アフター

第37話 12月31日

「・・・ち、幸」


 誰かに呼ばれて目を覚ます。目元を手で擦りながら重たい瞼をゆっくりと開ける。


 視界にはすぐに見慣れた白い天井が見えた。外に明かりが部屋に入って来ているようでよく見える。


「おはよう、幸」


 声がしてすぐに視界の端に彼がいることに気が付いた。彼は私が寝ているベットに腰かけ、寝ている私の顔を覗き込んでいた。


「・・・秋原さん」


 寝起きで朦朧とした意識の中、私は彼を呼んだ。


「懐かしいね、その呼び方」


 彼は笑いながらそう答えた。


 私も意識がはっきりとし始めてそう思った。確かに彼のことをそう呼ぶのはかなり久しい。最初の、まだ付き合う前頃の呼び方。いつから下の名前で呼び合うようになったかは覚えていない。


「昔のこと、夢で見たからかな」


 断片的に覚えている夢の内容を思い出す。彼がまだ高校生で、幼さを残していたあの頃の記憶。


「そっか。・・・それより予定より早く出ようと思うから準備してね」


「うん、わかった」


 彼が立ち上がると凹んでいたベットが少し上に持ち上がった。


「朝食出来てるから」


「ありがとう」


 そう伝えると彼は私の部屋から出て行った。


 私は部屋を見渡す。出会った頃にはなかった私の部屋。彼が高校を卒業して、大学に行かず就職し、私が雇ってもらったスーパーの仕事に慣れた頃、二人の職場の中心ぐらいにあるマンションに移った。


 その際、マンションの契約金や家具などもろもろに父から貰った5300万が少しずつ消えていった。


 彼の姿が部屋からなくなると、私もベットから出た。


 布団をかけていたからわからなかったけど、今日はいつも以上に寒い。


 私はすぐにクローゼットを開ける。ハンガーにかけられた多くの服がすぐに目に入る。その中から昨日考えて用意していた服を取り出す。それらに着替えてから部屋を出た。


 リビングに行くとテレビを見ながらソファに腰かけている彼がいた。彼は私が部屋から出ると顔をこちらに向ける。


「今日はその服なんだ」


 彼は懐かしむようにそう言った。


 私が着ているのは彼が最初に買ってくれた服。父に会いに行くときにも着て行ったこの服は私のお気に入りであり、勝負服でもある。


 今日、彼は実家に帰る。両親に会うのは3年ぶりになると言っていた。私が来てから彼は一度も実家に帰っていない。両親から時々電話が来ているみたいだけど、ずっと合わないのいけないと思う。・・・人のことは言えないけど。


 そして今日、私は初めて彼の両親に会う。彼から聞いた両親像からは彼と同じ優しい印象を得た。


 だからと言って緊張しないわけがない。だからこの服を選んだ。


「うん、お気に入りだから」


「それはよかった」


 彼はそういって再びテレビに目を向ける。


 私はキッチンの近くにある椅子を引いてテーブルに着く。テーブルの上には焼かれたパンとコーヒー、それと目玉焼きが置かれていた。彼が作ってくれる時はいつもこの3つが並んでいる。


 パンの上に目玉焼きを乗せてかじる。


「今日は東シナ海から来る冷たい風の影響で西日本全体が冷え込みますので、お出かけの際は温かい格好をするといいでしょう」


 天気予報の後、時刻が変わり別のニュースが始まる。現在の時刻は8時。


 時間を確認してふと思った。昨日までに聞いていた時刻より早く出ると彼は言っていたが、何時に出るのかまでは明確には知らされていない。


 パンの最後の一口を口に入れ、手に付いたパンくずを叩いて食器の上に落とす。そこまでしてから彼に聞いた。


「何時に出るの?」


「ん?そうだな・・・10時5分の電車に乗りたいから、それまでに用意できる?」


「駅までの時間を考えて約1時間半・・・たぶん大丈夫」


 さすがに1時間以上あれば準備できると思う。服は着替えているから、顔を洗って、歯を磨いて、それから化粧をしても十分間に合う。


「ならそれに間に合うようにだから9時半には家を出ようか」


「うん」


 私は返事をしてから食器を流しに置き、洗面台に向かった。



 歯を磨き、顔を洗い、化粧を済ませた。・・・と言っても化粧って程のことはあまりしていない。アイシャドウやマスカラをする道具は買ってあるのだが、彼が「薄化粧の幸の方が俺は好きだな」と言ってくれたのであまりしないことにしている。


 やるとしても薄いピンクの口紅を塗ったり、ファンデーションをする程度。


 出会ってから数週間はずっとすっぴんだったので、そのせいもあるかもしれない。


 道具を片付け洗面台を出ると、彼はキッチンに立って使った食器を洗ってくれていた。


「ありがとう」


 流しには私の使った食器だけだったので、準備ができたら洗おうと思っていた。


 私が礼を言うと彼は視線を私に向けた。


「いいよ、暇だったから」


 そう言って洗った食器を乾燥機に入れる。ボタンを押して彼の使った食器と共に乾燥にかけられる。


「準備はできた?」


「うん、今からでも行けるよ」


 彼が点けたままのテレビに目を向ける。


「・・・じゃあ少し早いけど出ようか」


「荷物取って来るね」


 自分の部屋に向かいベットの近くに置いていた黒いスーツケースを持ってくる。彼の会社の旅行用に買ったものだけど、今は私の服などでいっぱいになっている。


 部屋から出ると隣にある彼の部屋からリュックを背負った彼が出てきた。実家に帰れば服とかはあるからと言っていたので、荷物は私の半分ぐらいで済んでいた。


 私たちは戸締りと電気を確認してから、駅に向かった。

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