第12話 異常④

「な、なんだお前は……?」

「ふふふ、夢を見るのは苦しいか? 悲しいか? 辛いか? だったらいいことを教えてやるぞ」

「い、いいこと?」

「夢を壊せ……そうすれば楽になれる……お前を苦しめる父さんと母さんが作った思い出という名の戒めからも解放される……だから、そっちの世界に悪夢も持っていけ……」


 あろうことか俺の顔をしたそいつが囁いてきた。


「……ヴァラレイス・アイタンは存在しない。これからお前には、今さっき見ていた夢が現実となって起きはじめる。だから俺を持っていけ、そっちの世界に悪夢を持ちこんでいけ……そうすれば、ふふふっ……楽になれる」

「――――何を言って、出来るわけが……」

「そうでなければ、絶たれるぞ、失うぞ、恨むことになるぞ、自分の望みを……幸福がいいんだろ? ならば悪夢を使えよ……平和を壊そうとする夢見がちな奴らを、悪夢の力で壊してしまえよ……俺と同じ顔をしたお前なら出来るだろ?」


 次に来る言葉を俺は決して聞いてはならないかったのに、


「……なぁ……俺の偽物君」


 手遅れだった。


「――――う、うっ!?」


 ニタニタ笑う俺ではないホロムが、俺を何者でもない空っぽの存在にした。もうここらが俺の限界だった。俺の理性は崩壊を始めた。


「――うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 目を覚ました。ベットから飛び起きた。階段から転がり落ちた。痛む身体でもダイニングを歩いた。玄関から靴も履かずに飛び出した。整わない息も、汗ばむ服も、寒い寒い外も関係ない。ただただ走る。寝てしまわないように走る。ただただ逃げる。悪夢を見てしまう愛する家から逃げる。


(――イヤだ! もうイヤだ! おかしくなる人なんて見たくない! 苦しむ人だって見たくない! 壊れていく世界も見たくない! 戻りたいあの頃に! 父さんと母さんのいる幸せだったあの頃に戻りたい! けれどどうにもならない! 戻れやしない! じゃあどこに……俺はどこに行けばいい! この先、世界が悪夢に変わっていくなら俺はどこに行けばいい!)


 何秒・何分・何時間も経過しようが構わず走り続ける。悲鳴・絶叫・怒声、トラブルを報せる音に耳を塞いで逃げ続ける。

 そうして俺はある場所に訪れていた。特に目指している訳でもなかったのだけど。


「……立ち入り禁止区域」


 ヴァラレイス・アイタンに関わるらしいという特別な区域、本来いるはずの警備員の姿もなく、厳重だった扉も何故か破られていた。


(一体、誰が……こんなことを、警備の人たちはいないのか? 国がトラブル続きだから流石に休業しているのか……?)


 俺の身体は禁止区域の方へと引き寄せられ、破られた扉の向こうを覗き込んだ。


(噂通りか、真っ黒い土が果てしなく続いている。それも人の気配が全くしないなぁ。扉を破った人はどこに行ったんだろう……いや、そっちを気にする必要はないか。出くわしても怖いだけだ……)


 流れで禁止区域の境界線である段差に乗りだした。


(この先には確か……ヴァラレイス・アイタンに通じている大穴があるって話だったか……? 禁止だから入ってはいけないけど……今なら、誰も見ていない。入ってもバレないだろうな……でも、そんなことしていいのだろうか……?)


「うわあああああああ!!」

「――――ひっ!?(また、なにか近くでトラブルか? 怖いなぁ……このまま街に戻るのは……だったら誰もいない禁止区域の方が安全だろう……いけないことでも、安全第一だ。入ってしまおう……)」


 俺は夜闇が溶け込んでいる真っ黒い土場へと踏み込んでいく。一歩また一歩と、何かに誘われているような錯覚さえ感じていたが、自然と足も勝手に動いてしまう。


(やっぱり、この先を進むのはいけないことなんだろうか……でも、知りたい。彼女に関係あるモノが知りたい。それにしても、自分がこんなにも悪いことをするヤツだったなんて思わなかったなぁ……それとも、まだあの連続する悪夢でも見ているんだろうか……)


 考えながら歩いていると、ぼんやりとだが大穴のようなものが見えて来た。

 不気味な花のような形の柵で覆われ、下へと続く螺旋階段が一つある。

 大穴を覗き込むと、冷たい風を顔にぶつけられた。その奥は底が知れないほど深いようだ。


(この階段を最後まで降りられたら、本当にヴァラレイスのところに行けたりしないかな……)


 長い長い闇の底へと続いている階段は、本当は降りることは許されない。


(それでも……何故だろう。自分の身体が暗さに染まると気分が落ち着く、この何の音もない静けさが凄まじい解放感を味合わせてくれる。俺の心を奪い去って、悩みも痛みも全て攫ってくれる。なんて、なんて心地いいんだ)


