六話 存在意義
※
アタシとヴィクトルの間に子供でも出来ていたら、こんな惨めなことを考えずに済んだかもしれない。
ヴィクトルに邪魔だと追い払われてから、しばらく。瓦礫だらけの街を一人で歩いていたものの、灰色の景色に面白いものなど何一つない。
足を止め、適当な瓦礫の中に隠れるようにして腰を下ろし、膝を抱える。いつもならこういう時、ヴィクトルのところに行って全部快楽で塗り潰してしまうのだが、今日は無理だ。
いや……恐らく、もう二度と彼に会うことはないだろう。
「アイツ、死んじゃうかもなぁ」
別れ際に見たヴィクトルの顔を思い出す。力を手に入れる代わりに、日に日に生気を削られていく姿は目も当てられなかったが、今日に至ってはもう別人のようだった。
キュリロス神父に勝ったとしても、その後はどうか……。いや、もうどっちでもいい。
「何やってるんだろ、アタシ」
まただ、また思考が同じところに戻ってきてしまう。何の膨らみもないお腹を見下ろし、込み上げる感情を吐き出す。
アタシは、クローゼ村から出た後に自分の素性を知った。実際にダンピールの研究施設にも行って、実情を目の当たりにした。
ショックではなかった。昔から変わり者だと言われてきたから、納得出来たと言う方が正しい。
それよりも、教会に言われた言葉が衝撃的だった。
――きみは戦闘よりも、ヴィクトルの遺伝子を残すことに集中して欲しい――
アタシを取り囲む白衣の壁。拒む選択肢すら与えられず、好きでもない
……ああ、違う違う。そんなことは、どうでもいい。アタシが本当に強ければ、ヴィクトルに抱かれようが、実験で身体に消えない傷を負おうが前に進み続けられたはずだ。
アタシを変えたのは、ヴィクトルなんかじゃない。
この世界……吸血鬼なんてものを作った神と、勝つことを諦めた人間たちだ。
「……ん? 誰か、来た」
鼓膜に届いた物音に、反射的に顔を上げる。相手はアタシがここに居ることに気がついていないらしい。息を殺して立ち上がり、足音を忍ばせて様子を窺う。
この辺りはよく見ると、元は何か大きな施設だったらしい。骨組みだけ残った建物を背に、その男は何かを見下ろしていた。
「吸血鬼……夫人の兵隊、ではなさそうね」
兵隊ならば、皆同じ軍服を着ているはずだ。でも、男は黒で統一されたラフな格好をしている。
眼鏡をかけた、妙な吸血鬼。見る限りではかなり力のあるように見えるが、明らかに疲弊しているようだ。
埃っぽい風に揺れる、紅い三つ編み。あの吸血鬼のことなんて知らない筈なのに、なぜだろう。思い出してしまう。
『ライラは髪を伸ばさないのか?』
懐いてくる子供たちの髪を結びながら、アタシにそんなことを聞いてきたアイツのことを。
『伸ばさないよ、似合わないし』
『そんなことないと思うけど』
『畑仕事する時にジャマでしょ。アタシ、髪なんか結んだことないもの』
『俺が教えるよ。まあ、俺も簡単な編み込みくらいしか出来ないけど』
そう言ってアイツは、レクスは笑った。アタシもつられて笑った。生温い、懐かしい記憶だ。
クローゼ村での日々は質素で、平穏で、退屈だった。でも、退屈は苦痛じゃなかった。
あの日々を護れるのなら、アタシはどんな汚れ仕事でもした。いや、してきた。途中までは。
でも、思い知ったのだ。教会は、吸血鬼に勝つつもりなんかない。あくまで拮抗を保ち、利益を生み出し続ける。
そうすれば、教会の地位は確固なものであり続ける。彼らが守りたいのは人間ではなく、自分たちの利益だけなのだ。
戦争は終わらない。戦争が終わらなければ、アタシは教会の束縛から逃れられない。
わかっている。アタシは弱い。教会の方針を変えることが出来ない弱者、ヴィクトルが与える快楽から離れる勇気を持てなかった弱虫。
