五話 証拠の確保

 げんなりとした様子で、ジェズアルドが一人で門の方へ向かう。長い紅髪を靡かせる後ろ姿を見守るも、ふと疑問が浮かぶ。


「なあ、シス。ジェズアルドさんって、神父様みたいに人間に擬態したりしないのか?」

「あー……私も不思議に思って聞いたことあるけど、苦手なんだって」


 ひそひそと話すシス。どうやら、人間のフリをするのは結構難しいらしい。ずっと人間として生活していた神父様が異質なのだ。

 ……っと、そんなことを考えている時間はなかった。ジェズアルドの洗脳能力がどれほどのものか、今後のために把握しておくべきだ。

 なんて意気込むも、無駄に終わった。


「ちょっと、そこのあなた」

「ひい!? 何だ、誰か居るのか」

「すみません、怪我をしてしまって……立てないので、手を貸してくれませんか?」


 壁に背を預けるようにして、ジェズアルドが男に呼びかける。怪我をした仲間が居ると思ったのだろう、まんまと門に寄ってきて声の主を探すようにして覗き込んできた。

 その隙を突いて、ジェズアルドが前に躍り出ると門の格子越しに男の胸倉を掴んだ。


「なっ、吸血鬼!? 離せ! くそっ、どうしてこんな場所に吸血鬼が二体も居るんだ!?」

「成り行きですよ。あなた、ここを開けてくださいませんか? そうすれば、あなた一人は見逃してあげますよ。別にこのままあなたを殺して、鍵を奪ってもいいんですけど」

「ひいッ……!!」


 これはどう見ても洗脳ではなく、脅しだ。手を震わせながらも、男が鍵で門を開けた。


「ありがとうございます。ああ、そうだ。どうせならその鍵束、僕に譲ってください。逃げ出すなら、もういらないでしょう?」

「う、うわああ!!」


 鍵束をジェズアルドに投げつけると、男はそのまま無様に転びながら走り去って行った。想定していた形とは全然違うが、手に入れた鍵を見せびらかす無表情はいつもより得意げに見える。


「はい、ちゃんと説得をして鍵を開けて貰いましたよ」

「いや、完全に脅してましたよね?」

「説得です。さあ、神父が人間を狩り尽くす前にさっさと行きましょう」


 説得だと言い張って、行ってしまうジェズアルド。思わずシスを見るも、彼女も呆れ顔で見返してくるだけ。

 目的は達成出来たので、いいか。ジェズアルドに置いていかれないように、俺とシスは慌てて彼の後を追った。


「あ、あれです! 先生、レクスさん。あの建物です!」


 施設はすぐに見つかった。五階建てのシンプルな建物は、言われなければ病院にしか見えない。シスが言っていたように、三階から上は殆ど明かりが消えている。

 三人で駐車場に停めてあったトラックの影に隠れて、様子を窺う。不気味なくらいに静かだ。


「研究所は一階と二階、三階から上は病室や居住区になっているみたいです」

「居住区?」

「四階と五階が居住区です。研究者はそこに住んでるみたい。軍人さんや警備の人の寮は、ここから更に奥にあります」

「寮の方は無視していいのではないですか? 大した情報はなさそうです」

「そうですね。このまま研究所を調べましょう」


 気配を忍ばせ、俺たちは裏口から中へと侵入する。鍵はかかっていたが、ジェズアルドが手に入れた鍵で難無く開いた。

 警備員が駆けつけてくる気配も、警報が鳴り響く様子もない。


「……不気味なくらいに静かですね」


 思わず零れる不安。外の騒がしさとは裏腹に、自分の呼吸音さえ響くほどに静かな空間は気味が悪い。

 それに……神父様が傍に居ないのも、怖い。


「レクスさん、大丈夫?」


 シスが心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。大丈夫と何とか笑って見せるも、正直思っていた以上に余裕がない。

 そんな俺を、ジェズアルドが見下ろす。


「……あなたのその不安は、神父が生きているからこそ感じるものです」

「え?」

「隷属は主のために存在するもの。今、神父は多少なりとも力を消費しています。消費するとは言っても、真祖である神父にとっては広大な湖からコップで水を汲み捨てていくような途方もないものですが。それでも消費している以上は、隷属のあなたもそれを感じるのです。もしも神父が死んだら、何かを感じる前にあなたは自分の首をナイフで切り裂くでしょう」


