第十二章 仲直り

荒くなった息を整えながら、奏は道場の隅に座り込んだ。ううん、座り込んだと言うよりも、崩れ落ちたの方が正しいかな。

 そんな奏の様子に、私は苦笑した。

「まさかそんなに謝りたくないとは。君も頑固だよねぇ」

 しみじみと言うと、奏はぎろりと私を睨む。

「…うる、さいな。そもそも、俺が君に勝てるわけないでしょ。君、部長よりも強いんだから。これでも奮闘した方だよ」

 はぁ、と深い息を吐きながら、奏は片膝を立てて座った。

「そうだねぇ。今日は奏も珍しく攻めてきてたしね。偉い偉い」

 頭を撫でようと近づくと、奏はその意図を察したのかさっと身を引いた。随分と失礼な態度だな、と内心で少し傷ついて、私は首を傾げた。

「それにしても、なんでそこまで謝りたくないの?」

 たしかに奏は素直じゃなく、あまり自分から謝ったりはしないが、だからといって一切謝らない性格が捻じ曲がっているような子ではない。

 だからこそ、ここまでして謝りたくなのは何か理由があると、私は思うのだ。

 私の問いかけに、奏はひどく不満げに口を開いた。

「あいつが馬鹿だからだよ」

 それに、私は傾げている首の角度をさらに深める。彼の言わんとすることがよくわからない。

 奏は、そんな私に大きくため息をついた。

「あー、そうだった。君も同族だったんだよね」

 意味はわからないが、とりあえず馬鹿にされていることだけはわかったので、私は降ろしていた長刀を再び構える。

「なんならもうひと勝負しようか?」

 にっこり笑って脅す…じゃない聞くと、奏はぶんぶんと首を横に振った。それに、私は長刀を降ろす。

 それに安心したように肩をなでおろした後、奏は立てていた膝に顎を乗せて、不満そうに口を開けた。

「…あいつ、自分の幼馴染の気持ちを何にもわかってないんだよ。俺はあいつの幼馴染のことなんか知らないし、あったこともないけど。それでも」

 一度言葉を切って、奏は立ち上がる。

「それでも…同じ幼馴染として、あいつの幼馴染があいつを心配していることくらいは、わかるんだ。きっと、あいつの幼馴染もあいつが何か隠していることぐらいは気づいているだろうから」

