08.震えてカップが握れない

 お兄様について話そう。


 自分で言うのもあれだが、彼は重度のシスコンだ。幼い頃にお母様が無くなり、しかも私が不慮の事故、湖に落ちて溺死しかけたことがあるため私に対して異常に過保護なのだ。


 そう言えば、あの時助けた猫ってどうなったのかな?


 私は溺れて生死のはざまを彷徨っていたので、目が覚めた時には助け出されてもう自分の家に居たのだ。


 ゲームの中のシエナはその時に死んでしまうのよね……。


 私のお兄様であるリオネル・フェレメレンはそれがきっかけでヤンデレの道を進んでしまうのだ。


「シエナ落ち着け。リオネルはお前の気持ちを大切にするはずだから話せば何とかなるはずだ」

「そそそ……そうでしょうか?」


 引っ越しが終わり、私たちは侍女寮の寮母さんのはからいで食堂に通してもらい夕食を食べていた。寮母さんマジ聖女である。

 私の様子がおかしいと気づいたパスカル様に尋ねられて、私はお兄様に左遷のことを話していなかったことをパスカル様に打ち上げた。


「お兄様に異動の事話したら領地に連れ戻されそうで……」

「たしかに……あいつはシエナにぞっこんだから手元に戻す良い口実になりかねないな」


 話せばきっと領地に戻されてしまう。その根拠は司書養成学校に入学するまでの経緯にある。


 司書になりたいから首都の学校に通いたい。

 

 そう打ち上げてからお兄様が変わってしまったのだ。

 やたら外出を禁止してきたり、毎日私の元に現れてはメイド長のカロルに追い出されるまで領地に残るよう説得してきたりと束縛彼氏のようなことをするようになってきた。


 お兄様の想いを知っているから私も強くは言い返せなかったのだが日に日にお兄様のヤンデレ具合は進行してゆき、寝食はおろか部屋からでなくなったお兄様は衰弱していった。

 そして遂に「シエナが司書になって出ていくくらいなら自分は死ぬ」と言い放った。


 それはある日、お兄様の自室に呼び出された時の事。


 彼は使用人たちを払い、机の引き出しから何やら怪しい色の液体が入った小瓶を取り出した。私は頭が真っ白になり、すぐには声が出なかった。お兄様の顔を見ると、その目は紛れもなくヤンデレのそれになっていたのだ。


 まさか……毒薬が入っているの?!


「シエナが傍に居ない領地で生きていくなんてできない」


 彼は私の耳元でそう囁く。

 その時、自分の頭の中でプツンという音が聞こえてきた。


 私は小瓶の蓋を開けようとしたお兄様を突き飛ばして小瓶を奪い取ると、地面に叩きつけて割った。


「見損ないましたわ、お兄様!私は優しくて領地民のために勉学に励むお兄様が大好きでしたのに!自分勝手なことばかり言って、思うようにならないなら家族のことも領地民のことも考えず無責任に死ぬようなお方であるのなら私はお兄様とは家族の縁を切って地の果てにあるような外の国にでも行きますわ!生きていても死んでいてもお兄様のことなんてもう知りません!」


 ここ数週間に及ぶ兄のヤンデレに疲れていたこともあったのかもしれないし、もしかしたら気まぐれな武神が降臨してくれたのかもしれない。


 普段なら絶対にしない事ではあるのだが、私は床に這って私の足元に縋りつくお兄様を払いのけ、彼の頬に平手打ちをお見舞いしてしまったのだ。 


 しかしその一撃が効いたらしい。お兄様の目は戻り、私にしがみついて泣き始めた。


 それからは私の怒声を聞いて駆けつけてきたお父様と執事長とカロルを加えた5人で話し合い、司書養成学校に通うのを許可するが司書の最高峰ともいえる王立図書館の司書にならなければ領地に帰ってくるという約束になったのだ。


 約束通り、王立図書館の司書採用試験には合格し勤務していたが、王立図書館と図書塔は似て非なるものである。


 未だに私に領地でいて欲しい兄からそこの隙を突かれかねない。


「俺も協力しよう。リオネルが連れ戻そうとしたら一緒に説得してやるよ」

「うう……ありがとうございます……」


 心配した寮母さんがハチミツをたっぷり入れたホットミルクをくれたのだが、あの日のお兄様の目を思い出すと震えて上手くカップを握れなかった。


 私もお兄様は大好きだ。優しくて、物心つく前からずっと一緒に居ていつも私のことを気に掛けてくれている。それに、領地民のことを考え率先して新しい政策を立てる聡明で自慢の兄である。


 そうであるからこそ、あの日みたいに武神的なものが私に降臨してくれない限りは今度こそ私は領地に閉じ込められそうな気がしてならなかった。

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