四話 奉仕


 いつの間にか寝てしまっていたらしく、気がついた時には夜だった。俺はベッドから身を起こすと、月明かりが注ぐ室内を見回す。

 確か俺は、神父様の帰りを待っていた筈なのだが。そう考えていると、ドアがゆっくりと開けられた。


「あー、気持ち悪……あ、レクスくん。起きてたんだ?」

「お、おかえりなさい神父様……なんか、顔色が大変なことになっていますけど」


 なぜかげっそりとした顔色で戻ってきた神父様。しかも、彼から仄かに香るワインの匂い。

 甘酸っぱい匂いを纏う神父様は退廃的な魅力があるが、真っ青な顔面で美貌も台無しである。


「あの、神父様。もしかして、お酒を飲んだんですか?」

「……だって、戻ってきたらレクスくん寝てたし。おつかいに行くだけ行って、そのままジェズアルドにワインを渡すのもシャクだったからね。どうせだから、酔い潰して弱みでも握ってやろうと思ったのに!」


 癇癪を起こす子供のように喚きながら、俺のベッドの縁に力なく腰を下ろす神父様。今の彼は人間の擬態を解いているが、アルコールに強くなるというわけではないらしい。


「大変でしたね。えっと、水でも貰ってきましょうか?」


 ふらふらしている神父様に言って、俺はベッドから降りようとした。泥酔という程ではないが、休ませた方がいいと思ったからだ。

 だが。不意に神父様が俺の手首を掴んで止めた。


「いや、水はいらないよ」

「神父様、でも――」

「私は、きみの血があれば十分だからね」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。気がついたら手首をベッドへ縫い付けるようにして組み敷かれ、胸元のボタンを外される。

 隷属としてのさがだろうか。無意識に彼の首に両腕を回せば、紅い髪がさらりと肌に触れた。


「ふふっ、隷属になったら言わなくてもわかるんだ。いい子だねレクスくん。さあ、力を抜いて」

「はい……神父、様」


 視界が紅に覆われたかと思えば、首筋に鋭い痛みが走った。だが、肌に食い込む牙が痛みだと感じたのも刹那の間だけ。


「――ッ!」


 クローゼ村で契約を交わした時と同じ、いや、それ以上の快感が脳天から指先まで駆け抜け、意識を攫う。

 慣れない感覚に、指先が痺れる。思考を、そして自我さえも歪めてしまいそうだと怖くなる程だった。


「ん……ふむ、なるほど。今までずっと、隷属を侍らせてる吸血鬼はなんて悪趣味なんだろうって思ってたけど。これは、クセになりそうだ」


 唇を舐めながら、神父様が恍惚に笑った。

 終わったのか。脱力する腕がするりと解ける。頭がくらくらする。


 ……それに、何だかとても喉が渇いた。


「神父様……喉が、渇きました」


 身体を起こす神父様を引き止めるように、俺の指が彼の袖を掴んだ。もう限界だった。

 焼けるように痛む喉に、声が掠れる。喋るのも億劫なのに、神父様は口角をつり上げて猫のように微笑んだ。


「喉が渇いたんだ。それじゃあ、何が欲しいか言ってごらん?」


 長く綺麗な指が、俺の唇を撫でる。その仕草、表情、声の全てが聖職者とは思えない程に妖艶だ。

 このまま腹の底から湧き上がる欲望のままに、唇に触れる指の皮膚を噛み破りたい。滴る雫を飲み干したい。そう叫びたいのを何とか堪えて、俺は懇願する。


「……血が、欲しいです。一滴でいい。神父様の血が欲しいです」

「ふふ、あはは! よく言えました。レクスくんはおねだりも上手だね?」


 満足そうな顔で、神父様が一度手を離す。そして紅い槍を取り出すと、その切っ先に右手の人差し指を当てて、皮膚を薄く切った。


「はい、どうぞ。一応言っておくけど、噛んじゃ駄目だよ」


 念を押しながら、神父様が再び指を俺の唇に添え、そのまま口内へと押し込んだ。

 脳が麻痺するような、甘い香り。傷口から溢れる血をおそるおそる舐めとると、神父様が少しだけ顔を顰めた。

 ああ、甘い。子供の頃にスプーンですくったハチミツを舐めたことがあるが、神父様の血はハチミツなんかよりもずっと甘い。

 甘い、毒だ。


「はい、終わり。少しは満足出来たかな?」


 すぐに指が引き抜かれてしまう。本当に一滴しかくれなかったが、喉の渇きはかなりマシになった。

 

「……神父様って、意外とサディスティックですね」

「そうでもないよ。レクスくんは可愛いから、どうしてもイジメたくなるだけさ」


 ふふんと満足げに俺から離れると、神父様が自分のベッドに勢いよく腰を下ろし、そのままパタンと寝転んだ。

 どうやら、酔いはすっかり回復したようだ。


「さてと、そろそろ寝ようかな。ずっと人間のフリをしていたから、夜は眠いのが癖になっちゃったよ」

「ああ、そういえば神父様。夜の化身たる吸血鬼とは思えないくらいに規則正しい生活をしていましたね」


 クローゼ村は娯楽が乏しかった分、夜更かしをするような物好きは居なかったが。神父様は聖職者らしく、規則正しい生活を送っていた。

 これは、吸血鬼ではかなり珍しいことだ。

 

「あの、神父様。今更ですけど、吸血鬼って何年も寝ないっていうのは本当なんですか?」

「うん? んー、そうだねぇ。確かに何年も寝ない人も居るけど、人間と同じようなタイミングで寝てる人も居るよ」

「そうなんですか。それなら、吸血鬼も人間と同じような生活をしていれば長期間の休眠に入らずに済むのでしょうか?」

「おや、すっかり目が覚めちゃったのかな? 仕方ない、少しだけ我々のことを話しておこうか」


 神父様が上体を起こす。さっきまでの淫靡な雰囲気はどこへやら、いつのまにか室内の空気が授業気分になってしまったせいで、俺は自然と背筋を正した。


「それではレクスくん、吸血鬼の休眠とは何か覚えているかな?」

「はい。吸血鬼にも生活サイクルが存在し、人間の睡眠にあたる時期を休眠と呼びます」

「そう。我々にとって一日……つまり、目を覚ましてから寝るまでの時間はとても長い。起きていられる時間が一年の者も居れば、十年、百年の者もいる。本当に百年間ずっと起きているわけではなく、仮眠をとることもあるけれど」

「神父様にも休眠はあるんですか?」

「あるよ。でも私は基本的にずっと人間と同じ生活サイクルだから、休眠状態に入ることは滅多にないかな。少し疲れた時に眠ったら、起きた時に半年近く経ってたことはあるけど」


 吸血鬼は力があるからこそ時間の感覚、そして休養というものに無頓着になる。暴れるだけ暴れて、体力の限界がきたら死んだように何年も眠るのだ。

 ただ、吸血鬼にとって長期の休眠は命取りでもある。


「では次、休眠状態の吸血鬼の特徴は覚えているかな?」

「はい。吸血鬼は一度休眠状態になると、力が十分に回復するまで目を覚ますことがありません……って言われていますけど、本当なんですか?」

「うん。実際に『黒魔術師』と呼ばれていた真祖は、休眠していたところを運悪く教会の人間に見つかって、全く抵抗出来ないまま殺されたらしいからね」


 そう、休眠状態の吸血鬼は無防備なのだ。たとえ真祖であろうとも、休眠状態の時に人間に見つかれば呆気なく殺されてしまう。

 しかし、そのまま殺される程、吸血鬼達は愚かではない。

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