさかこうして彼の部屋で本を読むなんて考えてもいなかった。


 約束の期日に、彼に本を渡して。新しい本を見繕って買おうとしたら、それはどうも彼が既に所有している本だとかで。そこから本の貸し借りが連鎖して。感想を言い合ううちに盛り上がって、ここじゃ迷惑になるかなと書店の近所のカフェに場所が移って。コーヒーくらいなら淹れれるけどと、会場が書店に程近い彼の部屋になったのが確か三ヶ月ほど前のこと。手に入れた本は早急に読みたいというお互いの欲望が合致し、お題を決めて本を貸し合い即読むという現在の読書会のスタイルが確立したのもその頃だ。最初はかなり緊張、かつちょっと警戒していた彼の部屋も、今ではすっかりくつろぎ空間である。……心底くつろげるかというと、まあ、違うのだけれど。

 寒がりの私に合わせた空調。私好みの甘ったるいカフェオレ。読むとき猫背になってしんどそうと言って貸してくれたビーズクッション。いつの間にかだだっ広くなってしまった至れり尽くせりの風呂敷は居心地が悪くなるほど心地よくて、畳む術もわからぬままに、私は二週に一度のおしゃれを続けてしまう。

 曖昧な関係、とかいうやつだろうか。ラスト三分以上に手垢の付いた表現は、果たして私達に適用できるのだろうか。願望というフィルターのかかった感覚は、私に都合よく歪むから信用ならない。


「次は何にしよっか」


 私のかたちにへこんだもちもちビーズクッションを復元しつつ、私は思考を切り替える。今回がミステリーでその前がホラーだったから、がらりと変えて時代物なんかいいかもしれない。

 お題は大抵私が決めているが何か要望はあるだろうかと彼を見遣ると、彼はいつの間やら台所にいた。テーブルの上から私の使っていたマグカップがなくなっている。


「あ、洗い物なら自分でするよ」


 立ち上がろうとすると、その前に彼が戻ってくる。手には湯気の立つマグカップ。

 私はきょとんと目を瞬いた。


「……え? 私、いいって」

「問答無用」

「えええ……」


 コトン、と音を立ててテーブルに置かれたカップからは、先程とは少し違う香りがする。


「……チョコ?」

「カフェモカっぽくした」

「へぇ……聞いたことはあるけど」


 何故かはわからないが、とにかく淹れてもらったものはありがたく飲むとしよう。

 自分の買い換えるついでに百均で買ったと言っていたマグカップは彼のものより一回り小ぶりで、丁度よく私の両手に収まる。口をつければミルクチョコレートの慣れ親しんだ香りが広がった。


「あ、おいしい。これ好き」

「ならよかった」

「でもなんで追加? 再来週でもよかったのに」


 首を傾げると、彼はどうしてか私の隣に座り直して残っていたカフェオレに口をつけた。動き次第で腕の触れそうな距離に、内心でささやかに動揺する。

 今日は一体どうしたというのだ。ちびちびカフェモカを啜っていると、彼がぽつりと口を開く。


「……俺、再来週、用事入ってさ。再来週って言うか、来週の半ばくらいから月末まで県内にいないんだよね」

「ありゃ、そうなんだ。じゃあ──」

「で。……今月、もう会えないから。今回どうにかして引き留めたいんですが」


 いかがでしょう、と。ワイドショーのコメンテーターに話を振るMCのような、彼には珍しい口調が耳朶に引っ掛かって、何がと脳内で前の言葉を反芻させた私は見事にフリーズした。近距離で、視線が絡んで動けない。

 彼はどこか緊張したように目を伏せる。


「……元々明日は誘おうと思ってたんだよ。今日貸したそれ最近映画化して、明日封切りだから、一緒にどうかなって」

「あ、と、……そう、なんだ」

「でもまあ、それ思った後でしばらく会えないってのがわかって……欲が、出まして」


 どうせなら、このまま一緒に。

 曖昧な結び目をきちんと結んで、会えない分をもっと濃く、長く。


「……世の中は曖昧なものなんじゃなかったの」

「今思えば失言だから忘れて」

「……忘れた」


 彼の肩が小さく跳ねて、不安と期待と、感情を載せる瞳でじっと私を見つめてくる。

 一切準備してないとか、身支度したかったとか、言いたいことは色々あるけれど、別に全部後で言えばいいことだ。


「ご飯、いこ。パスタのお店行きたい」

「……うん」

「カフェモカももっと飲みたい」

「うん」

「あと、帰りにコンビニ寄って。メイク落とし買うから」

「……ストップウォッチは?」

「断じて買わない。もうそこはうやむやのままでいい」

「うやむやは嫌なんじゃなかったの」

「……ばか」


 デートで行く映画くらい普通に楽しみたいよ。

 そう言うと、彼は少し驚いた表情をして、それからしあわせそうに笑った。

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