 なるほど。と、思わず私は納得してしまった。そして、奏は私から長刀を奪うと、自分の分とともにそれを戻した。

「だから、自分の幼馴染に心配をかけていることに気づかないような馬鹿には、謝りたくないだけ」

 そう言って、奏は肩をすくめる。それに、私は困ったように笑った。

「奏も、あの子のことを言えないくらいお人好しだよね」

 私の言葉に、奏は照れたように顔を赤くして、私を睨んだ。

「うるさい。早く行くよ。さすがにそろそろ戻らないと、遅刻する」

 そう言ってさっさと道場を出ようとする奏に、私は一応釘を刺しておく。

「でも、あれは言い過ぎだと思うから謝りに行かなきゃだめだよ?勝負に負けたんだから、拒否権はないからね」

 その言葉に、奏はぴたりと動きを止める。そして、愕然とした顔で振り向いた。

「…謝りに行くって、どこに」

 疑問符をつけていないということは、もう薄々分かっているんだろうけど。私はにっこりと笑った。

「もちろん、あの子の学校に。今日は部活終わってから迎えに来る、って言われたの。私たちの部活の方が終わるの早いから、時間的には問題は全くないよね?」

 有無を言わさぬように聞けば、奏は諦めたように肩を落とした。


 午前中の授業が終わって、俺は悠人とともに学食へと向かった。

「あー…生物の課題、めんどくさい」

 力なくそう呟く悠人に、俺は勝ち誇ったように笑った。

「授業の自習時間に終わらせないのが悪い。俺は終わったぞ」

「は?あのたったの十分程度で?」

 信じられない、とでもいうように悠人は愕然と口を開いた。それに、俺は頷く。

「はー…お前、やっぱ天才だわ。朝、もうちょい本気で頭殴っときゃよかった」

「お前最低だな…」

 呆れて目を眇めると、悠人は肩をすくめた。

「冗談に決まってるだろ。さすがにそんなことしないって」

 分厚い教科書の角で人の頭を殴った張本人がそれを言うか、と内心で文句を言ってから、俺は食券を買う。

「にしても、先生もひどいよな。あの量の課題を来週の月曜までって…今日金曜だぜ?」

「土日があるんだからいいじゃねぇか。あんなんさっさと終わるって」

「…部活があるのをお忘れで?」

 その言葉に、俺は「あ」という声を出した。すっかり忘れていた。

「まじか。本当に忘れていたとは…」

 驚いたように目を丸くした悠人に、俺も頷いた。

「自分でも驚きだ」

 最近、いろんなことが一気に起こりすぎていたからだろうか。危うく土日の部活をさぼるところだった。

 ほっと息を吐きながら、購入した食券を調理人に渡した。

「…お前、やっぱり最近なんかおかしい。今朝だって不機嫌だったし、昨日も…」

 怪訝そうに眉を寄せてそういう悠人の言葉を、俺は遮った。

「そんなことよりも、生物の課題一緒にやってやるからちゃんと終わらせろよ」

 それに、悠人は不服そうにしながらも渋々と言ったように頷いた。

「ありがとよ」

「どーいたしまして」

 料理を受け取りながら、俺はそう答えた。

 自分でも、ずるいことをしたというのはわかっている。けど、できれば悠人にはばれたくはないのだ。

 視線を感じながら、それに気づかないふりをして席に着き、食べ始めた。


 放課後、部活が終わって今だに渋っている奏を引きずるようにして、私はバスに乗り込んだ。

「なんで俺が…」

 ひどく不満げに呟かれたその言葉に、私は眉を寄せた。

「もう、いい加減諦めなよ。往生際が悪いよ?」

 私の言葉に、隣にいる春乃が何度も頷いている。なぜ春乃まで来ているかというと、事情を話したところ「はるも行く〜。どうせ今日は暇だから」と言われたので、奏を納得させるのを手伝ってもらっているのだ。

「そうだよぉ〜、奏くんかっこ悪い」

 さらりとひどいことを言われて、奏は傷ついたのかぐっと体を強張らせた。

 少し気の毒に思えたが、今回は心を鬼にすると決めているのだ。

「そーだそーだ!かっこ悪いぞ奏ちゃん!」

 春乃に便乗して言うと、奏がものすごく嫌そうに顔をしかめた。

「その呼び方やめろ!」

 余談だが『奏ちゃん』という呼び方は、高校生になる前まで私と春乃が読んでいた呼び名だ。なぜ呼び方を変えたのかというと、本人が嫌がったからである。年頃の男の子にとっては、呼び方は死活問題らしい。だから今では、私は呼び捨てに、春乃はくん付けになったのだ。

「嫌だったらもう文句言わないの、奏ちゃん」

 わざとらしくそう言うと、奏はため息をついた後黙ってしまった。

 それから少しして、私たちの降りるバス停に着いた。料金を払ってからバスを降り、そこから彼の通っている高校へと向かった。


 部活が終わり、悠人とともに校門まで歩いていくと、校門に見慣れた制服と後ろ姿を見つけて、思わず自分の目を疑った。

「は?いや、まさか…」

 困惑した様子の俺に、隣にいた悠人が首を傾げた。

「どうした?」

 聞きながら、悠人は俺の視線を追う。

「あれって、隣町の高校の制服だよな?なに、もしかして昨日言ってたお前の彼女?」

 そうからかってくる悠人に、俺は顔をしかめる。

「だから違うって。ただの友達」

「本当かー?ん、でも隣に同じ高校らしき男子がいるな…あいつが彼氏か。振られたな」

 と、わけのわからないことを言ってきたので、無視しようと思ったのだが、聞き捨てならない単語を聞いて俺はばっと悠人の肩を掴んだ。

「ちょっと待て。お前今、同じ高校らしき男子がいる、って言ったな?」

 焦ったような俺の様子に、悠人は戸惑いながら頷く。それを認めて、俺は肩を掴んだまま大きなため息を吐いた。

「まじかよ、なんでだ?まだなんかあんのよ…」

 げんなりとしたように呟くと、悠人が険しい顔で肩を掴み返してきた。

「なんだ?もしかしてお前がここ2、3日おかしかったり、今朝不機嫌だったのは、あの男のせいか?」

 返答に困って押し黙っていると、それを肯定と受け取ったのか悠人が大きく頷いた。

「よし、待ったろ。俺が仕返ししてきてやる。大方、俺の彼女に手を出すなー、とでも言われて脅されてるんだろ?お前は人がいいからな。お前の分まで俺が殴ってきてやるから!」