 愉快に弾む足取りが、あっという間に大穴の最深部へと導いてくれた。


(花の香りがする……ような気がする。なんだこの、あるようでないような香りは……)


 辺りを注意深く見ると、異様な黒い花が一面に咲き誇っていた。


(これ……歴史会館の大壁画に描かれていた華だ。確か、純黒の彼岸華だ。とても縁起の悪い華)


 大穴の底をびっしりと純黒の彼岸華が埋め尽くされている。さらに中央には何かを祠のようなものがあった。


(なんだアレは……?)近づいて確かめると(墓標……?)が設置されていた。


(一体誰の……いや、ヴァラレイスの墓標か……なるほど、大穴の底は彼女のいるところに通じているか…………まぁ、真相なんてこんなものか。どこの誰とも知れない人の言うことだ。所詮は妄言だったわけだ……)


 期待は外れて、高まった気分も一気に覚めてしまった。それでも見物はしておこうと近くにある祭壇に目を向けた。そこには、物騒な器具がいくつも置かれていた。


(当時の、儀式の器具か? ホントにこんな……蝋燭に動物の骨、縄やお札を使っていたのか? 不気味だな~~触らない方がいいか……いや、待て)


 陳列されている品物の一つを手に取った。当時の女性が髪を切るために使用した刃物だろうか。手のひらサイズの鎌を見つけた。闇の中で薄く煌めく刃は、危なくも美しく見えた。


(凄くキレイだ。刃にも錆一つない。そうとう昔に作られているはずなのに……折角ここまで来たんだ。記念にもらっておいてもいいかな。どうせ、誰もこんなところまで足は運ばないだろう。バレやしないバレやしない……)


 しばらく、その髪切り小鎌を見つめていると、異様な誘惑に駆り立てられた。


(――! 待てよ、これを使えば、行けるんじゃないのか? 俺の恋焦がれているヴァラレイスの元へ…………だって、ここは彼女に通じている場所なんて言われてるんだから……そうだ。きっとそうだ。これの事だったんだ。それなら話は早い……)


 これでも、自分ではおかしなことは考えてないつもりだ。むしろ名案だと思った。


(この刃を使って、俺も彼女の元へ行けばいいんだ。彼女の様に落ちればいいんだ)


 途端に落ち込んでいた気分が高揚した。


(もしかしたら、父さんと母さんも、そこにいるかもしれない。二人共、ヴァラレイスを信じていたんだから、一緒に俺を見守ってくれていたかもしれない……だったら行こう。会いに行こう。どうせ、もうヴァラレイスの願っていた世界は破られてしまったんだ。平和は崩れ去り、幸福ももう続かないんだ。こんな世界なんて放っておけばいいんだ……俺は俺の夢を叶えよう。もう悪夢から覚めてやるんだ。あんな同じ顔をした俺のニセモノなんかに負けやしない……俺は誰の思い通りにもならない)


 両手で小鎌を握り、刃の切っ先を首元に向ける。それなのに全く怖くない。むしろ、希望に満ち溢れていたと言ってもいいだろう。


(今行くよ……父さん母さん、そしてヴァラレイス。君には伝えたいことがあるんだ……聞いてほしいな。だから俺をそっちへ迎え入れてくれ)


 俺は刃を動かした。自分の首にめがけて一直線に、


(さようなら皆…………俺は本当の夢を叶えてくるよ)


 全てを決めた、まさに刹那の事だった。

 何が起きたのか一瞬わからなかった。刃を首めがけて動かしたのに、不思議と痛くない。それ以前に意識がまだはっきりとある。代わりに背中が痛みがあった、まるで誰かに突き飛ばされ、倒されたかのように……けれど、ここには俺しかいないはずだった。手元にも刃はない。身体を起こそうにも、何かが腹部に乗っかっていて邪魔をしている。


「やめろ……」


 それは俺ではない少女らしい声。


「えっ……?」


 そうして気づいた。今、俺は誰かに倒されて馬乗りにされているのだと。


「私になんてものを見せようとしてやがる。この愚か野郎が……」


 声の主がセリフを吐き捨てた。


「――えっ、君は……誰だ?」

「わからないか? お前が望みに望んでいた女なのに……? ふん、所詮お前の恋なんてそんなものだ……気色の悪い心を私に向けやがって、吐き気がする」

「……俺が、望んでいた? 女の人……?」


 たった一人しか思い浮かばないが、その人は存在しないはずだ。


「まさか君は……」

「そうだ、そうだとも。全ての人間が唯一無二にして絶対永遠の最敗北者と語っている女だよ……いや、今はだったというべきか……まぁ、何にしても私の名前は……」


 暗がりに浮かぶ少女の顔は、儚くも美しく幻のようだった。


「ヴァラレイス・アイタンだ……」


 それが俺と彼女の邂逅だった。

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