……でも、根本的に悪いのは、アタシじゃない。
「アンタたちが……吸血鬼なんかが居るから、アタシは! あの場所に居られなくなったんだ!!」
完全に悪手だった。怨嗟を吐き出しながら、銃を構えるなんて。相手は吸血鬼なのだ。放たれた弾丸を避けて、アタシの首をへし折ることくらいわけない。
それでよかった。自分の命も、世界の命運もどうでもよかった。
……でも、
「――ッ、く」
「え……」
吸血鬼は想定通り、アタシの弾丸に反応した。防ごうと思えば、容易に防ぐことが出来ただろう。
なのに、相手は避けなかった。血がこぼれる腹を押さえ、落ちそうになる眼鏡を押し上げながら、吸血鬼がアタシを見た。
「あなたは……ダンピール、ですね」
「な、なんで避けなかったの」
「ここは、大切な人が
よく見れば、吸血鬼の足元にあるのは墓石のようだ。ボロボロに風化して、ちょっと蹴っただけでも粉々になってしまいそうなくらい古い。
「それなら、アンタを殺してからその墓石もブッ壊してやるわ!」
「その銃に装填された分のシルバーブレッドなら、耐える自信はあります。その後で、貴女の息の根を止めることくらい
吸血鬼が目を細める。それはまるで、遠い昔のことを思い出すように。
「貴女のことは、殺したくありません。吸血鬼の存在に恨みを抱く貴女を」
「はあ? 何それ。人間にとってはねぇ、アンタたち吸血鬼が何よりも憎いの! 怖いのよ! アタシだけじゃない!!」
二発、三発と放たれる弾丸を、吸血鬼は宣言通りその身で受け止めてみせた。肩と太腿を貫かれ、大量の血を流しているにも関わらず、吸血鬼はそこから動かなかった。
足元に出来る血溜まりに、アタシの方が焦り始めていた。
「何なの、何なのよアンタ!!」
「……私は」
「あらまあ、こんなところにみすぼらしい吸血鬼が居るなんて。一体、どこではぐれた隷属なのかしら」
背後から聞こえてきた甘ったるい、しかし珍しく不機嫌そうな声に身震いした。
一体いつからそこに居たのか、兵隊たちと共に夫人がアタシの背後に現れた。
「な、何ですかあなたたち……やめてください、ここは――ぐあっ」
「口答えしないで頂けます? わたくし、自分以外の隷属は嫌いなんです。他の吸血鬼の鎖付きだなんて、触りたくもない……ですが、連れて行けば狂信者さまのステキな表情が見られるかもしれないわね。捕らえなさい」
冷たい声に、一人の兵が音もなく吸血鬼の前に立ち、腹の傷を抉るように膝を打ち付けた。
ぐらつく身体を、両手を背中で拘束して立たせる。そして兵が吸血鬼の口を手で塞いだ。
「さて、と。そろそろ決着がついた頃でしょうし、狂信者さまに会いに行こうかしら。ライラ、あなたも来る?」
「……行かない。疲れたから、帰るわ」
「そう。気をつけて帰りなさいね」
大してアタシに興味もないのだろう。夫人が踵を返して、来た道を戻って行った。周りに居た兵隊も、無言で彼女に付き従うだけだ。
でも、アタシは見てしまった。
吸血鬼を捕らえた兵が、一瞬だけ彼の口から手を離し眼鏡を取り上げていたのを。
「……ま、いいか」
別に追いかけてまで教えることでもないだろう。アタシも帰ろうと思ったが、先程の墓石が倒れてしまっているのが目についてしまった。
……墓参りなんてしたことないし、死者を偲ぶ行為は理解出来ない。
でも、この時はなぜか。そのまま見なかったことにすることが憚られた。
「お騒がせしました、と」
墓石を直して、今度こそ帰路につく。いいことをした、なんて慢心はない。
むしろ、遺跡から出た辺りですっかり忘れてしまう。その程度のことだった。
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