第2話 日常①

 大壁画の少女に恋をしてから四年が経過したある日のこと。

 俺の住んでいるフォレンリース共和国は相変わらず平和だ。それどころか数千年の今日に至るまでの間、大きな事件はもちろん、些細なトラブルも起きたことはない。きっとこれからも平和は続いていくだろう。

 花々しく飾り付けられた街並みには、緑豊かな自然が各地に設けられ、上手く溶け合わさることで花園のように、のどかな国へと仕上がっていた。

 スラリとした長身の木が並び立ち、元気のいい葉を茂らせて、天まで伸びて行こうと今日も頑張っていることだろう。赤、青、黄、緑、共和国の区域によって葉の色が違うのが特徴的だ。


 桃色の葉を茂らせている木の区域には、周りの住宅から離れて佇む質素な一軒家がある。

 そこはホロム・ターケンの家――つまり俺が住んでいる場所だ。


「……いつも通りだ」


 それが眠りから目覚めた俺の第一声だ。

 いつも通りの二階部屋の自室の光景。いつも通りにベットから起きあがって目にする光景。全てがいつも通りだ。


(時間も空気も、窓から差す日の光も、寝起きの光景も、何もかもが変わらない……それでいい……それこそが俺の愛すべき日常だ。さてと……学園へ行く支度をしなくては……)


 軽く身支度を済ませ、一階へと続いている階段を降りて、狭いダイニングで、簡素な朝食を取る。

 ごく普通のパンに赤いジャムを塗りたくってかじりつき、瑞々しい色とりどりのサラダを口に運び、栄養を補給していく。これもまたいつも通り。

 朝食を早々に終わらせて、片付けした後に、玄関へと向かっていく。


(……馬走大会開催、今日のヤノム長老の一言、待ちに待った本日開店のスプラッシュ飲料店、ボランティア団への会員登録こちらまで……どうやら悪い報せはなさそうだ)


 玄関の郵便受けから朝刊を取り出した俺は、内容に目を通しながらダイニングに戻り、椅子に腰掛けてきちんと読み始める。ダイニングで一人寂しく新聞を読み込む学生の絵が完成したことだろう。止まっている今ならスケッチし放題だ。


(……おっと、そろそろ時間か)


 壁に掛けておいた円型の時計に――ふと目を向けて気づき、朝刊をテーブルに放って、椅子から立ち上がった。学園指定の学帽を被り、肩に教材の入った鞄を提げる。これで登校準備は完了。

 そして壁に掛けてある額縁の前へと足を運び、そこ収まっている一枚の絵と向かい合った。それは俺がまだ幼少期の頃の話で、家族の何かしらの記念日にある画家に依頼して描いてもらった“ターケン一家の絵”だ。この絵で、グラルという名の父さんと、ミリチという名の母さんと、ホロムという名の俺で、誰が見ても三人家族だったということがわかるはずだ。


「……父さん、母さん、行ってきます」


 けれど俺の言葉を返してくれるはずだった二人は、もうこの家には居なくなってしまった。ただただ静けさだけが帰ってきて、いっそダイニングに寂しさが増してくる。


(……きっと無意味じゃない。向こうで言ってくれたはずだ)


 ダイニングから移動して、玄関で靴を履き、扉を開けて外へ出ていく。

 これから俺はフォレンリース学庭園というところで、勉学に勤しんで、友人たちと交流し、学園生活を満喫しに行くのだが、


(本音を言えば、勉強なんて教科書さえあれば自宅でも出来そうなものだけどなぁ……わざわざ長距離を歩いて出向いてあげる必要があるのだろうか……まぁ、一人で家に居ても寂しいだけだから別にいいか)


 俺は家から続く道を辿って人の多い街へと踏み込んでいく。

 街もまたいつも通りの朝を迎えている。ジョギングする青年、青果店の開店準備に取り掛かる男性、イヌを散歩に連れている老人、これらも全て見慣れた光景だ。

 俺はひたすら歩いていく。様式ある住宅が立ち並ぶ道を通って、人の混雑大通りを流れて、馬車や荷車専用の道を隙を見て渡って、目的地へと近づいていく。

 次第に、俺と同じ学生服を着ている大なり小なりの男女が見受けられるようになって、学園の近くまで迫っている空気感が出て来た。キャッキャと楽しそうに話す女子たち、学園まで走って競争を始める活発な男子たち、他にも元気に登校する学生たちの姿があった。


「おはようホロム」


 背後から聞き慣れた声がしたので見てみると、いつの間にか友人が隣を並んで歩いているのだと知る。


「あぁ、イルフドか……おはよう」

「朝から何をニヤついている? 今日は何か楽しいイベントの予定でもあるのか?」

「ニヤついてないさ……いや、いつもの朝で安心しただけ」

「そうか、そうだな。昨日も今日も変わらない平和そのものだ。おっ、ネコと遊んでいる女子がいるな。時間を忘れて遅刻しないといいんだが……」


 この黄緑色の短髪はイルフドという同年代の男友達だ。毎朝こんな感じでさりげなく話しかけて登校を共にしている。


「それ、何を飲んでいるんだ?」


 彼の手には収まりのいい竹筒が握られていて、常識通りなら中に飲料水の類が入っているはずの物だ。


「今日はスプラッシュ飲料店が開店すると以前話をしただろ……早速手に入れて、その味を確かめているんだ」

「ああそうか、早朝から開店するんだったな……それで、俺の分は?」

「――ない。お一人様一本までだ」

「あれだけ大規模に宣伝してた割にせせこましくないか?」

「キミは見てないだろうからわからないんだ。あの長蛇の列を……加えて通勤ラッシュだ。もう完売してるんじゃないのか?」

「その状況でイルフドは買うことが出来たのか……?」

「うん、開店時間と同時に並べるよう家を出たからな。その点に問題はなかった。まぁ、順番が来るまで多少の時間はかかったが……」


(世界初の新製品、炭酸飲料水……か)


 竹筒に貼られていたラベルにはそう書かれていた。


「それで、味の感想は?」


 聞いてみると、イルフドは炭酸飲料を実際に口に含んで喉に通して、


「――無数の泡粒がバチバチと破裂しているような味だ」

「……意味不明」

「僕にはこの味をうまく表現できない。ほらっ、自分で飲んで知った方が早い」


 そう言って貴重な飲み物をこちらに渡してきた。


(特に興味はないが……物は試しか)


 特に警戒もなく気軽に口に含んだ。すると、


「――!? な、なにこれ! シュワシュワするんだけど!」

「そ、そうそう、シュワシュワするんだ。飲めなくはない……いや、むしろこの刺激がいいと言うか……って、無くなっているし……」


 空にしてしまった竹筒を返すとそう漏らしていた。


「……まぁ、未知の味を知れてよかった」

「半分以上飲んでおいて、感想はそれだけなのか……?」


 そうして段々と会話を弾ませながら、学園の校門を目前に捉え、その敷地内へと入っていく。それもまたいつも通りの日常の一つだった。

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