憂鬱と活動者

黒犬

作りたいものとか特になかったけど。

 作りたいものとか、特になかったんだけど。

 僕が今生きていることをあの人に示すために、何かを作らねばならない今においては、自分が一番伝えられる方法は、これしかない。

今作っているのは、某動画投稿サイトに上げるためのたった5分の動画。

どんな内容かと言われると、たいしたことないただの雑談だった。

 そう。『ただの』雑談。

ただ、僕がこの先を生きていくために必要な作業ではあったので、これだけは完成させておかなければならない。

 

 人間の縁とは解せないもので、一体どこで誰が、自分の存在を認知しているのかさえ当人たちにとっては知ることのできないものだったりする。

 本人が大して気にもかけない事象に、自分自身の人生さえかけるような、そんな摩訶不思議な他人も世の中にはいる……かもしれない。


 事実、僕と言う人間は些細な、ちっぽけな出来事があったために。

 今日も息をしているのだから。


 3月9日 21時収録。

『皆様どうもこんばんは~、魔訶まかだよ!』


「はぁっ!……はぁっ」

タッタッタ、と誰かが街道を走る。


『今日はね、僕が活動を始めたきっかけについて話をしようと思う』


音声を入れている場所は、一人暮らしをしているアパートの自室。

外は夜に加えて、少しだけ季節に遅れた雪が降っていた。

部屋の窓から音声を入れながら、僕は窓を見て外を眺めた。

桜並木に面したアパートの二階から、雪に濡れて白くなった桜の木が見えて、せっかく咲き始めたばかりの桜がアスファルトの上にバラバラと散らばっているのが少しだけ悲しかった。


「待って、待って……!」

街を走る誰かが、必死な形相で呟いた。

”ドカッ”

何かに衝突する音。

「きゃっ」


『今となっては、もう大分昔のことなんだけれどね? ずっと前、僕が大好きでしょうがなかった配信者さんがいてさ、その人の話』


今でもはっきり覚えている。

彼女の言った言葉、話し方の癖、何が好きか、嫌いか。


『凄く素敵な人でね、かっこ良くて、優しくて、そして』


「ごめんなさいっ、急いでるからっ」

ぶつかった拍子に落ちた鞄を急いで拾い上げ、少しだけ凍った道をひた走る。

転ぶことも厭わない様子に、ぶつかったことに対する文句を言おうとした男性も、口をつぐんで、ただどこかに向かうのを見送ってしまった。


「あれは落としちゃダメな奴なのに……!」

被っていたフードが外れ、意志の強そうな釣り目がちの双眸が彼女の向かう先を向く。

 

『とても、強い人だった』

、知らず知らずのうちに自分を救ってくれた。

 多分、いや絶対に彼女は僕のことを覚えてはいないだろうし、僕みたいな人間が彼女のことを評価するなんて酷く馬鹿げたことだと思う、だから。

 

『今からする話は、完全に最初から最後まで、彼女に対するだ。』

彼女が残してくれたものが、どれだけ大きかったか。

それだけ言えればいい。


 

「相変わらず殺風景だな……」

乱れた息を整えながら、少し変色した黄色のアパートを下から眺めた。

記憶通りなら、ここにあの子がいる……。

腕時計を見る。午後9時10分。

まだ、間に合う。


『僕は一度自殺をしようとしたことがあってね、古典的な方法で、田舎だったから山がすぐそこにあって、そこで首を吊って死のうとした……したんだけど、』


そこで言葉を区切った。なんて続ければいいのだろう? 

僕はあの時、どうなったんだったか。正直明瞭には覚えていない。


『木の枝に縄を括り付けて、わっかの中に首を入れて、30分くらい立ち往生したんだ。死ぬのが怖くて、ずっと泣いてて』

 何が苦しいのかも分からない、色々な記憶が混ざり合った苦しみ。

 抱えている感情の重さに耐えられなかった。

『でも、声出しちゃったらひょっとしたら誰か来るかもしれない。だから、両手で口を押えて音が外に漏れないようにしてた。で、その時、死ぬ前になんか聞こうと思って持ってた携帯で、動画サイト開いて……思い出した、検索欄には「生きる意味」って書いたんだった。そう、それでね不思議なことに、全く同じタイトルで配信している人がいてさ、気になって覗いた』

 配信を開いて、まず聞こえたのは、


「私が今からやんのは、完全無欠に自分のためにやることだ!!」


特徴的な声をしていた。

それまで聞いたことない、新鮮味さえ感じる響き方。そして、どこかで聞いたことのあるような、(いや、きっとそんなことはないのだろうけれど)そんな気がするほどに親近感の湧く声だった。