 とんでもない見当違いをして、これまたとんでもないことを言い残して走っていく悠人の背を、俺は半端呆然と眺めていたが、すぐに我に帰り慌てて追いかけた。

「いや、ちょっと待て!そうじゃない!」

 だが、悠人には聞こえないのか立ち止まるどころがどんどん足が速くなっていく。このままじゃまずい!と、焦っていると、いい考えを思いついて口を開いた。

「風よ、進むものの足を取り、歩みを止めよ!」

 俺が叫ぶと、たちまち悠人の足元に一陣の強風が吹いた。それに驚き、悠人は足を止めた。

「うわっ、なんだこの強風!」

 足をもつれさせた上に目に砂が入ったのか、擦っている悠人に、俺はほっと肩をなでおろした。と、その向こうで彼女がこちらを見て、首を傾げているのが見えた。

 それに、俺は慌てて悠人を通り過ぎて、彼女の元へと駆け寄った。彼女は焦った様子の俺に、傾げた首の角度を深くする。

「どうしたの?そんなに慌ててる上に、普通の人相手に術を使うなんて…」

「幼馴染が、変な勘違いをして高木を殴ろうと走っていったもんだから、ついとっさに…」

 苦笑する俺の言葉に、高木が怪訝そうに眉を寄せた。

「はぁ?なんで俺が君の幼馴染に殴られなきゃならないわけ?意味わかんない」

 不機嫌そうに言い放った高木に、彼女がにっこりと笑った。

「奏。いい加減にしようね?」

 いつもより低い声音で、口元は笑っているが目が全く笑っていない。そんな彼女に、高木は言葉を詰まらせる。うん、これは怖いよな。俺だって怖い。

 内心で高木に同情していると、高木の隣にいた少女が彼女の肩を叩いた。

「はーい、深呼吸〜そんなに怒らないの。奏くんが往生際が悪いのは、昔からでしょ〜」

 それに、彼女が言われた通りに深呼吸をする。その様子に目を瞬かせていると、少女と目があった。

「えっと…」

 俺がどうすればいいのか戸惑っていると、少女はぺこりと頭を下げた。つられて俺も頭を下げる。

「初めまして、私この2人の幼馴染の、三鷹春乃です。騒がしくてごめんなさい」

「い、いや全然。むしろこっちから申し訳ないというか…」

 そんなことをしていると、肩を叩かれた。みると、いつのまにか隣に来ていた悠人が困惑したような顔をしていた。やばい、すっかり忘れていた。

「おい、これどういう状況?お前、そこのやつに脅されてたんじゃないのかよ?」

「誰がこいつを脅したりするんだよ。俺は別に何もしてない」

 指を刺された上に変な言いがかりをつけられた高木は、不機嫌そうに顔をしかめた。そんな高木の足を、彼女が蹴る。相当痛そうな音がした。

「……っ!!」

 案の定しゃがみこんで蹴られたところを両手で抑えている高木に、俺と悠人は思わず気の毒そうな視線を投げた。高木は三鷹に慰められながら、震えながら立ち上がる。

「君ね…!今割と本気で蹴ったでしょ?馬鹿力なんだからもう少し加減を…!」

 言いかけたところで、彼女が自分の胸の前で拳を握った。

「今度はお腹を殴ってあげようか?」

 にこにこと笑う彼女に、高木は力なく肩を落とす。そりゃそうだろう。この状況でまた何か余計なことを言えば、本気で殺されかねない。賢明な判断だと、俺は思った。

 と、不意に彼女が首をかしげる。今までのやりとりがあったせいで、俺と悠人は思わず背筋を伸ばした。

「ごめんね?変なところ見せちゃって」

「いやいや、全然。気にするな。それよりも、なんでわざわざうちの高校まで来たんだ?高木と三鷹まで」

 それに、彼女は今だにうなだれている高木の背中を押して、前に突き出した。不思議な行動に、俺は首をかしげる。

 一方、高木は彼女の意図がわかっているのか、とても嫌そうな顔をしている。一体なんなのだろうか。

 それから少ししても、高木は特に何も言わなかった。そこで、しびれを切らしたように三鷹がため息をつく。

「もう、奏くんは本当に往生際が悪い〜。早くしないとまた怒られるよ?」

 その言葉に、俺はちらりと彼女を盗み見た。彼女はやはり、にこにこと笑っている。今ではそれが一番怖いが。

 高木は諦めたように息をつくと、気まずそうに俺に向き合う。

「……その、今朝は言い過ぎた。ごめん」

「え」

 あまりにも唐突な上に、しおらしく言われたので、俺は目を丸くした。まさか謝られるとは思っていなかった。

 意外な気持ちで高木を見つめていると、高木はバツが悪そうに目をそらした。

「何?その顔」