 淡々と語られる言葉に、俺は驚きつつも納得した。隷属だから、主の状況に過敏なのか。


「隷属は主に尽くすのに、主にとって隷属は都合よく動かせる駒の一つ。あるいは餌。そうやって使い潰す吸血鬼は多いのですが……その点だけで言うなら、神父の隷属になったことは幸運でしたね。あれが神に心酔している以上、神の教えに背くことはしないでしょうし」

「なるほど、言われてみれば確かに」

「レクスさん……」

「もう大丈夫、さっさと用事を済ませましょう。あ、あそこにある部屋は資料室みたいですよ」


 シスの目に耐えられなくて、俺は手近にあった資料室へと向かった。

 ……シスから見れば、俺はどうしようもなく哀れな男に見えるのだろう。言われなくても、彼女はとてもわかりやすい。


 だから、俺は彼女が苦手だ。


「とりあえず、入ってみましょうか」


 鍵はかかっていなかったので、俺たちはそのまま中へ入る。窓がないせいか、埃っぽく生温い空気が出迎える。


「証拠になりそうなものはありますか?」

「えっと……残念ながら。どちらかというと、医学や生物学の資料が多いですね」


 鍵がかかっていない時点で、あまり期待はしていなかったが。この部屋にあるのは、市販されているような資料ばかりだ。俺が勉強で使っていた参考書まである。


「一階は他に会議室や、食堂などの施設しかないですね」

「それじゃあ、二階に行きましょう」


 階段を上がり、二階へ。一気に濃くなる薬品の臭い。いかにも研究所、という雰囲気だ。

 なんだか、口の中まで苦く感じる。思わず口元を押さえた。

 

「あれ? 明かりはついているのに、人は全然居ませんね」


 『第一研究室』と書いてある部屋の中を覗き込んで、シスが不思議そうに首を傾げる。確かに、誰も居ない。三人で部屋に入って、様子を窺う。


「……このコーヒー、飲みかけです。しかもまだ温かい。片付け忘れて自分の部屋に帰った、とも考えられますが」


 ジェズアルドが指差すつく絵には、確かに湯気を立てるコーヒーカップが置きっぱなしになっている。それだけじゃない、書きかけのレポートや何らかの検査結果が書かれた書類もそのまま置いてある。

 数分前まで人が居たのは間違いないだろう。でも、どこへ行ったのだろう?


「あ、これ。この名前が書いてあるファイルって、カルテじゃないですか?」


 シスが見つけたのは、スライド式の書棚に収められた大量のカルテだった。一冊ごとに表名前と生年月日、それから期間と黒いバツ印が記入されている。

 試しに、『エドナ・バレーレ』という女性のカルテを手にとり中を見る。何百枚もの検査結果、X線撮影画像、診察記録などが収められている。更に別の女性のカルテも見る。バツ印の意味はすぐにわかった。

 バツ印がついたカルテは、すでに死亡した女性のものだった。


「このカルテなら、証拠としては十分そうです。ご丁寧に患者の顔写真や出身地まで書いてありますし」

「よかった! じゃあ、何冊か頂いて行きましょう」


 俺は持参していたリュックに、手にしたカルテを押し込む。更に研究者の手帳や、その辺にあった書類も貰うことにした。

 これだけあれば、証拠としては十分だろう。


「意外とあっさり終わったね」


 ほっと安堵したように息をついて、シスが笑う。本当に、拍子抜けするくらいに簡単に終わってしまった。

 でも、順調だったのはそこまでだった。


「ああ。あとは、この施設を破壊して、神父様と合流するだけだな」

「そうだね。あれ、そういえば先生は――」

「二人とも、逃げてください!!」


 いつの間に部屋を出ていたのだろう。廊下から、ジェズアルドが焦ったように叫ぶ。瞬時にシスが、俺の肩を掴んでその場に伏せさせた。一体何が、と聞き返す暇も与えられなかった。


 ――鼓膜を突き破るような爆音が、机や窓を吹き飛ばした。


 

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