ある王太子妃の昔話

星名柚花

ある王太子妃の昔話

「なんて可愛い子なのかしら! まるで天使のようだわ」

 母はよく私の頭を撫でながらそう言った。

 伯爵である父は「それはちょっと大げさだろう」なんて笑ったけれど、母と同じように優しくしてくれた。


 綺麗なドレス、美味しいお菓子、可愛い人形。

 惜しみなく私に与え、私の全てを許容し、愛を注いでくれた。


 私はそんな両親が大好きだった。


 でも幸せは長くは続かず、ある寒い冬の日、母は病死してしまった。

 悲しみに打ちひしがれて泣き暮らしていると、そんな私を哀れに思ったのか、父は翌年の春に再婚した。


 新しい母は美しい二人の娘を連れてきた。

 二人とも年上だったから、彼女たちは私の姉となった。

 最初は継母とも姉ともうまくやっていたと思う。


 けれど父が仕事で家を空けるようになった途端、継母や姉たちは私に意地悪を始めた。


 お前は生意気だ、気に入らない。宝石をちりばめたドレスなんて贅沢だと私から取り上げ、代わりにボロ布のような灰色の服と木靴を渡した。

 お前は美しくも可愛くもない、調子に乗るなと、朝から晩まで家事をさせられた。

 暖炉の中の灰にぶちまけた豆を拾わされたこともある。

 あまりの仕打ちに泣いたら怒られた。まるで地獄のような日々だった。


 ある日のことだ。王様が『王子の花嫁を見つけるために、結婚適齢期の貴族の娘を集めて城で舞踏会を行う』というお触れを出した。


 継母たちは街の高級品店で化粧品を買い揃え、新しいドレスを仕立て、舞踏会のために万全の準備を整えた。


 私も舞踏会へ行きたいと願ったけれど、継母も姉も頷いてはくれなかった。

「お前みたいな娘が言ったところで無駄よ、諦めなさい」と哀れみすら込めた眼差しで言った。


「いいこと? 変な気を起こすんじゃありませんよ。おとなしく留守番していなさい。それがお前のためです」


 舞踏会当日、継母と姉は私を置き去りにして立派な馬車に乗り込み、舞踏会へと出かけた。


 私はとても諦めきれなかった。

 煌びやかなお城、色とりどりのドレスで着飾った娘たち、素敵な王子様。


 想像するだけで胸が高鳴り、居ても立っても居られなかった。

 私は絶対に入ってはならないという言いつけを破って、二番目の姉の部屋に入った。一番目の姉よりも二番目の姉のほうが私の体形に近く、彼女のドレスならば私も着られるはずだ。


 私は姉のドレスを着込んで、お城に向かった。

 お城の大広間ではちょうど階段を下りて王子様が現れるところだった。

 階段の途中で止まり、王子様は首を巡らせ、固唾を飲んで立っている貴族の娘たちを見た。


 確かに王子様と私は目が合った。


 王子様は階段を下り、一直線に私に向かって歩いてきて――

 私の横を通り過ぎ、後ろにいた誰かに声をかけた。


「美しい方、僕と踊ってくれませんか」


 振り返って確かめると、王子様が跪いていて。

 彼の前で頬をバラ色に染めているのは、意地悪な二番目の姉だった。



 ◆   ◆   ◆


 ――ええ、アニー。私の話を聞いてちょうだい。

 母は早くに夫を亡くして、女手一つで必死に私と姉を育ててくれたわ。

 再婚相手となった伯爵は素晴らしい方だった。

 でも、私たちの妹になった伯爵の娘が……我儘で、厄介な子でね。自分は世界で一番美しく、何をしても許され、愛されると思い込んでいたの。


 いいえ、彼女が悪いのではないわ。彼女のお母様が少しだけ過剰に言い過ぎたのよ。誰だって自分の子は可愛いものでしょう? 彼女のお母様はきっと、わが子が可愛くて可愛くて仕方なかったのでしょうね。叱るということを思いつきもしなかったみたい。


 彼女は暴君だった。ちょっとしたことで癇癪を起こして叫び、物を壊し、私たち親子に暴力を振るうの。彼女はまるでしつけのされていない猿のようだったわ。いいえ、猿なら諦めもつくけれど、彼女は人間であり、私たちと共に暮らす妹なのよ。


 相談の末、彼女が暴れたら罰として家事をさせることにしたわ。貴族の娘が家事なんてお笑い種でしょうけれど、いつ貴族から平民に転落してもおかしくないご時世だもの。できないよりはできるほうがいいでしょう?


 朝から晩まで働かせて酷いと彼女は喚いていたけれど、はっきり言って自業自得だわ。彼女の労働分より、次から次に壊されていく家具や壁の修理代のほうがよっぽど高かったんだから。母と姉の手足には一生残らない傷ができたし、私の腕にだっていまも火傷の痕があるのよ。


 ああ、泣かないでちょうだい。私だって理想的な「良い姉」でいられたわけではないの。

 恥ずかしいことだけれど、荒ぶる感情のまま、彼女に意地悪をしたことがあるのよ。

 彼女が父の形見を壊してしまったときよ。

 私はあんまり腹が立って、暖炉の中の灰に豆をぶちまけて拾わせたの。

 もちろん後悔したわ。彼女に悪意を持って意地悪をしたのは誓ってただその一度だけよ。


 城で舞踏会があった日、私たちが彼女に留守を命じたのも、意地悪のつもりではなかったわ。

 世界で一番美しく、王子様に愛されて当然だと信じ込んでいた彼女の目前で王子様が別の娘に求婚すればどうなるか……火を見るより明らかでしょう?


 でも、彼女は来てしまった。


 王子様が彼女を無視して私にダンスを申し込んだときの顔ったら。いまでも忘れられないわ。

 その後はあなたも知っての通りよ。

 彼女は私が王子様に求婚されたのが許せず、奇声を上げて私をナイフで刺そうとした。

 結果、未来の王太子妃を害そうとした罪で彼女は処刑。


 私も姉も母もせめて命だけはと嘆願したけれど、どうにもならなかったわ。


 私たちはどうしたらよかったのかしらね……考えたところで仕方ない?

 思いつめるとお腹の子にも障ってしまう?

 そうね。彼女の話はこれで終わりにしましょう。

 長く話して喉が渇いたわ。

 アニー、紅茶を一杯もらえるかしら?



《END.》

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