「いや…なんというか、謝られるとは思ってなくて、意外な気持ちが強い」

 正直に答えると、高木は不服そうな顔をした。

「その言い方だと、まるで俺が自分が悪い場合でも謝らないようなやつだと思ってた、という意味に聞こえるんだけど?あいにく、さすがにそこまでひねくれてないよ」

「もう、そういう言い方がひねくれた性格してると思われるんだよ」

 彼女が困ったように笑った。それに、高木はうっとおしそうに顔をしかめる。

「余計なお世話だよ。それで?返事は」

「えっと、これって返事って言うのかわからんが。とりあえず、こっちもごめんな。俺もついカッとなっちまった」

 その答えに、高木は満足げに口角を上げた。あ、俺もしかしたらこいつの笑った顔初めてみたかもしれない。

 なんだか嬉しくて、口元が緩んだ。

「…んで、結局何がどーなったのよ。ものすごい一件落着、って感じのとこ水挿して悪いけどさ。俺は全く、この状況を理解してないからな」

 目をすがめて不服そうに言う悠人に、俺は苦笑した。

「あー、悪い。ふつうに存在忘れてたわ」

「だと思った。別にいいけどよ。せぇっかくお前が大変な目にあってるー、とか思って必死になったのに、俺の勘違いとか。恥ずかしすぎるだろ」

 完全に拗ねている悠人に、俺は笑った。

「あはは、心配してくれてありがとな」

 それに、悠人はあからさまに嫌そうな顔をする。

「うわー、なんか気持ち悪ぃ」

「…ひでぇ」

 地味にショックを受けた俺は、苦笑する。でも、この悠人の態度だって照れ隠しなのはわかってるので、強くは怒らないのも事実だ。

「…もしかして、君の幼馴染って俺にあらぬ疑いをかけたそいつ?」

 なんだか棘のある言い方に苦笑しながら、俺は高木の言葉に頷いた。それに、高木は「ふーん」と、悠人を見つめた。

「えーと、さっきは疑って悪かった」

 その反応に、先ほど疑ってしまったことを怒っていると考えたのか、悠人が申し訳なさそうに眉を寄せた。それを黙殺して、高木は首をかしげる。

「ねぇ、君は自分の幼馴染が前から何か隠し事をしていることは、気づいてるよね?」

 それに、悠人は硬直した。それが何よりの答えだろう。

「なんで、深く追求しないの?気にならない?」

 試すような視線に、悠人は困ったように笑った。

「…気にならない、わけじゃない。むしろ、気になってしょうがない」

 初めて聞いた幼馴染の言葉に、俺は息を呑む。口を挟もうとしたところ、高木にものすごい眼光で睨まれたのですぐに口を閉じた。それには気付かずに、悠人は続ける。

「いつも心の中では心配してたよ。けど、こいつは誰よりも優しくて、馬鹿みたいなほどお人好しだから。たぶん、俺が死ぬほど心配しているって知ったら、ものすごい傷つくと思うんだ」

 高木は黙って話を聞いている。俺も、悠人の本心をちゃんと聞こうと思って、じっとその横顔を見た。

「俺はそれを隠して、いつも通り笑ってればいいかなって。こいつに何か辛いことがあって落ち込んでたりしたら、励ませばいい。何かされたら、一緒にやり返せばいい。こいつはさ、どうしてかよほどのことがない限り、人を頼らないんだよ。だから、こいつがいつでも頼りやすいように、俺はただ、そばで笑ってるようにしてるんだ」

 そう言ってから、悠人はいつも通りに笑う。

「納得、できたか?」

 高木は、それに軽くため息をついた。

「…正直言って君の考えはわからないけど。君の覚悟はわかった。いいんじゃない?」

 その言葉に、悠人は苦笑した。

「そりゃよかった。あ、今更だけどお前名前は?俺、武原悠人」

 唐突な問いかけに、高木は困惑したように眉を寄せながら口を開く。

「高木奏」

「へぇ、いい名前だな。呼びやすい」

 率直に褒められて、高木は少し照れたように顔を背けた。

「…悠」

 最近じゃあまり、呼んでいなかった呼び名で、俺は悠人を呼んだ。それに、悠人は首をかしげる。

「ん?」

 心なしか少し気まずそうな微笑みに、俺は苦笑してしまった。

「俺、お前に話したいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

「…もちろん!」

 大きく頷いて、悠人は幼い頃から変わらぬ笑みで、くしゃりと嬉しそうに笑った。

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