34.王女殿下のヒント

 なぜ?

 どうして侯爵は私を眠らせたの?

 

 瞼にじんわりとした光を感じて目を開けると、私は見知らぬ部屋の中に居た。


 壁一面が本棚になっている部屋で、その他にも豪華な装飾が施された家具が並んでいる。大きな窓の前にずしりと構える執務机に王家の紋章があることから、どうやら王宮のようだ。


 ”私”は部屋をぐるりと見回し、ノアの姿を捕らえた。


 彼は”私”を見るなりセレスティーヌ王女の名前を口にした。

 私はまた、彼女の記憶を覗いているようだ。


 ノアは驚いて椅子から立ち上がり、部屋の扉を乱暴に開けると外に立っている近衛騎士を怒鳴る。


『どうして王女殿下を通した?!俺の中には悪魔が眠っているんだぞ?!』

『しかしモルガン卿、これは国王陛下からのご命令なのです』

『ノア、私が父上に最後のお願いをして許してもらったの』

『はぁ?!……ったく、バージルも老いたものだ』


 彼は近衛騎士から手を離すと、不機嫌を露わにして椅子に座る。

 ”私”はの彼の目の前に歩み寄る。そっぽを向いていた彼はチラとこちらに目を向けた。


『仇に話しかけに来るな。俺はお前の叔父を、バージルの兄を殺したんだぞ?』

『……でも、あなたがそうしなければもっと多くの人が死んでいたわ』

『いや、首都の市民を生贄に悪魔ニグレードアを召喚した罪人は俺だ』

『どうしてそんな嘘をつくの?!』

『セレスティーヌ、良い子だから理解しなさい。俺は悪魔ニグレードアを召喚して多くの人を殺し、王家は俺に裏切られた被害者だ。そんな俺を拾ったのは豪傑王バージルの唯一の汚点であると認識するんだ』

『無理よ。どうしてあなたがおじさまの罪を背負おうとするの?』

『俺が好きな場所が永遠にあって欲しいからさ。フェリエール王室は、どこの馬の骨かもわからない俺を家族同然で育ててくれた。王族は民に支えられてこそ在り続ける。だから、悪魔が王族の人間に召かれただなんて知られてはならない』

『でも……』


 ”私”が彼に手を伸ばすと、彼は”私”の名前を呼んで窘めた。

 複雑な顔をして、”私”の瞳を見つめる。彼が抱える様々な気持ちが伝わってくる。迷いや悲しみ、そして寂しさが。


『セレスティーヌ、どうかこの先も俺の大切な妹であって欲しい』

『ずるいわ。私の気持ちを知っているくせに』

『ああ、俺はずるくて自己満足な男だよ』


 彼は困ったような笑顔を”私”に向ける。


『もう明日発つんだよな、結婚おめでとう』

『……最後に、子どもの頃にやってくれたみたいに抱きしめてくれる?』

『だぁ~めだ。罪人との噂が流れたらどうする?』

『ケチ。お願い聞いてくれなかったこと、絶対に後悔させてやるわ』

『へーへー。やれるもんならやってみな』

『ノア、愛してる』

『ありがとな。その気持ち、ここに全部置いていけよ?』

『欲張りね』

 

 じんわりと、ノアの輪郭が歪みだす。きっと、セレスティーヌ王女殿下は泣いていたんだ。”私”を見るノアが必死で笑顔を保っているのが分かる。彼女を安心させるためにそんな表情を作っているのも。


 史実によると、セレスティーナ王女殿下は隣国のローシェルトに嫁いだ。


 光属性の魔法が使える彼女はローシェルト王国から歓迎されて、この政略結婚を通してフェリエール王国とローシェルト王国の絆は確かなものになったのだ。その関係は現在も続いている。


 セレスティーナ王女殿下は光属性の魔法でローシェルト王国に貢献し、今でも彼女を称える石像や言い伝えがあるのだという。


 ノアが彼女の願いを受け入れていたら、この史実も無かったかもしれない。

 ノアはきっと、彼女のことを愛している。だから突き放したんだ。


 "私"は踵を返して扉へと向かう。

 振り返ると、ノアは俯いて両手で顔を覆っている。そんな彼の姿が滲んで見える。


『参ったな。バージルも毎日情けねぇ顔で来るし、これじゃあ罪人の扱いにならないじゃねぇか。塔でも建てて籠ろうかねぇ』


 そう呟く、彼の声が聞こえてきた。


×××


 辺りの景色が薄らいで消えていくと、真っ白い空間が現れる。

 私は目の前に居る王女殿下に両手を包み込まれているのに気づいた。


「ノアは、私たち王族を守るために全てを背負い込み続けています」

「ええ……頑なに一人で抱えているのが伝わってきました」

「今のあなたの状況にも思い当たる点はありませんか?」


 セレスティーナ王女殿下の言葉に、私は目を瞬かせる。


「あなたにかけられた魔法を解きました。あなたを守ろうとする者に眠らされていたのですよ」

「侯爵が……」


 侯爵の悲しそうな顔が過る。


 私のためと言って眠らせてきた。


 また、胸に痛みが広がってくる。


 この痛みは何だろう?

 あの顔を思い出すと、何も教えてくれなかった疎外感が強まる。


 確かに私の力は侯爵の足元にも及ばない。

 でも、せめて何に苦しめられているのか教えて欲しかった。


「差支えがありませんでしたらあなたの不安を聞かせていただけますか?」

「王女殿下……私、自分の知らない所でみんなが動いているような気がしているんです。何かから私を守ろうとしている。でも、教えてくれない」


 侯爵の言葉も、ジネットの言葉も引っかかっている。侯爵はエドワール王子とも内密な話をしており、その中でときおり私の名前が聞こえてくるが訊いても何も教えてくれない。


 ジネットに限って私を守ろうとしているとは思えないのだが、この前見た表情が妙に引っかかっている。


「悲しいことに、答えはあなたを想う人の優しさで隠されています」

「その人も、ノアのように全て抱えてしまうのでしょうか?」

「恐らくは。相手の気持ちを尊重するか、あなたが相手の無事を優先するか、どちらにしますか?」


 王女殿下はすっと目を伏せた。

 自虐めいた表情が浮かんでいる。


「私は自分勝手ですので、あの人が無事である方が良かったと後悔するばかりです」

「王女殿下……」

「あなたは後悔しないで」


 王女殿下は私の手を包む両手を額に引き寄せて、目を閉じる。祈るような姿は神々しく美しい。


 じんわりと温かな力が手に流れ込んできた。


「忘れないでください。言の葉に姿を変えた想いや叡智は力を貸してくれます。あなたが導くのであれば」


 最後に、「どうかご無事で」と言い残して彼女は消えていった。

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