 驚いたことに、その女性は活動歴が浅いにも関わらず、話のスキルはプロのそれと遜色なかった。

 

『はっきり言って、変な人だった。情緒も不安定で、一人で爆笑していたかと思うと、その数秒後には本気で落ち込んだりしている……そんな人で』


まるで、自分を外から見ているようで。

彼女の言葉には一つ一つ意味を考えさせられるものが多かった。


『感覚で言えば、そう、自分のことを語ってくれている、そんな気がした』

だからかもしれない。

微妙な言葉の使いまわしに笑うというよりは、彼女の突飛な発想の方に笑っていた。(僕も似たようなことを考えるからだ)


話が進む程、時間が経つほどに、彼女の言葉には熱がこもった。

彼女がずっと話していたのは、所謂いわゆる、「やりきれなさ」だった。

自分の考えを理解しない奴が多すぎる、どうして自分の考えが正しいと分かってくれないのか、どうして自分はこんなにも生きることが苦しいのか――


「あたしは決めたんだ!!!! アタシが大っ嫌いな人間を、人を馬鹿にした人間を! 人を嘲笑った人間を!! 復讐するでもなく! 嘲り返すでもなく!!

ただただ単純な方法で!! 『笑わせてやるんだ』!!!!!ってね!!」


何故かはわからなかったけれど、その時、その言葉を聞いて、

何かその言葉の中に光のようなものを見た気がした。


結局、その日、僕は死ぬことをやめた。

その後、その配信者はその一度きりで活動をやめてしまった。

その配信の評価が良かったせいもあり、周りからは「拍子抜けだ」「こんだけで飽きたのか?」などと言われていたが、実際のところは、違う。


彼女は名義を変えて、何度か違う形で、活動を続けていた。

不思議と活動方法を変えるたびに、活動の仕方そのものが洗練されていった印象さえある。

ただ、5年くらいでその活動は停止した。

活動の内容そのものは面白かったのだけど、本人が、

活動することに対する異議を見失った、と言ったことが全ての理由だろうと思う。


『本当は、彼女はその一回だけで、全てを吐き出したんだと思う。これまで散々抱え込んできた不平不満を小細工なしにぶん投げてたんだと、そう思う』


思い出しながら、マイクに語り掛ける。

『……過去につらいことがあったし、忘れられないトラウマもたくさんできたよ。

そのあとにたくさん楽しいことも有ったけれど、とてもそんなことぐらいじゃあ、

昔の嫌な思い出なんて、消えちゃあくれなかった』



『でも』


『忘れることはできなくても』


『今が不幸でも』


正攻法で向き合えなかったとしても。


『幸せだ、と強がることは出来るじゃないか』


そう。

一番肝心な場面で、強がって見せよう。


僕は彼女のそういうところに救われたんだから。

だから、もう一度生きてみようと思ったのだ。

 

感想を書くコメント欄には、一言だけ書いた。

色々と話したけれど、結局あの時書いた一言が、その意味のまま伝わってくれればそれだけで満足だから。

雑談の締めも、その言葉で締めよう。

 

どうも。


『僕を生かしてくれて、ありがとう』

偶然に、救われた。

あの人に救われた。

だから、僕も、

その偶然によって、誰かが救われることを祈ろう。


そのおかげで僕は僕の生き方を見つけた。


だから、

これもきっと偶然なんだろうと思う。


この古びた建物に居住している人間は、僕含めて7人ほど。

もちろんのこと、防音なんてほとんど意味をなしてない。


「……」

今、彼の部屋の扉の前で、目を見開いている女性が一人いた。

「何だよ、それ……」

息ももう落ち着いてきた。だから、この動悸は走ったせいではない。

「何で、お前が……」


思わず鍵の開いているドアを開けると、作業を終えた魔訶―ハルがこちらを向いた。

「あれ、来てたんですか。早い」

「……あ、ああ。いや、実はここに、忘れ物をしてて」

「ん、もしかしてこれですか?」

目の前に、とあるキャラクターを模したストラップを出すと、

「そう、だよ」

「そっか、先輩のか……いや、珍しいものを持ってるな」

「……限定品だったから」

「ですよね、これ元々非売品で――」


その後の春の言葉は、何一つ彼女の耳には届かなかった。

そうか、この人は――


彼女―かなめは、春の大学時代の先輩だった。

元々自分が編集プロダクションの仕事をしていたことも有り、春が活動を始めたという話を聞きつけて何かと世話を焼いている。


真っ暗になった夜空を、白い息を吐きながら眺めている。

「……アハハ、こんなことになるとか笑うわ」

スマホを鞄の中から取り出して、昔取ったスクショを見る。


 ”俺を生かしてくれてありがとう”


昔、大学に入りたてだった頃に活動をしていた。

歌を歌って、たくさん話して、やりたいことたくさんやって……。


色々な方法でそれらを試したのもあって、想定以上の評価を得ることができて、

当時は相当喜んでいた。というか、

「病んでたから、ってのが大きいのかな」

気分の浮き沈みが昔から激しくて、吐き出す方法が欲しかった。

だから、配信という形で活動を始めた。


だが、

ある時、急に声が出せなくなったのだ。

原因は分からない。病院にも通ったが、ストレスによるものとだけしか言われなかった。ただ、依然出来ていたことが出来なくなり、無性に自分が自分で無くなったような気がして、気が付いたら活動するのをやめていた。


一度辞めてしまったら後は脆いもので、活動を辞めるメリットが溢れるように頭に浮かんだ。

こんなことやっても意味が無い。

やっても意味ないのなら、辞めてしまえばいい。


どっちにしたって、ネットの自分と現実の自分は違うのだ。

そろそろ、辞めてしかるべきだ、でないと、いつの日か本当に潰れる日が来るぞ、と。

どこかにいる大きな存在から言われているような気がした。


「……弱かった」

一度抽選会を開いたことがあった。

ストラップ、だけの抽選会。

ネットで500円払えば誰でも出来る、と書いたが、実際の所、払ってくれた人には全員送った。

非売品という名目の、商品だった。


もう一度、同じスクショをじっと見つめる。

「春が、あの時の……」




部屋の中で、動画を見返しながら、春は悩んでいた。

「これ、ネットに流していいのかな」

なんか、活動方針としては間違ってないにしても、不特定多数に対して見せられるものではない気がしてきた。

現在、9時50分。

まあ、まだ遠くまでは行っていないだろう。

「要さんに相談しに行こうかな」

そう思い立った春は、コートを着込んで彼女を追いかけた。




「……大人になったのかな」

昔のような、不満が耐え切れないほど溜め込むようなことも無い。

普通に、それなりに苦労しながら、社会人にはなった。


後ろから走ってくる音が聞こえたので、振り返ると、

「先輩」

「……あれ、春?」

「えっと、あの相談なんですけど!」

「何?」


「もし先輩が、自分の人生を変えるような、もしくは心の中で大事にしたい思い出とかを作品なり、動画にするとするじゃないですか」


「……うん」


「その時って、先輩ならどうしますか。自分だけが見られるように取っておきますか、それとも気にせず、自分の作品として、外に出しますか」


「あー……」

色々考えたが、さっきの春の雑談の内容を聞いた限り、気恥ずかしい思いもある。


「私だったら――」

以前の私なら、躊躇なく公開しただろう。

ただ、今は違う。


「大事に、忘れちゃいけないものフォルダかなんか作って、取っとくよ。」

「そう、ですか。いえ、そうですね! 分かりました!」

「それだけでいいの?」

「はい、自分の中で納得できたので!」

納得できたから、か。


「そっか、なら、自分のやりたいようにやりな。辞めたいときは、」

辞めていいんだから。


そう言おうとして、戸惑った。

本心か? これは。


自分のしたことを、正当化しようとしているだけじゃないのか。

まして、


昔の私のファン相手に。


「あの、先輩?」

困ったように、春が問いかけると、要は、冷静で、自信ある気に、


「……意味は、有る」

「え?」

「いいか、春。これからお前がやること全部、意味の塊だ。働いてお金をためることも、好きなことをすることも、何かを達成しようとすることも、もちろん、」


自分が周りから言ってほしかった言葉を言おう。


「生きていくことも」

「……」

「意味のないことなんか、無い。だから……」

冷たい空気に晒されながら、不思議と胸が熱かった。

その熱の強さのまま、言いたいことを言おう。

今この時だけは。


「安心して、やれるだけやりな。……あんたに感謝してる奴だって、この広い世界のどっかにはきっといるだろうから」


そう言い切ると、要は一人でに岐路を歩いた。


この世の中には、知らないことがたくさんある。

本人たちが、知りもしない縁で繋がっているかもしれないし、

全く繋がっていないのかもしれない。


ただ――


もう春に自分の声が聞こえないくらい離れた時、要は春の方を向いて、

小さく呟いた。


「ありがとう、は、こっちのセリフだよ。馬鹿」


その独り言は、夜風に溶けて、またどこか知らない場所に繋がっていくような、そんな気がした。



<終わり>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憂鬱と活動者 黒犬 @82700041209

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